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::: 説  教 :::


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Name   T・Y
Subject   10/30 召天者記念:どうしよう、何も準備が U列王20:1〜15
☆聖書箇所  U列王記20:1〜15
1そのころ、ヒゼキヤは病気になって死にかかっていた。そこへ、アモツの子、預言者イザヤが来て、彼に言った。「【主】はこう言われる。『あなたの家を整理せよ。あなたは死ぬ。治らない。』」
2ヒゼキヤは顔を壁に向け、【主】に祈った。
3「ああ、【主】よ、どうか思い出してください。私が真実と全き心をもって、あなたの御前に歩み、あなたの御目にかなうことを行ってきたことを。」ヒゼキヤは大声で泣いた。
4イザヤがまだ中庭を出ないうちに、次のような【主】のことばが彼にあった。
5「引き返して、わたしの民の君主ヒゼキヤに告げよ。
 あなたの父ダビデの神、【主】はこう言われます。『わたしはあなたの祈りを聞いた。あなたの涙も見た。見よ、わたしはあなたを癒やす。あなたは三日目に【主】の宮に上る。
6わたしは、あなたの寿命にもう十五年を加える。わたしはアッシリアの王の手からあなたとこの都を救い出し、わたしのために、わたしのしもべダビデのためにこの都を守る。』」
7イザヤが「ひとかたまりの干しいちじくを持って来なさい」と命じたので、人々はそれを持って来て腫物に当てた。すると彼は治った。
 8ヒゼキヤはイザヤに言った。「【主】が私を癒やしてくださり、私が三日目に【主】の宮に上れるしるしは何ですか。」
9イザヤは言った。「次のことが、あなたへの【主】からのしるしです。【主】は約束したことを成就されます。影が十度進むか、十度戻るかです。」
10ヒゼキヤは答えた。「影が十度伸びるのは容易なことです。むしろ、影が十度後に戻るようにしてください。」
11預言者イザヤが【主】に祈ると、主は、アハズの日時計に落ちた日時計の影を十度後に戻された。
 12そのころ、バルアダンの子、バビロンの王メロダク・バルアダンは使者を遣わして、手紙と贈り物をヒゼキヤに届けた。ヒゼキヤが病気だったことを聞いていたからである。
13ヒゼキヤは彼らを歓迎して、すべての宝庫、銀、金、香料、高価な油、武器庫、彼の宝物倉にあるすべての物を彼らに見せた。ヒゼキヤがその家の中、および国中で、彼らに見せなかった物は一つもなかった。
14預言者イザヤはヒゼキヤ主のところに来て、彼に尋ねた。「あの人たちは何と言いましたか。どこから来たのですか。」ヒゼキヤは「遠い国、バビロンから来ました」と答えた。
15イザヤは言った。「彼らはあなたの家で何を見たのですか。」ヒゼキヤは答えた「私の家の中のすべての物を見ました。私の宝物倉の中で彼らに見せなかった物は一つもありません。」

☆説教 召天者記念:どうしよう、何も準備が

さて、今日は召天者記念礼拝で、この列王記の20章を開いていただきました。
ちょっと序論を申し上げます。

召天者記念礼拝で、私たちは先に天にお送りしました家族のことを覚えます。
礼拝と言うのは、天国と地上は一つ。それはイエス・キリストがお一人だからです。
地上で持たれる礼拝においては、日常の苦闘、戦い、労苦に揉まれて四苦八苦している私たちがキリストを見上げます。
そのキリストのもとに召された、復活を待つ、平安の中にいるたましいのことを覚えます。
召天者を覚える時に、私たちはそういう意味で、キリストにある私たちの先輩を覚え、力と慰めを得ます。

また召天者記念礼拝で私たちは地上の生涯を、病や老いと闘って召された方々の信仰を覚えます。
召された者たちは、今なお信仰をもって私たちに語る。
そうすることによって、先程読んでいただきました詩篇の90篇の一番最後、
「私たちの手のわざを 確かなものにしてください。どうか 私たちの手のわざを 確かなものにしてください」と祈ります。
すなわち天を覚えること、永遠を覚えることによって、私たちの日常の労苦を、また喜びを、祈りを、礼拝を確かにしていく、という機会としたいと思います。

コロナ禍になって、葬儀は全部家族葬になりました。
ですから、教会での葬儀説教は礼拝に持ってくるという風に皆さんに約束いたしました。最後に松本健次郎さんを覚えたのが、10月2日の聖餐式の礼拝でありました。
で、今日は山田孝一さんのことを、少し触れたいと考えています。

奥さまの山田純子(やまだ・すみこ)さんの話がさっき、お嬢さんのOTさんから出ましたけれども、コロナの昨年の8月に天に召されました。
突然のことでありました。最後に祈ることもできませんでした。
7年ぐらい前だったと思うんですけれども、純子さんは突然からだが動かなくなってしまいました。

一気に筋力に全く力が入らない状況になって入院され、これまでご夫妻共にあまり大きな病気はなかったにもかかわらず――そして不自由はあっても一生懸命教会にいらっしゃっていた中――もはや突然純子さんは歩くこともできなくなりました。
長く病院に入院されていて、私(藤本牧師)はある時、病院にお見舞いに行った時に、
「先生、どうしよう、まだ準備が何も出来てないのに」ということを何度も何度も仰っておられました。
それを私は今日の説教のタイトルにして、「どうしよう、まだ何の準備も」というタイトルにいたしました。

年齢を重ねていくということは、階段のステップを一段一段降りていくようなものであります。
何度も入院したり、骨折したり、不自由を覚え、介護認定を貰い、施設に入ることも自宅にヘルパーさんを呼ぶことも、階段を降りていくというステップです。
そのように降りることなく、いきなり下の方まで一気に行ってしまいますと、「どうしよう」という状況に入ってしまいます。

ですから、老いと共に、不自由と共に、様々な公的、また家族の支援を受けながら、自分の行動の制限に耐えていくということは、人生にとって、とっても賢いことです。
しかし神さまは、時に私たちを一気に下へと持っていかれます。
病院には優秀なお医者さんがいまして、純子さんの場合は何十年も飲んでいた薬の副作用ということが分かりました。
で、その薬を飲むのを止めた途端――途端と言ってもいいと思います――3日後にはもうからだが動くようになっていました。

その時も、ご主人の孝一さんは大変な不安に駆られました。
ご主人も「どうしよう、何の準備もできていない」
お嬢さんが広島から何度も来られて、お孫さんも助けてくださり、あの危機を乗り越えることができました。
しかし昨年、さすがに昨年、一晩にして、その夜一晩、ご主人の腕の中で奥さまは苦しまれました。
そして朝になって、介護ヘルパーの方が来た時には、「これはまずい」ということになって、救急車を呼んで、病院に息子さん(東京在住でOTさんのお兄さん)が付き添って、しばらくして息を引取られました。
そのスピードの速さ、その速さにはさすがにご主人のショックは言葉に表現することはできませんでした。
お会いしますと、電話しますと、葬儀の時も、その後も、泣いて言葉が聞き取ることができない程。
奥さまのことを考えただけで、自分の腕の中であれ程苦しんでいた奥さまが、数時間後に息を引取られる、ということを体験してしまったご主人のショックというものは格別でありました。大変でした。

それからご家族が来て、そして施設を探します。それから二人が住んでいた家をたたみます。
お父さんは知らない世界に引き取られて行きます。
そこにご家族は時折訪ねますけれども、コロナという制限があります。
制限されていた時期があり、全く来ないでくださいという時期がありました。
でも施設の方は頻繁に、孝一さんの状況を家族にお伝えになり、危ない時にはご家族が来るようになっていました。

改めて私(藤本牧師)は思い出しますね。
あの山田純子さんの「どうしよう、何の準備もしていない」
ま、そこは家族がカバーしました。家族もカバーします。
しかし何の準備もしていないように、不安に思いながらも、
純子さんは最後の最後まで主イエスを信じて、しっかりした信仰でたましいは天の御国にふさわしく整えられていました。
コロナで一度も来れないあの一年間でさえ、本当にしっかりした信仰で、忠実に教会のことを思って祈っておられました。
ご主人は、先程の話にありましたように、その奥さまについて行くようにして、
しかし私が最後に施設に伺った時には、涙を流して祈りに合わせ、共に聖餐にあずかり、
「次は天国の晩餐ですよ」と申し上げますと、深く頷いておられました。

簡単に二つのポイントで、お話をいたします。

1)どうしよう、何も準備ができていない

ユダの王さま、「ヒゼキヤは病気になって死にかかっていた」と、こういう風に第二列王記の20章は始まります。
ちょっとこの言葉を見ていただきたいので、映していただきたいと思います。

【画面:U列王20章1節「ヒゼキヤは〜死にかかっていた」にオレンジ色ハイライト。「あなたの家を整理せよ〜治らない。」に黒ペンの傍線】

1そのころ、ヒゼキヤは病気になって死にかかっていた。そこへ、アモツの子、預言者イザヤが来て、彼に言った。「【主】はこう言われる。『あなたの家を整理せよ。あなたは死ぬ。治らない。』」

というこの言葉ですね。
「あなたの家を整理せよ。あなたは死ぬ。治らない。」
預言者イザヤからヒゼキヤが聞いた言葉でありますけれども、今ですと、これはお医者さんの定型文句になります。
「ご自宅に帰ってよろしいですよ。残された日々を、有意義に過ごしてください」
ということは――末期です。病院としてはもうできることはありません――という意味ですよね。
イザヤはもっと合理的に、ストレートにヒゼキヤに言いました。
「家を整理しなさい。あなたは人生の幕を閉じます」

閉じるということは、「じゃ最後なので、美味しいものを食べに行こう」と、そんなことを考える人はいないですよね。
「まだ行ってない観光地に一度訪ねてみよう」
いや、もっと厳粛なことで、後のことを考えなければいけないですね。

そこでヒゼキヤにイザヤは言います。
「家を整理しろ」――これは片付けなさい、という意味では必ずしもないです。
何がどこにあって、「飛ぶ鳥跡を濁さず」ではないですけれども、
大切な人には感謝の言葉を伝え、家の者には、或いは国の重要な人物には、色々言うべきことがある、整理しておきなさい、ですね。

松本健次郎さんが天に召されて、そして一週間位、葬儀の一日前でしたかね、
奥さまが松本さんの手帳を発見されました。
そしてその手帳の中に、奥さまに対する感謝の言葉が綴られていました。
奥さまは葬儀を前に、その言葉を読むことによって、どれほどの慰めを得たか、と思いますね。
「家を整理せよ」と言われたら、皆さんだって、子どもたちに孫たちに、或いは自分の愛する者たちに、何かの言葉を残すに違いない。
そして大切なものはここにある、と仰いますでしょう。

ヒゼキヤはショックのあまりに泣きました。
3節(〜6節)をご覧いただきますと、ちょっと見ていただきたいと思いますが、こうありますね。
【画面:U列王20章3節「大声で泣いた」、5節「わたしはあなたの祈りを聞いた。あなたの涙も見た」6節「寿命にもう十五年を加える」に同色のハイライト、「十五年を加える」に黒ペンで囲み】

3「ああ、【主】よ、どうか思い出してください。私が真実と全き心をもって、あなたの御前に歩み、あなたの御目にかなうことを行ってきたことを。」ヒゼキヤは大声で泣いた。

このヒゼキヤの言葉と大声で泣いた、そこに神さまは答えてくださり、(※続けて4節が読まれる)

4イザヤがまだ中庭を出ないうちに、次のような【主】のことばが彼にあった。
5「引き返して、わたしの民の君主ヒゼキヤに告げよ。 
 あなたの父ダビデの神、【主】はこう言われます。『わたしはあなたの祈りを聞いた。あなたの涙も見た。見よ、わたしはあなたを癒やす。あなたは三日目に【主】の宮に上る。
6わたしは、あなたの寿命にもう十五年を加える。・・・

という言葉を神さまはイザヤを通して、ヒゼキヤに仰ったのです。
この「泣きながら神に祈り、それを聞いていただいた」というこの出来事は大変すばらしい出来事でありました。
「わたしはあなたの祈りを聞いた。あなたの涙も見た。あなたの寿命をもう十五年加えよう。」

マラソン選手に、トライアル・ランというのがあるという話を、私(藤本牧師)はマラソンしたことないんですけれども、十時さんだったら分かると思うんですが。
選手がマラソン42.195キロですか、それを巡る時に、町によってコースによって全然違います。
ですから一旦走るんですよね。
走りながら、どこに上り坂、下り坂、道の起伏、曲がり角、実際に走るコースを、事前に試し走りをする。

私たちがもし大病をして、そこから先10年15年加えられたとしたならば、その10年前に大病をしたあの出来事はトライアル・ランなのですよ。
その時、「もしかしたら死ぬかもしれない」と思ったならば、そしてもう一度生かされて、もう10年でも15年加えられたとしたならば、
あの時の出来事は、試験的にあなたにチャンスを上げました、(と言われているようなもの)。
すると、後の15年をどうするか?ということが問われるわけですよね。

ヒゼキヤは三日で治りました。奇跡的に。
私は三日は早かったんじゃないかなぁ(笑)と思っています。
三日で治ってしまったら、ヒゼキヤは勿論神さまに感謝しました。
だって、死ぬって言われたわけですから。
病気にかかって、苦しみながら、「いや、あなたはもう死にますよ」と末期を告げられて、そして治されたのですから、国を挙げて彼は感謝したに違いありません。
でも治ったのが、あまりにも早かった。
ですから、「本番のはずが、トライアル・ランとして終わってしまった」というインパクトが、それほどヒゼキヤの頭の中に残らなかったんですよね。
人生最後のレースが、それをいきなり走ることになる場合もあるでしょう。

でも本当は、誰にとっても『いきなり』ということはないんです。
なぜなら、私たちは誰もが家族の死を経験しているからですよ。
家族の葬儀というものを経験している。或いは友人かも知れません。
で、最後がどれほど苦しいかとか、葬儀の手順がどういうものだったのかとか、
それが15年前になると忘れてしまうのかもしれません。
ヒゼキヤはすっかり忘れてしまった。

ですから私たちが申し上げたいのは、ま、私(藤本牧師)が30にしてこの説教を言うのと、65にしてこの説教を言うのとは、ちょっと違うと思います。
私はもう少しリアルに考えられるようになりました。リアルに(笑)。
もし大病するとしたならば、それはあくまでトライアルで終わるか、そのまんま終わるか分かりません。
でも「あなたの家を整理せよ」というその重要な、重要な永遠に至る概念がその中に入っている、
ということが一番目。

2)ヒゼキヤに与えられた15年は無駄に終わった。

なぜだか、先程あまりにも早くなんですが、この12節の言葉をちょっと見ていただきたいと思います。いいですか、12節。
【画面:U列王20章12節「バビロンの王メロダク・バルアダンは〜ヒゼキヤに届けた」に同色のハイライト。】

 12そのころ、バルアダンの子、バビロンの王メロダク・バルアダンは使者を遣わして、手紙と贈り物をヒゼキヤに届けた。
(***バビロンはやがて、ユダの王国を滅ぼすんですよ。でも病気だと知っていて、ま、狙っていたんでしょうね。取り敢えず使者を遣わします。)
ヒゼキヤが病気だったことを聞いていたからである。

【画面:U列王20章13節「ヒゼキヤがその家の中〜一つもなかった」14節「遠い国〜答えた」に同色ハイライト。12節〜15節まで数字の上に横線の同色のハイライトの線が繋ぐ。】

13ヒゼキヤは彼らを歓迎して(***やがてユダを完全につぶす彼らを歓迎して)、すべての宝庫、銀、金、香料、高価な油、武器庫、彼の宝物倉にあるすべての物を彼らに見せた。ヒゼキヤがその家の中、および国中で、彼らに見せなかった物は一つもなかった。

一つもなかった。一体どういうことなのか?
簡単に申し上げますとですね、彼は治って、絶好調になった。
そして少し心が傲慢になったんですね。
彼は自分の国と自分の力を自慢したくなって、このバビロンからの大使を連れて、王宮中を回り、宝を見せるのです。

バビロンの大使は、「ほう〜、これはすごい」と、
しかし後ろで笑って、「なんてアホな王さまだ」と。
大使は帰って、詳しい報告書を書きます。
王宮の地図、宝物倉の地図、ま、言うなれば冷蔵庫の中の貯金通帳から(笑)、からくり箪笥の中の大切なものとか、全部それを報告書に書くんですね。

やがてバビロンがユダに攻めて来た時に、あのソロモンの財宝と呼ばれる50カラットのダイヤモンドもあるわけですけれども、それが全部一つ残らず奪われて行く、
その理由は、ヒゼキヤがここで自慢げにバビロンの大使にすべてを見せるからです。

私たちは、こうならないように、召天者記念礼拝というものを持っていると思ってください。
「家を整理する」ということを忘れてはいけないです。
それは単に「片付けなさい」というだけではない。そんなことはやがて処分屋さんに頼んだら、全部ごっそり持って行ってくれますので。
大切なことは、《日常の忙しさや楽しみに埋没しないで、私たちは、信仰の心の拠り所を神に据える》ということをしなければいけない。
なぜなら、「私はまだ大丈夫だ」とあなたが愚かにも考えることがないように、あなたの周りに、あなたの大切な人々が既に召天しました、という数を、(※スクリーンを指して右腕を出して)あれ程の数で教会で見ていただきました。
私たちは懐かしく覚え、家族のことを思い出しながら、今も慰めと力づけを祈り、
30年前に召されたから、悲しみが癒されるわけではない。
それからの苦労、当時の懐かしい思い出に、胸を痛める方々は沢山おられますよね。
でも、それだけではない。そのようにして、
人のいのちは野の花のようで「朝には花を咲いているが、夕べにはしおれて枯れてしまうんだ」(***詩篇90:6)ということを心に留めながら、
いかにして自分の信仰をきちっと整理しておくか、
《この日常が滅びる世界に埋没せず、上に召してくださる神さまを見上げて生きるか》ということを、私たちは教えられているんだということを心に留めていただきたいと思います。

☆お祈りをいたします――藤本牧師

恵み深い天の父なる神さま、山田純子さんはまことに立派な方でありました。地上における老いと闘うという意味で「まだ何にも準備ができていない」と言いながら、たましいはいつもあなたを見上げて、いつ何時天に召されても何の悔いもない程、あなたを愛し、あなたに仕えておられました。私たちもそのようにさせてください。

またそのような方々が、私たちのすぐそばにいるのですから、あたかも自分の健康、自分の状況が永遠にこのまま続くかのような錯覚に陥らずに、感謝する言葉を松本健次郎さんのように残し、また大山正さんのように自分の信仰がきちっといつでも家族の者に届くことができるように、大切なことを大切なこととして尊ぶ信仰者とさせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。

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DATE: 2022.10.30 - 21:21

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