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::: 説  教 :::


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Name   T・Y
Subject   6/25 へブル(11)弱さに同情してくださる大祭司 へブル4:12〜16
File  
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☆聖書箇所 へブル4:12〜16

 12神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄を分けるまでに刺し貫き、心の思いやはかりごとを見分けることができます。
13神の御前にあらわでない被造物はありません。神の目にはすべてが裸であり、さらけ出されています。この神に対して、私たちは申し開きをするのです。
 14さて、私たちには、もろもろの天を通られた、神の子イエスという偉大な大祭司がおられるのですから、信仰の告白を堅く保とうではありませんか。
15私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯しませんでしたが、すべての点において、私たちと同じように試みにあわれたのです。
16ですから私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、折にかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。

☆説教 へブル(11)弱さに同情してくださる大祭司

前回、へブルの手紙から、「神のことばは生きている」という、ちょっと映しますね。
このことばから、前回始まりました。
【画面:へブル4章12節全文にオレンジのハイライト。「ことば」に黒ペンで囲み】
<へブル4:12>
   12 神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄を分けるまでに刺し貫き、心の思いやはかりごとを見分けることができます。

そしてこのみことばによって、私たちは神の御前に立つわけですね。
【画面:へブル4章13節「申し開き」に黒ペンの囲み】
その時に、私たちはすべてがさらけ出されていて、「この神に対して私たちは申し開きをする」という、このみことばを見ていただきました。

エレミヤ書のことばも引用いたしました。
エレミヤ17章の9節に――「人の心は何よりもねじ曲がっている」――昔の訳ですと「陰険で」ですね。
この狡猾で、ねじ曲がった心の底にみことばはすっと入って行って、そしてそれら全部(隠れた陰険さ)を明らかにしてしまう。

刺し貫いて、私たちの心の思いを見極めてしまう神の御前に、あなたがたは立って申し開きをするのです、と言うのですよね。

前回確認したことは、「神のことばは生きている」――「生きている」というギリシャ語はエネルゲオー。
エネルギーであって、みことばのエネルギーというのは必ずプラスに働く、という話をしました。
私たちを悔い改めに導くかもしれませんけれども、それはいのちに導くためであり、神の愛を理解するためであり、また希望を与えるためであったと。

でも(13節)最後の「申し開きをする」という言葉は、やっぱり恐れを感じますね。
それは申し開きできることなど何一つないことを、私たちはよく分かっているからです。
隠れた罪があり、またねじ曲がった心があり、怠慢さもあり、
「これはどうなっているんだ」と示されたら、何一つ申し開きできることがないことは、私たちもよく分かっているからです。

それで今日は(へブル4章)14節から見ていただきます。
これが前回の部分ですね。14節、こう始まります。
【画面:へブル4章14節「神の子イエスという偉大な大祭司がおられるのですから」にオレンジの傍線。「信仰の告白を堅く保とうではありませんか」に緑のハイライト】

   14さて、私たちには、もろもろの天を通られた、神の子イエスという偉大な大祭司がおられるのですから、・・・

ここから始まるのですけれども、この13節の「申し開きをするのです」という恐れに向かっていくために、この手紙の記者は実は、16節を言いたいんですね。
16節は次のページになりますが――
【※ページをめくって、画面:16節「折にかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。」にオレンジのハイライト】

16ですから私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、折にかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。

というのは、「大胆に神の御前に出ようではありませんか」という、
「申し開きをする」という、一目見て、くっとこう自分の身を引いてしまう所から、
実はこの手紙の最後の部分というのは、「大胆に神の御前に出ようではありませんか」(という勧め)、
しかも、「折にかなった助けを受けるために」という風に言葉が終わっているのは、実に意味のあることです。

1)今見ていただきました「大胆に」(16)という言葉に注目していただきたい。

辞典を調べましたら、「大胆」という言葉はこういう風に解説されておりました。
普通の人なら、怖がったり、遠慮したりしてできないようなことを、思い切ってやってのける様子。
「普通の人なら、怖がって、遠慮して、できないようなことを、思い切ってやろうではありませんか」という風に、
へブル人への手紙の記者は、私たちを神の御前に招くわけですね。
「近づこうではありませんか」(16)――「怖がるな、遠慮するな、思い切って、常識を超えて、勇気をもって、わたしに近づきなさい」と神さまが招いておられます。

日本には山岳信仰という信仰がありますよね。
山々を神として、そして神に近づくために登って行きます。
山岳信仰の方々によくあるフレーズとして、「六根清浄」というのがあります。
「六根清浄、六根清浄」と唱えながら、山を踏みしめて登って行くわけです。
「六根」とは、六つの根と書きますけれども、その六つは、目、耳、鼻、舌、身(からだ)、意思(こころ)、この六つに宿る欲です。
それを「清浄」――「きよめてください」と言いながら、神であるその山を汚すことがないように登って行くわけです。
そこにはもちろん恐れもあります。驚きもあります。でも「神に近づきたい」という人の願いがあります。

それと似たような観点で、「神のみことばは、私たちの隠れた心を隅々まで貫き通します」とこう言っておきながら、
私たちは自分自身で、目、耳、鼻、舌、身、心の6つの欲をきよめる修行をするのではなく、
「ただ単純に、イエス・キリストという大祭司を通して、この大祭司を信頼して、折にかなった恵みを受けるために、神の御座に近づきなさい」と言っているんですね。

2)大胆に御前に近づく根拠があるとしたならば、大祭司キリストがおられるからです。

それでもう一回14節に戻っていただきたいと思うんですが、ちょっと読みますね。

   14さて、私たちには、もろもろの天を通られた、神の子イエスという偉大な大祭司がおられるのですから、・・・

この「大祭司キリスト」というのが、へブル人への手紙のテーマです。
で、ここから先、いよいよそのテーマの説明に入って行きます。

「神の座に近づく」ということは、尋常なことではありません。
旧約聖書には神殿という言葉がありますけれども、旧約聖書の神殿には神殿の一番奥に聖所があります。
その聖所の奥に至聖所というのがあります。最も聖なる、holy of holiesって英語で言いますけれども、そこに神の座があるわけです。
聖所の奥にある至聖所に入って行くことができるのは、大祭司のみです。
そして多くの動物のいのちである血を携えて、神殿の聖所となっている個所のさらに奥にある神の座、贖いの座と呼ばれていますけれども、そこに生贄の血をふりかけに行く。そして民の罪の赦しを祈るのが大祭司です。

旧約聖書には、二つの偉大な職があります、一つは預言者。
預言者は神に代わって、民に語ります。
もう一つは大祭司。
大祭司は民に代わって、神の御前にとりなしをします。
預言者は神に代わって民に語り、大祭司は民を代表して、神の御前に彼らの罪をとりなす存在ですね。

大胆に神の御座に近づいて、自分でいけにえを捧げて、いのちを落とした南のユダの王国の最大の王さま、五十数年間王座にありました。ウジヤという人。
自分でいけにえを捧げようとして、そして聖所に入って行った時に、彼の額に白い斑点が現れ、やがてその病気をもって彼はいのちを落とします。(***U歴代26)

ですから、「聖所に近づくな」という教えが旧約聖書にはびっしりです。
まして、至聖所の中にある『契約の箱』、それに触れた途端にいのちを落としたという人物の話も出てまいります。(***T歴代13)
ですから、この箱とどういう距離をもって、この箱を運びながら荒野を旅したか(***ヨシュア3、6)という記述もある程、
私たちの罪を赦す至聖所ではありますけれども、そこに近付くということの恐れ多さを延々と語っているのが旧約聖書です。

しかし新約聖書では「大胆に、折りにかなった助けを得るために」(へブル4:16)と言うものの言い方は、先程のオリーブの賛美で言うならば、「今日のあなたに必要な助けを得るために」です。
自分のいのちがかかっているような、ものすごく大きな出来事、それだけではない。
罪深さという自分自身の存在のために、神に赦していただくために神に近づく、それだけでもない。
「折にかなった助け」というのは、私たちの日常にとって、「その瞬間その瞬間必要な助け」を得るために、ですよね。

この前、最近洗礼を受けた信徒さんが、ある信徒さんに聞いたっていう話を聞いて、
大学で講義をされるんですけれど、「講義の前にお祈りをした方がいいのか?」と言う。
私(藤本牧師)は全然しないです(笑)。
私は全然しないんですけれど、その方の質問を聞いて、「あ、私もすべきかな?」っていう風に逆に考えさせられました。

ありとあらゆることにおいて、「折にかなった助け」を祈らずとも与えられているのを当然として受け止めてしまうのが私たちです。
気がつかないところで――先程の賛美にありましたよね――様々な助けを送っていてくださり、気がつかないんですよ。
でも「神さまは、折にかなって、私たちを助けてくださっている」ということを自覚するためにも、「祈る」っていうことは大切ですよね。

今日の午後、私と光楽さんは、この土地の地主さんの所に交渉に出かけて行きますけれども、このためにず〜っとず〜っと祈ってまいりました。
それは交渉の最初の言葉が何から始まるのかも分かりませんし、それからあちらの印象がどうなのかも分かりませんし、まさに「折りにかなった恵み」を得るために、神に近づき神の助けを願う以外に方法はない、ということはよく分かっているわけです。
そういう助けを貰うために、いつでも大胆に、あなたが病院の検査を受ける前に、受けている途中も、その結果を聞きに行く前もですね。
子どもの小さな病気から始まって、そして何かを選ぶ時も、いつでも神の御前に大胆に出て来なさいと。

ウジヤは少し傲慢な気持ちで「祭司なんかいなくても、自分で何とかなる」と思って入って、そして彼はいのちを落とすんですよ。
でも私たちはありとあらゆる問題課題のために、主の御前に祈ることができるのは、イエス・キリストが大祭司であり、ご自身が十字架に流された血を、私たちの贖いのいのちとして、聖所で持って待っていてくださるわけです。

キリストが十字架に架かられた時に、至聖所と聖所を隔てる所の壁が、幕が、垂れ幕が真二つに裂けたと聖書に書いてあります。
それは、もはや至聖所に入ることができるのは、大祭司だけではない。
私たちは誰でも、神の助け、恵みを得るために、大胆に恵みの座に出ることができる。
それはキリストがご自身の血を流しただけではない。
そのご自身のいのちをもって、私たちのために、大祭司のようにとりなしをしてくださるからですよね。
私たちと神の間に入って、私たちのためにいつでもキリストは、私たちに代わって申し開きをしてくださるからですね。
だから、へブル人への手紙の記者は、
「神のことばは生きていて、あなたのねじ曲がった心を全部突き通すように明らかにする。この神の前で、申し開きをしなさい」と言うんですけれども、
次の瞬間、申し開きをしてくださるのは、イエス・キリストだということが分かりますよね。

聖霊は「傍らに呼ばれる者」というのが、イエスさまが聖霊について仰ったことばですね。
「パラクレートス」って言いますけれども、「傍らに呼ばれる者」。
一体どういうことかと言いますと、聖霊はあなたの弁護士ですっていうことです。
あなたを弁護する。聖霊はあなたの検事ではない、あなたの弁護士だと。
聖書を見ますと、大祭司ヨシュアは、悪魔によって責め立てられますよね(***ゼカリヤ3)。
その時、神の使いが間に入って、逆にサタンを責め、そして大祭司ヨシュアを守りますよね。
そのようにして、聖霊もキリストも、いつでも私たちのために申し開きをしてくださる。

3)この大祭司キリストは、万物を足の下に置きながら【――これは2章の表現ですけれども】一つ特徴的な言葉があります。

ちょっと見ていただけます?(へブル4章)15節――特徴的な言葉ですね。
【画面:へブル4章15節「私たちの弱さに〜同情できない」「すべての点において、私たちと同じように試みにあわれた」にオレンジの傍線。「弱さに同情でき」と「同じように試みにあわれた」に緑のハイライト】

15 私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。(***これが最大の特色ですね、と説明)罪は犯しませんでしたが、すべての点において、私たちと同じように試みにあわれたのです(***なるほど、と納得する藤本牧師)。

弱さに同情できる。罪は犯さなかった。しかし、私たちと同じように試みにあわれた。すべての点において、と書いてあるんですね。

前に話したことがありますよね。
バチカンの聖ペテロ大聖堂のところに、バチカンの最大の財産の一つと言ってもいい、ペテロの像があります。
そして、バチカンのあの辺りというのは、14〜15世紀に建てられた。ま、増築増築をしてますから、何とも言えないんですけれども。
バチカンはありとあらゆるものを修復します。特に聖画の修復に関しては、日本の科学技術も随分貢献いたしました。
MRI、CT?CT撮って、上塗りの修復の絵の具を全部落とし、そして長い間積み重ねられたススを綺麗に落とし、そして原画が出るように――あれは日本の技術ですよね。
修復作業というのは、1970年位に始まったんですよね。
そしてもう修復終ったんですかね。全部の美術品と言いますか、全部の像と言いますか。

でも、そのペテロが座っているペテロの左足は修復しない。
その左足っていうのは、あまりにも多くの人が、それに触って、跪いて祈りますから、指の形をしていないんですね、もはや。
真鍮なのか、青銅なのか分かりませんけれども、私(藤本牧師)は見に行ったことがあります。
丸〜くなってしまっていて、指の形がないんですよね。
それは修復しない、っていうのは、それは大切だから。
そして人々がそこまでペテロの足に触るっていうことを、教会は重んじて来たからですよね。

で、私たちはペテロの足に触る位だったら、イエスの足に触れ、ってこう思いますよ、単純に。
だけど、私たちでさえ、多分ペテロの足に触りに行くと思う。
それは単純に、ペテロはイエスを否んだという、大失敗を犯します。
しかも三度否んで、「私はあいつのことは知らない」と呪ってまで否みますよね。
それ程の失敗をしたペテロに、むしろ私たちは好感を寄せるものです。

キリストは弱さに同情できる。罪は犯さなかった。しかしすべての試練に遭われた、
と言うと、試練に打ち勝つ力があり、なおかつ罪を犯さなかったのかと?と。
やっぱり立派なんだ、って思うじゃないですか。思いますよね。
そしたら、失敗を犯してしまったペテロに、むしろ同情と言うんですか、同情の強さを覚えて当然なんですけれども――

イギリスのC.S.ルイスが、「キリスト教の精髄」の中でこんなことを言っています。
これ、映せますよね?【画面:原稿を映して読む】
私の原稿なんですけれども、映してもいいと思います。
「キリスト教の精髄」というのは、C.S.ルイス全集の中で最も厚いですし、単体で2000円位で買えますね。

――ここから読み始め――
 善人は誘惑の厳しさを知らないというばかげた考えがまかり通る。善人は誘惑の厳しさを知らないなど、全く嘘である。誘惑に必死で抵抗した人たちだけが、誘惑の強さを知っている。たとえば、ドイツ軍と戦った人たちだけが、ドイツ軍の強さを知っているのと同じである。
(※C.S.ルイスはイギリスですから、第二次世界大戦最中、戦後、こういう文章を記したわけですよね、敵軍と戦った人たちだけが、敵軍の強さを知っている、と説明)
ドイツ軍に降伏した人びとには(※敵軍の強さは、を入れて)わからない。風の強さを感じるのは、風に抗して歩いているときであって、寝ているときではない。誘惑にかられて、5分もしないうちに負けてしまう人に、誘惑の強さはわからない。その意味で、悪人こそ、悪の恐ろしさを知らない。悪に屈することで、人生を守ってきたのだから。
 私たちは、自分の内側にある誘惑と戦おうしない限り、その誘惑の強さなどわからない。キリストは誘惑と徹底して戦われたということは、逆に誘惑の強さを現実的に最もよく知っておられる。
――ここまで読み終わり――

ということなんですね。
誘惑の強さを、逆に現実的に最も良く知っておられるキリストが、私たちに同情してくださる、というのは、
私たちの弱さを知っておられるだけでなく、私たちに飛びつくところの誘惑や、サタンの力も、また悪の世界も、厄介な世界で私たちが負けていることも、よく知っておられる。
大祭司は、悪の強さも、また私たちの弱さも知っておられる。

19世紀にイギリスのモネと呼ばれる、ジョセフ・ターナーという画家がいます。
私はターナーのことを、「嵐に取りつかれた人」という風に呼びますけれども、
オランダの画家で皆さんの週報の裏面に、一枚の絵を載せておきました。
ちょっとこれも映しますね。
【画面:週報裏面のターナーの書いた嵐の中の帆船の絵】⇒絵画の動画写真を添付しています。クリックしてご覧ください。
こういう絵ばかりなんです。
それで彼の絵には、嵐の中でも、必ず希望を感じるような光があるんですけど、
この場合、船が難破していますよね。船が二つに折れてしまっている。
向こうに一隻、帆船がまだありますけれども、彼は、荒れ狂う海――これは人生なんでしょうね。
そしてその先に見えて来る希望の光っていうのを、いつもこう絵で表現しています。
ジョセフ・ターナーっていうのは、こういうスペルなんですけれども、「Joseph Tunner オランダ」で、グーグルで検索しますと、すぐに彼の幾つもの嵐の絵が出てまいります。

彼はこういう作品を描くために、オランダの海岸で、地元の漁師にオーダーしました。
「次に海がしける時に船を出してほしい」と、彼は何回も依頼しているんですよ。
「次に嵐が、海が時化る時に、船を出してほしい」
大しけの日に船が出ます。そして彼は船員に、自分をそのマストのところに堅く縛り付けてくれと頼みます。
それを彼は何度も体験し、襲い来る波しぶき、そして揺らぐ船、大風、それを受け止めて大波のしぶきの絵を描けるようになる。
つまり私たちには、大波のしぶきの絵は描けないですよね。
そもそも絵の才能がない、というだけでなく、その大波の勢いというのが、体験してみないとやっぱり分からないでしょうね。

すると、キリストは体験された、十字架の恥も苦しみも――
自分が、めんどりがひなを集めるように、イスラエルの人々を集めながら、彼らはそれを好まなかったという失望も涙も、それを全部キリストは体験されたという、
その方が、勿論キリストは悪魔の誘惑も体験しておられますけれども、私たちを助けることができる。
この一貫したこのテーマは、(へブル)2章の18節に出てまいります。
これからず〜っとこういうテーマなんですけれども、ここにありますね。
(※18節を指差して読む)
【画面:へブル2章18節「自ら試みを受けて」以下全文に山吹色のハイライト】
<ヘブル2:18>
18イエスは、自ら試みを受けて苦しまれたからこそ、試みられている者たちを助けることができるのです。

この一行でもいいんですけれども、もっと詳しく言うならば、彼は大祭司であり、苦しんでいるだけではない。
私たちを罪から贖い、悪魔に打ち勝つ力を与え、時に負けてしまった時に、再び私たちを立たせることができる――それは自ら試みを受けて苦しまれたからこそ、大波を受けている私たちを助けることができると。
 

☆お祈りをして終わりにいたします――藤本牧師

恵み深い天の父なる神さま、日常的な一日の様々な課題も、また私たちを苦しめる人生的な課題もすべてお父さまのもとへ持って行くことができるのは、御子イエス・キリストが私たちのために地上に来られ、私たちのために十字架に架かられ、私たちのために復活を遂げられ、私たちのために大祭司となられたからです。
申し開きの出来ないことを、イエスさま、あなたは申し開きをしてくださる方であります。ですから自分がどれほど神から遠い存在だったとしても、申し開きをしてくださるお方が、直ぐ傍にいることを感じながら、あなたの御前に祈ることができるようにお助けください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。


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