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::: 説  教 :::


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Name   T・Y
Subject   7/2 聖餐式・高橋正義さん追悼:みな海を通って行きました Tコリント10:1〜4
☆聖書箇所 Tコリント10:1〜4

1兄弟たち。あなたがたには知らずにいてほしくありません。私たちの先祖はみな雲の下にいて、みな海を通って行きました。
2そしてみな、雲の中と海の中で、モーセにつくバプテスマを受け、
3みな、同じ霊的な食べ物を食べ、
4みな、同じ霊的な飲み物を飲みました。彼らについて来た霊的な岩から飲んだのです。その岩とはキリストです。

☆説教  聖餐式・高橋正義さんの追悼:みな海を通って行きました

先程お話をいただきましたTKさん、そしてYHさんが今まだ現役でいる教会の最長齢になります。
その次がYMさん、YKさんがその先になりますかね。Mさんは結婚されて、私たちの教会員になりました。
当時まだ藤本の家族がこちらの教会に赴任した時に、私(藤本牧師)は幼稚園生、そして姉(※奏楽の戸塚祝さん)が小学生でありました。
その頃からの私たちを知っていて、一緒に主に仕えることができた方々が、どんどん代替わりするかのように天国に召されて行く中、私たちは勿論寂しさも覚えます。

しかし高津教会の最大の力というのは、後に続く世代が続々といるということにあると思います。
先の世代は決して手を抜かない。生かされている限り、最善をもって主に仕える。
でもその信仰の遺産は次の世代、また次の世代へと降りて行っている。
その世代が核になる世代が、順番に同じように育って、同じように主に仕えておられるというのが、私たちの教会の最大の誇りであると思います。
ちょっと高橋さんの話をして、そして今日の聖餐式につなげていきたいと思います。

毎週日曜日の夕方に、溝口で路傍伝道をしていました。
私がまだ小学生の頃から、高橋さんは背が高かったので大体トロンボーンを担当し、そしてNさんもトランペットだったかなぁ?太鼓?で、そういうチームで伝道していました。
Oさんも一緒に加わっておられました。

今から40年位前に私たち夫婦が高津教会に赴任した時に、高橋さんは肝臓の薬を沢山飲んでおられました。
塗装がお仕事でしたので、シンナーで肝臓がやられてしまったんですね。
それで高橋さんは水泳を始められて、そして持ち前の才能もあったんですけれども、ぐんぐん上達して、様々な大会に出て行かれるようになりました。
宣教地に行きますと、いつも建物の内側を見ながら、「ああ、ここをこうすれば、こう塗れば」と思っておられました。
高橋さんは最後の最後まで、(※背後の白い壁を示して)この正面は高橋さんのペンキです。
で、代替わりした息子さんに、その白い壁を(※と左手で会堂の壁を指差して)全部塗らせたんですね。
私はそれを見て、あ、息子さんの仕事を、お父さんは十分に評価されたんだなぁ(笑)と、もう本当にこの教会の塗装に関しては誰にも譲らない(笑)という位の誇りをもっておられたので、息子さんのMさんの力量を立派にお認めになったんだなぁという風に思いました。

先程ギデオン協会での聖書頒布の話も出ていましたけれども、
高橋さんは息子さんに仕事を譲られてから、宣教地を4回廻りペンキを塗り、
そしてギデオン協会の聖書頒布の働きに本格的に人生を投入し、川崎南部の支部長になっておられました。

その人生の、ま、信仰生涯の絶頂期と言える時期に、一番下のN君が先に天国に帰られました。
2011年、震災の年の9月。息子さんは39歳。
小学校1年生の息子、二歳の息子を残しての出来事でありました。
小学校一年生の息子さんは、先週金曜日(6/29)の葬儀では、大学一年生になっていましたので、時の経つのの速さを感じました。

あまりにも痛々しい出来事でありました。
その悲しみの出来事の中にあって、イエスさまのような、人の悲しみを知る人に変えられて行きました。
高橋さんの口からは、これ程信仰生涯で順調に行っている中、人生の晩年にこんな試練に遭うとは思わなかった、というのが実際でありました。
でもその試練に遭うことによって、絶頂期の信仰生涯の次元がもう一つ上に上がる。
それは恐らくアブラハムの生涯でもそうですけれども、試練に遭わない限り、上の段階には上がれないのではないか?
ヨブもそうです。ヨブも敬虔な人物で神さまの祝福を受け、しかし、家族を失った時、そして自分が病んだ時に、別の次元の信仰へと上がって行きます。

以前神戸から川崎に引っ越して来られ、信仰熱心なOSさんがいらっしゃいました。
Sさんはがんが再発した時に、私(藤本牧師)の所へ来られて、「お願いがあります」と。
「神戸から来たばかりで、教会員の中にこれという友だちがいない。先生、友だちを紹介してください」と。
「何か相談するわけではない。一週間のしんどさを共に祈ってくれ、聞いてくれるようなお友だちが欲しい」と。
私は逆に「Oさんの方で考えておられる方はおられますか?」という風にお尋ねいたしましたら、OさんはTKさんを指名されました。
何となく人の悲しみの分かる人として、Kさんを慕っておられたんだと思います。

悲しみの人となって、イエスの十字架の恵みを改めて味わう。
人生の試練の中で、神の愛を改めて理解する、というのは、恐らく私たちの人生のゆく道、皆が経験することで、それを免れる人はいないのかもしれません。

で、ま、私は神学的に色々考えて、私たちはメソジストのきよめ派に属しますけれども、
きよめ派は「聖霊によって、私たちの罪、聖められる」という神学を持っていますけれど、
私はもはや聖会ではそういう風に語らないです。
聖霊の力と試練、試練なくして、人はきよめられることはない、と思っています。

N君の納骨式の時に、食事会を横浜の中華街でなさいました。
よく事業の関係でそこを使ったと仰っておられました。
どうやってこの食事会が始まるのかなぁと見ていたら、お父さんがすっと立ち上がって挨拶をされました。
挨拶の言葉が、私はやっぱり高橋正義さんの人生で一番印象に残った言葉だと思います。
こう仰いました。
「あの震災の日、大きな津波がやって来るとアナウンスが流れた、と聞いています。
漁師さんの中で、それを聞いて、一生懸命船を何とか港に括りつけようとした、その船はすべて流され壊れてしまいました。
でも漁師の中に数名の方々が、津波にやられまいと逆に船を海に向かって出した。(津波が湾内に入る前に、乗り越えようとした)その船は全員助かった。
ですから、私たちもこの試練に遭って、船を括りつけるのではなく、逆に船を出します。
神さまが必ず私たちを助けて、悲しみと絶望という津波を乗り越えさせてくださると信じ、船を出します」
っていう驚きの証しをなさったんですよね、家族を前に。

私(藤本牧師)はもうびっくりしてしまって――
《深い悲しみの中でも神さまが支えてくださる、そして聖霊が家族の人生をなおも先に進ませてくださる》という静かな決意で、
この決意が、ご夫妻の信仰をさらに上の次元へと上げられたんだろうと思います。

話は飛びますけれども、共にあずかる聖餐に繋げますので、ちょっと聞いてください。

暫らくして、福音主義神学会の全国の研究会に私(藤本牧師)は出席しておりました。
私が出席していた分科会のテーマは説教でありまして、
ある先生が講演をなさり、その後に応答する先生が質問をされました。
「先生、説教者は、自分が真実に体験していないことを説教できると思いますか。私はできないと思います」
って質問されたら、講演をなさった先生も
「私もできないと思います」と仰ったんです。
で、私は直ぐに手を上げて、お二人にお尋ねしました。
「牧師ってそんなレベルで説教をしているのでしょうか」と、実際。

そうして、私は高橋正義さんのご子息を亡くした納骨式の後の挨拶を皆さんに紹介したんですね。
研究会に集っている先生方の前で、私はその話を短くして、
「そして高津教会の皆の前でその証しを紹介して、そして高橋さんの生涯の出来事を一個人の出来事とはしていません。私たちは教会全体の出来事として、理解しています」と。
私が何か話す時、教会の誰かの話を引用する時に、それは一個人の何か体験として話しているのではない。
Mちゃんが結婚すれば、その喜びはT家の喜びだけではない。
それは教会の喜びとして、私たちは週報に載せ、私は説教で引用して、共に祝福を祈ります、という話をしました。
《教会も信仰共同体》ってそういうものではないんでしょうか?と。

すると、高橋さんの証しを聞いた先生方は、「なんてすばらしい証しなんでしょう」と、そちらに感動されたんですが、私(藤本牧師)の意見には全くスルー(※聞き流し)なんだぁと思って(笑)。
「いい話ですねぇ」「そういう方がおられる教会がうらやましいです」っていう風に、なんか感激はされたんですけれども、
《教会は信仰共同体で、一人の体験を教会皆が共有し、牧師は自分が経験していないことでも、それを自分のことであるかのように語ることができる》という話はスルーされました。

私はね、それでも自分の発した質問、考え方は適切だと思っているんです。
教会は一つなんですね。
で、もう時間があれですけれども、ちょっと今開いていただいたコリントの手紙(第一)の10章の先にあります、12章の26節を見てください。
パウロはこう言っています。映しますね。
【画面:Tコリント12章26節全文に黒ペンで傍線と緑の傍線(二重に)26節の上の余白に「助け合い」という黒ペンの自筆の文字。27節「一人一人はその部分」に緑の傍線】

<Tコリント12:26〜27>
26一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。
27あなたがたはキリストのからだであって、一人一人はその部分です。

この教会のあり方をパウロはず〜っと語っているんです、で、その始めが10章、この聖書を映したままでお願いしますけれども、この10章のここから始まります。
【画面:Tコリント10章1節「みな雲の下にいて皆海を通って行きました」に薄いオレンジのハイライト。2節「雲の中と海の中で、モーセにつくバプテスマを受け」3節「同じ霊的な食べ物を食べ」4節「同じ霊的な飲み物を飲み」にオレンジのハイライト】

<Tコリント10:1〜4>
1兄弟たち。あなたがたには知らずにいてほしくありません。私たちの先祖は(***イスラエル、と説明)みな雲の下にいて(***出エジプトの出来事で神が導いてくださった、そしてやがて、と説明)、みな海を通って行きました(***紅海を二つに分けてくださった乾いた道を、神の奇跡を体験した、ということです、と説明)。
2そしてみな、雲の中と海の中で(***神の働きの中で、と説明)、モーセにつくバプテスマを受け、
3みな、同じ霊的な食べ物を食べ(***マナですね、と説明)
4みな、同じ霊的な飲み物を飲みました(***メリバのほとりで神さまが清水を噴出させてくださった、メリバのほとりの水を飲みました、と説明)。彼らについて来た霊的な岩から飲んだのです。その岩とはキリストです。

これ、見たら分かるように、「みな」「みな」が続き、
「みな」「みな」、そして「同じ霊的な食べ物」「同じ霊的な飲み物」という風になって来て、
最後、「その岩とはキリストです」ということは、「イスラエルの出来事の話はみなキリストに繋がります」という形で終わっているわけです。

イスラエルの人々は奴隷のエジプトから解放された時に、単なる烏合の衆(うごうのしゅう)でありました。
まだ民となってないからですね。互いも良く知らない、何十万の民です。
まだまだ旅路は長い。始まったばかり。これから荒野を行く。約束の道は遠い。
その信仰の幼い。自立していないし、共同体としても成り立っていない。
しかしこの出来事を通して、決定的に彼らは変わった、という風にモーセは言っているんです。

彼らは海の真ん中を通った民となった。
神の救いをその目で見た民たちに、彼らは変えられた。
そして生きている限り、その日の出来事が彼らの人生を決定づけたと言うんですね。

新約聖書に、そのようにして私たちの人生を決定づける出来事があるのか?
私たちは見ず知らずの互いかもしれない。
KSさんは高津教会員として登録されますけれども、教会の庭の植木は刈ってくださいました。
抜群の腕で刈ってくださいました。
しかし礼拝には一度も出てない。
でもこの方を、私たちの教会の家族として認めることができるのは、何もKさんのお父さんだからではない。
何もKさんのず〜っと祈って来られたことを、私たちが知っているからではない。
それは洗礼を受けたからです。

中には、時間的に洗礼を受けることができなかった、Tさんのご主人のような方もいらっしゃいます。
しかし私は行って、きちっと顔を合わせて、ご主人と最後のお祈りをいたしました。
そしてそれがコロナの関係で手が届かない洗礼ですけれども、私はぽっと言って、iPadの上に手をかざして、ちょうどTさんの頭の上に手が載るようにして、そして洗礼のお祈りをいたしました。

イスラエルの人々は互いによく分からないかもしれない。そして生まれたばかりの者もいれば、エジプトの奴隷を人生もうほとんど経験して来た人もいるかもしれない。
しかしこの《「海を通る」という経験を、出来事を通して、彼らは一つの民となった》ということをパウロは言っているんです。
それがキリストの十字架と復活を信じるという出来事であって、これから先あなたがたはコリントにあっても、テサロニケにあっても、一つの教会に繋がり、なんと一つの民です、と。
アンテオケの教会には、全く接触のなかったユダヤ人と、それから非ユダヤ人と、両方いました。
だけど、それが一つの民となって、そしてパウロとバルナバを宣教旅行に送り出していくことができる。

私たちクリスチャンにとって、《キリストの十字架と復活と自分を重ねるバプテスマ》は、《私たちを一つにし、私たちのこれからの人生を決定的に決める》ところの神の恵みです。
罪の奴隷とされ、罪に支配されていた私たちを赦してくださり、その罪から救い出してくださり、同時に私たちは神の御前に生きるために、同じキリストの復活を体験するバプテスマにあずかる。
それは海が割れて両側が壁のように水がそそり立ち、その真ん中に乾いた道が出来上がり、海を渡るのと同じであります。
私たち誰もが、高橋正義さんのような経験をするわけではない。
誰もが、KSさんのような生き方、最期を迎えることができるわけではないかもしれない。
でもそれらの方々の経験はみな私たちのものとなる。
それは根底に、《キリストの十字架と復活にあずかる私たちは、一つのからだである》――一つの部分が苦しめば共に皆が苦しみ、一つの部分が尊ばれれば他の部分もみな喜ぶ――という事実が、この聖餐の恵みに現れているということを心から信じていただきたいと思います。

これは申し訳ないのですが、洗礼を受けた方だけが臨むことができます。
でもそうでない方も、この場におられて、私たちが祈る時に、その方の上にも同じ恵みが届いていると心から信じます。

☆聖餐式       ※以降を読みたい方は「聖日説教」へIDとパスワードでお入りください。説教の前の部分も、今回は格別に色々な良い証しもあります。

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DATE: 2023.07.02 - 20:36
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