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::: 説  教 :::


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Name   T・Y
Subject   5/14 母の日:あふれる愛を注がれる神 Uサムエル7:11〜20
☆聖書箇所 Uサムエル7:11〜20

11それは、わたしが、わが民イスラエルの上にさばきつかさを任命して以来のことである。こうして、わたしはあなたにすべての敵からの安息を与えたのである。
  【主】はあなたに告げる。【主】があなたのために一つの家を造る、と。
12あなたの日数が満ち、あなたが先祖とともに眠りにつくとき、わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子をあなたの後に起こし、彼の王国を確立させる。
13彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。
14わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。彼が不義を行ったときは、わたしは人の杖、人の子のむちをもって彼を懲らしめる。
15しかしわたしの恵みは、わたしが、あなたの前から取り除いたサウルからそれを取り去ったように、彼から取り去られることはない。
16あなたの家とあなたの王国は、あなたの前にとこしえまでも確かなものとなり、あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ。』」
17ナタンはこれらすべてのことばを、この幻のすべてを、そのままダビデに告げた。
 18ダビデ王は【主】の前に出て、座して言った。「【神】、主よ、私は何者でしょうか。私の家はいったい何なのでしょうか。あなたが私をここまで導いてくださったとは。
19【神】、主よ。このことがなお、あなたの御目には小さなことでしたのに、あなたはこのしもべの家にも、はるか先のことまで告げてくださいました。【神】、主よ、これが人に対するみおしえなのでしょうか。
20ダビデはこの上、何を加えて、あなたに申し上げることができるでしょうか。【神】である主よ、あなたはこのしもべをよくご存じです。

☆説教  母の日:あふれる愛を注がれる神

今日はサムエル記。
ずっとへブル書の講解なんですけれども、折角「母の日」でございますので、そこを開いていただきました。
見ていただいたら分かるように、私が注目したい言葉は――ちょっと映しますね。18節――
【画面:Uサムエル7章18節「【神】、主よ。私は何者でしょうか〜導いてくださったとは」に薄いオレンジ色の傍線。「ここまで」に緑のハイライト】
<Uサムエル7:18>
18ダビデ王は【主】の前に出て、座して言った。「【神】、主よ、私は何者でしょうか。私の家はいったい何なのでしょうか。あなたが私をここまで導いてくださったとは。

この中心聖句がきっかけで今日の話をいたします。
「いったい何者なのでしょうか?」というこのダビデの感動を、へブル人への手紙の記者は2章の6節で記しています。
そしてそれはここからの引用ではなく、詩篇8篇からの引用で、そこでは「人の子いったいは何ものなのでしょう?」
ですから、「人とは何ものなのでしょう」「人の子とは何ものなのでしょう」という所から、イエス・キリストの真実に迫って行くというのが、へブル人への記者の論法であります。

「キリストとはいったい何ものなんだろうか?」
「そして私たちはいったい何ものなんだろうか?」
というのが、今年のへブル書の講解のテーマでありますので、私はあえて「母の日」にこの聖句を選びました。

同じダビデがここ第二サムエルの7章で感動を述べています。
「【神】、主よ、私は何者なのでしょうか?」その次です。「私の家はいったい何なんでしょうか。あなたが私をここまで導いてくださったとは」。

あなたの家とは、すべて同じように繋がっていますね。
それはあふれるばかりの神の愛が、その愛が私に注がれている事実にただただ感動し、
その愛は私だけにでなく、私の家族に注がれるということにただただ感動しています。

色んなことがあります。
「母のお弁当」という話がありますが、こう行きますね。
――読み始める――
私の母は昔からからだが弱くて、それが理由かは知らないが、母の作る弁当はお世辞にも華やかとは言えない、質素で見映えのしないものだった。
友だちに見られるのが恥ずかしくて、毎日食堂へ行き、お弁当はゴミ箱へ捨てていた。
ある朝母が嬉しそうに「今日は○○が大好きなエビを入れといたよ」と私に言って来た。

私は生返事でそのまま高校へ行き、こっそり中身を確認した。
すると確かにエビは入っていた。でも殻剥きもめちゃめちゃだし、彩りも悪いし、とても食べられなかった。

家に帰ると、母は私に「今日の弁当、美味しかった?」としつこく尋ねてきた。
その時、私はイライラしていたし、いつもの母の弁当に対する鬱憤も溜っていたので、
「うるさいな!あんな汚い弁当箱捨てたよ!もう作らなくていいから」とつい、きつく言ってしまった。

母は悲しそうに「気づかなくてごめんね・・・・・・」と言い、それから弁当を作らなくなった。
それから半年後、母は死んだ。私の知らない病気だった。

母の遺品を整理していたら、日記が出てきた。
中を見ると日記には弁当のことばかり書いてあった。

「手の震えが止まらず上手く卵が焼けない」――日記はあの日で終わっていた。
――ここまで読み終わり――

実は聖書の中には、神さまの愛は、父にたとえられることの方が多いです。
しかし、正直、そのようにしてたとえられている父というのは、現実には「母」の姿の場合の方が多いですよね。
どこまでも子どものために尽くす。子どもを守る。それでいて子どもはなかなかその愛に気がつかず、それにまともに応えようとしない、
というのは、別に(***ルカ15:11〜24の)放蕩息子のような《父と息子》ではなく、
イザヤ書(***46:4)にあるように神に背負われる私たち、《母と私たち》の関係が強いですよね。
それが《神と人との関係》だと聖書は言っています。

そんな人間が、時にその愛に感動しているのです。母の愛に感動している。
それが先程の「母の日記」という文章です。
ダビデが感動しているのは――
「なぜ、神は私にそれほどまでに目を留め、いやそればかりでなく、私の家族に目を留めていてくださっているのか?」

さて、3つのポイントで短くお話をいたします。

1)人生には色々なことがある。

ちょっと7章の2節を映していただくと、こう始まります。
【画面:Uサムエル7章2節「見なさい、この私が杉材の〜宿っている」に薄いオレンジ色のハイライト】
<Uサムエル7:1〜3>
1王が自分の家に住んでいたときのことである。【主】は、周囲のすべての敵から彼を守り、安息を与えておられた。 

***ようやく国は安定したんですね。

2王は預言者ナタンに言った。「見なさい。この私が杉材の家に住んでいるのに、神の箱は天幕の中に宿っている。」

***そこで何とかして、神の箱のために神殿を建設したいという計画を、ダビデは練りに練って来たのでありましょう。
そしてそれを預言者ナタンを呼んで、話をした時に、預言者ナタンは、3節に――

3ナタンは王に言った。「さあ、あなたの心にあることをみな行いなさい。【主】があなたとともにおられるのですから。」

その計画に賛同をするわけです。
ところが、その夜、神さまはナタンに語られます。答えは「ノー」でありました。

ま、色んな「ノー」が人生にはあるものですね。
ダビデはベストを尽くして、これまで神から受けた恵みに感謝したい、でもその計画に関して神さまは「ノー」を出された。
ダビデは喜んでそれをしたいと計画し、ナタンに話した時も大賛成だったにもかかわらず、
その夜、神さまは「ノー」と仰った。
ほかの箇所を読むと、ダビデは軍人でしたので、「その手が血に染まっている。あなたにはわたしの聖なる神殿は建てられない」と仰っている場面も出て来ます(***T歴代誌22:8)。ほかにも理由はあったはずです。

神さまのために善きことを、と思いながらも、「ノー」は「ノー」です。
こういうことは私たちの人生全般において、神さまが閉ざされて行く門というものは、もう数えきれない程ある。
私たち、よく知っていることです。
私たちは普通に神さまは導いてくださる、主よ、どうか導いてください、どんな門が開いて導かれるのか?

私(藤本牧師)は最近つくづく考えていることを、皆さんに言うようになりました。
神さまが導くというのは、往々にして、自分が考えていた門が閉ざされることによって導かれる。
自分が考えていた門が開かれることによって、神が導くのではなく、
私たちが考えていたことは、これもダメ、あれもダメという風にどんどん閉ざされながら、
パウロはとうとうギリシャに渡るわけですよ。マケドニアに渡って行くわけですよ。

あのようにして、私たちの人生に何かが閉ざされた時に、これは大きな失敗であるとか、神さまは答えてくださらなかった、とか否定的に考えずに、
この門が閉ざされたことによって、神さまは必ずほかの門を開いてくださる、
自分の人生を一回考え直す機会を、神さまは与えてくださる、と思うんですね。

でもやっぱり「ノー」は「ノー」です。
ダビデは大変失望したと思います。

2)それでも神さまの愛は、ダビデから離れませんでした。

(第二サムエル)7章の11節のちょっと微妙な所から読んで行きますね。ここなんです。
11節の一段下がったここから読んでいきます。
【画面:Uサムエル7章11節「主はあなたに告げる〜家を造る」に薄いオレンジのハイライト、12節「彼の王国を確立させる」13節「一つの家を建て」と「堅く立てる」に同色のハイライト】

11・・・・・・
 【主】はあなたに告げる。【主】があなたのために一つの家を造る、と。
12あなたの日数が満ち、あなたが先祖とともに眠りにつくとき、わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子をあなたの後に起こし、彼の王国を確立させる。
13彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。

ちょっと続けて見ておきますね。
一つの家をあなたのために建てる。しかも堅く立てる。(13)
(※16節に移って)、【画面:16節全文に緑のハイライト】
16あなたの家とあなたの王国は、あなたの前にとこしえまでも確かなものとなり、あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ。』」

ダビデは神さまのために家を建てることはできない。
でも、代わりに神さまがあなたのために家を建てる。
しかも繰り返して言われていることは、あなたはまだその家を見ることはできないけれども、「家族が、あなたの世継ぎが、あなたの子どもたちが」(12)、その家を「しかも堅く立てる」(13、16)
という言葉が繰り返されているではありませんか。

幾つかのことが確認できます。
神さまがダビデを祝福する、ということはイコール、ダビデの家を祝福するということです。
それは所謂、住む家のことではなくて、《家族を祝福する》という意味ですよね。
そして《その祝福は確かで、とこしえまでも堅く立つ》。
《約束は揺るがず、祝福は離れない》です。

「母の日」の礼拝、勿論私たちは母に感謝し、そして教会家族の母に感謝し、
もっと大切なことは、《母のような愛が私たち皆に注がれている》。
その神の愛に目を留め、神の前に出て、ダビデのように――ダビデは【神】、主の前に出て座して祈った(18)。
私たちは神の愛に触れて、神の前に出て、座して感謝する日なんだろうと思います。
母の愛が、あなたを支える、あなたを捨てない、としたならば、
わたしの愛は、あなたの家を確立させ、あなたから離れない。いつまでも共にいる。

私はまた、こういう表現をよくするようになりましたでしょう。
あなたが高津教会の家族なら、あなたの家族も高津教会の家族です。
そして子どもたちも孫たちも、みんな高津教会の家族です。

私はちょっとこういう昔ながらの表現が嫌いになりまして――
それは、以前子どもたちが小さい頃みんな一緒に教会に来ていたのに、やがて部活が始まり、色々あり、子どもたちが教会に来なくなった。
「いつか子どもたちが教会に帰って来る日を願っている」という言葉。
それはすばらしい言葉ですよ。そしてやがてそうなると思います。
ただ、その言葉を聞いた子どもたちは、もし直接聞いたら、
「あ、自分が教会に行かないことで、父さん母さんは不幸なんだ」と思いますよね。
そういうことを子どもに言ってはいけない、と私は思います。
それは何とも言えない罪悪感を子どもに残すというか。
むしろ大らかに、「あなたが教会に来ようが来まいが、わが家が教会に来ている限り、神さまの祝福はあなたから離れない、位のことを私たちは言うように、と私(藤本牧師)言ってますよね。

それが典型的なのが教会墓地ですよ。
教会墓地には、皆さんの家族が入っているんですよ。教会員だけが入っているんじゃないんですよ。勿論、無縁仏も入っていますよ。
私たちは恵みの大きさというものを、あの教会墓地で表現しているんですよ。
皆さんはお寺にあった墓じまい、もう行けないし、仕舞って、それを運んで来て、納骨して、教会の墓碑に名前を入れているじゃないですか。
名前を入れる時に、直接キリストの福音に触れて、洗礼を受けた方ではないかもしれない。
でもあなたの家族は教会の家族だよ。

神さまがダビデを祝福すると仰ったのなら、神さまはダビデの家族を祝福する。
「あなたの家を堅く立てる」(13、16)と言ってるのは、そりゃダビデは嬉しいでしょう。
でもダビデが生きている間に実現することではないんですよね。
ダビデが死んでから、勿論ダビデの家にも様々なことがあります。
そしてこの「堅く立てる」という言葉が最終的に実現するのは、
主イエス・キリストが、御子イエス・キリストが、ダビデの家系から生まれることによって、
新しい終末の王国がこの世界に始まる、というこの栄光を私たちは考えることができるわけですよね。

どちらにしても、ダビデ一人の信仰からものごとは始まらない。
ま、始まりはそうなのかもしれない。皆さん、そうでしょう。
聖書にはダビデ一人の信仰しか書いてないですよ、確かに。
でもそのダビデが神の愛に応える時に、神の祝福はダビデの家に及ぶというのは、ものすごく大切なことだろうなぁと思います。

これで最後(のポイント)ですが――
3)ダビデは感謝にあふれて言いました。
それが先程の(Uサムエル7:18)――「私は何者なのでしょう」と「私の家は何なんでしょう」。

その次の言葉、これは聖書を見ていただきます――(同18)
【画面:Uサムエル7:18「【神】、主よ、以下全文に薄いオレンジのハイライト。「ここまで」に緑のハイライト」】
18ダビデは【主】の前に出て、座して言った。「【神】、主よ、私は何者でしょうか。私の家はいったい何なのでしょうか。あなたがここまで導いてくださったとは。

「私は何者なのでしょう」と「私の家は何なんでしょう」。
その次に、「あなたが私をここまで導いてくださったとは」と。

それと同時に、対になって19節に――
【画面:Uサムエル7章19節「はるか先のことまで告げてください」に緑のハイライト】

19【神】、主よ。このことがなお、あなたの御目には小さなことでしたのに、あなたはこのしもべの家にも、はるか先のことまで告げてくださいました。【神】、主よ、これが人に対するみおしえなのでしょうか。

そうすると、18節は「ここまで導いてくださった」という言葉ですが、
19節は、あなたは「はるか先のことまで、(私の家を祝福してくださることを)告げてくださった。
そしてダビデはそれを信じているんですよね。
「ここまで祝福してくださった」というのは長い道のりです。
羊飼いなる主は、時には緑の牧場、水のほとり、でも時には死の陰の谷、時には敵の前と、私たちを導いてくださった(***詩篇23篇)。
そういうすべての中で、愛をもって守ってくださった神さまの愛の偉大さですが、

19節には、「はるか先のことまで」主は見ておられ、祝福を約束してくださっていることを感謝しているんですね。
これまでのことを感謝しているのではない。まだ見ることができない「私の家を建てる」というはるか先のことに対して、神さまに感謝している。
「はるか先のこと」というのは、ダビデには何にも分からないですよ。
アブラハムと同じですよね。(***創世記15章5〜6節)
まだ自分が子どもができていないのに、夜空へと連れて行かれて、「ご覧、あなたの子孫はあの星の数のようになる」「空の星、海の砂をあなたは数えることができるか」「わたしはそこまであなたの将来、家族を祝福する」と、アブラハムは言われるわけですね。
その時に、アブラハムは「アーメン」と言います。
「アーメン」というのはその通り、その通りを信じたんですね。
イザヤ書には「神はアーマンなる」神(***黙示録3:14、イザヤ65:16)。
神のアーメン――それは《神の真実さ》。
神の真実さを、アブラハムは夜空の星に見たんでしょうね。
そしてそれに対して、彼は何らかの頷きを得て、信仰をもって「アーメン」と答えることができた。
「それをもって、神さまはアブラハムを義とされた」という風に創世記に書いてあります。

話を戻しますと、ダビデはこれまでの神さまの様々な恵みに感謝をしているだけではない。
主の前に出て、座して感謝をしているのは、これからのこと、まだ実現していないこと、しかし必ず実現すると約束してくださった祝福に対して、感謝しています。

20節でこう書いてあります。20節を見て終わりにいたしますね。
【画面:Uサムエル7章20節「あなたはこのしもべをよくご存じです」に緑のハイライト、「【神】である主よ】に薄いオレンジのハイライト】

20ダビデはこの上、何を加えて、あなたに申し上げることができるでしょうか。【神】である主よ、あなたはこのしもべをよくご存じです。

という言葉で、一つ祈りを締めくくっているんですよね。
あまりにも大きな祝福のゆえに、言葉がない。
でも【神】である主よ、あなたはこのしもべのことをよくご存じです、と。

母親っていうのは、子どものことを良く知っています。
良く知りたいと思っています。ですから「学校で起こったことは何でも教えてね」って母親は言いますでしょう。
子どもが悩んでいたら、母親も悩みますし、子どもが泣いていたら、母親も泣きますよ。
ああ、そのようなことは、神、主よ、あなたはすべてご存じです。
私の家に起こること、私の孫に起こること、ああ、神、主よ。あなたはすべてご存じです。

アウグスチヌスという4世紀の有名な哲学者、神学者、カルタゴの司教がいますね。
彼の有名な言葉に――
「神は、あたかも全世界にあなた一人しかいないかのように、あなたを愛される。」

「神は、あたかも全世界にあなた一人しかいないかのように、あなたを愛される。」
全世界に人々は山程います。この教会にも。
それ程の数がいて、次々に生まれて、次々に死んでいく私たち人間の人生で、神は私の家に心を留め顧みてくださる。
そんなことが可能なんだろうか?と思いますが、それは可能です。
「神の全知」というのはそういうもので、「私たちの無知」というのはそういうもの。
無知であるならば、単に高津教会というこの集合体しか分からないです。

初めて牧師先生が就任して来たら、あ、なるほどこの位の教会なんだ、ということは分かりますけれども、皆さんの名前も背景も全く分からない無知な状態で入って来られる。
一年、二年、三年、四年、五年してようやく、そのお一人お一人の内側が分かるようになるわけですよね。
お互いもそうです。

つまり知れば知る程、その人物を知れば知る程、その人物の抱えている問題も、その人物のこれまでの出来事も、特性も悩みも、性格も信仰も、分かるようになる。
知が大きくなれば、全体を見渡すのではなく、一人一人に心配りができるようになるというのが、私(藤本牧師)は「神の全知」という言葉の真実な意味だと思っています。
神は世界を知っているから、全知なのではない。
神はあなたを知っているから、全知なのですよね。
神はそういう意味で、お母さんを特別に祝福してくださり、神さまは私たち一人一人の内にあふれるばかりの愛を注いで、家を祝福してくださることを心から信じたいと思います。

☆お祈りをいたします――藤本牧師

恵み深い天の父なる神さま、格別にK君の奥さまを祝福してください。Rちゃんを戻してようやく共に過ごすことができ、忙しい忙しい日常が始まって行きますが、ご家庭を祝福してください。

様々な意味で、私たちの家庭には遠く離れた子どもたち、孫たち、或いは今年天国に送った自分の親のこと、兄弟、様々なことを家族というテーマで私たちは考えますが、どうかそれが個人の家族ではなく、教会の家族として捉えることができるように。教会に赤ちゃん一人生まれれば、それは私たち全員の喜びであり、教会から一人天に召されれば、私たちの悲しみである、ということをいつも捉え、あなたの恵みはその一人一人に堅く立てられることを、覚えることができるように助けてください。愛するイエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。

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DATE: 2023.05.14 - 20:55

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