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::: 説  教 :::


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Name   T・Y
Subject   1/21 サムエル(3)神を担ぎ出す愚かさ Tサムエル4:1〜11
☆聖書箇所  Tサムエル4:1〜11

1サムエルのことばが全イスラエルに行き渡ったころ、イスラエルはペリシテ人に対する戦いのために出て行き、エベン・エゼルのあたりに陣を敷いた。一方、ペリシテ人はアフェクに陣を敷いた。
2ペリシテ人はイスラエルを迎え撃つ陣備えをした。戦いが広がると、イスラエルはぺリシテ人に打ち負かされ、約四千人が野の戦場で打ち殺された。
3兵が陣営に戻って来たとき、イスラエルの長老たちは言った。「どうして【主】は、今日、ペリシテ人の前でわれわれを打たれたのだろう。シロから【主】の契約の箱をわれわれのところに持って来よう。そうすれば、その箱がわれわれの間に来て、われわれを敵の手から救うだろう。」
4兵たちはシロに人を送り、そこから、ケルビムに座しておられる万軍の【主】の契約の箱を担いで来させた。そこに、神の契約の箱とともに、エリの二人の息子、ホフニとピネハスがいた。
5【主】の契約の箱が陣営に来たとき、全イスラエルは大歓声をあげた。それで地はどよめいた。
6ペリシテ人はその歓声を聞いて、「へブル人の陣営の、あの大歓声は何だろう」と言った。そして【主】の箱が陣営に来たと知ったとき、
7ペリシテ人は恐れて、「神が陣営に来た」と言った。そして言った。「ああ、困ったことだ。今までに、こんなことはなかった。
8ああ、困ったことだ。だれがこの力ある神々の手から、われわれを救い出してくれるだろうか。これは、荒野で、ありとあらゆる災害をもってエジプトを打った神々だ。
9さあ、ペリシテ人よ。奮い立て。男らしくふるまえ。そうでないと、へブル人がおまえたちに仕えたように、おまえたちがへブル人に仕えるようになる。男らしくふるまって戦え。」
10こうしてペリシテ人は戦った。イスラエルは打ち負かされ、それぞれ自分たちの天幕に逃げ、非常に大きな打撃となった。イスラエルの歩兵三万人が倒れた。
11神の箱は奪われ、エリの二人の息子、ホフニとピネハスは死んだ。

☆説教 神を担ぎ出す愚かさ

私(藤本牧師)が立ちますのは、7日が前回でありまして、その時に今年の標語聖句をお話ししました。
それが少年サムエルが神さまに呼ばれて答えていることばで、「お話しください。しもべは聞いています」(Tサムエル3:10)です。
この「お話しください。しもべは聞いています」という人生の姿勢が、サムエルの働きを決定していきます。
今日見ていただきます4章は、その対極の姿、イスラエルの人々の姿が出て来ますので、益々もって、この「お話しください。しもべは聞いています」という姿こそが信仰者のあり方である、ということを分かっていただけると思うんですね。

冒頭の1節で、サムエルはもはや少年ではありません。若い預言者です。
「サムエルのことばは全イスラエルに行き渡った」(Tサムエル4:1)ということは、イスラエル全十二部族がサムエルを預言者として認めたということです。
勿論それ以上が含まれていまして、「サムエルのことばは行き渡った」ということは、サムエルのことばは神のことばですから、神のことばが再びサムエルを通して、イスラエルに届くようになったということです。

1)簡単に出来事の全容をまとめます。

戦いに負けるイスラエル――それが当時のイスラエルでありました。
祭司エリの時代のイスラエルは、いつも宿敵ペリシテと向かい合っていまして、イスラエルは勝つことができません。
4章の場面でも大敗を喫しますね。
ちょっと第一サムエルの4章の2節を、私(藤本牧師)読みますので、見ていただきたいと思いますが、折角ですから映させてください。
【画面:Tサムエル4章2節「約四千人が野の戦場で打ち殺された」にオレンジのハイライト】

2ペリシテ人はイスラエルを迎え撃つ陣備えをした。戦いが広がると、イスラエルはペリシテ人に打ち負かされ、約四千人が野の戦場で打ち殺された。

という、大敗を喫したという例なんですけれども、いや戦いはこれだけではないと思います。何度も彼らは敗北を喫しているわけです。
そうした時に、これもう一回映しますね。3節見てください。こうありますよね。

【画面:Tサムエル4章3節「【主】の契約の箱」に水色のペンで囲み、「シロから【主】の契約の箱を〜持って来よう」「その箱が〜救うだろう」にオレンジのハイライト】

3兵が陣営に戻って来たとき、イスラエルの長老たちは言った。「どうして【主】は、今日、ペリシテ人の前でわれわれを打たれたのだろう。・・・

神さまに責任を擦り付けていますけれども、単純に「なんで負けたんだろう?」
色々考えたんでしょうね。
最終的に私たちが神の民だとすると、「どうして神さまは、私たちを敵であるペリシテの手に渡したんだろうか?」と、
「私たちは神を信じているのに、どうして負けたのか?」と(問うわけです)。

このものの考え方というのは、他人事ではないわけですね。
私たちにしてみると、しょっちゅうこれですね。
私たちだって、「祈ったのに、どうしてうまくいかなかったのか?」
「信じているのに、なぜ自分の願いが叶わなかったんだろう。いや大敗を喫してしまったのだろう?」

とにかくこの時のイスラエルは、ペリシテ人に既に負けていました。
そして本当に大切なのは、負けたこと自体ではなく、負けた後どうするかで私たちもそうです。
多くの人は思うわけですよね。
「負けたから終わり」――ではない。
「失敗したから終わりだ」「挫折したから終わりだ」
いや、実際そうではなくて、負けた後も私たちは頑張らなくてはいけない。
生きて行かなければいけない。

じゃあ、どういう風にしたらいいんだろうか?という疑問は、私たちの中にも上がって来るわけですよね。

で、イスラエルはどうしたのか、聖書を見ていただきたいと思いますが、
イスラエルは3節でこういう風に考えました。

3(続き)…シロから【主】の契約の箱をわれわれのところに持って来よう。・・・

【主】の契約の箱は、シロに安置されていました。会見の天幕の中に。
【主】の契約の箱は、【主】の臨在です。
【主】の臨在を、われわれのところに持って来よう。

3(続き)・・・そうすれば、その箱がわれわれの間に来て、われわれを敵の手から救うだろう。」

【画面:Tサムエル4章4節「エリの〜ピネハスがいた」にオレンジハイライト】

4兵たちはシロに人を送り、そこから、ケルビムに座しておられる万軍の【主】の契約の箱を担いで来させた。そこに、神の契約の箱とともに、エリの二人の息子、ホフニとピネハスがいた。

という、この二人の、罪深いエリの息子も一緒にやって来たわけですよね。

「【主】の契約の箱」には、申し上げましたように、十戒の板が入っていて、
神さまを礼拝する一番聖なる場所(至聖所)に安置されていました、会見の天幕に。
臨在の象徴でありまして、

その箱を「担いで来た」(4)とありますよね。
「担いで来た」ということばは、ま、日本語で言うならばいわば、「神を担ぎ出して来た」という心理ですね。
「神輿を担ぐ」と発想は同じなんです。
神社のお祭りではお神輿を担ぎ出すことによって、神々の乗り物に載せることによって、神がこの地域一帯を巡り、地域一帯の汚れをきよめる、という日本人の発想ですけれども、
それと同じように、日頃シロの遠くにある神輿に乗せて担いで来たわけですよね。

私たちは祈りにおいても、人生の様々な場面で、自分の都合で神さまを担ぎ出して来ます。
これが「苦しい時の神頼み」という言葉にもなります。
神さまは「苦しい時にわたしに向かって叫べ」と仰いました。(***詩篇50:15)
でも「わたしに向かって叫べ」というよりも、箱さえ持って来れば、「箱がわれわれを敵の手から救うだろう」(3)ということは、彼らは神を信じていたわけではない。
その箱に力があると思って、箱を担いで持って来たわけです。

すると、私たちの発想で言えば、私たちと神さまとの間に、人格的な交わりはないんだけれども、祈り――たとえば悔い改め、祈り、そして信仰――「信仰の壇を築き直す」ってものの言い方をしますけれども――それはいわば単純に交わりもないのに、そういうことをしますと、「神の箱を担ぎ出して来た」ということと、ほぼ等しいことになります。

5節で大声を上げますね。
【画面:Tサムエル4章5節「全イスラエルは大歓声をあげた」にオレンジのハイライト】

5【主】の契約の箱が陣営に来たとき、全イスラエルは大歓声をあげた。それで地はどよめいた。

今まで、負け側に立っていたイスラエルが「大歓声をあげる」(5)というのは、「いったい何が起こったんだ?」とペリシテは考えるじゃないですか。
(イスラエルは)どよめきますよね。
ペリシテは、ものすごく焦ります。6節に――(※続けて読む6〜8節)

6ペリシテ人はその歓声を聞いて、「へブル人の陣営の、あの大歓声は何だろう」と言った。そして【主】の箱が陣営に来たと知ったとき、
7ペリシテ人は恐れて、「神が陣営に来た」と言った。そして言った。「ああ、困ったことだ。今までに、こんなことはなかった。
8ああ、困ったことだ。だれがこの力ある神々の手から、われわれを救い出してくれるだろうか。これは、荒野で、ありとあらゆる災害をもってエジプトを打った神々だ。

あ、十戒の箱が来たら、絶対に負ける、とペリシテ人も恐れたわけです。

2)さて、一旦話を戻しますけれども、先程の「それ(その箱)が私を救うだろう」という3節の幼稚な信仰を、もう一回考えてみたいと思います。

人々は神の奇跡の箱を「神がかり的に信じて」いました。
「神がかり的に信じる」という気持ちも、疎かにしてはいけないと思います。
例えば、聖書というものを「神がかり的に信じて」、みことばを壁に貼るというのも、一つの方法だろうと思います。
でもそのみことばを、お札のように貼っているんじゃなくて、
そのみことばに毎日目を向け、真実にそれを信じ、その全部のみことばを読み、
もう壁に貼っておくだけではない、そのみことばと自分との関わりを日々保つならいいんですよ。

だけど、私たちは何かお札を貼っておいたら、それが私たちを災いから遠ざけるだろうと、たとえば交通安全のお守りを沢山ぶら下げている人は、毎日車に乗った時に、その安全のお守りに祈願するわけじゃないですよね。祈願は置いているわけですよね。
だけどそのおみやげとしてもらってきたお守りをそこに載せておくだけで、車は守られる。
それは十字架をバックミラーのところにぶら下げて運転しているのと同じで、
その十字架に何の人格的な交わりはないわけです。
機械的な祈り、機械的な信仰とまではいかないと思いますけれども、
祈っている神とのたましいの交流なしに、私たちの祈りがもしそれで終わっているとしたならば、大変な問題であろうと思います。

それが、私が神を担ぎ出していることになりはしないか?ということを、時々自分の祈りの反省材料として考えるべきことがありますよね。

つまり、祈り以前の問題として祭司エリには二人の息子がいて、
神殿で不道徳を行うような邪悪な息子たちで、
その行いは神を軽んじるような、神を軽蔑するような、神を卑しめるような行いで、
ホフニもピネハスも、イスラエルの長老も、神さまの言うことを聞いてほしいとは思いますけれども、
神さまの仰ることに耳を傾けようという姿勢は、最初から最後までないんですよね。
【主】のみことばを聞かないで、【主】の契約の箱という神輿を強引に連れて来た時に、
「さあ、われわれに勝利を与えてください」と祈ったところで、今回ものすごい敗北を喫するわけですね。

ちょっと見てください。4章の10節――
【画面:Tサムエル4章10節「イスラエルは打ち負かされ」「「イスラエルの歩兵〜倒れた」にオレンジのハイライト」

10こうしてペリシテ人は戦った。イスラエルは打ち負かされ、それぞれ自分たちの天幕に逃げ、非常に大きな打撃となった。イスラエルの歩兵(***前回4千人、今回は、と説明)、三万人が倒れた。

これ、ほぼ全滅です。のみならず――(※11節を続けて読む。)
【画面:Tサムエル4章11節全文にオレンジのハイライト】

11神の箱は奪われ、エリの二人の息子、ホフニとピネハスは死んだ。

神の箱は、触れたら死ぬかもしれない、と言われる程、異様な力を発揮していたんです。
ですから彼らは担がなければいけなかった。
その箱が威力を放って、敵を滅ぼしてくれると思った。
しかしその箱は敵を滅ぼしたんじゃない。
そういう扱いを神にしたイスラエルの人々と、悪事を全く悔い改めなかったホフニとピネハス、イスラエルの長老たちも、いのちを落とすわけですね。

祭司エリはショックで、倒れて死んでしまいました。(18)
その時、ピネハスの妻はショックで早産をいたします。
そして4章の19節、これはちょっと読みますね。

19彼の嫁、ピネハスの妻は身ごもっていて出産間近であったが、神の箱が奪われて、しゅうとと夫が死んだという知らせを聞いたとき、陣痛が起こり、身をかがめて子を産んだ。

でつけた名前が21節――
【画面:「栄光が〜名づけた」にオレンジのハイライト】

21彼女は、「栄光がイスラエルから去った」と言って、その子をイ・カボデと名づけた。

3)本来の祈りはいったいどうあるべきなんだろうか?

それは今までの話で、神輿に乗せて、神を担ぎ出すような祈りではない。
では、どういう祈りの姿勢が求められているのか?
もう一度、3章(10節)の「お話しください。しもべは聞いています」という所に戻らざるを得ないですよね。

少年サムエルは神殿で寝ていました。
エリは別の所で寝ていましたので、
真っ暗な神殿で、ま、ともしびは点いていますけれども、
教会で一人で寝るような、そういう生活を送っていました。

そこにいきなり、「サムエル、サムエル」と自分の名前を呼ぶ声がするわけです。
そしてともしびがゆらゆらと揺れているんですね。
そりゃ、どきっとして非常に不気味に感じて、彼はエリ先生のところに「走って行った」んです。(5)
それは必ずしも忠実だからというより、もしかしたら怖かったのかも知れない。
ところがエリ先生は、自分は呼んでないと。
そう聞いただけでさらにドキドキしながら、寝付いたと思ったら「サムエル、サムエル」と。

そしてついに【主】は現れた時に、エリ先生から教えてもらった「お話しください。しもべは聞いています」という。
「お話しください」というのは、多分、自分の心を神さまに預けるような心なんでしょうね。
「何でもお話しください」――子どもの無防備さですね。

もうず〜っと以前、林間聖会が富士五湖の一つの本栖湖のそばのもう一つの湖で持たれた時がありました。
その時、家内の圭子(夫人)が幼稚科のクラスを担当していました。
クラスには、ま、二泊三日しか過ごさない小さな子どもたちが、色んな教会からやって来るわけですから、初めて見た先生と初めて見た子どもですよね。
最初は不審な顔つきだろうと思います。
一緒に床に座って遊んで、一緒に手を繋いで、クラスを持った次の日に、幼稚科さんの女の子の一人が、外に出た時に、湖畔の草むらで花を摘んで、「先生、これ上げる」と嬉しそうに持って来てくれた、という話をしてくれました。

小さな子どもは、そんなにも無防備に心を預けてくれる、信頼してくれる、と圭子は感動していました。
そしてその次の日に、その子は尋ねたそうです。
「先生、まだあのお花咲いている?」って。

幼稚園生ですよね。可愛いなぁと思います。
でも逆に、もしこれが悪い人が相手だったら、その子どもの純真さを、無防備なまでの危険に晒されたことになりますよね。
子どもって、そんなに素直に、自分を預けに来るわけです。
だから私たちは「知らない人に絶対に声かけられても、答えちゃいけないよ」っていう、
子どもはそこまで親を、大人を、信頼を傾けて接して来るわけですよね。

すると、少年サムエルが、初めて主のことばを聞いた時に、ま、色々恐れながらも、驚きながらも、彼はエリ先生に教えられたように、自分を預けるかのように――堂々と言ったんじゃないんだと思うんです、私(藤本牧師)は――真っ暗な神殿ですから、初めての出来事ですから、
「お話しください。しもべは聞いています」ときっと目を伏せて、何も見ないかのように、彼は言ったに違いない。

でも「お話しください」と言うのは、しかも聞かされた言葉は、エリの家族の罪と「エリの家族をわたしは滅ぼす」というものすごいニュースを少年ながら聞かされるんですね。
そして今日学んだところは、やがて時が経って、本当にエリの家族が滅ぼされるという場面です。

様々な場面にあって、サムエルはいつも自分の心を主に注ぎ出す。
この「主に注ぎ出す」っていうのは、サムエルの母親の姿勢です。
まだ子どもができなかった頃に神殿に来て、一生懸命【主】の前に心を注ぎ出して祈っていた。
まるでお酒でも飲んで酔っ払っているかのように、身体を揺らしながら、一生懸命注ぎ出して祈っていた(***Tサムエル1:12〜15)母親の息子だけあって、
祈りに関しては、すべてを主に委ねることがきっとできたんだろう、と思いますね。

大人になればなるほど、自分の都合に合わせて、神を自分の生活の場面に担ぎ出すような祈りにどうしても傾きます。
でも幼子は、むしろ祈る言葉を知らないがゆえに、「お話しください。しもべは聞いています」というような心で、親や教会学校の先生が祈ってくれる祈りに、心を合わせるんだろうなぁと思います。

☆お祈りをいたします――藤本牧師

恵み深い天の父なる神さま、私たちは毎日お祈りをしています。でも祈っているとは言え、いつの間にか、あなたを何とかして担ぎ出して、助けてもらおうという祈りに心が傾いて行きます。「話されるのはあなたであり、聞くのが私たちの務めである」という、それが人格的な交わりの根本をなしているということを、覚えておくことができるように助けてください。そしていざという時、本当に様々な願いをあなたの前に並べた時に、「わかった。日頃からあなたはわたしの声に耳を傾けている。だからわたしは、あなたの声を聞こう」と言っていただけるような存在になることができるようによろしくお願いいたします。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。

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