名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索

::: 説  教 :::


772 265 統計カウンターの表示   管理者で接続
Name   T・Y
Subject   1/1 元旦・聖餐式:サムエル(1)神を重んじる者たち Tサムエル2:11〜30
☆聖書箇所 Tサムエル2:11〜30

11エルカナはラマにある自分の家に帰った。幼子は、祭司エリのもとで【主】に仕えていた。
 12さて、エリの息子たちはよこしまな者たちで、【主】を知らなかった。
13民に関わる祭司の定めについてもそうであった。だれかが、いけにえを献げていると、まだ肉を煮ている間に、祭司の子弟が三又の肉刺しを手にしてやって来て、
14これを大鍋や、釜、大釜、鍋に突き入れ、肉刺しで取り上げたものをみな、祭司が自分のものとして取っていた。このようなことが、シロで、そこに来るイスラエルのすべての人に対してなされていた。
15そのうえ、脂肪が焼かれる前に祭司の子弟がやって来て、いけにえを献げる人に「祭司に焼くための肉を渡しなさい。祭司は煮た肉をあなたから受け取らない。生の肉だけだ」と言うので、
16人が「まず脂肪をすっかり焼いて、好きなだけお取りください」と言うと、祭司の子弟は、「いや、今渡すのだ。でなければ、私は力ずくで取る」と言った。
17このように、子弟たちの罪は、【主】の前で非常に大きかった。この人たちは【主】へのささげ物を侮ったのである。
 18さてサムエルは、亜麻布のエポデを身にまとった幼いしもべとして、【主】の前に仕えていた。
19彼の母は彼のために小さな上着を作り、毎年、夫とともに年ごとのいけにえを献げに上って行くとき、それを持って行った。
20エリは、エルカナとその妻を祝福して、「【主】にゆだねられた子の代わりとして、【主】が、この妻によって、あなたに子孫を与えてくださいますように」と言い、彼らは自分の住まいに帰るのであった。
21【主】はハンナを顧み、彼女は身ごもって、三人の息子と二人の娘を産んだ。少年サムエルは【主】のみもとで成長した。
 22さて、エリはたいへん年をとっていたが、息子たちがイスラエル全体に行っていることの一部始終を、それに彼らが会見の天幕の入り口で仕えている女たちと寝ていることを聞いていた。
23それでエリは彼らに言った。「なぜ、おまえたちはそんなことをするのか。私はこの民の皆から、おまえたちのした悪いことについて聞いているのだ。
24息子たちよ、そういうことをしてはいけない。私は【主】の民が言いふらしているうわさを聞くが、それは良いものではない。
25人が人に対して罪を犯すなら、神がその仲裁をしてくださる。だが、【主】に対して人が罪を犯すなら、だれがその人のために仲裁に立つだろうか。」しかし、彼らは父の言うことを聞こうとしなかった。彼らを殺すことが【主】のみこころだったからである。
26一方、少年サムエルは、【主】にも人にもいつくしまれ、ますます成長した。
 27神の人がエリのところに来て、彼に言った。「【主】はこう言われる。あなたの父の家がエジプトでファラオの家に属していたとき、わたしは彼らに自分を明らかに現したではないか。
28わたしは、イスラエルの全部族からその家を選んでわたしの祭司とし、わたしの祭壇に上って香をたき、わたしの前でエポデを着るようにした。こうして、イスラエルの子らの食物のささげ物をすべて、あなたの父の家に与えた。
29なぜあなたがたは、わたしが命じたわたしへのいけにえ、わたしへのささげ物を、わたしの住まいで足蹴にするのか。なぜあなたは、わたしよりも自分の息子たちを重んじて、わたしの民イスラエルのすべてのささげ物のうちの、最上の部分で自分たちを肥やそうとするのか。
30それゆえ――イスラエルの神、【主】のことば――あなたの家と、あなたの父の家は、永遠にわたしの前に歩むとわたしは確かに言ったものの、今や――【主】のことば――それは絶対にあり得ない。わたしを重んじる者をわたしは重んじ、わたしを蔑む者は軽んじられるからだ。

☆説教 元旦・聖餐式:サムエル(1)神を重んじる者たち 

昨年は一年間かけて、へブル人への手紙から学びました。
ですから今年は旧約聖書にいたします。
サムエルの生涯、その次サウロ、そしてダビデと、どこまで行けるのか、何とか一年間走って行きますので、おつき合いいただければと思います。

今年の聖句として選びましたのは、(T サムエル)3章の10節です。
<Tサムエル3:10>
 10【主】が来て、そばに立ち、これまでと同じように、「サムエル、サムエル」と呼ばれた。サムエルは「お話しください。しもべは聞いております」と言った。

これが今年の聖句です。
「お話しください。しもべは聞いております」という気持ちで、毎週毎週聖書に向かっていただくと同時に、
***********************************
【※ここで突然「ストリームは終了しました」と映像が止まったので、開始するまでの数分間の分は、牧師の説教原稿をそのまま字と字の間が空いている個所は詰めて、記号になっている個所だけは取り外してコピーすることにいたします。以下の今年の聖句においては少し原稿と食い違いが見られますが。】

今年の聖句として、2:30を選びました。その最後

わたしを重んじる者をわたしは重んじ、わたしを蔑む者は軽んじられる。

(※今年の聖句は、先程紹介があったように、Tサムエル3:10ですが、この説教原稿の作成時点から、何らかの事情で変わったと思われます。毎週の週報上部には2:30が2024年の聖句として出ていました。)

いきなり2章の真ん中からです。来週1章に戻ります。
しかし、2:30こそがサムエル記の第一と第二を要約していると思いますので、ここから始めます。

いつもですと、こういう例話は説教の最後にしますが、最初に持ってきました。このお話しはよそでは何度かしているので。

有名な、アカデミー賞をとったchariots of fire(炎のランナー)という映画があります。
主人公は実在の人物、1924年のパリ大会、100メートル走の英国代表でした。
ところが彼は、日曜日に開催された100メートル競技への出場を断念します。

そんな彼がこだわったのが、日曜日を聖日として、神を礼拝することでした。
それは、自分の信仰のためだけではありません。
当時、スポーツイベントをもっぱら 日曜日に開催して、キリスト教を市民社会から締め出してしまうというフランス行政のやり方で、苦悩しているフランスのクリスチャン・アスリートのためでした。
エリック・リデルは、実在の人物、事実のストーリーです。

********************************** 
――ここから再び映像が現れたので、藤本牧師の語られた言葉――

これはフランス革命以来、今日までそうですけれども、なるべくスポーツイベントは日曜日に持ってくる――それに苦悩しているフランスのアスリートのために、エリック・リデルは、一つの抗議をいたしたわけです。

映画では実際にない脚色がちょこっと入っています。
話は実際の話なんですけれども、(脚色が)ちょこっと入っています。
エリックは100mを断念して400mを走る。

その前に当時の世界記録を持っていたアメリカの代表選手、ジャクソン・シュルツがエリックのところにやって来て、小さな小さな紙切れを渡します。
映画では一瞬の出来事で、多分2秒、3秒としかないと思います。
英語はアメリカとイギリスの合作ですから、ああこういう脚色なんだろうなぁと思いますけれども、
紙切れには聖句が書いてありました。それが
「主のことば――わたしを重んじる者をわたしは重んじる。わたしを蔑む者は軽んじられる。」(Tサムエル2:30)
以前の訳では「尊ぶ」でした。
「わたしはわたしを尊ぶ者を尊ぶ」です。
シーンにして3秒もありません。ほとんど見落としておられると思います。
しかしそれは大変意味のあることばであります。

私はあそこにエリックの生涯が凝縮されていると思います。
彼はその紙切れを握りしめて走り、金メダルを獲ります。
そしてその後、(エリックは)陸上選手として引退して、ハドソン・テイラーの中国奥地伝道に身を捧げ、最後は上海のすぐそばで日本軍の収容所でいのちを落とします。
わずか40足らずの人生でありました。

主のことば――わたしを重んじる者をわたしは重んじる。(Tサムエル2:30)
このことばを心に捉えて、3つのポイントでお話しをいたします。

1)記事は少年サムエルの少年期を描いています。

今日読んでいただいた、ちょっと中途から読んでいただきましたよね。
(Tサムエル)2章の11節。映ります?では、みせますね。
2章の11節、前の段落の最後ですが――
【画面:Tサムエル2章11節「幼子」に水色のペンで囲み。「幼子は〜仕えていた」にオレンジのハイライト】
<Tサムエル2:11>
11エルカナはラマにある自分の家に帰った。幼子(***サムエルを加えて)は、祭司エリのもとで【主】に仕えていた。

しばらくしますと、18節――【18節に移動して読む】
【画面:Tサムエル2章18節「サムエル」「幼いしもべ」に水色のペンの囲み。
<Tサムエル2:18>
 18さてサムエルは、亜麻布のエポデ(***エフォデとも言いますが、神殿に仕える祭司の服装ですね、と説明)を身にまとった幼いしもべとして、【主】の前に仕えていた。

21節――(※に飛んで読む)
【画面:Tサムエル2章21節「少年サムエル」に水色のペンで囲み】
21【主】はハンナを顧み、彼女は身ごもって、三人の息子と二人の娘を産んだ。少年サムエルは【主】のみもとで成長した。

そしてその次、26節(※指を差して読み続ける)
【画面:Tサムエル2章26節全文に水色のハイライト。】
26一方、少年サムエルは、【主】にも人にもいつくしまれ、ますます成長した。

要はこの記事全体が、サムエルの神殿における成長として描かれています。
(サムエルは)乳離れして、神殿に預けられました。恐らく3歳ぐらいであっただろうと思います。
母親ハンナは、サムエルを神さまに献げると言って、少年サムエルを祭司エリのもとに預けて、順調に成長していく様子が描かれています。
これが心に留めておく一番目のポイントです。

2)物語の中心にあるのは、この2章、サムエルではなく、祭司エリの息子、ホフニとピネハスの二人です。

名前は34節に出て来ますが、この二人は祭司の息子として育ち、祭司になって行きます。
しかし、(Tサムエル2章)12節にありますように「エリの息子たちはよこしまな者たちで、【主】を知らなかった」とあります。
民がいけにえを奉げにやって来ると、その肉の一部は祭司が食べるような規則でありました。
しかし、二人はそんな規定はお構いなしです。

彼らは民の礼拝の心を踏みにじり、神への畏敬をまったく理解もせずに、ほしいだけ肉を、ささげられる前に食べてしまいます。
せめて儀式が終わってからと、民が訴えても、16節の後半、
「いや、今渡すのだ。でなければ、私は力づくで取る」と書いてあります。

聖書に何と書かれているでしょう?17節をちょっと見ていただきたいと思います。
17節映してみますね。こうありますでしょう。
【画面:Tサムエル2章17節「主へのささげ物を侮った」にオレンジのハイライト。「侮った」に水色のペンで囲み】
17このように、子弟たちの(***二人の息子たちの、と説明)罪は、【主】の前で非常に大きかった。この人たちは【主】へのささげ物を侮ったのである。

すると少年サムエルは、神を侮る祭司たちの環境ですくすくと育っていった、ということが書いてあります。
やがてエリの家、エリも息子二人も、神によって退けられます。
「神を侮る」という二人の息子の行動は、激しくなっていきます。
22節をちょっと見ていただきたいと思うんですが、
【画面:Tサムエル2章22節「エリは〜息子たちが」「会見の天幕の〜寝ている」にオレンジのハイライト】
<Tサムエル2:22>
 22さて、エリはたいへん年を取っていたが、息子たちがイスラエル全体に行っていることの一部始終を、それに彼らが会見の天幕の入り口で仕えている女たちと寝ていることを聞いていた。

「会見の天幕」とは、聖書協会の共同訳では「臨在の天幕」とあります。
十戒の板が入っている契約の箱がそこに安置されている、神の臨在を象徴する天幕の入り口で、仕えている女たちと寝ている、ということを父親が聞いているんですね。

父親はこの息子を責めます。
【画面:Tサムエル2章25節「人が人に〜仲裁に立つだろうか」にオレンジのハイライト。「しかし彼らは〜聞こうとしなかった」に水色の波線。】
<Tサムエル2:25>
25人が人に対して罪を犯すなら、神がその仲裁をしてくださる。だが、【主】に対して人が罪を犯すなら、だれがその人のために仲裁に立つだろうか。」・・・

「あなたがたがしていることは、祭司でありながら致命的だ。
人が人に犯す罪を、祭司職は仲介として立つ。
しかしもしあなたがたが、神に対して罪を犯すなら、一体誰があなたがたのために仲裁に入ることができるんだろうか?」という風に。
父親は心を痛めて、息子を批判しました。
しかしながら、そこで止まってしまいます。

そこで27節に、神の人がエリの所に来て罪を指摘します。
【画面:Tサムエル2:27「神の人」にオレンジのハイライトと水色の囲み】

その罪とは息子たちばかりのことではありませんでした。
息子に神を知ることを教えず、彼の罪の深刻さを語ることができなかった父親。
「神の人」とは、天の使いでありましょう。
天の使いが責めているのは、エリです。そしてその間、エリはひと言も発せずに、ずっと頭を垂れたまま、ただその批判を心に留めていました。

28節に、「わたしはイスラエルの全部族からあなたを選んだ。」
【画面:Tサムエル2章28節「選んで」に水色の囲み】
わたしがあなたを選んだにも関わらず、29節の二行目――
【画面:Tサムエル2章29節「わたしへのささげ物を、わたしの住まいで足蹴にするのか。」にオレンジのハイライト。「なぜあなたは、わたしよりも自分の息子たちを重んじて」に水色ペンの傍線】
<Tサムエル2:29>
29なぜあなたがたは、わたしが命じたわたしへのいけにえ、わたしへのささげ物を、わたしの住まいで足蹴にするのか。なぜあなたは、わたしよりも自分の息子たちを重んじて、
(***ということは、息子たちに真剣に悔い改めを迫らなかった、と説明)わたしの民イスラエルのすべてのささげ物のうちの、最上の部分で自分たちを肥やそうとするのか。

責められているのは、父親の責任でありました。

私(藤本牧師)は牧師の息子ですから、このホフニとピネハスのような立場にありました。
私は牧師の家庭の子どもたちについて、極力大目に見てほしいと思っています。
もう20年も前に、ある地方の教会に教団から派遣されて、特別集会のために行ったことがあります。
集会の30分前に着きまして通されたのが、礼拝堂の後ろにあるご家庭のキッチンでありました。
ああ、こんな狭いところで一家が生活されているのかと。

しばらくすると、二階からお嬢さんが降りて来られ、
「あら、久しぶりじゃない。大きくなってねぇ」という話をしていました。
お嬢さんは、ダイニングにありました鏡で自分の髪の毛を整えて、
そして私に明るく応対してくださり、
「じゃあ、先生、私、用事があるから」
「そうかい。行ってらっしゃい。またね。」(※と手を振る)

そして礼拝が始まる頃に、お勝手口から、礼拝堂の脇をすり抜けて出て行かれました。
すりガラスを通して、そのお姿が分かりました。
私(藤本牧師)は申し訳ない思いでいっぱいでありました。
一階のわずかな空間が先生方のダイニングで、二階が先生方の牧師館。
この子どもたちは小さい頃から、神学校という非常に制限された環境で育ち、
中学高校とこんなに狭い自分の家で、下は礼拝堂になる。
お父さんとお母さんは生真面目な牧師先生でいらっしゃいました。
子どもたちはどんなに苦労したのか?
察するに余りあるほどの苦労を子どもたちは体験したんだろうなぁという風に思いました。

こういう話を読みますと、私たちはつい考えますよね。
私たちが信仰家族であると、自分たちの信仰を、果たして子どもたちに伝えることに成功したのか、失敗したのか――そういう話になってしまいます。
時に自分はきちっとした信仰を持ちながら、自分の子どもたちが、ま、ホフニとピネハスのようになるわけではありません。
しかし親の信仰を引き継がなかったというケースもあるでしょう。
しかしそれとこの話を重ねてはいけないです。

なぜなら、ホフニとピネハスの場合は、そういうことではないです。
12節にあるように、つまり祭司となり、自分の欲のために祭司職を利用した者たちです。
<Tサムエル2:12>
 12さて、エリの息子たちはよこしまな者たちで、【主】を知らなかった。

そして、それは何もホフニとピネハス、エリではなく、また信仰家族の問題だけではない。
これは私たち皆の問題である、と言ってもいいんですね。
最初に申し上げましたように、説教の最初のポイントでは、これはサムエルの成長の物語である、と。
すると、こんなに問題ある境遇の中で、すくすくと育っていきます。

私たちキリスト者は、このサムエルのようです。
クリスマスの礼拝で、福島さんと寛(ひろ)くんが洗礼を受けました。
私たちが身を置いている世界は、サムエルと同じです。
世の人々は、(Tサムエル2章)12節にあるように「主を知らなかった。」
その内の一部はよこしまな者であったと。
自分の私利私欲のために、自分の立場をほしいままにいたします。
そういう中で私たちは日頃、生活をしています。
それを抑える者もいません。上に立つ者から注意を受けるかも知れませんけれども、
もしかしたら、上に立つ者も同じようなことをしているのかも知れない。
そこまで悪いことをする必要はないじゃないか、ということが私たちの職場で、私たちの日常で普通になされている。
より深く悪の世界にはまって行くのが、この世界ですね。

そんな中でもサムエルは、素直に【主】に仕えていきました。
「【主】よ、お話しください。しもべは聞いております。」(Tサムエル3:10)
という姿勢を彼は生涯離すことはありませんでした。
サムエルはホフニとピネハスにとりましては、弟のような存在であったに違いない。
ですからホフニとピネハスは、サムエルに向かって、「おまえも同じことをしよう」と言う、そういう道に誘って行ったはずであります。
でももしかしたら、サムエルにとっては、それは反面教師の姿であって、
「神は神を侮る者を軽んじられる」ということを、サムエルは敏感に察知していたのかも知れません。

3)祭司はサムエルに重なります。そして、このサムエルと重なる人物がイエス・キリストですね。

ちょっと映していただきますけれども、先程読みました(Tサムエル2章)26節。
【画面:全文に水色のハイライト】
<Tサムエル2:26>
26一方、少年サムエルは、【主】にも人にもいつくしまれ、ますます成長した。

というのは、ルカの福音書の2章の52節――「少年イエスは、神にも人にも愛され、ますます成長していった」ということばと重なります。
<ルカ2:52>
 52イエスは神と人とにいつくしまれ、知恵が増し加わり、背丈も伸びていった。

そしてやがてサムエルは、(Tサムエル)2章の35節をちょっと見ていただきたいと思いますが、こうありますよね。
【画面:Tサムエル2章35節「わたしの心と思いの中で〜家を建てよう」に緑のハイライト】
35わたしは、わたしの心と思いの中で事を行う忠実な祭司を、わたしのために起こし、
(***これはサムエルであり、イエス・キリストであり、と説明)
彼のために確かな家を建てよう。(***教会ですね、と説明)
彼は、わたしに油注がれた者(***というのはメシアですね、イエス・キリストです、と説明)の前をいつまでも歩む(ようになろう、と言葉を加えて説明)。

つまり、私たちの周りには、ホフニとピネハスがあり、山程いると言ってもおかしくないです。
主を知らずに、その中には非常によこしまで、私利私欲のために、自分の立場を利用してのし上がって行き、私たちが蹴落とされるような場面もしばしばあるに違いない。
しかしそういう中で、卑屈にならずに、少年サムエルはすくすくと育っていきます。

先程、父親のエリが、息子たち二人に叱って言いました。(Tサムエル2:25)
「人が人に対して罪を犯すなら、神がその仲裁をしてくださる。だが、【主】に対して人が罪を犯すなら、だれがその人のために仲裁に立つだろうか。」

というのは、昨年一年間で学びました。それは人間である祭司の限界です。
父なる神は、この限界を超えるために、ご自身に対する罪を赦すために、御子イエス・キリストを祭司としてこの世に遣わしてくださいました。
御子イエスは、十字架の死により執り成しをしてくださいます。
今日もこの聖餐において、私たちのために執り成しをしてくださる。
神に対して罪があるという時に、私たちの罪が赦されるのは、キリストの十字架による以外にないです。
人がどんな仲裁に入ったとしても、私たちが神に対して犯した罪は赦すことはできないです。
イエス・キリストは私たちの弱さをよく知っておられる。
祭司の筆頭として私たちを導いてくださり、私たちはこの方の赦しを得て、今年新しい年を踏み出だすことができる。その時に、
「神を蔑む者は神によって軽んじられる。しかし神を重んじる者は、神に重んじられる」(Tサムエル2:30)
ということを心に刻みながら、今日の聖餐式にあずかりたいと思います。

そうして2024年、自分が身を置く世界に、どれほどのホフニやピネハスがいたとしても、サムエルのように素直に、
「【主】よ、お話しください。しもべは聞いております」(Tサムエル3:10)
と言って進んでいくことができたならば感謝であります。

☆お祈りをいたします――藤本牧師

恵み深い天の父なる神さま、あなたはイエス・キリストを、「あなたの心と思いの中で事を行う忠実な祭司」(1サムエル2:35)としてこの世界に送り、私たちはそのご誕生を祝ったばかりでありますけれども、やがてイエス・キリストは十字架で私たちの罪を担い、私たちが神に対して犯した罪に対する仲裁をしてくださるようになりました。

いま私たちは聖餐にあずかり、その場に出ようとしています。どうか私たちのこれまでの罪をすべて赦し、そして私たちに力を与えてくださり、素直な謙虚な心をもって、生きる限り、この世でいかなる境遇にあろうとも、真っ直ぐ「お話しください。しもべは聞いております」(Tサムエル3:10)とあなたに向かうことができるようにお助けください。イエス・キリストの御名によってお祈りをいたします。アーメン。

☆聖餐式  以降は「聖日説教」へ、新しいHPでは教会員のページです。

掲示物をメールで送信。 プリントプレビュー
DATE: 2024.01.01 - 21:54
LAST UPDATE: 2024.01.02 - 10:21

104.28.196.2 - Mozilla/5.0 (Windows NT 10.0; Win64; x64) AppleWebKit/537.36 (KHTML, like Gecko) Chrome/120.0.0.0 Safari/537.36 Edg/120.0.0.0

Name   E-Mail   Password

 前文 1/7 サムエル(2)「お話しください」 Tサムエ...
 次文 12/24 クリスマス・洗礼式:どうしてそのような...
文章投稿 *^^*削除修正返答を書くリスト

チェックされた全文書を見る
760Simple view *^^*2/25 伊藤大輔 CS 教師:キリストの言葉を聞く信... T・Y 2024.02.25 37
759Simple view *^^*2/18 献児式・戸塚伝道師:ペテロのいる風景O・... T・Y 2024.02.18 45
758https://www.youtube.com/watch?v=3mN2GkhSPHo [リンクファイル] ダウンロードSimple view *^^*2/11 神奈川教区合同礼拝・ブランドン・久芳宣教... T・Y 2024.02.11 52
757Simple view *^^*2/4 サムエル(4)どのようにして、再び神の栄... T・Y 2024.02.04 74
756Simple view *^^*1/28 2024年総会:福音に生きる教会 Tテサロニ... T・Y 2024.01.28 62
755Simple view *^^*1/21 サムエル(3)神を担ぎ出す愚かさ Tサム... T・Y 2024.01.21 77
754Simple view *^^*1/14 戸塚伝道師:まだ行ったことのない道を イ... T・Y 2024.01.14 43
753Simple view *^^*1/7 サムエル(2)「お話しください」 Tサムエ... T・Y 2024.01.07 71
752現在参照中の文章です...1/1 元旦・聖餐式:サムエル(1)神を重んじる者... T・Y 2024.01.01 93
751Simple view *^^*12/24 クリスマス・洗礼式:どうしてそのような... T・Y 2023.12.24 81
750Simple view *^^*12/23 戸塚伝道師・キャンドルサービス:クリスマ... T・Y 2023.12.24 35
749Simple view *^^*12/17 アドベント(3)まぶねの中に ルカ2:1... T・Y 2023.12.17 90
チェック項目を全て削除。 チェック項目を全て削除。

前頁 次頁
前へ戻る 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10 次へ進む本頁が最終ページです
文章投稿 *^^* 再読込
投稿者氏名を検索項目欄に追加/除去タイトルを検索項目欄に追加/除去内容を検索項目欄に追加/除去 メイン画面に戻る。... *^^*