☆聖書箇所 へブル5:1〜10
1大祭司はみな、人々の中から選ばれ、人々のために神に仕えるように、すなわち、ささげ物といけにえを罪のために献げるように、任命されています。 2大祭司は自分自身も弱さを身にまとっているので、無知で迷っている人々に優しく接することができます。 3また、その弱さゆえに、民のためだけでなく、自分のためにも、罪のゆえにささげ物を献げなければなりません。 4また、この栄誉は自分で得るのではなく、アロンがそうであったように、神に召されて受けるのです。 5同様にキリストも、大祭司となる栄誉を自分で得たのではなく、 「あなたはわたしの子。 わたしが今日、あなたを生んだ」 と語りかけた方が、それをお与えになったのです。 6別の箇所でも、 「あなたは、メルキゼデクの例に倣い、 とこしえに祭司である」 と言っておられるとおりです。 7キリストは、肉体をもって生きている間、自分を死から救い出すことができる方に向かって、大きな叫び声と涙をもって祈りと願いをささげ、その敬虔のゆえに聞き入れられました。 8キリストは御子であられるのに、お受けになった様々な苦しみによって従順を学び、 9完全な者とされ、ご自分に従うすべての人にとって永遠の救いの源となり、 10メルキゼデクの例に倣い、神によって大祭司と呼ばれました。
☆説教 へブル(12)共に死線を越える大祭司
前回へブル人へ手紙を見ていただいたときに、最も有名と思われる聖句、4章の15〜16節、ちょっとお読みしますね。 <へブル4:15〜16> 15私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯しませんでしたが、すべての点において、私たちと同じように試みにあわれたのです。 16 ですから私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、折にかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。
実はここから、大祭司キリストという働きの説明を、へブル人への手紙の記者はしていきます。 で、今日は5章の1節からですけれども、前回の続きであると理解してください。
1)「大祭司という働き」は、勿論日本人・私たちには分かりません。
旧約聖書を見て初めて分かりますので、記者はアロンという人物や10節からはメルキゼデクという大祭司の名前も出しながら説明していきます。 ちょっと1節を見ていただきたいと思いますが、映しますね。
【画面:へブル5章1節「人々の中から」「人々のために」2節「自分自身も弱さを身にまとっている」「無知で迷っている人々に優しく接することができ」に茶色のハイライト】
1大祭司はみな、人々の中から選ばれ、人々のために神に仕えるように、すなわち、ささげ物といけにえを罪のために献げるように、任命されています。
***この「人々の中から」「人々のために」という《人の側に立つ大祭司》。 ですから《キリストは神の御子であられるのに、全き人となられた》ということは、《人の側に立つ》という意味では、非常に大切な出来事であります。 2節にありますように――
2大祭司は自分自身も弱さを身にまとっているので、無知で迷っている人々に優しく接することができます。
《無知で迷っている人々に優しく接することができるのが、大祭司という職》だと言うんですね。 イエス・キリストは当時のユダヤ教の大祭司を批判しておられます。 果たして彼らが無知で迷っている人々に優しく接することが出来たのか?甚だ疑問でありますし、牧師である私が、そのように無知で迷っている人々に優しく接することができるのか?というのも甚だ疑問であります。
でもそもそも大祭司というのは、そういう役目を担うために、神によって任命されたという所から始まりますが、 その《優しく接する》という言葉をちょっと考えていただくためにお話をしていきます。
今日はMさんを初めてお迎えするということで、あえて私はこの話をこの聖句に織り込むことを考えました。 Mさんは、大学の頃に賀川豊彦という、日本で最も有名、世界で最も有名な日本人キリスト者の自伝に触れて、その生き方に感動して、大学生の時に障害児のボランティア活動をなさいます。 そして卒業してしばらくして、高齢者福祉施設、やがて障碍者の施設の働きを、志を同じくする方々と共に神戸で展開して行かれました。 その背後にあるのが、有名なコープ神戸です。
「コープ神戸」で検索されますと、賀川豊彦の自伝から何から全部出てまいります。 1909年(明治42年)クリスマスイブに、賀川豊彦は神戸の貧民街に移り住み、貧しい人を助け、キリストの愛を伝える働きを開始します。 当時、東洋最大と言われていたスラム街ですね、いわゆるスラムの長屋の生活です。 果敢に路傍伝道をされ、やがて互いに助け合う――それは経済的にも、精神的にも、生活的にも、仕事においても、学びにおいても、共に助け合う――それが生活協同組合。コープです。
コープというのは英語のco-operative(協同組合の意味) イギリスで始まりますけれども、しかし賀川は日本において、それをスラム街に持って来るという偉大な働きをして、現在の私たちのコープがある。 全国で日本のコープ会員って2500万ですか?もっといますか? その原点がコープ神戸ですね。
賀川豊彦先生というのは、戦後の日本統治を任されたマッカーサーが一番信頼していたキリスト教牧師です。 何回か東京に呼び出して、賀川豊彦とマッカーサーは面会をしています。 私たちの講壇にかつて立った黒川(知文ともぶみ)先生、黒川先生は大学の先生でしたけれども、今は世田谷の方にある賀川豊彦記念(資料)館の館長もしていらっしゃいますよね。 【※ホームページ「聖日説教」(リニューアル版では教会員のページ)で2020.9.12に「黒川知文牧師、資料館の館長にご就任」という記事を掲載しています。資料館のURLも最後にご案内があり閲覧できます。以下のURLをクリックすると資料館に飛びます。】 https://t-kagawa.or.jp/about_museum 黒川先生は香川(県)出身ですが、
賀川豊彦も徳島出身なんですね。 彼(賀川豊彦)は青年時代に洗礼を受けただけでなく、伝道者を志して、17歳で明治学院の高等部の神学部予科というのがありまして、ま、神学部に入るための準備ですよね。 更に19歳で、神戸神学校で彼は学び、その頃のことです。 自分がかつて病気で世話になった時の長尾巻夫牧師夫妻が、神戸で貧しい人たちを自分の家に泊めて、世話をしている姿に感動します。 そして21歳で、彼自身、貧民街に移り住みます。 彼の路傍伝道と救済の働きに感動した女性と結婚し、その二人は結婚式を挙げた直ぐその後、貧民街の家に帰り、二人で自宅で病人の介護や貧しい人々の世話をします。
やがて賀川豊彦はアメリカのプリンストン神学校に留学し、ご夫人は共立だったかな?女子大の方に学びに行かれ、そして整えられて、 「伝道と救済だけでは、このスラム全部を届くことができない。何とかして、彼ら自身が協同して生活を支えていく仕組みができないものだろうか?」 ということで、コープが始まって行くわけですよね。 それは教会の牧師という感覚では測り知れないです。測り知れない。 《無知で迷っている人々に、優しく接することができる大祭司》です。
牧師はそういう大祭司になれないのか? 多分なれないと思いますね。 という所を、今日一緒にお話ししていきたいと思うのですが――
2)《優しく接する》というこの言葉はギリシャ語で「メトリオパセオー」なんです。
パセオ―というのは、パッションとか、感情を表す動詞ですね。 非常に強い感情で、厳しい苦しみや、ま、情熱や、パッションってそういう風に、私たち使いますでしょう? そこに「メトリオ」という言葉がついている所がミソかなぁと思います。
実は「メトリオパセオ―」という言葉は、新約聖書でここしか出て来ません。 ところが、この言葉はギリシャ哲学では何回でも出て来ます。 ギリシャ哲学は「メトリオ」という言葉が好きで、哲学ですから理性を重んじますよね。 ですから激するような感情ではなく、「メトリオ」――適度に優しい感情。 つまり「メトリオ」という言葉は理性によってコントロールされ、常識的に良識的にきちっと枠の中にとどまっている、という感情を重んじるわけですよ。
そうすると賀川豊彦のような働き――採算を度外視し、身の安全を失ってまで《優しく、迷った人々に接する》――というのは、むしろ「メトリオパセオー」ではない。 それをはるかに越えて、愛のゆえに理性さえも犠牲にしていく。 ま、勿論コープという働きを考えるために、とてつもない理性を用いるわけですけれども、 良識的な常識の枠内にはまるような優しさではなかった、ということですよね。
誰一人として、牧師は自ら貧民街に居を構え、生活を共にし、伝道し、助けるというような働きに踏み出すことはありません。 これはギリシャ哲学で言うなら、(理性を失った行動)、いのちの危険を顧みない、家族を危険にさらす行動と考えたわけですよね。
すると、賀川豊彦の優しさはいったいどこにあったのか? それは(へブル)4章15節ですね。ちょっともう一回見ていただきます。映しますね。
【画面:へブル4章15節「私たちの弱さに同情できない」「すべての点において、私たちと同じように試みにあわれた」にオレンジの傍線。さらに「弱さに同情でき」「同じように試みにあわれた」に緑のハイライト】
<へブル4:15> 15私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯しませんでしたが、すべての点において、私たちと同じように試みにあわれたのです。
この「同情」という言葉は、いま一つ真意を伝えてないわけですが、どういう言葉か、ちょっと説明しますね。 先程の《優しく接する》が、メトリオ・パセオ―ですよね。 《同情する》は、スン・パセオ―です。 この「スン」という言葉は共にという、ま、接頭語と言いますけれども、色んな言葉の前につく言葉があります。 パラとか――パラは傍ら、スンというのは共に、ですね。
これは独特な言葉で、福音書の中ではイエスが人々、病める者たち、貧しい者たち、罪人を憐れむ時に、「スプランクニゾマイ」というギリシャ語が使われています。 「スプランクニゾマイ」というギリシャ語から英語の「シンクロナイズ」という言葉が生まれます。 ま、私たちはシンクロナイズド・スウィミングという風に考えますが、 英語の「シンクロナイズ」というのは、実は軍隊の用語です。 それは部隊が敵陣に四方八方から一斉に突入する時に、そのタイミングを計るために、時計を合わせるんですよね。それを「シンクロナイズ」と言うんですね。
そもそもの「スプランクニゾマイ」という言葉は――「シンクロナイズ」のもとになっているわけですけれども――《はらわたが動く》という言葉です。 《はらわたが動くほど、その人の苦しみ、悲しみに自分の心が共に動いていく》という。 単純に「可哀想に思った」「同情した」「ああ、可哀想だなぁ」ではなく、 《その人の苦しみに、自分を重ねに行く》言葉が「憐れむ」という言葉で、 そしてヘブル人への手紙では、4章の15節に 「キリストという大祭司は、メトリオ・パセオ―ではない、スン・パセオ―。 《人々の苦しみに自分を重ねに行く》大祭司であった」 という言葉になるわけですね。
すると、賀川豊彦の場合は、むしろ類稀れなキリスト者として、スン・パセオ―ができた人物。 メトリオ・パセオーは人間的なレベルの大祭司。 でも十字架で私たちの罪を荷い、私たちを罪と死の奴隷から解放してくださったキリストは、そして、いまだにご自身の血を携えて神の御前にとりなしてくださり、無知で道に迷っている私たちを導くために、共に歩んでくださるキリストは、スン・パセオ―の大祭司だということが分かると思いますね。
3)へブル書5章に戻っていただいて、7節を一緒に見ていただきたいと思います。
【画面:へブル5章7節「大きな叫び声と涙をもって祈りと願いをささげ」9節「完全な者とされ」「永遠の救いの源となり、」に茶色のハイライト】
7キリストは、肉体をもって生きている間、自分を死から救い出すことができる方に向かって、大きな叫び声と涙をもって祈りと願いをささげ、その敬虔のゆえに聞き入れられました。 8キリストは御子であられるのに、お受けになった様々な苦しみによって従順を学び、 9完全な者とされ、ご自分に従うすべての人にとって永遠の救いの源となり、
という長〜い文章です。 この7節の「大きな叫び声と涙をもって祈りと願いをささげた」という時に、私たちは思い出すのはゲッセマネの祈りですよね。 「父よ、あなたにお出来にならないことはありません。どうかこの杯をわたしから取り除けてください。しかしわたしの願うところではなく、あなたのみこころのままをなさってください」というキリストの祈り。(***マタイ26:39,マルコ14:36,ルカ22:42)
その時、「キリストの汗は、血の滴のように額から滴っていた」とありますし、 その「苦しみ、悩み、もだえていた」という表現も福音書の中にありますし、 ここにあります「キリストが大きな叫び声と涙をもって祈った」というのは、まさにゲッセマネですけれども、
しかし、実はそれだけではない。これ見てください。(※7節を指でなぞりながら) 「キリストは、肉体をもって生きている間」(7)ということは、《キリストはその地上の生涯全体において》ということでしょ? それから8節に「お受けになった様々な苦しみ」というのは、《十字架だけではない。 すべてのキリストの地上生涯にあって、大きな叫び声と涙をもって祈ることは多々あった。》 そして様々な苦しみを味わい、《それでもみこころに従順であることを学び、》 「完全な者とされ」(9)というのは、それ以前は不完全であったという意味ではないです。 「完全な者とされ」(9)というのは、《キリストは救いのみわざを為すためにこの世界に来られ、それを完了した、完成した》という意味です。 ですから、キリストは救いのみわざを完成されたので、9節の最後に「永遠の救いの源となった」と書いてあるわけです。 で、私たちは「キリストに従うすべての者たち」(9)――境遇、身分、教育、性別、年齢、関係なく――《キリストに従うすべての者に、キリストは永遠の救いの源となる》という風にヘブル人への手紙の記者は話をまとめていくわけですね。
最終的には、言うまでもなく《ゲッセマネの祈り、それを越えた十字架というものが、キリストの憐れみの象徴になりますし、源になります。》 どんな哀れな罪人も、どんなに深刻な病人も、どんなに無知な道を外れた者をも、キリストは背負ってくださる。キリストは憐れんでくださる。 そして「救いの源となって」(9)くださる、というのは普通の大祭司――大祭司というのはそもそも祭司の中で一番偉大な祭司ですけれども――でも大祭司でも為すことのできない異なる次元《すなわち十字架において》自分のいのちをささげ、神への従順さを全うし、私たちにいのちを与えるために、ご自身のいのちを十字架の上で注ぎ出した、という姿。 《私たちはそのキリストを大祭司として、そのキリストに従う》んですよね。
先に賀川豊彦の話をしましたので、それをもって終わりにしたいと思いますが、 キリスト教では、貧民街の伝道者、スラムの聖徒として有名な賀川豊彦なんですね。 世界でもそれが一番有名だろうと思いますが、その働きが今日でもコープとして続いている。 或いはMさんのように、賀川豊彦の精神を受け継いで、高齢者介護や、或いは認知症専門の介護や、精神障害の介護や、様々な介護に乗り出す、大きな大きなその「協同の苑」という共同体を運営するようになったということも一つ大きなことですよね。
でも恐らく日本で一番よく知られているのは、Mさんがお読みになった賀川豊彦の自伝的な小説「死線を越えて」ですよ。 これは最も読まれましたね。 賀川豊彦は幾つもの小説を書いているんですけれども、「死線を越えて」に至っては、キリスト者だけではない。 それは日本中の人たちが読んだ小説と言っても過言ではない、と思います。 特に私(藤本牧師)が大学生の頃、それ以前ですね、ものすごく盛んに読まれた書物でありました。
死線というのは、生と死の境界線で、例えて言うなら収容所や刑務所というのは、あの線を越えたら脱走と見なして処刑されるという、あの堀は死線なわけですよね。 賀川豊彦にとって死線というのは、彼が19歳の時に結核で倒れ、生と死の間を彷徨った出来事でありました。 その時、死線をさまよう賀川豊彦青年を、介護して看護したのが、その神戸で貧しい人々を家に泊めてお世話をしていた長尾巻夫先生夫妻ですよ。 賀川豊彦が青年時代、その結核の死線を越えることができたのは、長尾先生たちの愛ゆえでありました。
賀川豊彦は言うんですよね。 死線を越えるって、一体どういうことなのか? それがこの小説のテーマなんですけれども、 実はこの本というのは、1920年(大正9)に記されて、一躍有名になった本なんです。 それが版を重ねるんです。 だから賀川豊彦っていう名前よりも、私たちにとっては(※笑って両手で指二本出すしぐさで)「死線を越えて」っていうフレーズの方がはるかにはっとする、よく分かっているんですが、 戦後1948年に、賀川豊彦は改訂版を出したんですけれども、そこに序文を添えるんですね。 その序文を紹介して終わりにしたいと思います。
48年というのは、太平洋戦争で敗戦して、わずか三年目ですよね。 日本は天皇の国、神の国、絶対に世界に負けることはないと傲り、周辺諸国に侵略を繰り返し、それが木っ端みじんに砕かれてしまうわけです。 全国各地焼け野原となり、最大の問題は食糧難ですよね。 食糧の支給制度、町の各地でその支給制度とは別の闇市が出来上がり、成人男性は戦争で死に、日本はもうこれから先滅びてしまう、と言われるような1948年に、 賀川豊彦は、「日本よ。早く死線を越えてくれ」という文章を序文に添えます。
私たちね、たとえばものすごい病気になりますと、死線をさまようんですよ。 それを越えた時に、皆さん、どういう風になるかっていうのは、ちょっとタイプ違うんですね。 例えば、死線を越えて、亡霊のようになる人っていうのもいます。これは体調の状態で致し方ないんですよ。 例えば抗がん剤が続いたとか、手術は終わったんだけれども、痛みを引きずっているとか、どうしても何かしようと思ってもできない。 つまり死線を越えて、亡霊のようになってしまうという場合もある。
ところが、もし死線を越えて「もう一度人生やり直しなさい」というように回復したならば、人は変わらなければいけないですよね。 賀川豊彦は、若い頃変わったわけですよ。 死線を越えた時に、彼はキリストの愛に生きることに堅信していった。 「再び生かされるんなら、私はキリストのように生きたい。 以前のようであってはならない」ということで、 彼は神戸の神学校を卒業すると同時に、貧民街に身を投じて行くわけです。
賀川豊彦の序文はこういう風に終わります。 「日本はナザレの大工イエスの血脈を十分に受け継がない内に、衰亡してしまった。 (***というのは、戦争でボロボロになってしまった。 ナザレのイエスの血脈というのは、日本にはミッションスクールがあり、多くの教会があり、しかしそれらが全部天皇制、国家主義によって吸収され、弾圧され、いつの間にかイエスの血脈、イエスの血の流れから私たちは断たれ、そして日本は衰亡してしまった、と説明。) これからそのナザレの大工の血をもって、日本は輸血する必要があろう。 日本も今度は死線を越えねばならぬ。 一旦滅びた日本は、墓を打ち破って復活すべきだ。」
ですから皆さんが、「死線を越えて」をいま求められると、この文章がくっついています。 「ナザレの大工の血をもって、輸血する必要があろう。 日本も今度は死線を越えなければならない。 病気に罹って、死線をさまよって再び生きるようになったら、 人生、事業に失敗して、或いは仕事を辞めて、ボロボロになり、 死線を越えたならば、以前のような自分に戻ってはいけない。 キリストの血脈に繋がり、キリストの血を輸血してもらって、 早く墓から復活し、自分のもとの姿に戻るのではなく、死線を越えて生きていけ」 というのが、賀川豊彦のメッセージでありますね。
「永遠の救いの源」(へブル5:9)となられたイエスの血にあずかり、死線を越えて神に対して生きるために復活する、という。 それを可能にしてくださる大祭司に繋がる、先週の聖餐式。 私たちは一つになる、というテーマで聖餐にあずかりました。 しかし聖餐は一つになるというテーマだけではない。 聖餐というものは、キリストの血を輸血してもらう聖餐でもある。 私たちはキリストの十字架に繋がることによって、死線を越えて行く。 その時に、キリストの愛を輸血していただき、キリストの力、キリストのいのちを輸血していただき、復活した者として生きていくというのが、聖餐の考え方ですよね。
☆お祈りをして終わりにいたします――藤本牧師
恵み深い天の父なる神さま、語るには易し、しかしそのように生きることはなんと難しいことでありましょう。しかしあなたは私たちの教会に、そのような人物を沢山備えていてくださることを感謝いたします。
時に、介護や教育や様々な働きにおいて、時に医療において、時に主婦として、時に一人の人間として、病を越えて――亡霊のように生きるのではなく――むしろキリストの血を輸血していただいて、新たなエネルギーをもって、神のみこころを生きていく――このメトリオパセオ―ではなく――憐れみをもって人の痛み苦しみと自分を重ね合わせるような人間に、少しでも近づくことができるように私たちを導いてください。
なぜならイエスさま、あなたご自身が私たち一人一人にそのように接していてくださるのですから、私たちもあなたに繋がるように、いのちを輸血してください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。
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