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::: 説  教 :::


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Name   T・Y
Subject   10/2 聖餐式・キリストの復活は私たちへの保証 ヨハネ14:1〜3
☆聖書箇所 ヨハネ14:1〜3
1「あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。
2わたしの父の家には住む所がたくさんあります。そうでなかったら、あなたがたのために場所を用意しに行く、と言ったでしょうか。
3わたしが行って、あなたがたに場所を用意したら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしがいるところに、あなたがたもいるようにするためです。

☆説教  聖餐式:キリストの復活は、私たちへの保証

火曜日(2022/9/27)に松本健次郎さんの葬儀が津田山の火葬場でありました。ご家族だけでありました。今月101歳になるという一歩手前、100歳の葬儀でございました。
葬儀の中で、KMさんが追憶の言葉を語ってくださったんですけれども、晩年に松本健次郎さんは、胆管炎、非常に厳しい状況で胆管炎の手術をなさったそうです。

手術が終わって、お見舞いにお嬢さんのMさんがいらっしゃった時に、お父さんがこう言った。
「すっごく綺麗な所を見て来た。見たこともないお花畑。見たこともない花の数々、それがものすごくきれいだった」
そして水の上を渡るんですけれども、「その水の透き通ったさまも、見たこともない」という言葉の連続で、お嬢さんは、
「あ、それは地上の世界ではない――そういう意味なんだな」ということを理解されたと言うんですね。
そこに「こちらですからどうぞ」と案内しているのが私(藤本牧師)だったという夢だったと(笑)。
私(藤本牧師)は多分、「こちらですからどうぞ」とは言わないと思うんです。「お帰りください」という風に言うと思うんですけれども、そういう夢だったというんです。

Mさんは、お父さんに「お父さん、良かったじゃない。これから行くところを見学することができたんだから」という風に仰ったそうです。
これはお父さんにとっては励みになったと思います。私たちは「死んだら神のみもとに召される」ということは分かっていても、それを事前に見学することは、そうそうないと思います。

見学の時に非常に痛い目をいたしました松本健次郎さんは、本番の時は、非常に安らかに天に召されました。
コロナに感染し、そしてそれが陰性になり、でも少々食欲が落ち、簡単に食べられるものを、とお嬢さんが持って来ますと、「俺は煎餅が食べたい」(笑)と仰るわけですから、かなりお元気だったんですね。
しかし、あっという間に天に召されました。100歳というご年齢ですから、私(藤本牧師)は、ま、それで良かったんだろうと思います。

葬儀が行われる一日前に、奥さまがご主人の手帳を見つけられました。
そこには「色々と世話をかけて申し訳ない」という言葉の連続と同時に、「これまでありがとう」という言葉が何回も何回も綴られていた、と奥さまは仰いました。
そういう言葉は書いておくべきだなぁと思います。
そして最後に「また、どこかで会おう」と。「また、どこかで会おう」。

で、今日はこれです。そのどこかが天国です。いいですか?
行き先が分かっているというのは、私たちキリストを信じる者に与えられた平安です。
ですから、ヨハネの福音書の14章の1節でイエスさまは仰いました。
「あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい」と。

ちょっと出しますね。ヨハネの福音書の14章ですね。
説教のポイントは二つあります。

1)キリストの最大の働きはいったい何であったのであろうか?

イエスさまは地上で神の国を教え、また人々を癒し、悪霊を追い出し、多くの働きをなさいました。
でも、イエス・キリストの最大の働きはいったい何であったのか?
私たちはよく知っています。それは受難でありました。
《十字架にかかるという受難》です。その受難のゆえに、
私たちは真っ直ぐに――罪人であるにもかかわらず、キリストの義をまとい――神の御前に立つことができる道が開かれたという。
私たちは罪赦され、神の子どもとされるようになったという。

こういう十字架の意味を明らかにしているのはパウロです。
イエスさまはなさいませんでした。パウロです。
で、今日読みましたヨハネは、こういう説明の仕方をしているんだ、ということを皆さんの目に留めていただきたいと思います。
これがイエスさまの働きのヨハネなりの説明です。ま、イエスさまが説明なさったことで、ヨハネはこの言葉を採ったんですね。

【画面:ヨハネ14章1節全文、3節「わたしが行って〜わたしのもとに迎えます」に黒ペンで傍線。2節「場所を用意しに」に黒ペンで囲み。2節「住む所がたくさんあります」「あなたがたのために場所を用意しに行く」3節「また来て〜いるようにするためです」に黄色のハイライト】

2わたしの父の家には住む所がたくさんあります。そうでなかったら、あなたがたのために場所を用意しに行く、と言ったでしょうか。

イエスさまは父の家に場所を用意しに行くために、ご自分の人生がある、という風に考えられました。そして3節に――

3わたしが行って、あなたがたに場所を用意したら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしがいるところに、あなたがたもいるようにするためです。

また会えると。
松本健次郎さんが奥さんに、「また、どこかで会おうね」と仰ったように、私たちは愛する者を先に天国に送ります。
そしてまた会える。それが天国で会える。その天国がどういうところかと言えば、
「わたしがいるところ、キリストがいるところ、そこにあなたがたもいるようにするためです」とありますね。

キリストが為した最大の働きは、《私たちのために天の御国に、父の家に、場所を用意する》ということです。
で、準備ができたら私たちを迎えに来る。ですから人の寿命は、私たちの側ではいくら計っても計りきれない。
それはイエスさまの方で「準備ができたら、私たちを迎えに来る」と仰ったのです。
でも、長寿は祝福ですから、私たちは「長寿を与えてください」と神さまにいつも祈っているわけです。

イエスさまは最後の晩餐の中で、今の聖書の個所を教えられました。
「わたしの父の家に、あなたがたを迎えるために、わたしは備えに行く――それが私の働きだ。備えが終わったら、あなたがたを迎えに行く」と。

先日、戸塚先生とちょっと会話を交わしました。
この父の家っていうのは、所謂聖書で言うパラダイスなんだろうか?と。
パラダイスっていう言葉は、ある一か所に出て来ますよね。
ルカの福音書で、十字架につけられたイエスと共に二人の犯罪人がつけられます。
その一人が「あなたが御国の位にお就きになる時には、どうぞ私を思い出してください」と言った時に、イエスさまは驚くべき回答をなさいます。
「まことに、あなたに告げます。あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」

パラダイスって一体何だろうか?
からだは、すなわち遺体は十字架に磔のままです。
そして遺体は墓に納められます。日本では火葬、ダビにふされます。そうしてたましいは主のもとに行きます。
初代教会の人々は、それを「眠っている人々」と表現いたしました。
墓で身を横たえている状態ですから、「眠っている人々」と表現するのは不思議ではないと思います。
しかし私(藤本牧師)は眠っているとは思いません。
なぜならパラダイスは父の家であり、イエスさまのおられるところであり、そこで入るべき道のりを走り終え、栄冠を授けてくださるイエスさまがいるわけですから、
そこで寝ているという概念は、表現としては「遺体が寝ている」ということで正しいと思いますけれども、
しかしたましいは、死と同時にいのちの世界に移されていると、私たちは信じています。

でもやがて、キリストが再臨され、この世界を支配する時に、パウロは言ってますよね。
「復活のイエスと同じ姿に私たちが変えられる」というのはどういうことか、というと、
その眠っている、朽ちている、火葬にふしてしまったからだが、復活のからだに新しく創造されて、私たちはそのイエスと同じ復活のからだを身にまとうようになる。
それまでは父の家、パラダイスです。
でもイエスさまが地上に来られる時には、私たちは復活のからだを身にまとい、そしてイエスさまはこの地上と天を全く新しいものとされ――それが新天新地でありますけれども――私たちはイエス・キリストと共に、復活のからだをもってこの新天新地を支配するようになるというのが、一般的な「終末」「終わりの日」の教えです。

私たちは二段階で考えたらいいと思いますよね。
最初がパラダイス、父の家、そしてそこにいる期間も長いと思います。
でもやがてキリストが再臨される時に、私たちは霊的な存在ではなく、新しい復活のからだを身にまとい、キリストと共にこの地を治める、というのが第二段階で、
私たちがもっぱら経験している「死」というのは、まだ第一段階です。
私たちはパラダイスに行く。ですから何の躊躇もなく、遺体をダビにふすことができる。

初代教会の迫害の歴史を見ますとね、もうローマ帝国はキリスト教徒が憎くてしようがない。
ですから、キリスト教徒を十字架に架け、それを墓に葬り、それでもまだ物足りないので、墓から掘り出して、それを火葬にして粉々に砕いて、川に流すということをします。
それはキリスト者にとってはショックだったに違いない――そうローマ帝国は思ったんです。
「やがて復活のからだが与えられる」という希望があるにもかかわらず、そのもとになりそうな、復活のからだを粉々に砕いて海に流すわけですから。
その時に、初代教父の一人が言葉を残しています。
「地の塵から人を創造される神は、どんな粉からでも、破片からでも、どこからでも私たちの新しいからだを創造することができる」と。
ですから、私たちは土葬に拘らない。それが火葬であれ、それが海への遺骨を蒔く行為(散骨)であれ、そんなものは関係がない。
《神さまは復活のからだというものを、いつでもどこからでも再臨される時に、私たちに与えてくださる》ということを信じています。

さて、松本さんが奥さまに仰った「また、いつか会おう」という言葉は、私たちは恐らく父の家で、パラダイスで、またいつか会うことができるんですね。
そして今日は聖餐式がありますけれども、私たちは松本さんのように下見をすることはできない。
しかし、私たちもまた(死んだら)どこに行くのか分かっている。

2)「死んだらどこに行くのか分かっている」と言う人が、聖餐にあずかります。

その話を二番目のポイントとしてお話しして、そして聖餐に移りたいと思います。

死んだらどこに行くか分かっている人が聖餐にあずかる――どういう意味か?
それは大切なキリスト教の言葉があります。《初穂》という言葉です。
初穂という言葉が出て来る第一コリントの15章の20節を見ていただきたいと思います。
第一コリントの一番最後ですね、15章の20節、これ映します。ちょっと見てください。いいですか?
【画面:Tコリント15:20全文に緑色のハイライト】

 20しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として、死者の中からよみがえられました。

ここに「眠った者」とありますでしょう、これはつまり「死んだ者」です。
それの《初穂として蘇られた》と。ちょっと説明させてください。

「キリストが復活された」ということを、私たちはこういう風に考えがちですよね。
歴史の中の人物の中で、唯一初めて死人の中からよみがえった人がいると。
普通はそんなこと絶対ないのに、この人はよみがえって、弟子たちに現れたそうだ。
それは神の奇跡的なみわざの現れであり、だからイエス・キリストは神の御子である。
そういう風にキリストの復活の初穂である、ということを考えそうですが、それは違います。そういう意味ではない、初穂というのは。

私は先週山形の酒田という所にあります聖化大会に行ってまいりました。
何を考えたのか、車で行ってまいりました。往復1200キロかかりました(※楽しそうに笑って報告する藤本牧師)。
新潟に入り、既に刈り入れが始まっていて、金色の区画と緑の区画とパッチワークのように大変綺麗でありました。新潟平野っていうのは広いなぁと思いました。
やがて酒田に向かいますと、今度は庄内平野です。庄内平野は半分以上が金色でありました。
そして山を登って山形平野と言うんですかね、そうしますと、まだ刈り入れはなくて、もうほんとに黄金の田んぼがブルーの空と、そして月山蔵王の緑と、ほんとに綺麗でありました。
でも恐らくそういう畑でも、既に初穂は収穫されていると思います。

初穂って一体何なのか?
それは単純に、最初に刈り取った稲という意味ではないんですね。
《その後に続く一面の大収穫の先取り》 という意味です。
ですからイエスさま一人が歴史上で珍しく復活なさったというのではない。
初穂として復活したということは、その後に続く一面の大収穫の保証。
イエス・キリストを見る時に、あなたもまた同じように復活するということの保証なんですと。
キリストの復活はもちろん、キリスト自身のものです。
でもそれが初穂であるという時に、それは私たちも同じ恵みにあずかるということの保証なんですよね。

それで、ちょっと聖書を映していただいて、Tコリントの(15章の)21と22を読みますね。
【画面:Tコリント15章21節〜22節を説明しながら読む。聖書にしるしは特になし】

<Tコリント15:21〜22>
21死が一人の人を通して来たのですから、死者の復活も一人の人を通して来るのです。

初穂・キリストを一番として、あと延々と続きます。

22アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストにあってすべての人が生かされるのです。

ということの保証として、《聖餐式》がある。これは実は聖餐式だけではない。《洗礼式》がそうです。
教会の礼典というものはそういうものなんですけれども、いいですか。

パウロはローマ人への手紙の6章で、洗礼によって水に沈められるということは、古き自分を捨てて、キリストと共に葬られる、でも水から上がる時に、新しく神に対して生きることになる。
そしてパウロは、ローマの6章5節で「キリストの復活と同じようになる」という言葉を使っています。

え、まだ同じようになってないのに、洗礼によっては同じようになっている、と言うじゃないですか!
すると、私たちは完全にキリストの復活と同じようになってないんです。全然なってない。
でも《内的には、既になっている、と思わなければいけない。》

なかなかそういう風に認識できない。だから《聖餐式、洗礼式に立ち会う度に、私たちは自分の洗礼を思い出して、「自分はあの時に古き自分に死に、新しい自分に生まれ変わったんだ」という認識に立ちなさい》ですね。
そして、私たちは折に触れて、聖餐にあずかる時に、この聖餐は天国の晩餐の先取りですよ
そしてこれは、これにあずかる者は天国の晩餐にあずかることもできる、という保証ですね。
《この二つが(※洗礼と聖餐)、教会に与えられているサクラメント》と呼ばれていて、それはすべて天国の先取りとして、私たちに備えられているものですね。

水曜日に草加の施設に入っているYKさんを、私はお訪ねしてまいりました。
前の日の火曜日に広島のお嬢さん(OTさん)からお電話をいただきまして、「父が看取りに入りました」と。
奥さま(山田純子さん)が天に召されたのが、2020年、21年かな?そして三軒茶屋にありましたご自宅を処分して、お一人で草加の施設に入りました。
今92歳だと思います。ああ、もう看取りなんだと。

会いに行きましたら、思いのほかお元気で、でも心不全は患っておられますから、今までも何度か気を失っておられます。
誤嚥性肺炎を起こすといけないので、ということで、もう水だけ、点滴はしない、という段階に入ったので、今頃ご家族が草加に行っていらっしゃると思います。

で私は聖餐式をしました。ま、パンは無理ですから、「ぶどう液のカップだけ、試してみません?ちょこっちょこっと飲みながら」と。
ちょこっちょこっと飲みながら、ということで、私はYKさんのからだを起こして、そして口元にカップを持って行って、言いました。
「御子イエスの血、すべての罪よりわれらをきよむ」
五回ぐらいに分けてすべて飲み干しておられました。

そしていつものように、私はYさんに申し上げました。
「地上で、もう聖餐式にあずかることはありません。次にあずかるのは、復活のからだを得て、天国の晩餐にあずかる時です。
でもYさん、それは保証されているんです。地上で聖餐にあずかる者は、天においても聖餐にあずかることができるということを保証されているんです」と。

Yさんのお部屋の中には、奥さまの遺影。奥さまがニコッと笑った遺影がありました。私はその遺影を持って来て、Yさんに見せて、
「この笑顔がYさんを待っています。これから水も食事も摂らないしばらくの間、朦朧とする時間があると思います。私はそれが短いようにお祈りしています。
なぜならもう既にYさんの人生の先に、この奥さまの笑顔と、そしてイエスさまの笑顔が待っているんですよね。
その保証として、最後の聖餐をいたしました。そして聖餐の時に、『御子イエスの血、すべての罪よりわれらをきよむ』と申し上げました。
ですから聖餐にあずかる時に、私たちがどんなに罪深い愚かな者であったとしても、キリストはその罪をきよめて、天国の晩餐の保証を与えてくださる、ということをしっかりと信じて、天国の備えをしましょう」
と言ったら、(YKさんは)大きな声で「アーメン」と言いました。
こんな大きな声が出るんだったら、あと一年ぐらいいけるんじゃないかな(大笑)と思う位、大きな声でありました。
Yさんのためにもお祈りしてあげてください。

でもそれだけでなくて、私たちは今日オンラインの方々と共に聖餐にあずかります。
何度あずかったことかも分からない。でも何度もあずからなければいけない。
洗礼も何度も見なきゃいけない。
なぜなら、それこそが「私たちの先の世界を地上で観させてくれている」そして「それに従って生きるように励ましてくれる」《洗礼と聖餐》なんだということを意識していただきたいと思います。

☆お祈りをいたします――藤本牧師

恵み深い天の父なる神さま、私たちは愛する松本健次郎さんを天に送りました。既に興四郎さんや、妹さんや、お母さんが天国にいらっしゃいます。今頃再会を果たしておられることでありましょう。このようにして私たちはコロナ禍、11名の方々を天の御国にお送りいたしました。
どうか神さま、これから先も私たちはいつ何時あなたがお迎えに来られるのか分かりませんが、どうか私たちに健康な強いいのちを与えてくださり、特に小さな子どもたち、また働き盛りの親たち、元気に強くしてくださいますようによろしくお願いいたします。
でもあなたの迎えが来るなら、天の御国の場所が整ったことを自覚しながら、素直にあなたのみもとに上げられることができるように、今日の聖餐の恵みを格別に祝福してください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。

☆聖餐式 ――藤本牧師、配餐の方々もマスクを着用

※以降は聖日説教でお読みください。



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