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::: 説  教 :::


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Name   T・Y
Subject   6/4 献児式・石井寛さんを偲んで:へブル(9)みことばを信仰に結びつける へブル4:1〜3
6/4 献児式・石井寛さんを偲んで:へブル(9)みことばを信仰に結びつける へブル4:1〜3

☆聖書箇所  へブル4:1〜3

1こういうわけで、私たちは恐れる心を持とうではありませんか。神の安息に入るための約束がまだ残っているのに、あなたがたのうちのだれかが、そこに入れなかったということのないようにしましょう。
2というのも、私たちにも良い知らせが伝えられていて、あの人たちと同じなのです。けれども彼らには、聞いたみことばが益となりませんでした。みことばが、聞いた人たちに信仰によって結びつけられなかったっからです。
3信じた私たちは安息に入るのですが、
  「わたしは怒りをもって誓った。
  『彼らは決して、わたしの安息には入れない』」
と神が言われたとおりなのです。もっとも、世界の基が据えられたときから、みわざはすでに成し遂げられています。

☆説教 へブル(9)みことばを信仰に結びつける

今朝はへブル人への手紙の講解の続きで、4章の1節〜3節を見ていただきました。
ちょっと4章の1節をもう一回映しますね。皆さんも見ていただけます?
【画面:へブル4章1節「神の安息に入るための約束がまだ残っている」に茶色のハイライト。「まだ残っている」に黒ペンの囲み】

1こういうわけで、私たちは恐れる心を持とうではありませんか。神の安息に入るための約束がまだ残っているのに、あなたがたのうちのだれかが、そこに入れなかったということのないようにしましょう。

「まだ約束は残っている」という。
ヘブル人への手紙は、キリスト者の生涯、そして私たちの旅路を、旧約聖書のモーセと荒野の40年に重ねています。

旧約聖書の民は、モーセに率いられていながら、約束の地には入ることはできませんでした。
何十万という人々は入ることができませんでした。
荒野の旅路の中で、モーセが十戒の板をいただくためにシナイ山に、40日40夜行っている間に、民は不安に陥り、エジプトから奪ってきた金で子牛を作り、なんとそれを神として崇めて、お祭りをしていました。(***出エジプト記32章)
神さまは、あんなに早く信仰を捨ててしまうのかと、驚きのあまりに、彼らを滅ぼす、と仰いました。

しかし、モーセの決死のとりなしのおかげで、民は旅を続けることができました。
そしてまた決定的な瞬間を迎えた、ということを前回一緒に学びました。
約束の地の手前、カデシュ・バルネアに来た時に、民は拙攻隊を送ります。
部族を代表して12人。
そして拙攻隊は約束の地から、大きな大きな房のぶどうを二人がかりで、ぶどうを担ぎ上げて帰る程でありました。
民数記の13章、ちょっと聞いていただくだけで結構ですから、27節から読んで行きます。

<民数記13:27〜29>
27 彼らはモーセに語った。「私たちは、あなたがお遣わしになった地に行きました。そこには確かに乳と蜜が流れています。そして、これがそこの果物です。
28 ただ、その地に住む民は力が強く、その町々は城壁があって非常に大きく、そのうえ、そこでアナクの子孫を見ました。
29 アマレク人がネゲブの地方に住んでいて、ヒッタイト人、エブス人、アモリ人が山地に、カナン人が海岸とヨルダンの川岸に住んでいます。」

という報告をするんですね。
そして付け加えたことは、カレブとヨシュアを除いて10人は言いました。
「絶対に無理です。あの約束の地とかいう土地を私たちの土地とすることは絶対に無理です。」
そしてその夜、民全員が泣き明かした、と書いてあります(民数記14:1)
信仰のかけらもありませんでした。
「絶対に行けます。神さまがついていたら、絶対に行けます」とのヨシュアとカレブの言葉も通用しませんでした。

ちょっと先を読んでいきますね。
<民数記14:3〜4>
3 なぜ【主】は、われわれをこの地に導いて来て、剣に倒れるようにされるのか。妻や子どもは、かすめ奪われてしまう。エジプトに帰るほうが、われわれにとって良くはないか。」
4 そして互いに言った。「さあ、われわれは、かしらを一人立ててエジプトに帰ろう。」

もうモーセはやめたと。他に指導者を一人立てて、そして一緒にエジプトに引き返そう。そこに奴隷となっても何の悔いもない。
という位、脅え果ててしまいます。
神さまは「彼らを滅ぼす」と仰いました。
でもまた、そこでモーセがとりなしをいたします。その結果――

<民数記14:20〜23>
 20【主】は言われた。「あなたのことばどおりに、わたしは赦す。
21 しかし、わたしが生きていて、【主】の栄光が全地に満ちている以上、
22 わたしの栄光と、わたしがエジプトとこの荒野で行ったしるしとを見ながら、十度もこのようにわたしを試み、わたしの声に聞き従わなかった者たちは、だれ一人、
23 わたしが彼らの父祖たちに誓った地を見ることはない。わたしを侮った者たちは、だれ一人、それを見ることはない。

ヨシュアとカレブは約束の地に入ることができました。
でもモーセも入ることが来ませんでした。その他十数万人、全員、四十年の間に荒野で死を遂げます。
ストレートに行けば、4か月で入れる約束の地を、彼らは四十年彷徨い、その間全員を失います。

さて、こうした教訓を受けて今日のところを見ていただきたいと思います。
短く3つのポイントで第1番目――

1)「神の安息に入るための約束はまだ残っている」(へブル4:1)

ずっとこの手紙の背景を説明してきました。
当時のユダヤ教はローマ帝国にとっては公認の宗教の一つです。
でもそこから出てしまったキリスト教は公認の宗教ではない。
むしろ迫害が集中します。

ですからユダヤ人たちは、もっぱら迫害されているキリスト者に向かって言います。
「私たちのところに戻って来い。」
「キリストについて行っても十字架が待っているだけだぞ。」

その引き戻そうとする、確信を揺らそうとする力に対して、手紙の記者は言います。
ですから(へブル)2章の1節で、
「私たちは聞いたことを、ますますしっかりと心に留め、押し流されないようにしなさい」というのは、そういう警告です。
そして、ここ(へブル)4章の1節で、
「安息に入るための約束がまだ残っている」

これが私たちキリスト者の今生きている、私たちに対する言葉です。
明日さえも分からないのが、私たちの人生です。
先程もちょっと地震があるだけで(笑)、「え、次が来るのかな?」と思うじゃないですか。
「次は大丈夫だよ」と、(※先程の献児式の終わりに、後方からの声は、地震の素早い結果報告だったのですね)仰ってくださって感謝ですよね。

「朝は花を咲かせているが、夕べにはしおれて枯れてしまう」のが、人の人生だと。(***イザヤ40:6〜8、Tペテロ1:24〜25)
また、再臨のキリストはいついらっしゃるか分からない。
地震も、雷も、親父も(笑)、いつ来るか分からない。
というのが、この世界の現実じゃあありませんか。

でも今日は、「今はまだ、安息に入るための約束は残っている」ということですね。

2)残しているのは、神さまです。それを終わりにするのも、神さまです。

いいですか。安息に入れる機会を、まだ残しておられるのは、神さまで、
でもそれを終わりにするのも、神さまです。

私(藤本牧師)は「交通運」が悪いって言いますか、ま、新幹線はまだましなんですが、
飛行機がすごく、これ「運」って言うと、なんとなくキリスト教らしくないですけれども、良くないんですね。

今まで乗れなかった飛行機が幾つかあるんですね。
例えば、父がアメリカの大学で名誉博士号を受けるために成田でチェックインをして、そしてロビーでお茶を飲んでいました。
突然、その飛行機がキャンセルになりました、というアナウンスが(笑)ありました。
で、カウンターに行ってみると、「二時間後の、別の飛行機で、別のルートで行ってください」というお知らせでした。
父が呆れて、「こういうもんなのか?」と言うのに、私は「こういうもんだと思うよ」っていう風に答えておきました。

これも父と一緒で、九州に飛ぶ用件があって、羽田に行きました。
日本航空のコンピュータが全部シャットダウン。
で、もうすでに第一ターミナル第二ターミナルの時代で、サラリーマンは一斉にANAの方に駆け込むんですよね。
で私は父と、「もう、いいんじゃない。ゆっくり新幹線で行くことにしよう」ということで、新幹線で行きました。
      
乗り遅れたことが、2回あります。
単純に時間を間違えたということがありました。
お茶の水で教団の総会がありまして、最後の方で失礼して電車に乗りましたら、時計を見た途端気がつきました。「あ、到底、間に合わない」と。
時間をなんか錯覚していたんですね。一時間ぐらい間違えていたんですね。

もう一回、チケットを、気がついてみたら家内が持っていた、という場合があるんですね。
それを羽田で受け取る、ということだったんですが、自動チェックイン機の前で待っているけど、待てど暮らせど家内が来ないんです。
15分前にチェックイン、(機械にチケットを)入れないと乗れない。
で私はスタッフの方を呼んで、
「実はいま待っているんだ。もう15分近いということが分かっている。でも必ず家内は来る。」

15分間、来ないわけですよね。
でスタッフさんも一緒に待っていてくださいました。
で、やって来ました。1分遅れでやって来ました。

私が謝り、妻も謝り
「申し訳ありません。」
でも、まだ飛行機がそこにいるのは分かっています。
ゲート番号を見ると、恐らくそんなにゲートは遠くない。
私たちが走って行ったら、絶対に間に合います。」
妻はもう平謝りで、
「どうしてもバスが遅れて、途中で電話連絡したんですけれども、通じてましたよね?」
「ええ、お聞きしていました。お待ちしていました。」
「そこをなんとか、よろしくお願いいたします。」

「セキュリティーを優先させていただいて、そこからゲートまでもうお疲れでしょうから、大丈夫です。飛行機は待っていますから。待っていただけるように先程連絡を入れましたので。走るとお客様のからだに負担がかかるといけませんから大丈夫です。飛行機はもう30分待っていてくれます。藤本様の奥さまのお願いは絶大です。」

な〜んて、言うと思います?(大笑)
全部却下ですよね。1分ですよ。
「14分前で、飛行機いますよね?」って言っても、JALの方は、
「いいえ、一分過ぎたら入れないんです。自動チェックイン機は、撥ねます(※チケットが中に入らない)。」
「カウンターがあるじゃないですか」
「だめです。それが規則です。」
「へぇ〜、もう二度と乗らないよ」みたいな・・・(大笑)
  でもきっとANAに乗っても同じこと言われるんでしょうね。
「規則は規則です」と。
 
しかし、第二ペテロを開けていただけます?
聖書のずっと後ろの方ですね。これは、映しますね。
ペテロの手紙第二で、こうありますね。
第二ペテロは開けにくいんですよ。ヨハネの手紙の一つ前ですね。
ちょっと映します。よろしくお願いします。

【画面:Uペテロ3章8節「見落としてはいけません。〜一日のようです」9節「主は、ある人たちが〜思っているように」「あなたがたに対して忍耐しておられるのです」に水色のペンで傍線。「見落としては」に同色ペンで囲み】

<第二ペテロ3:8〜9>
 8 しかし、愛する人たち、あなたがたはこの一つのことを見落としてはいけません。主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。
9 主は、ある人たちが遅れていると思っているように、約束したことを遅らせているのではなく、あなたがたに対して忍耐しておられるのです。だれも滅びることがなく、全ての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。
 
「神は待っている」ということですね。
あなたのために、神は約束の地の扉を開けたまま、待っている。
「だれも滅びることなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられる」のです。
でも、必ず閉まりますよ。閉まったら、それは二度と開かないですね。

へブル人への記者が言いたいことは、
「でも、神さまはまだ待っています。まだ開けています」ということでしょうね。

で、3番めにへブル人への手紙に戻っていただいて――
ごめんなさい、AKさんに、もうちょっとしたら、私(藤本牧師)ご挨拶をいただきたいと思いますが――

3)しかし、その間、へブル4章2節の最後からちょっと見ますね。

【画面:へブル4章2節「良い知らせ」に黄色のハイライト。「聞いた人たちに信仰によって結びつけられなかった」に深緑のハイライト】

2 というのも、私たちにも良い知らせが伝えられていて、あの人たちと同じなのです。けれども彼らには、聞いたみことばが益となりませんでした。みことばが、聞いた人たちに信仰によって結びつけられなかったからです。

聞いたみことばが信仰によって結びつけられないなら、なかなか難しい。

今年の初め、石井寛さんからお手紙をいただきました。
多分、施設の方が代筆されたようで、タイトルは感謝。
ちょっとその手紙を、そのまま読みますね。
家族葬でも読ませていただきました。

私は2022年5月24日、90才になりました。
病気を意識しなくなって、生活は満足しています。
2011年12月25日、藤本満牧師の導きにより洗礼を授かり、10年(11年?)になります。
季節はよく、自由に出かけたいと思っても、コロナ禍が収まらず、隔離生活となっています。
朝は、主の祈り、使徒信条を読んでお祈りします。
晩は、神さまに守られた一日の生活に感謝して祈ります。
健康を維持するため、食事の前に屈伸体操をします。

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことに感謝しなさい。これがキリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
(***Tテサロニケ5:16〜18)

この3年間で、初めていただいたお手紙です。
でもその信仰が全くへたっていない、むしろ強くたくましくなっていた印象でありました。
それからK子さんにお電話いただいたんですね。
K子さん、ちょっとお父さんの最期のご様子、その他、聞かせていただけます?
そこにマイクがあるんだなぁ(※右手の人差し指で、示して)ごめん、ちょっと持ってきてあげるよ。(※と動いて下に降り、マイクを本人に届ける)

――AKさんのご挨拶――
(※お庭の窓際の席にご夫婦で座っておられ、立ってマイクを持ち語られる)
すみません、あのご紹介にあずかりました石井寛の娘のAと申します。皆さま、長い間お祈りいただき本当にありがとうございました。先ほど先生にもご紹介いただきました通りに、90歳で、あと二週間で91歳という所だったんですけれども、牧師先生に施設の方に来ていただいて、聖餐式をしていただきました。そこでもうほんとに満足して、天に帰ったのかなと思います。その数時間後に、天に召されました。

ほんとに長い間、皆さんにお祈りいただいて、もうそれが「すべて神さまの時がある」というみことばの通りなんだなっていうのをほんとに見せていただいたなと。私も父が感謝の手紙を送っていたのを、藤本先生から伺って初めて聞いたことだったんですけれども、私も本当に父にも感謝ですし、またイエスさまに、ほんとに愛を示してくださったイエスさまに感謝です。

父も手記を残しておりまして、そこに洗礼の証しがあったので、ちょっとご紹介させていただきたいと思って、ちょっとお読みさせていただきます。
「神さまの恵みによる必然的な結びつきがあって、私は教会に導かれ、礼拝日に出席すると、大勢の皆さんから身に余る祝福を受け、若い人たちからも温かい言葉を掛けられました。力強く励まされて、実社会では体験できない、明るく安らかな雰囲気に浸り、生きていく上で意欲がみなぎるのを覚えて、教会へ行くのが楽しみになる」と綴っていました。

ほんとに皆さんとはなかなかお会いできなかったと思うんですけれども、ほんとに教会の家族として、主の祈りと使徒信条を皆さんと心を合わせて、声に出して読んでいたということを伺って、ああ、ほんとに温かい教会の家族だなとほんとに感謝です。長い間お祈りいただいてありがとうございました。家族を代表して、皆さまにも感謝申し上げたいと思います。
(藤本牧師――ありがとうございました。K子さん、お母さんが召されたのが、ちょうど11年だよね?(※2011年3月召天)
(AKさん)――そうです、母が2011年の3月5日に、皆さまに温かく送っていただきました。
(藤本牧師)――石井寛さんは、ずっと奥様の車いすを押して教会にいらっしゃったんですね。で、3月にお母さんが召されて、11月にご自身が洗礼を受けられた。ちょうど奥さまのところに、一緒に天国に行くということを楽しみにしておられたんですね。ありがとうございました。
(AKさん)――ありがとうございました。

K子さんは、礼拝の最後に一度来られて、「実は父は末期がんで、本人は治ろうと思っている」、でも多分医者は「止めた方がいい」ということで、
「本人をどう説得したらいいのか分からない。でもどうせその内本人も気づくだろうから、今いる施設のもの、全部片づけてケア・ホスピスという所に移ります」というご連絡でした。

私(藤本牧師)は直ぐ、施設にまいりました。
まいりましたら、クリスチャンの介護士さんがいまして、
「牧師先生でいらっしゃいます?」
「はいそうです」と言ったら、
「待ってました。待ってました」と。
で、お祈りをしに行きましたら、
「私も一緒に行かせてください」ということで、川崎の方の教会の信徒さんでいらっしゃいました。

入りましたら、すぐに気がついて、そして書棚にあった一つのファイルを出してくれと。
そのファイルには、聖書のみことばを短冊状に書いたものが貼り付けてある。びっしりですよね。
石井寛さんは、「私はこれを毎日読んでいます。声を出して」と。
「隣の施設の人に邪魔にならないように、声のボリュームに気をつけながら、毎日このファイルを声に出して読んでいます」と。
そのファイルをどうやって作ったのかを、私は聞きませんでした。
でも週報に書いてありますし、説教原稿も毎週送ってますし、そうしたものを全部ご自分で書き留めて行ったんだろうと思うんですね。

「聞いたものが、信仰によって結びつけられる」(へブル4:2)という言葉ですよね。2節のね。
どういうことかというと、見た聖書の言葉、聞いた聖書の言葉を、自分のこととして受け止めるということです。    
「信仰によって、結びつけない」ということは、自分のことではないと、すっとその前を通り過ぎる。
そういう者は安息を逃すということですよね。

石井さんは、私が部屋を出る時に、ガッツポーズで仰いました。
「先生、天国にたどり着けるまで頑張りますので、よろしくお願いいたします」と。
あ、もう天国を意識しているんだ。「治りますから、頑張ります」とは仰らなかった。
そして、お訪ねする度に仰るんですけど、
「教会の皆さんによろしくお伝えください」です。

よっぽど声をかけていただいたと思うんですね。よっぽど。
勿論YさんやKさんや、折に触れて見舞ってくださった方、電話してくださった方もいますけれども、
本当にいつも「教会の方々によろしくお願いします」ということでございました。

私は申し訳ないんですけれど、淡々と週報をお送りしてきました。
皆さんにも申し訳ないんですけれども、週報や説教原稿や色んなことに、牧師が一筆を書くのは止めようと、2020年の頭ぐらいに決めたんですね。
一切書くのをやめようと。
つまり書くとなんか「献金だけを送りなさい」と言っているような感じがするじゃないですか(笑)。
分かりませんよ(笑)。皆さんはそういう風に受け取らないと思いますけれども、私(藤本牧師)は受け取るかもしれない。
だから一切書くのは止めよう。「どうしてますか?お祈りしてますよ」と書けば書くほど、なんかそういう雰囲気になってしまうので、牧師は書かない。
ただ送り、お祈りし、皆さんが互いに牧会されればいいんじゃないかと。

そういう中で、コロナ禍の3年というのは、石井さんのことは全く見えなかったですね。
ですから、(召されるのが)もう直ぐだっていうこともびっくりでしたけれども、さらにびっくりしたのは、「毎朝、主の祈りと使徒信条を読んで、みことばを読む。そしてお風呂に入ったら讃美歌を歌う」。
施設の方が仰っておられましたけれども、「どこでどういう讃美歌か分からないんですけれども、どうやら教会で習った讃美歌らしくて」と。
そんなに石井さん、讃美歌、歌っていたかなぁと思うんですけれども(笑)。
「でも、確かに讃美歌です」と施設の方は仰っておられました。

ホスピスに移ってから、お嬢さんに言って、「主の祈りと使徒信条を読みたいから(そのファイルを)出してくれ」と。
そして、それを声に出して読むことができたんですね。
そして聖餐式にあずかって、私(藤本牧師)が帰って直ぐに、息を引取ったというご連絡をいただきましたので、一時間位で息を引取られたんだと思います。

みことばが信仰に結びついて、神さまが待っていてくださった、約束の地に入るって――ああ、こういうことなんだなぁと思いました。
人によって、必ずしもみことばだけではないと思います。
讃美歌の場合もあるでしょうし、或いは観た映画の場合もあるでしょうし、或いは家族の祈りであるかもしれません。
だけど、それらをいい加減なこととして受け取らないように。
例えばご両親が「あなたのために祈っているから」と言ったら、「祈らなくてもいいよ」なんて口が裂けても言わないように。

ね、自分のこととして受け取る時に、神さまはそれを受け止めて、「信仰によって、この人は結び付けているのだな」と理解してくださいます。

☆お祈りをして終わりにいたします――藤本牧師

恵み深い天の父なる神さま、心から感謝いたします。なぜなら、「あなたは待ちに待って、一人でも滅びることがないように(Uペテロ3:9)というその一人のために、私たちを待ち続けていてくださいます。どうか、福音のみことばに応じることができるように。

時に私たちは悪魔の言葉に応じてしまい、或いは不安の言葉、怖れの言葉に応じてしまい、しかし福音の言葉はいつも希望に溢れ力強く、愛に満ち平安に溢れています。どうか、それらのみことばが私のためにあると、信仰をもって受け止めることができますように助けてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。

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DATE: 2023.06.04 - 21:59
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