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::: 説  教 :::


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Name   T・Y
Subject   3/5 ベアンテ・ボーマン先生ご夫妻をお迎えして:Sing Halleluja to the Lord(主を賛美しよう)
3/5 ベアンテ・ボーマン先生ご夫妻をお迎えして:Sing Halleluja to the Lord(主を賛美しよう)
※司会は藤本牧師

*****チェロ・コンサート礼拝*****
【※奥さまのピアノ演奏Sing Halleluja to the Lordで始まり、それから登壇して椅子に座って演奏されるボーマン先生のチェロも合わせて、ご夫婦で美しく演奏される(拍手)】

☆ご挨拶――※オルガンの前に立って語り始める藤本牧師

皆さんおはようございます。3月のこの春の聖日、ボーマン先生ご夫妻を迎えて、高津教会でコンサート礼拝ができることを心から感謝しております。約3年間、コロナのゆえに様々な制限を負い、教会もその一つでございました。この三年間で一番皆さんに来てもらうことができたのが今日でございます。良くお出でくださいました。新しい方々は特別に歓迎いたします。

今日はボーマン先生ご夫妻のコンサート礼拝になっております。私(藤本牧師)がこれからご紹介差し上げて、そしてお祈りをして、あとすべてボーマン先生にお任せをいたします。曲を弾きながら聖書の話をしたり、ご自身のお話をしたりなさいますけれども、どうか賛美の曲の後は拍手をお控えください。今のが(笑)最初で最後の拍手だと思ってください。
プログラムにボーマン先生のプロフィールを記しておきました。

【週報の記載:*****《ベアンテ・ボーマン先生プロフィール》*****
●ストックホルム王立音楽大学、ドイツのフォルクヴァング音楽大学(奥さまルリ子夫人と出会う)シベリウスアカデミー大学院卒業。1979年、宣教師として来日
●1980年から2011年までの31年間、東京交響楽団の首席チェロ奏者を務め退職。2011年より玉川大学芸術学部で教える。現在はソロ、室内楽、客演首席チェロ奏者としての演奏活動を行う一方、宣教の働きにも携わる。全日本山岳写真協会の会員。
●ルリ子夫人、ピアニストとしてドイツ留学、ご結婚後は、ボーマン先生の伴奏、ならびに通訳を務める。通訳者として著名。】

スウェーデンにお生まれで、ストックホルム王立音楽大学、ドイツのフォルクヴァング音楽大学の時代に、奥さまの、ピアニストとして留学しておられましたルリ子先生と出会います。
シベリウスアカデミー大学院を卒業した頃にご結婚され、その頃にスウェーデンで大きなリバイバルがありました。
先生はその影響を受けて、日本に宣教師として来日されました。つまり音楽家ではなく、宣教師として来日し、
【※ここの部分、「略歴に少し違うものがあり」と言われたお証しでは、チェロを学びに行かれたフィンランドの方が、スウェーデンより大きなリバイバルがあって、沢山の音楽家たちが救われてイエスさまを信じるようになった様子を体験。その関係で、日本で宣教師をやろうと志を持たれ、チェロを持って来日されたものの、就労ビザが取れなくて日本に残るために苦労されていたが・・・ということでした。】
しかし次の年から東京交響楽団の首席チェロ奏者を務め、31年間2011年までその働きを全うされ、現在では玉川大学芸術学部で教えておられます。
私たちの教会では20年ぶりにお迎えします。私(藤本牧師)の印象としては何ら変わってない、という気持ちもいたします。
ほんとに皆さんよくお出でくださいました。

☆一言お祈りをいたします――藤本牧師

恵み深い天の父なる神さま、この三年間様々なことがございました。これからもあるに違いありません。でもあなたは感染者数を減らしてくださり、全国の子どもたちの卒業式、入学式を祝福してくださり、タイミングよく今日はボーマン先生ご夫妻を教会にお迎えできたことを心から感謝いたします。

私たちの萎れがちな心を、私たちの失望しがちな思いを、あなたが今日の礼拝を通して励ましてくださり、「行け、わたしがあなたと共に行く」とあなたの導きを深く感じることができる礼拝でありますように、よろしくお願いいたします。ここに来たりし者も、オンラインの者も、共に心を一つに合わせてこの礼拝に参加しておりますので、どこにあっても、海外であっても、同じ恵みをもって私たちを包んでくださいますようによろしくお願いいたします。

先生ご夫妻を祝福し、あなたの栄光のために尊く用いてください。また聴く者の、私たちの耳、私たちのたましいに、霊的な感化を与えてくださり、今日初めて教会にいらっしゃったかもしれません。しかし単に音楽を聴きに来たのみならず、あなたを礼拝する喜びを味わうことができますように導いてください。愛するイエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。
(※講壇上の椅子に座っておられるボーマン先生にお辞儀をして、オルガンの前の席に着く藤本牧師)

☆ボーマン先生より――(※ボーマン先生は、立ち上がって、上着を脱ぎながら、やや中央より左に置かれた説教卓から語り始め、ルリ子夫人はピアノを離れ、席に座る。)

それでは、普通はあんまり礼拝では演奏しない曲をこれから演奏します。ま、それはコンサート礼拝ということで、それでコンチェルトを演奏します。
これはかなり長い曲になりますけれども、ヨセフ・ハイドンが創ったチェロ協奏曲。
ま、普通はピアノと一緒にやるというより、本当はオーケストラ伴奏でチェロソロになっているんですけれども、けれどもピアノでもこの曲は悪くないと思います。

ハイドンは、非常に私にとって、沢山の音楽家にとって、非常にすばらしい存在。
私はクリスチャンですね。そうすると、やはり作曲家の背景も色々調べているんですよね。
ハイドン、実は非常にすばらしいクリスチャンの信仰を持ってた方だったんですね。
彼は自分で言っているんですけれども、
「私の家に小っちゃな部屋がある。私が必要な時、その部屋の中に入って、神さまの前に祈っています。それは必ず力になる。」
ハイドンはそのようなことを言って、オーケストラではたまに勿論ハイドンのシンフォニーとか色々沢山やったんですね。

そしてもう一つは、ハイドンの作った「天地創造」という大きなオラトーリオがあるんですね。その中に勿論この聖書に言われている通り、この天地がすべてどういう風に造られたかというと、神さまの創造ですね。
ハイドンは実はちょうど亡くなる前に、1808年に自分の作品を聴きに来たんですね。
その「天地創造」をやってですね、でも作曲家ヨセフ・ハイドンはそのまま会場の中に入って行くと、勿論お客さんはものすごい興奮して、拍手して、ハイドンはどんなにすばらしい存在か褒めていたんですね。
ハイドンは当時だいぶ歳を取って、車いすだったんですね。そして彼はそのみんなの大騒ぎの中で、「ちょっと静かにしてください」。そして何とか立ち上がって、こう言ったんですね。
「私ではなく、すべては上、天から来ましたよ」と。
そのあと、もうだいぶ弱っていたので、みんな彼を会場からそうっと出したんですね。

でもその証しは私(ボーマン先生)は非常にすばらしいと思うんですね。
あの大作曲家が、「私ではないんです。神さまからいただいた」。
勿論歌手もそうだし、でも音楽自体、自分では神さまのインスピレーションをもって創ったんではないかと、(ハイドンは)自分ではそういう風に思ってるんですね。
それで楽譜を幾つも作っているんですね。たまにイン・ノミネ・イエス(イエス・キリストの名前によって)とか、ソリ・デオ・グローリア(神さまの栄光のみ)これもバッハも同じものを良く楽譜の中に書くんですね。
やはり神さまをほめたたえる音楽を作りたかったんです。

ハイドンはもう一つすばらしい特徴があるんですね。
非常に美しい旋律を作っているその上に、非常に喜び溢れている音楽ってね――それも非常に感じるんですね。
それは特にこのチェロ協奏曲の中に、三楽章の中に書いてあるんです。
すると、ある人が訊いたんですよ。
「なぜ、ハイドン、あなたはこの世の喜びの音楽を作ることができるんですか?」と。
ハイドンは、
「いや実は、イエス・キリストが私の心の中に喜びを与えているから、私も筆を持っているそのまんまの喜びが伝わっていますよ」と言ったんですね。
それは実はイエスさまと共に歩いている作曲家という(証しで)、そして喜びが湧くのもイエスさまから来るものだと思っている。

それでは、チェロ協奏曲Dメイジャー、この二番のチェロ協奏曲を演奏します。
最初はアレグロモデラート、その中には速い部分と遅い部分があって、そしてその一楽章の最後の方ですね、協奏曲が来ると必ずカデンツァ(※伴奏を伴わずに自由に即興的な演奏)が入って来るんですね。
そのカデンツァは実は作曲家は作ってないんですね。
ハイドンはカデンツァも全く作ってない。それは演奏者に任せるんですね。
ま、私はそのような上手く作曲はできないけれども、色んなカデンツァ沢山あるんですけれども、特に私が好きなカデンツァは、フランス人モリス・シャンドロンが作ったカデンツァ、それを今日演奏します。

二楽章はアダージョ、今度はこの非常に美しい旋律を聴くことができます。
そして最後にアレグロロンド、ロンドって言うとね、同じテーマが何回も出て来るんです。
その間に変化が幾つかあるんですね。
こっちこそ、その喜びの音楽を感じるんではないかなと思います。
それではハイドンのチェロ協奏曲を演奏します。

(※奥さまも既にピアノの前に座り準備中。ボーマン先生は右側の椅子に移動して座る。ピアノの伴奏から始まり、そこからチェロと合わせて格調高く演奏するボーマン先生ご夫妻。
演奏が終るとチェロを持って説教卓まで行き、楽器を傍の床に置いて、新たに語り始めるボーマン先生。)

それでは、ハイドンからヘンデルへ行きたいと思います。
ヘンデルもやはりバッハと同じように、すばらしいクリスチャンの信仰を持っていた方です。
けれども生まれた場所もほぼ一緒、同じ土地で生まれている。
けれども人生はだいぶ違う方向性ですね。
バッハはオルガン奏者、ほぼ教会でずっと働いていました。
ヘンデルはやがてイギリスまで移ったんですね。そっちでオペラとか、皇帝・王さまの音楽とか色んなものを作っている。ま、人気の作曲家だったんです。

けれども少しずつ人気がなくなって、そして自分のオペラカンパニーも持っていたんですね。
それはやがて、それでも歌の中でもけんかになったり、色んな問題、経済的な問題が起こってしまって、
その上にヘンデルはかなり病気になって、それで57歳ですね。
自分はこれで引退しようと思った位の、落胆的な時期があったんです。
ま、彼はその時も借金も大きく、沢山抱えていたんですね。
もしかしたら自分も、その辺のdistrict of prison ってあったんですね――借金を持っている人たちは、刑務所の中に入れられたんですね。
それはもう本当に大変な時期になったんですね。

その時はジェネウスという牧師がヘンデルの所を訪ねて、色んな聖書箇所を上げたんですね。
「これで、チャリティー・コンサートのために、1曲作ってくれませんか」って頼まれたんですね。
それは81か所の聖書箇所があったんでね。
ま、これはイエス・キリストの色んな預言もあったり、イエス・キリストの生涯とか、色んなことがあって、
それがヘンデルが56歳の時にそれに取り組んで、不思議に何か新しい力が湧いていることになったんですね。

彼は24日間、大曲を作ったんです。それはスコアで見ると260ページあるんですね。
驚く沢山の音楽が24日で作れるというのはちょっとあり得ない。
ま、当時の手伝いさんの方がご飯を持って行ったんですけれども、ほぼヘンデルは何も食べないで、もうず〜っと作曲。
ある時、その手伝いさんが入って来ると、ヘンデルはもうず〜っと泣いているんですね。
実は天が開いたままを見たと、神さまの臨在を感じた、というそんなような体験があったんですね。

それは何の曲を作ったかと言うと、「メサイア」です。
その「メサイア」は、もう全く違う分野ですね。
今までヘンデルはあんまり作ったことのないオペラばっかりで、今度はこの大きなオラトーリオを作り出したんですね。
それは非常に人気になって、そのチャリティー・コンサート、そのあと何回もそれを繰り返して、
そうするとヘンデルは自分のお金儲けではなくて、自分でもしかしたらこの刑務所に入れられるかもしれない。
でも実は刑務所の中に沢山の人が入っていて、みんな悪いこととは違って、借金を抱えているんですよね。
それでヘンデルは、なんとこの人たちを助けようと思っていたんですね。
それで142人の彼らの借金をみんな払って、刑務所から出してあげたんですね。
もうヘンデルの心がやっぱり変わってしまったんですね。

その後、彼の作品を見ると、もう沢山オラトーリオというものを書くんですね。
それは聖書から取った歌詞、聖書の話を、それを(もとに)どんどんオラトーリオを作るんですね。
ま、それを教会だけじゃなくて、コンサートホールの中でこのメッセージを出すんですね。
やっぱり私、「教会ではすばらしい賛美、私たちはこっち(教会)で礼拝する」――それはとってもすばらしいことです。
ただそれは一般的に、(※右手を段々に高く上げ、そこを見上げて)なんか階段が高いというか、このような場所はなかなか入れない。
でもコンサートホールの中には、入るという。
実はこの辺の(思いから)バッハの大きな「受難曲」を作ったり、ヘンデルも色んなオラトーリオを作っている。
それを一般人が歌詞に興味を持つ。そして、そっちでも伝道が別の方法でもできるという。多分ヘンデルとそのようなことを考えて、このクリスチャンのメッセージを広げるように、そのような活動をしたんですね。

その中に、ヘンデルは、このすばらしい曲「ああ感謝せん」というものを書くんですね。
その曲をこれから演奏したいと思います。
ま、これは歌詞ですね。ま、日本語の歌詞もありますけれども、実際の歌詞、ドイツ語から直訳しますと、このようなことが書いてあるんですね。
「海を無事に渡らせ、あなたの民であるイスラエルを導かれた主に感謝いたします。羊飼いに従う羊の群れのように、御手を伸べて、私たちを導きくださった主の恵みによる救いは私たちのものです。」
この歌詞は非常に興味深いと思います。これは何と言うか――導きですね、神さまの強い手でイスラエル人たちを導いたんですね。
それが聖書を読むと、エジプトからイスラエルまで、ヨルダン川を渡ってイスラエルの約束した国に入ることができたんですね。

けれども、この歌はそのことも一応書いてありますけれども、でもその後、私たちという話になっちゃう。
実は神さまは当時それだけやった、その後は終わったという――そうじゃないんです。
その導きは今日も続いているということですよね。
それがちょうどこの週は、私たちの牧者という、(※夫人に向かって)ルリ子聖書を持っている?みな持っている?
実は聖書から非常に似ている部分が、詩篇23篇ってところにあるんですよ。
そうか、じゃそっちに書いてあります?(※週報裏に詩篇23篇刷って載せてある)
じゃ、一応読んで見たら。そしたらみんな(笑)読めない人もいるかも知れない(※ああ、子どもさんもいらっしゃるからね、と奥さま)そう、家内の声も聞いている方が面白いかもしれない(笑)。
(※奥さま、ピアノに向かったまま発言)――ちょっと栃木弁なので(笑)、関西の方には何かはきはきして怒っているように聞こえるかもしれません(笑)。
はい、ではお読みいたします。詩篇23篇です。

<詩篇23:1〜6>
1 【主】は私の羊飼い。
   私は乏しいことがありません。
2 主は私を緑の牧場に伏させ
   いこいのみぎわ に伴われます。
3 主は私のたましいを生き返らせ
   御名のゆえに 私を義の道に導かれます。
4 たとえ死の陰の谷を歩むとしても
   私はわざわいを恐れません。
   あなたが ともにおられますから。
   あなたのむちとあなたの杖
   それが私の慰めです。
5 私の敵をよそに あなたは私の前に食卓を整え
   頭に香油を注いでくださいます。
   私の杯は あふれています。
6 まことに 私のいのちの日の限り
   いつくしみと恵みが 私を追って来るでしょう。
   私はいつまでも 【主】の家に住まいます。
(※ここまで奥さま、詩篇23篇を読み終わり)

インマヌエル教団の面白い牧師に二人子どもが生まれて、「みどり」と「まきば」と言う名前を付けたんですね(笑)。それは詳録の詩篇から。
そのようなこともあって、本当にこの詩篇ってすばらしいものだ、と私思っているんですね。
これは実はヘンデルも絶対この曲(***詩篇23)を頭の中に置いて、そしてこの歌詞を作ったんですよ。
「ああ感謝せん。今日まで私たちを導いてくださった」という。

私は人生って、ただ偶然で起こっているものじゃないんだと思っています。
もう私いま振り返って、今72になったんですけれども、かなり長いものを振り返ることができるんですけれども、
よく見ると、本当に不思議な導きが何回もあったんですよ。

もう、どうしてボーマンがチェロをやり出したんですか?って言ったら、でも自分でやってないんですよ。
もう学校の先生が「あなたチェロやりなさい。オーケストラの中にチェロが足りないからね、リコーダークラスからね」もうその辺で、楽器が何だって言っても「こんな大きな木の箱を見たこともない」――それが始まりですよ。
でもね、不思議にその先生方が非常にいいものを、ストックホルム音楽大学の勉強した方が、ちょうど私の町で教えている。
いや、それだけじゃなくて、そのストックホルム音楽大学の教授は、実は私の町――スウェーデンの他の町へ行かないんです――私の町に来るんですね、講習会をやるんですね。
そのような、もういきなりいい先生が導かれて、その後続けても、色んなスカラシップその辺のものをもらって、ドイツまで行って、フィンランドへ行って、
でもそっちにいるチェロ奏者も、世界中のトップ奏者ばっかりですよね。
もう非常に恵まれた環境の中に育ったんですね。

ま、略歴にはちょっと違うものがあって、どこに?
ま、スウェーデンもちょっとリバイバルがあったけれども、主に私たちが体験したのはフィンランドだったんですね。
そっちがものすごいリバイバルが起こったんですね。もう沢山の音楽家が救われて、イエスさまを信じることになったんですね。
その関係で、私たちは日本で宣教師をやろうと思ったんですね。
けれども私たちは、もう非常に単純ですよ。なんか宣教団体を送ってとか、そっちからお金貰って生活費とか、あとはどうだとか、それは一切考えてないんですね。

一応チェロは持って行ったので、チェロは讃美の時使うことができるかも知れないけれども、問題が起こったんですね。
それはビザがもらえない。観光ビザ――これでは日本では長くいることができないんですよ。ちょっと延長すれば――でも必ず国から出ないといけないです。
もう私は簡単、別のビザに取り換えればいいんだ――そんな簡単なものじゃなかったですよ。
ある面では信仰ばっかりで単純で、どうすればいいんだ?という(※奥さまからの声かけで)あ、配偶者ビザもなかった、という色々問題がその辺であったんですよ。
結果はやっぱりworking visa 労働ビザ取らないと、この国に残ることはできない。

それで、東京交響楽団ですね、このオーケストラも聞いたことない。何にも知らない。
ただオーディションで、ハイドンを弾いたんですけれども、当時はハイドンCメイジャー、別のハイドンのチェロ協奏曲が課題曲だったんですよね。
オーケストラスタジオと課題曲があって、ま、通常だとちょっと演奏して、はい、ピーンって「はい、さよなら、はい、次の方」と、なんか病院みたいに(笑)、それが次から次ですよね。
私が弾いていると止めないんですよ。え〜、いつこのピ〜ンと来るのかなと思って、ず〜っとやってて、もうカデンツァまでも弾いて全然止めないという。
「はい、じゃ終りました。はい、外へ出てください」と「でも待ってください」と言うんですよ。
「待ってください」ってどうなっているのか分からない。
その後の話って、聞いているんですよ。
団長が、「この方、もしかしたら主席になるかもしれない」――その主席のオーディション、急に変わっちゃったんですよ。
それで、もう一回入ってください、って言うんですよ。
そうしたら、譜面台の上にある楽譜が、その首席奏者が演奏するものですよね。
それはチャイコフスキーの「白鳥の湖」の大きなチェロソロがあるんですね。
そのあとは、リエンツィの序曲の幾つの大きなチェロソロですね、オーケストラで演奏するんですね。
「これ演奏しなさい」と言うんですよ。「えっ」(※楽譜を右手に持って読むしぐさ)楽譜をそのまんま読まないといけない、あんなようなソロが。
それ終ったら団長と一緒に話せて、「じゃ、すいません。私たちはあなたは、トゥッティ・セクションの中に――トゥッティというみんな一緒に合奏の中に――入れることはできません」という。あらぁ、もうだめかなぁと思ったら、
「でも、もし主席になったらどうですか?それなら、うちのオーケストラに入りますか?」というので、「はい」って言ったんですよ(笑)。
なぜって言うと、ビザが欲しいんですよ(笑)。それだけの問題。
それが、もうオーケストラの中に入って・・・非常に不思議ですよね。

あの大久保ですね。当時、今もスタジオも残っているんですけれども、大久保駅のすぐそばですね、日本基督教団の矯風(きょうふう)会館があるんですよ。
それが実は建物の上に十字架があるんですよ。
私(ボーマン先生)行く時は、「え、オーケストラが十字架のところで練習している?」って、それがまず不思議。
そしたらドア開く時も、同級生が、ドイツに行った日本人が、オーケストラの中に入っているんですね。
私は全く知らないんですよ。まさかそのような方がそっちにいるって知らなくて。
彼はドイツ語もよくできているから、(※ボーマン先生は当時)日本語全く話せないんですよ、リーダーで。
そんな全く不思議な導きがあって、ま、それが神さまの導きだと、私(ボーマン先生)感じているんです。

やはり私たちは色んな所に演奏しに行くと、ま、こんなような、何にもなければ「ボーマン」って言って、「なんだ?チェロ・ボーマンって分かりません」って、それは意味がない。
でも「東京交響楽団の首席チェロ・ボーマン」と言うとね、それが全然話が違うんですよ(笑)。
神さまが、そのタイトルを使って、人を呼ぶことができる。
その中に、神さまの福音、神さまの偉大さを、メッセージを話すことができるんですね。
そう私(ボーマン先生)が振り返ってみると、やっぱり自分で考えた道は、宣教師とか福音を宣べ伝える。
でも違う方向ですよ。私も見たことない、考えたこともない。それは神さまがそれを日本で(自分に)合う方向を導いてくださったというもの。
それは自分で考えた道ではないんです。神さまがやはり私たちを導いてくださるという(ことは事実です)。

私たち聖書を色々見ていると、私たちは、たまに「その羊」という表現が出て来るんですよね。そして羊飼い。
羊というと、方向性、あんまり分からないんですよ。もうバラバラになる。でも羊飼いが必要という。
これは人生も同じことだと思います。
聖書には「人間は自分の道を知らない」と書いてあるんですね。(***箴言16:9、19:21,20:24)
なぜ私たちは、決めるでしょう。「こんな方向でやりたい」「こういう風にやりたい」「それを私たちの一番よく分かるのは私でしょう」と言うでしょう。
でも実際よく考えれば、色んな決断するんですけど、でも実際その決断の結果はどうなるか、それは分からないんですよ。
もう良さそうな結果ですね。ああ、こんな男性と結婚すれば、もう最高の人生になれそうですね。それで後二年で離婚する人もいる(笑)。
これは私たち、やはり将来が分からない。それが人間の問題ですね。

私たちは五感を持っているんですね。五感は非常に必要な時があるんですよ。
私たちは見ることが、聞くことができるとか、色んな味も、いやそれは私たちを守るためにあるんですよ。
でも私たちの五感をもって自分の人生を導かれよう、と思っていても、限界があるんですよ。
限界――なぜって言うと、将来が見えないんですよ。
もし将来が見えたら違うんですけれども、でもそれはやっぱり神さま以外は分からないんですよ。

イエス・キリストは自分でこの地上の上を歩いていると、「わたしはよい羊飼い」って言うんですよ。(***ヨハネ10:11)
彼は私たちを導いてくださるんですよね。
なぜイエスさまができるのかと言うと、聖書を色々よく見ると、このイエスさまって何の方って、黙示録の中に書いてあるんですね。
彼はそのギリシャ語のアルファベットの一番最初と一番最後の「わたしは永遠」の方ですね(***黙示録1:8,21:6,22:13)。
Iam というのはいつでも始まりがない、終わりがない、「永遠にいる方」というそのような表現ですね、いくつも聖書、その上に私たちも見ているものが、彼も全部造ったというヘブル人への手紙の1章3節(10節?)。
それがただ造った、創造しただけではないんですね。彼はそれを今守っているんですよね。

この放送ってあるんですよね。これからですね、もしかしたら、日本人は○○までも飛ぶことができるかも知れない、という話がもうニュースになっている。
でも、どうしてその場所まで人間が飛ぶことができる?いや、その法則があるから、完璧に計算ができるんですよね。
もうそのちっちゃなものまで完璧に飛ぶ。それがただ地球を飛ばない。この宇宙はもう偶然で動いているんじゃない。これは神さまが全部それを守ってくださっている。
これが背景にイエス・キリストがいるという、永遠の方だから。
生まれた、その後死んだ、その後復活した。それだけの話じゃない。永遠に生きている方。
彼は私たちの導き手、彼は私たちの人生を導いてくださる。

それが神さまのタイミングという、伝道者の書の3章の11節も、これは非常に面白い。
英語だと、God,He makes(***has made) everything beautiful in His timeって書いてあるんですね。
神さまのタイミングで、すべての善いものになる。

【週報記載:<伝道者の書3:11>
 11神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行うみわざの始まりから終わりまでを見極めることができない。】

このすばらしい聖書の個所っていうのは沢山ありますよ。沢山はしゃべることができませんけれど、
とにかく「すべては益となる」(***ローマ8:28)というのは、イエスさまを信じると何か特別なプランの中にいられるんですよ。
私の人生、もう色んな不安定がいま最近はあるでしょう。今度北朝鮮のミサイルは、どこいつ日本で打つことができるかどうか、これ防衛費もどんどん上がるっていう、もう色んな危ない時代に生きている。
次の大震災がいつ来るかとか、台風がどうなるとか、もう心配事がいっぱいある。
けれども私(ボーマン先生)が思っているのは、「私は安全、安心に生きることができる」
――これは神さまの御手の中に導きがあるという、そういう風に私は感じているんですね。

色んな山の上に行っていても、何回も神さまの手によって、不思議に救われたというか、助かったという、もうそうじゃなければ私はこの場所に今立つことはできないんですよ。
もうそれが何回も、すごい奇跡を見たことがあるんですよ。
それは特に剣岳(つるぎだけ)という、日本でかなり危ない山ですよね。
日本の地図を作ったのは、一番最後にできたその剣岳ですよね。
なぜって言うと、人間が登ることができなかったんですよ。
それがやがて登ってその高さを計って、地図ができたんですけれど、で、今そのルートが二つあるんですね。
主にみな歩いているのは、ま、鎖とか階段とか100メートル上に下も何もなくても平気な人間がそっちを歩いている。
ただもっと危ないのは、北尾根ですね。あの北方稜線という。そっちは道がないんですよ。
そっちが実は写真家にとって、とっても魅力的な部分ですね。
でも道がこっちまであるけど(笑)、そのあと、道のてっぺんがありますけど、その間に看板が書いてあります。「立ち入り禁止、自己責任」と。
その中に何回も入っているんですね。
ま、写真家と一緒に先ず道を見つけてくださったんですね。

その時、あとは一人で行ったんですね。でも尾根の上にいると、すごい悪天候が来たんですね。
その尾根の上に非常に強い風。ま、良く知っている人だったら逃げ道が幾つか、降りることができるんですね。
私はそれは知らないんですよ。尾根の道しか知らない。それが一番上に来たら、猛烈な風が吹いているんですね。
私は岩の裏に隠れているんですね。それはからだごと吹き飛ばないように。
これからどうする?今登ったのは、ものすごい急なものですね、それをまた降りるのは、雨の中でもう非常に危ない。
結局この上に座っているだけですよね。もう、「どうしよう、どうしよう」と言って。

神さまの言葉が出て来るんですよ。イエスさまは舟の中にいる。
彼は舟の中に寝てた。弟子たちはプロの漁師でしょう。彼らは怖くなって、「私たちの舟はこれで終わりかもしれない」と言って、イエスさまを起こして、「イエスさま、どうしよう、どうしよう、風が吹いている!」って。
そしたら、イエスさま、何と言ったか「風、静まれ」。ふわっと風はなくなった。
私(ボーマン先生)はそのことを思い出したんですよ。

いや、この山の上に、こんなようなバカなボーマンという、こんな祈りをする者はあり得ない。
でも誰もいないから、こっちが叫んでも、こっちは何祈ってもオーケーですよ(笑)。恥はかきません。
それで、私が何をやったかと言うと「イエスさまの御名によって、風よ、止まれ!」と言って、ふっと風が止まった。
私(ボーマン先生)もびっくりした。まさかと。朝からずっと猛烈な風が吹いてる、からだごと吹き飛びそうな風が、一瞬止まったんですよ。
いや、もう自分でもびっくりした。それで一番危ない下に、ちっちゃな、こんなようなとこ、こっち側に何もない、細い所を歩かないと先へ行けないんです。
その時、風が何もなかった。渡ったら、風また吹いている。
これは、私の人生の中で一番すごい奇跡じゃないかなぁと思った。
風を止めた。

これがもう何回も色んな問題があったり、次も――この辺で、礼拝もどんどん長くなってしまいすみません。もうあと一個、妻と止めます。

とにかく遠見尾根と白馬と二つあるんですよ。その遠見尾根ですね、私も初めて登った、全く知らない尾根ですよね。
でもすごい綺麗な写真撮れて、それは分かってたんですよね。それは冬山ですよね。冬に登ったんですよ。数日間テントの中にいるんですよ。
そしたらもちろん穴を掘って、周りが囲まれているんですよね。それはテントが吹き飛ばないようにですね。
そしたら風が来ない所にそれを全部やって、安全万端だと思ったんですね。

数日間の後、夜中に猛烈な風が吹いているんですよ。もうこれでテント吹き飛ぶかもしれないと思ったんですね。
装備(服)を全部着て、もしテント吹き飛ぶなら、スコップ持って何とか穴を掘って、何とか隠れようと、そのような考え方があって。
そしたらね、またこの同じ聖書箇所、来るんですよ。イエスさまがこの嵐を止めたという。
けれども今回ね、同じことではなかったんですよ。
私は非常に不思議と思ったのは、あのような嵐の中に、なぜイエスさまが舟の中に寝ることができたのか?これは意外と不思議。
そんなようなボートが、みんなプロの漁師がダメになるような時、そんな中に寝ているとは普通はあり得ないんですよ。
彼は完全安心の中に寝ているんですよ、どんな状況であっても。

私(ボーマン先生)、そのことを考えたんですね。
いやあ、イエスさまがあの嵐の中に寝るなら、私も寝ることができるかも知れない、ってぽっと寝たんですよ、朝まで。
起きた時は、もう太陽がテントの中に(差し込み)明るくなって、天気が良くなって、そのテントの外へ出たら、次の日記に――私が造った雪の氷の壁みたいなものが、全部吹っ飛んでいたんですよ。ないんです。ただテントが立っている(笑)。
なんでテントが立っているけれども、あの氷の塊が吹っ飛んだ――それが私思った不思議。

やっぱり神さまというのは、どんな状況であっても、救ってくださったという、昨日考えたんですけれども、Amazing Grace(※福304 恵みのひびきの)ですよね。
(ジョン・)ニュートンが作ったすばらしい歌ですよね。3節の中に書いてあるんですよね。
「私は色んな危ない所を通った。」I came through many dangers, toils,and snares.
これが英語では、色んな大変な問題、ま、ニュートンの人生調べれば、本当にその通りですね。本当に危ない所があった。
「けれども、恵みは私を救った。恵みは私を家に導かれる」と言っているんですよ。
結局、ジョン・ニュートンも同じように、ダビデと同じ、神さまは私たちを導き、どこへ導いているんですか?He leads me home. 私たちを天国の家まで導かれると。
それがダビデも言っているんですよね。ジョン・ニュートンも全く同じことを言っているんですよね。
私たちの将来は、神さま、私たちをどこへ導いている?やはり「永遠のいのち」ですよ。
永遠の栄光まで導かれる。私たちの人生に色んな問題があっても、やがてこの人生終わります。その後はどうなる?
それが、将来性があるから、神さまは私たちを導いてくださる。この偉大な神を私信じています。

(※ここで、ルリ子夫人のピアノで「新聖歌188 救い主は待っておられる」が流れて来る)
神さまの歌をいま家内が演奏しているのは、「イエスさまは私たちの心の外で立って待っている」。
イエスさまは生きておられます。私はず〜っとそれを人生の中に体験しています。
イエスさまは私たちの心の扉の外に立って待っている(***黙示録3:20)。
彼は暴力的、強制的に私たちの人生の中に入ることはできません。私たちには自由意思があるから。神さまはその自由意思を尊重しています。
けれどももしあなたが今日この心を開いて、「イエスさま、私の心の中、私の人生の中に入ってください、私の人生を救ってください」(って願うなら)、必ず救ってくださるんですよ。
それが聖書の約束ですよ。
「キリスト教って、そんな難しいことは分かりません。」「聖書を読んだことない。」
いや、勿論それは最初から見てても難しいかもしれない。でも入り口は難しくないんですよ。
イエスさまを信じれば、あなたは「永遠のいのち」をいただくことができます。
そのあと、主と人生をかけて、このすばらしい信仰を勉強することはできます。
けれども先ずこの一歩ですよ。一歩イエスさまの方へ(近づいて)、
「イエスさま、私の人生に入ってください」――この歌はちょうどそのような歌詞を歌っているんです。
イエスさま、私たちの心の扉の外で立って待っている。彼は今も待っていますよ。

よければ、一緒に祈りませんか?私、小さい小学生の時は、祈ったんです。
その祈りは、今まで持っている。イエスさまを信じることができた。
よければ、一緒に祈りましょう。私は二回同じフレーズを祈ります。
二回目、心の中でもいいから、声を出さなくても、イエスさまはあなたの心をご存じです。
よければ一緒に祈りましょうか?こういう風に祈ってみてください。
「イエスさま、私の心の中に入ってください。」イエスさま、私の心の中に入ってください。
「私の間違いと罪、赦してください。」私の間違いと罪、赦してください。
「あなたの恵みと平安、与えてください。」あなたの恵みと平安、与えてください。
「イエスさまのお名前によってお祈りします。」イエスさまのお名前によってお祈りします。アーメン。

イエスさま、感謝します。あなたは生きておられます。今日は新しい方が来てるかもしれない。その方が今日祈った祈りで、本当にこれからすばらしい種が生まれて、これからすばらしい実を結ぶようにお願いします。イエスさま、助けてください。私たちにあなたの偉大な喜びを与えてください。あなたの救いを与えてください。イエスさまのお名前によってお祈りします。アーメン。

それでは私はずっとヘンデルを弾こうと思っていた、もうだいぶ話が長くなりまして、それではヘンデルの「ああ感謝せん」を演奏します。

(※椅子に移動して腰かけて、またチェロの演奏を始めるボーマン先生。ルリ子夫人のピアノの伴奏と共に格調高く感動的で、「ああ感謝せん」と平安の内に羊飼いなる主を喜び賛美している民の声が聞こえるようでした。)

(※続いてAmazing  Graceも弾いてくださいました。)
(※1節弾いて急いで説教卓に戻って、チェロは持ったままで説明に入るボーマン先生)
この歌はAmazing  Grace「驚くばかりの恵み」――私のような惨めな者に神さまの恵みが流れたという、ジョン・ニュートンのすばらしい歌詞があります。
教会に来るとこれで歌うことができる。今日は簡単な歌詞を付けようと思っています。

このコンサートはSing Halleluja to the Lord(主を賛美しよう)で始まったんです。
最後にもう一回、ハレルヤを歌いたいと思います。
ハレルヤ三回歌って、一回アーメン:その通りです、という意味。
それをやると半分まで来るんですよ。次は簡単。
もう一回、三回ハレルヤを歌って、一回アーメンで、ぴったし終ります。
これを試してみましょう。

(※絶妙のタイミングで入って来るピアノの音も力強く、奥さまとの連携プレーで神さま・愛もよく伝わって来るし、お二人の演奏にも心揺さぶられるチェロとピアノのコンサートでした。)
(※大きな拍手の中、退席されるお二人にお疲れさまと感謝)。

**********************************

 ※今回は、コンサート礼拝ですので、これ以降の礼拝の最後少しの部分でしたが、教会員のページ「聖日説教」に書いてあります。
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なお普段はこのページは、説教のみを掲載しております。お祈りや、牧会報告、聖餐式や洗礼式等その他すべて「聖日説教」の方に入ります。(T・Y)

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