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::: 説  教 :::


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Name   T・Y
Subject   9/11 ヨセフ(18)希望も恐れも一つとなって 創世記46:31〜47:9
☆聖書箇所  創世記46:31〜47:9
<創世記46:31〜34>
31ヨセフは兄弟たちや父の家の者たちに言った。「私はファラオのところに知らせに上って行き、申しましょう。『カナンの地にいた、私の兄弟たちと父の家の者たちが、私のところにやって来ました。
32この人たちは羊飼いです。家畜を飼っていたのです。この人たちは、自分たちの羊と牛と、所有するものすべてを連れて来ました。』
33もしファラオがあなたがたを呼び寄せて、『おまえたちの職業は何か』と聞いたら、
34こう答えてください。『しもべどもは若いときから今まで、家畜を飼う者でございます。私たちも、また私たちの先祖も』と。そうすれば、あなたがたはゴシェンの地に住めるでしょう。羊を飼う者はみな、エジプト人に忌み嫌われているからです。」
<創世記47:1〜9>
1ヨセフはファラオのところに来て、報告した。「私の父と兄弟たち、また、その羊の群れ、牛の群れ、そして、彼らの所有するものすべてが、カナンの地から参りました。今、ゴシェンの地におります。」
2彼は兄弟の中から五人を連れて来て、ファラオに引き合わせた。
3ファラオはヨセフの兄弟たちに尋ねた。「おまえたちの職業は何か。」彼らはファラオに答えた。「しもべどもは羊を飼う者で、私どもも、私どもの先祖もそうでございます。」
4また、彼らはファラオに言った。「私たちはこの地に寄留しようとして参りました。カナンの地は飢饉が激しくて、しもべどもの羊のための牧草がございません。どうか、しもべどもをゴシェンの地に住まわせてください。」
5ファラオはヨセフに言った。「おまえの父と兄弟たちが、おまえのところに来た。
6エジプトの地はおまえの前にある。最も良い地に、おまえの父と兄弟たちを住まわせなさい。彼らをゴシェンの地に住まわせるがよい。彼らの中に有能な者たちがいるのが分かったら、その者たちを私の家畜の係長としなさい。」
 7それから、ヨセフは父ヤコブを連れて来て、ファラオの前に立たせた。ヤコブはファラオを祝福した。
8ファラオはヤゴブに尋ねた。「あなたの生きてきた年月は、どれほどになりますか。」
9ヤコブはファラオに答えた。「私がたどってきた年月は百三十年です。私の生きてきた年月はわずかで、いろいろなわざわいがあり、私の先祖がたどった日々、生きた年月には及びません。」

☆説教 ヨセフ(18)希望と恐れも一つとなって 

ず〜っとヨセフの物語をシリーズで話しています。
先週は少し長くなってしまいました。今日はできたら時間通り、と思いますけれども。
先週とうとうヤコブと息子たちの家族すべてが、ヨセフのところ、エジプトにやって来た、という所で話を閉じることができました。
そこから先の部分を見ていただきたいと思います。
ちょっとしばらく聖書を映しますので、聖書を見てください。あ、なるほどなぁという風に思います。いいですか?

1)羊を飼う者であり続ける。

(創世記46章)(※指で示して)31節からですね。
【画面:創世記46章32節「この人たちは羊飼いです」、33節全文、34節「しもべどもは〜家畜を飼う者でございます」「そうすれば〜住めるでしょう」にオレンジのハイライト。47章1節「ファラオのところに来て、報告した」に黄色のハイライト。」

<創世記46:31〜34>
31ヨセフは兄弟たちや父の家の者たちに言った。「私はファラオのところに知らせに上って行き、申しましょう。(***というのは、「お父さんたちが来たということを王に知らせます」ですよね、と説明)『カナンの地にいた、私の兄弟たちと父の家の者たちが、私のところにやって来ました。
32この人たちは羊飼いです。家畜を飼っていたのです。この人たちは、自分たちの羊と牛と、所有するものすべてを連れて来ました。』
33もしファラオがあなたがたを呼び寄せて、(***これは兄弟たちに言ってるんですね、と説明)『おまえたちの職業は何か』と聞いたら、
34こう答えてください。『しもべどもは若いときから今まで、家畜を飼う者でございます。私たちも、また私たちの先祖も』と。そうすれば、あなたがたはゴシェンの地に住めるでしょう。羊を飼う者はみな、エジプト人に忌み嫌われているからです。」

で、【画面:47章1〜3を指差しながら説明】実際、兄弟たちは五人連れて、ヨセフと共にファラオのところに行くんですね。
そして同じような質問がやっぱりなされます。
【画面:創世記47章3節「羊を飼う者」4節「寄留しようとして参りました」に黄色のハイライト。「どうか、しもべどもを〜ください」にオレンジのハイライト。6節「最も良い地に〜住まわせなさい」「彼らの中に有能な者たち」「その者たちを〜係長としなさい。」に黄色のハイライト】

<創世記47:3〜4>
3ファラオはヨセフの兄弟たちに尋ねた。「おまえたちの職業は何か。」彼らはファラオに答えた。「しもべどもは羊を飼う者で、私どもも、私どもの先祖もそうでございます。」
4また、彼らはファラオに言った。「私たちはこの地に寄留しようとして参りました。カナンの地は飢饉が激しくて、しもべどもの羊のための牧草がございません。どうか、しもべどもをゴシェンの地に住まわせてください。」

と実際に願い出るんですね。
随分詳しく記されている、ということを心に留めてください。
「自分たちは羊を飼う者です」ということと、
エジプト人があえて忌み嫌うような――エジプトの国は太陽神ですよね。そしてナイル川によって、肥沃な土地を得ているわけです。彼らは農業国です――ですから「遊牧民」というものを、どちらかというと軽蔑するような方々でありました。

で、自分たちを敢えて「ゴシェンの地に住まわせてください」というのは、エジプトの中央から離してください、という意味にもなります。
色んな意味があると思いますね。
たとえば農業をしたことがないとか、それからエジプト人に色々こう後ろ指指されるよりも、そこから離れて安全な所に行きたいという意味もあるでしょうけれども、
しかし《霊的な意味》もあると思います。

前回お話ししましたね。
ヨセフは家族に言いました――「身一つで引っ越して来てください。何もかも持って来ようと思わないでください。エジプトの最良のものが待っています。家財に囚われず、心配せずにエジプトに来てください」。
私(藤本牧師)はこのメッセージを、私たちキリスト者に当てはめました。
イエスさまは仰いました。――「あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には住まいが沢山あります。なかったら、あらかじめ言っておいたでしょう。わたしはあなたがたのために、場所を用意しに行きます。そして用意ができたら、改めてあなたがたを迎えます」(***ヨハネ14:1〜3)
とイエスさまは私たちに仰いました。

ファラオはヨセフの家族たちが来ることができるように車を出したんです。
それと同じように、「イエスさまは私たちのために車を出してくださる」と申し上げました。
そして天には、父の家には住まいが沢山あり、最良の備えをイエスさまはしていてくださる。
勿論いま私たちに与えられているこの世界の人生というものの中に、神さまの恵みは沢山あります。
しかし、「天へと帰る時、つまり地上で息絶える時に、私たちは家財に未練を残さず、身一つで天国に迎えられるという思いで、今の人生を生きていく」というお話を先週いたしましたよね?
まさにそれが、《遊牧民的な生き方》なんですよ。

今ヨセフの話をしています。ヨセフのお父さんはヤコブで、その上はイサクで、そしてアブラハムですけれども、アブラハム以来ず〜っと遊牧民です。
で、聖書はダビデの詩篇23篇にありますように、「主は私の羊飼い」という、その信仰にみなぎっています。
羊飼いである神は、私たちを緑の牧場に、水のほとりに、しかし死の陰の谷に、時に敵の前に、私たちを連れて行かれる。
でもどこにあっても、主は私たちを守り、私たちに備えをしてくださる。
それが羊飼いに連れられた遊牧民の働きと共に、遊牧民の人生であり、遊牧民の信仰なのですね。

ヨセフは兄弟たちに言うんですね――「あなたがたは遊牧民です。エジプトの豊かさの中に埋もれてはいけない」と。
ですから、ここで農業を習得しようなんていうことは考えないでほしい。
エジプトの中にあっても、自分たちが遊牧民であるということをきちっとファラオに告げて、そして遊牧民として生きていきましょう。
私たちが信じているのは、アブラハム、イサクの神であって、羊飼いなる神さまです。
エジプトは太陽の神、ナイルの神、自然を神として生きています。でも私たちは違います。

(創世記)47章の3節に「彼らはファラオに答えた。しもべどもは羊を飼う者です」と、書いてありますね。
それから4節に「私たちはこの地に寄留しようとして参りました」です。
「この地に引っ越して、この地で市民権を獲得しようとして引っ越して来たのではありません。
ですから敢えてエジプトの中央よりも遠い、どちらかと言えばエジプト人があまり好まないゴシェンの地に住まわせてください。」

46章の34節の最後に、このゴシェンは、エジプト人に忌み嫌われる場所であったと書いてありますが、あえてその場所に住みたいと。
王はそれを許してくださいました。
そして王は、(創世記47章6節の最後)ヨセフの兄弟たちに言います――「おまえたちの中で有能な者を見つけたならば、私の家畜、王の家畜の係長としてやってください。」
ま、それなりの責任をもって、ゴシェンの地を管理するように、ということをヨセフ、ヨセフの兄弟に命ずるわけです。

ヨセフは変わらずにエジプトの中央にいます。
47章の後半で――最初穀物を買って行った。でももう飢饉が長いですから、(※エジプトの地もカナンの地も)穀物を買うための銀を失うんですね。
その内、彼らは土地を王に提供することによって、そして穀物を買います。
提供された土地は、もう一度民のところに戻りますが、年貢が始まります。

「五分の一を王に納めよ」――このヨセフの知恵というのは、古代にあって偉大で、普通年貢というのは、古代にあって、日本にあっても五割ですよね。
でも二割でよいと、あなたがたが十分に生活できるように。
でも国中の銀を王のもとに集め、そして土地は国有化してしまうという、ヨセフの知恵がここで働いているんですけれども、今回それは飛ばそうと思っています。

そんなことよりも、ヨセフにとって大切なのは、アブラハム・イサク・ヤコブの子孫たちがなるべくエジプトに呑み込まれることなく、遊牧民的な信仰の在り方を貫いていく。
私たちはあくまで寄留者ですから、エジプトの中央に住む必要はありません。
私たちクリスチャンにとっても、変わりはありません。
私たちは存分にこの世にあっての神の祝福にあずかります。
しかし《どこにいても神に導かれた羊であって、地にあっては寄留者である》ということを忘れないわけです。

2)兄弟の後に、父ヤコブがファラオに謁見いたします。

聖書を見ていただきたいと思います。47章の7節から読んでいきますね。
【画面:創世記47章7節「父ヤコブを〜立たせた。ヤコブは〜祝福した」8節「あなたの生きて来た〜なりますか」9節「百三十年です」「年月はわずかで〜わざわいがあり」に黄色のハイライト。「私のたどって来た年月は」にオレンジ色のハイライト】

<創世記47:7〜9>
 7それから、ヨセフは父ヤコブを連れて来て、ファラオの前に立たせた。ヤコブはファラオを祝福した。
8ファラオはヤコブに尋ねた。「あなたの生きてきた年月は、どれほどになりますか。」
9ヤコブはファラオに答えた。「私がたどってきた年月は百三十年です。私の生きてきた年月はわずかで、
(***と言いますのは、お祖父さんのアブラハムは175歳まで生きています。それからお父さんのイサクは180歳ですから、それには及ばない。でも次の文章ですね、と説明)
いろいろなわざわいがあり、私の先祖がたどった日々、生きた年月には及びません。」

「あなたはいったい幾つですか?」という問いかけに対して、ま、正直に年齢は言います。
そして「その年齢はまだまだ足りません」ということも言います。
だけど「自分の人生を総括した時に、様々なわざわいに溢れていた」というのがヤコブの告白なんですよね。
文語訳聖書では、「我が旅路の年月は、130年に至る。わが齢の日はわずかにして、かつ悪しかりし」と。
あんまり良くないものでしたと。

皆さんの人生はどうですか?
非常に病気と闘い、病気の多い方もいらっしゃいますね。
非常に健康が保たれて来たんだけれども、晩年大変苦労する方もいらっしゃいますね。
ず〜っと元気になったんだけれども、ある時、あっという間に天に帰られる方もいますね。
或いは、子どもが自分より先に天国に行ったという方もいますし、
正直、私も含めて教会員の方の人生というのは、あまり口にはしませんけれども、考えてみると、苦労が多いといえば多いんですよ。
私たちはいったいファラオのような人物に、「あなたの人生はどうなんですか?」って言われた時に、何て答えるのか?
詳しく自分の人生を話す必要はないですね。

でもヤコブは一言で、「悪しかりし」と、「様々なわざわいでした」と、そういう表現を思わず使ってしまうというのには、それには理由があります。
(ヤコブは)イサクを父として、双子の兄弟エサウ、ヤコブ(の順)で生まれました。
お母さんのお腹から先に出てきたのはエサウでした。
ヤコブは生まれた時、エサウのかかとを掴んでいましたから、「かかとを掴む」という意味でヤコブという名前を付けられてしまいます。
これから先、(ヤコブは)兄貴に先を越されてなるものかと、ず〜っと兄エサウをライバルとして生きていきました。

青年の頃、父イサクの死に際に、なんとヤコブは兄エサウと父親をだまして、相続権を奪ってしまいます。大変なことをしでかしてしまいました。
大変なことをしでかしてしまったので、彼は若くして実家を去らざるを得ない。
そして母親の遠い伯父を訪ねて荒野を旅します。
ようやくたどり着いた伯父さんは、遊牧民でありました。

そのおじさんの二番目のお嬢さん、ラケルと結婚したいと申し出た時に「いいよ」と言いながら、結婚式の夜に、伯父さんは長女のレアをヤコブのテントに送り込むんですね。
真っ暗ですからそれに気が付きませんでした。
朝起きてみたら、結婚したはずのラケルではなく、その姉のレアが床を共にしているという現実を目の当たりにして、彼らの父親のラバンに文句を言います。

すると伯父さんは、「この地に於いて、妹を先に嫁がせるというわけにはいかないんだよ」と。だから両方貰ってくれと。
一人7年分働いてほしいと。合計14年、伯父さんのもとで過ごすことになるんですよね。

そして自分の妻は二人の姉妹です。そしてこの姉妹は争うんです。どちらが沢山子どもを儲けることができるかで、戦うんです。
ものすごい戦いでした。
なんと姉妹は自分たちのお腹だけでは足りないので、自分たちのしもべを連れて来て、合計4人の間で子どもを儲けて、イスラエルの部族の12という子どもの人数が揃うんですよ。
これがどんなに大変だったか!

そしてヨセフというのは、最愛の妻、中でも最も愛したラケルで一番最初に生まれた子どもで、なかなか生まれなかった子どもなんです。
そのヨセフにひたすら愛情を注ぎました。
結果的に、ヨセフは他の兄弟たちの嫉妬を買うわけです。
他の兄弟たちはヨセフを殺してしまおうということになり、ギリギリのところで彼は助けられて、そしてエジプトに売り飛ばされる。

エジプトに行きました。誠心誠意尽くして、ポティファルの家に、政府の要人でありました彼の家に仕え、彼の家を任されるようになります。
しかし濡れ衣を着せられて、牢屋に入れられ、そしてその牢屋で献酌官長の夢を見事に解きます。
そして「私のことを忘れないでください」と言(って別れるん)ですけれども、二年間忘れられて、そのまんま放置されるヨセフ。
そしてそのヨセフは死んだものだと理解している父ヤコブです。

もう十数年、自分の最愛の息子はこの世を去ったと言いながら、せめてその下の弟のベニヤミンだけを可愛がっている(ヤコブ)。
兄弟たちはヨセフをエジプトに売ってしまったという罪悪感が多少ありますから、家の中はギクシャクしますよね。
そうしてカナンの地を転々と住むんですけれども、ある時シェケムに身を置きました。
その時にヤコブの娘が襲われます。
それを見ていた兄たちは、襲った者たちを殺してしまうんですね。
そして村との関係は大変面倒臭いことになってしまいます。

ヤコブが自分の人生を振り返った時に、自分はず〜っと寄留者だった。
それは遊牧民である以上に、若い頃母親のもとを離れ、14年間伯父さんのもとに仕え、そして複雑にも4人の女性との間に12人の子どもを儲けることになり、
その子どもたちはどことなく仲違いをし、最愛のヨセフを失い、

振り返ってみた時に、そういうことで頭がびっしり詰まって来るんですね。
ですからファラオに「あなたの人生はいったいどういうものだった」と言われた時に、思わず、「私の人生はわざわいで一杯でした」と言わざるを得ない、彼の気持ちというのがあるんです。

三番目、これで最後ですね。
3)ところが、至るところで、神はヤコブに現れます。

たとえばですね、兄エサウの殺意を逃れて、青年の時に荒野で過ごした夜、彼は幻を見ます。
その幻は、天から梯子が地に向けて立てられていて、そしてイエスさまが降りて来て祝福を授かります。
伯父さんのラバンの所からパレスチナに帰る時に、「きっと自分はエサウに殺されるに違いない」と不安に思ったヤコブは、家族を先にヨルダン川の向こう側に渡しておいて、こちら側にもう一回戻って来て神さまに祈ります。
その時、神さまが現れて、神さまと格闘するかのように祈り続けます。
その結果として、神さまから「あなたはもうヤコブとは呼ばれない。イスラエルだ。皇太子だ」と。
「もう掴む者、兄の踵を掴む者とは呼ばれない。あなたはイスラエルと呼ばれる」ということで、ヤコブの12人の子どもたちがイスラエル部族になっていくわけですよね。

先程申しました。ヤコブの家族がシェケムという町にいた時に、息子たちが大変な事件を起こして、そして家族の存亡にかかるという時に、神さまが――ちょっと創世記の35章を見ていただきます?
創世記の35章を映しますね。こうありますね。大変な時に必ず神さまは現れますね。
【画面;創世記35章1節「ヤコブに仰せられた」「ベテルに上り、そこに住みなさい」「あなたに現れた神のために祭壇を築きなさい」に黄色のハイライト。3節全文に赤ペンで傍線】

<創世記35:1〜3>
1神はヤコブに仰せられた。「立って、ベテルに上り(***一番最初にその荒野でヤコブが神と出会った場所です、と説明)、そこに住みなさい。そしてそこに、あなたが兄エサウから逃れたとき、あなたに現れた神のために祭壇を築きなさい。」
(***その時以来わたしはず〜っとあなたと共にいた、ということですよね、と説明)
2それで、ヤコブは自分の家族と、自分と一緒にいるすべての者に言った。「あなたがたの中にある異国の神々を取り除き、身をきよめ、衣を着替えなさい。
3私たちは立って、ベテルに上って行こう。私はそこに、苦難の日に私に答え、私が歩んだ道でともにいてくださった神に、祭壇を築こう。」

「苦難の日に」って書いてありますよね。
ファラオに130歳の時に思わず、「あなたの人生はどのようなものでしたか?」と言われた時に、「わざわいの連続でした」と。
でもその「わざわいの連続」ということと重なって、神は「わたしは、あなたのわざわいの日に、あなたと共にいて、あなたに答えてきた」と。
私(藤本牧師)は、これはヤコブの人生のクライマックスだろうと思っています。

これからの先17年、ヤコブはヨセフ、子どもたち、その家族と一緒に時間を過ごして行きます。
沢山の孫たちに囲まれて、その苦難の連続の日々が、いつの間にか祝福に繋がっていくわけです。
でも35章で見ましたように、ヤコブが息子たちに言うんです。
「私は立って、ベテルに行く。あなたがたも身をきよめて、礼拝の備えをしなさい。
私はそこで、苦難の日に私に答え、私が歩んだ道でともにいてくださった神に、祭壇を築こう」と言うわけです。

そうすると、二番目のポイントと三番目のポイントは重なるんです。
二番目のポイントは――「ヤコブの人生を振り返った時に、苦難が沢山ありました」。
ところが三番目のポイントは、
「神さまはヤコブと共に歩み、苦難の時に何度もヤコブに現れ、溢れるばかりの祝福を約束してくださった。そうして130年の旅路を歩んできた。
そう考えますと、ヤコブの旅路はわざわいばかりではない、ということがよく分かるようになります。
苦難を圧倒する祝福を、実は彼は受けて来た。
そしてやがて地上を去る時に、さらに大きな祝福が彼を待っている。
神はわざわいをも祝福と変えてくださる。
(ヤコブは)守られて、幸せな最期を迎えます。

先週8日の日に、イギリスのエリザベス女王が96歳で天に召されました。
イギリスの国歌が「女王を祝福し」ではなく、「国王を祝福し」に変わったという、そのYouTubeのニュースを観ていました時に、YouTubeを観ていますと他のチャンネルが出て来ますよね。
出てきたチャンネルに、昨年2021年のクリスマスに、エリザベス女王が国民に対して語ったクリスマスメッセージ――というのが毎年あるんですけれども――それが出て来ました。
昨年のクリスマス、つまりフィリップ殿下、自分の夫が先に天に逝き、一人残され、そういうクリスマスを迎えなければいけない時に、彼女はあるメッセージを発していました。
それは一つは、「クリスマスというものは、世界中の子どもたちが目をキラキラさせる単純な喜びだ、素直な喜びに満ちている。
大人の世界は変動し、大人は難しい。労苦も悲しみも絶えることはない。
だからせめてクリスマスの時だけでも、子どものような素直さに戻って、クリスマスの喜びを味わおう」と。
そして彼女のその公のメッセージは、信仰告白で閉じられるんですよね。
「クリスマスは、イエス・キリストの誕生です。
私たちはイエス・キリストの誕生をもって、世界が新しくされて行くという希望に溢れています。
その信仰がこれまでの私の人生をずっと支えて来ました」というものでした。

そして、彼女は最後に短く、「昔の讃美歌にこういうフレーズがありますよね」と言うんですね。
彼女は歌わないんですけれども、言うんです。
the hopes and fears of all the years are met in thee to-night.???
全然分からなかった、何を言っているのか(笑)。
the hopes and fears of all the yearsというのは、これまでのすべての年々の希望と恐れは、in theeあなたのうちに、are met出会う、to-night今晩。
で、私は思わずグーグルでそのフレーズを検索しました。いったいどんな讃美歌なのか?
それが「ああ、ベツレヘムよ」でした。
19世紀のフィリップス・ブルックスの歌詞で、1節の最後です。
日本語では訳されていません――「今宵、あなたのうちで、すべての年々の希望と恐れが出会う。」

私の人生のすべての年々の希望と恐れが、イエス・キリストを信じることによって、一つに溶け合うと言いますか――それがヤコブなんですよね。
でも、それは私たちでもある。
私たちは神に連れられてどこへでも行く、という信仰をやっぱり忘れない。
エジプトの豊かさのど真ん中にあっても忘れない。
人生苦しみの方が多いのかもしれない。
でも輝いた喜びを、神さまは至る所に散りばめておられる。
それらが一つになっているのが私たちの一年で、それらを思い返すのが私たちの一生であり、私たちの一年も、一週間も、一生もすべて、キリストの内に取り込まれている。
この方への信仰、この方の恵みによって、私たちは生かされ、今週もまた生きていく。
All the hopes and fears are met in thee
すべての希望と恐れはあなたの、イエス・キリストの内に出会い、それはクリスマスだけではない。クリスマスから始まったすべての年々に言えることなんだなぁということを、つくづく考えさせられました。

☆お祈りをいたします――藤本牧師

恵み深い天の父なる神さま、ヤコブが130にして言えたこの言葉の背景に、私たちはどれほどの苦難に遭ったのか、よく知っています。しかし創世記の35章を見ますと、ヤコブの告白が出て来ます――「私の歩んで来た人生の様々な苦難の瞬間に、神は私に出会ってくださった」――どうかいつもその希望が苦難を圧倒することができるように。そしてそれが信仰というものであり、私たちがどんな豊かさの中にあっても、その信仰を忘れないということを覚えさせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。

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