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::: 説  教 :::


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Name   T・Y
Subject   8/13 この望みとともに救われた ローマ8:22〜25 
8/13 この望みとともに救われた ローマ8:22〜25 

今回はタブレットを取り換えたりされていましたが、どういうわけか一度も画面に聖書が映りませんでしたので、適宜、聖句を書き加えたところもあります。(T・Y)

☆聖書箇所 ローマ8:22〜25

22私たちは知っています。被造物のすべては、今に至るまで、ともにうめき、ともに産みの苦しみをしています。
23それだけでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだが贖われることを待ち望みながら、心の中でうめいています。
24私たちは、この望みとともに救われたのです。目に見える望みは望みではありません。目で見ているものを、だれが望むでしょうか。
25私たちはまだ見ていないものを望んでいるのですから、忍耐して待ち望みます。

☆説教 この望みとともに救われた

今朝は(ローマ人への手紙)8章の22節からでございます。
8章の22節というのは段落の途中なんですけれども、ま、一つのフレーズで、私はここで切りました。
それは22節の「私たちは知っています」という言葉。
私たちがより有名な28節、28節は「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。」
原語では、「私たちは知っています」というのは(文章の)頭に来ますので、そういう意味では22節の「私たちは知っています」そして28節の「私たちは知っています」というのは、一つの区切りになっているということを頭に置いていただいて、22〜25節を一緒に見ていただきたいと思います。

先程(☆お知らせの初めで)申しました終戦記念日が15日になります。
それを前に、広島に原爆が落とされたのが8月6日、原爆で亡くなられた方は、その時14万人でありました。
14万人というのは、当時の広島の人口の40%。
そして8月の9日には長崎に。一瞬にして7万3千人。当時の長崎市の人口の30%が亡くなりました。

太平洋戦争の日本の犠牲者の数は、300万人を越えています。
勿論他国の犠牲者も同じ位、いやそれ以上にあったことだと思います。

1990年、湾岸戦争、皆さん思い出しておられると思いますけれども、イラクの犠牲者は2万人〜3万人。これは確定できていません。
1992年のボスニア紛争。あれはサラエボ市民の犠牲者は、一万一千人。
今ではサッカーも強い、当時のクロアチアのサッカースタジアムが遺体を埋めるお墓になってしまった、という位の方々が亡くなった記憶はまだあると思います。
2003年〜2006年の間のイラク戦争では、イラクの方々は11万人の尊い命が失われました。
そして、2022年のウクライナへの軍事侵攻。犠牲者の数は定かではありません。

この世界から戦争はなくならないんだろうなぁと、私(藤本牧師)は思っています。
それは少なくとも歴史から判断した限り、なくなったためしがないからです。
災害の数も、疫病の数も、なくなったためしがないんです。

私たちはそう考えますと、改めてこの(ロマ書8章)22節の言葉に目を留めていただきたいと思います。

22私たちは知っています。被造物のすべては、今に至るまで、ともにうめき、ともに産みの苦しみをしています。

「私たちは知っています」というのは、《もう事実として知っています》。
28節の「すべてのことが働きて益となる、ということを知っている」というのは、《信仰によって知っています》です。
でもそれと同じような確信で、私たちは知っています。現実のこととして知っています。
世界から、戦争も、疫病も、災害もなくならない。
そして私たちの人生もまた様々な苦しみの中にある、ということを知っています。

先程申し上げましたTさんのお母様が天に召され、昨日葬儀でございました。
Tさんは福島でお生まれになりまして、そして東京の大学にいらっしゃった時に信仰を持たれました。
それを受けて、彼は一人っ子でいらっしゃったので、お母様が福島の日本基督教団の信夫(のぶお)教会で洗礼を受けました。
【※信夫教会ではなく、信生(しのぶ)教会と8/20礼拝で訂正がありました。】
当時お父様は末期がんで、お母様も苦労しておられました。

お父様はそもそもが出羽三山の山岳信仰でいらっしゃいまして、キリスト教にはあまり好意的ではなかったようです。
Tさんも幼い頃にあの装束をまとって山を登ったと。後継ぎになるんだとみんなから言われた、という話を昨日しておられました。
しかしその最後に、お父様は気管挿入で声が出ない中、筆談で十時さんに尋ねます。
「お前の信仰を教えてほしい。キリストを信じたら、家族みんなで会えるのか?」と。
そしてTさんはお話をして、お父様はキリストを信じて、「明日には牧師先生を呼んで洗礼を授けてほしい」と言うその明日を待つ前に、神さまはお父様を天に召されました。

末期ガンの苦しみの中というのは、多くのキリスト者、私たちの家族も経験します。
23節の真ん中に、「私たちのからだが贖われることを待ち望みながら、心の中でうめく」とあります。
今日のテーマは《待ち望む。希望》ですね。

この病んだからだから、痛みから解放されることを、待ち望みながらうめくという。
その「うめく」というのは、《この大自然が、歴史が、戦争で、病で災害でうめく》というのと同じように、《私たちの人生もまたうめきます。》
そういう中で、お父様は地上生涯を閉じるに当たって、また家族と会えるのかという希望で、キリストを信頼するわけですね。
Tさんはあのイエスさまと一緒に十字架につけられた犯罪人が
「私のことを覚えていてください」と言う、あの一瞬の自分の人生最後を、イエス・キリストに賭ける。
それによってイエスさまは仰いました。
「まことにあなたに告げます。あなたは今日、私と共にパラダイスにいます」というお話をお伝えになり、そしてお父様はイエスさまを信じました。

苦しみの中でうめきます。
でも私たちは苦しみに屈するのでなく、《その苦しみを超えていくという希望に生かされているんだ》ということを、ちょっと今日は良く考えていただきたいと思います。

お父様が召された後に、Tさん家族はお母様を相模原に呼び寄せます。
昨日聞いたんですけれども、お母様は印刷屋を営んでいた。
おじさん、おばさんから、皆さんT家は、上はお嬢さんだったらしいんですけれども、お母さんが好子さんというんですけれども、「男に生まれていたら、どれほど大きく事業を展開しただろう」と言われる程、当時で言うならタイプライターを使い、そして印刷屋さんを、従業員も雇って営んでいた社長さんでいらっしゃいました。

お祖父さんは和菓子屋さんなんですけれども、それも手伝っていて、非常に手が器用で、そういえば高津教会に来た頃に、雑貨屋さんを福島の方でなさっていて、それを閉じてやって来られて、途中様々なキリスト教的な雑貨も教会に持って来られました。
黒い紙をカッターできれ〜いに切り抜いて絵にして、白い下地の額にはめ込んだぶどうの絵ですとか、「最後の晩餐」の絵が二階のバルコニーのところに飾ってありました。

しばらくして認知症になられて入院されることになるんですけれども、ご家族はよく支え、また本人もよく耐えられました。

これも同じですね、23節と――「からだが贖われることを待ち望みながら、心の中でうめいている」というそのうめきは短くはなかった。15年もありました。
その15年という長さは、25節の最後をちょっと見ていただきたいと思うんですが、
25節の最後を、ちょっと私の方で読みますね。

25私たちはまだ見ていないものを望んでいるのですから、忍耐して待ち望みます。

「見ていないもの」という、自分がそこから解放されることを、まだ見ていない。
であるがゆえに、忍耐して待ち望むというのは、それは私たちにとって誰もがそうです。
今やっている自分の仕事、今やっている自分の立場、今の自分というのは、様々の苦労の中を通っているんですけれども、その苦労が最後まで続くのではない。
やがて《その苦労から解放される時に向かって、忍耐して待ち望む》ということがとても大切だろうと思います。

2)「まだ見ていないものを待ち望む」(25)と書いてありますけれども、17節を見てください。
<ローマ8:17>
17子どもであるなら、相続人でもあります。私たちはキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているのですから、神の相続人であり、キリストとともに共同相続人なのです。

パウロが言いたいのは、やがてキリストが来られる。
キリストと共に、キリストの栄光をともに受けるために、苦難をともにしているのですから、私たちは相続人であり、キリストとともに共同相続人なのです。
パウロは先の先をさらに望んでいるんですね。
自分の人生の諸課題が解決されるだけでなく、自分の人生の苦しみが解決されるだけでなく、呻きはこの心の中にあり、呻きはこの歴史の中にあり、呻きはこの世界の中にあり、それを越えて、キリストはやがてすべてを新しくされる。
その時私たちはキリストと共に、この新しい世界を共同相続することになる。
そこまで、(パウロは)待ち望んでいるわけです。

私たちはなかなか、そこまでのことは考えられないですね。
そこは神さまに任せていいんじゃないでしょうか。
でも私たちは同じように、様々な希望を抱いて、この人生の弱さ、矛盾を乗り越えていく、という点では何の変りもないですね。

演劇界で大変有名な、「ゴドーを待ちながら」というシナリオがあります。
フランスの劇作家のサムエル・ベケットという人の戯曲で、
1953年パリで初演された、とありました。
ウラディミールとエストラゴンという二人の浮浪者が、ゴドーという人物を待っているんですね。
「いつ来るんだろうか?」「本当に来るんだろうか?」
「来たらどうなるんだろうか?」「待ち合わせ場所はここでいいんだろうか?」
「もう行こうか?」「だめだよ。ぜったい来るよ」
「なぜなんだよ。」「いや、ゴドーを待とう」
というのが、延々と【この演劇界を変えた】という演劇なんですけれども、
要するに、小さな舞台で数人の俳優さんが一つのスペースで、壮大な物語を展開するって良くあるじゃないですか、そういうタイプの演劇の一番最初のなんですね。

で、二人は待ちながら、たわいもないゲームをしたり、滑稽な実りのない会話を交わし続けるんですけど、
至る所で、「いつ来るんだろうか」「いや、本当に来るんだろうか」「待ち合わせはここでいいんだろうか」という会話が挟み込んであるという。
そしてこの二人はゴドーが誰か知らないんですね。

でもこの登場人物が「このゴドーが来たら何かが変わる」ということを漠然と考えながら、その場を過ごしている、というのは、
《実は小さな舞台、小さな人数で、社会全体の心象風景を描いている》ということです。
社会全体が、何かを待っている。待っているから、でもこのやり方で待っていていいんだろうか?この先どうなるんだろうか?
この人類の歴史で、私たちはいつも、いつも先行き不安。同時に先を予想しながら考えて来ました。
いつになったら幸せになるのか? それはどんな幸せなのか?
そもそも私たちは何を待っているのかも分からずに、延々と時を過ごして、皆で論じていくわけです。

わけも分からず経済を論じ、国際情勢を考え、ある意味、そうせざるを得ないですよね。
で、私たちは自分自身が分からないですから、専門家の意見を聞きながら、「あ、そうなるのかな」「そうなるんだろうな」「でも、そうならないかもしれないな」と。
この戦争の歴史って言うんですかね――住宅のど真ん中に砲弾が撃ち込まれ、マンションの壁に大きな穴が開き、病院や学校が崩れ落ち、戦争の空爆も、原爆も、ものすごくリアルに感じるような今の時代。

それはいつの時代もそうなんですけれども、私たちは、それでも待っているわけです。
でもそれは、わけの分からないものを待っているわけではない。
キリストが再び来られる時に、私たちはこの限りある肉体から解放される。
或いは、このとんでもない呻きを発している世界から、私たちは解放され
キリストはすべてを新しくして、私たちを相続人として迎え、神の子どもとして、
私たちがキリストと共に支配の座に着く時が必ず来るというのが、
キリスト教の最終的な希望です。
パウロはこの希望を牢獄の中から抱くのです。

私たちは牢獄のような人生だと思うことも多いですし、
また今週のように「どうしてこんなに暑いんだろう(笑)」と
或いはTさんのお母さんのように、「どうしてこんなに長いんだろうか?」という人もいれば、
そりやあっという間の末期がんの苦しみかもしれませんけれども、「この先一体どうなるんだろうか?」と、
それが勉強の苦悩であり、仕事の苦悩であり、からだの老化であり、
もう様々なことが報われることを私たちは待ちながら、労苦しているわけですね。

3)そうなりますと、最後になりますけれども、24節、今日はこのみことばを説教に採りました。

24私たちは、この望みとともに救われたのです。目に見える望みは望みではありません。目で見ているものを、だれが望むでしょうか。

最初の行、「私たちは、この望みとともに救われたのです」――キリスト者ってどういう者なのか?
勿論、救い主イエス・キリストの十字架が、私の罪のためであったということを信じる者です。
そしてキリストは復活して、天に着座され、今も私たちのために、神の御前でとりなしをしていてくださる、ということを信じる者たちです。
そしてロマ書の8章の26節にありますように、「御霊も同じようにして、私たちのためにとりなしをしてくださる」ということを信じる者たちです。

何と言っても、私たちは、明日を信じる者たちです。
「明日を信じる」というのは、非常に難しい。
それはおおよそ明日は今日と同じか、或いは今日より暑いか(笑)、今日よりしんどいか(笑)。
私たちは普通に生きていて、明日はさらにすばらしくなる――それは歌や詩で聞きますけれども、なかなか現実はそうはいかないですよね。
でも私たちは信じるんですよ――
必ず、キリストが私たちを苦しみから解放し、私たちの希望を実現してくださり、
いや望む所よりもはるかにすばらしい将来を与えてくださり、
一旦は試練の中を通るかも知れない。
しかし試練を通して、キリストは私たちを磨いてくださる。
天の御国にふさわしい者としてくださる、ということを私たちは信じる。

つまり「私たちは、この望みとともに救われたのです」(24)。
望みのないキリスト者は、肉のないキリスト者ですよ。
望みのないキリスト者は、血が通ってないキリスト者です。
私たちは賛美を歌い、祈り、聖書の御言葉を読みながら、《何とかして、この干からびた人生、干からびた肉体に、希望という血流を神さまから与えていただく》ことを祈るんですね。
今どんなに呻いていても、この望みとともに救われた者であることを、私たちは忘れない。

Tさんのお父さんは、家族との再会を望み、そしてキリストを信じました。
Tさんのお母さんは、不自由な肉体を捨てて、栄光のからだを着せられることを望み、そして15年耐えました。
私たちも同じことを、小さなことから大きなことに至るまで、キリストに望みをかける。
それはもしかしたら、「イエスさま、どうにかしてください」という祈りになるかもしれない。
それは漠然と、「主にあって明日はもっと良くなる」と思うことかもしれない。
でもこの世界の戦争がどういう事態に発展しようとも、主よ、どうか私たちを守り、その危険から守り、やがて私たちが病んだら、それを癒していただくことを祈り、でもそれがだめであるならば、私たちがさらに良き世界に迎えられるんだということを心から望む、「この望みとともに救われたのです」(ロマ8:24)というこの言葉を人生に刻んでいただきたいと思います。
どんなに難しくても、傷ついても、呻いても、呻くまっただ中で、キリストの助けを待ち望み、神の大能の力によって、事態が打開されることを待ち望む者でありたいと思います。

☆お祈りをして終わりにいたします――藤本牧師

恵み深い天の父なる神さま、「私たちは、この望みとともに救われたのです」(ロマ8:24)と、私たちは現実として知っていることがあります。それはこの歴史も、被造物も、すべてが、産みの苦しみをしている、共に呻いている。でも産みの苦しみという限り、必ず新しいいのちが誕生するということを、私たちは現実として信じています。

私たちは様々な苦労がありますけれども、「すべてのことが働きて益となる」(ロマ8:28)という信仰の希望も、確かであることを私たちは知っています。ですから現実の認識が確かであるように、信仰の認識もまた確かなものでありますように、私たちを支えて導いてくださいますように。

どうかこの世界に平和を与えてください。中東のようにしょっちゅうミサイルが行き交う場所があり、またある時独裁政治に悩まされ悩まされ、民族紛争が起こったアフリカ諸国。戦いが絶えない所を、私たちは短い自分の人生のスパンの中でよく知っています。どうか危険な地域にいらっしゃる方々、また今も検査の結果を待ち、或いは病の戦いの中にあり、この夏厳しいなぁと思っておられる方々と共に、あなたが共にいてくださり、「この希望とともに救われた私たち」(24)は、あなたにすべてを賭けているのですから、どうか私たちをお助けください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。




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