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::: 説  教 :::


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Name   T・Y
Subject   1/28 2024年総会:福音に生きる教会 Tテサロニケ1:1〜10
☆聖書箇所  Tテサロニケ1:1〜10

1パウロ、シルワノ、テモテから、父なる神と主イエス・キリストにあるテサロニケ人の教会へ。恵みと平安があなたがたにありますように。 
 2私たちは、あなたがたのことを覚えて祈るとき、あなたがたすべてについて、いつも神に感謝しています。
3私たちの父である神の御前に、あなたがたの信仰から出た働きと、愛から生まれた労苦、私たちの主イエス・キリストに対する望みに支えられた忍耐を、絶えず思い起こしているからです。
4神に愛されている兄弟たち。私たちは、あなたがたが神に選ばれていることを知っています。
5私たちの福音は、ことばだけでなく、力と聖霊と強い確信を伴なって、あなたがたの間に届いたからです。あなたがたのところで、私たちがあなたがたのためにどのように行動していたかは、あなたがたが知っているとおりです。
6あなたがたも、多くの苦難の中で、聖霊による喜びをもってみことばを受け入れ、私たちに、そして主に倣う者になりました。
7その結果、あなたがたは、マケドニアとアカイアにいるすべての信者の模範になったのです。
8主のことばがあなたがたのところから出て、マケドニアとアカイアに響き渡っただけでなく、神に対するあなたがたの信仰が、あらゆる場所に伝わっています。そのため、私たちは何も言う必要がありません。
9人々自身が私たちのことを知らせています。私たちがどのようにあなたがたに受け入れてもらったか、また、あなたがたがどのように偶像から神に立ち返って、生けるまことの神に仕えるようになり、
10御子が天から来られるのを待ち望むようになったかを、知らせているのです。この御子こそ、神が死者の中からよみがえらせた方、やがて来る御怒りから私たちを救い出してくださるイエスです。

☆説教 2024年総会:福音に生きる教会

今日はサムエルの学びを一回お休みして、テサロニケの教会から、総会に向けて学んでいきたいと思います。
(Tテサロニケ1章)1節はいつものように――「父なる神と主イエス・キリストにあるテサロニケ人の教会へ。恵みと平安があなたがたにありますように」というパウロの挨拶で始まっています。

1)テサロニケの教会は、神さまの恵みと平安によって保たれていました。

よく考えて見ると、とても味わいがあります。
テサロニケの教会はパウロの第二次伝道旅行の時に出来上がりました。
使徒の働きの17章で、パウロとシラスはテサロニケに入って、ユダヤ教の会堂を使って、聖書に基づいて伝道しますが、そこで数名救われます。
しかしすぐに、彼らのうちの幾人かは事態をよく分かっていて、妬まれて、あっという間に伝道は終わってしまいました。

使徒の働きの17章の5節を見ますと、なんと妬みに駆られたユダヤ人たちは、その場で暴動を起こし町を騒がせ、その上でパウロとシラスを役人の所に引っ立てて、叫びます。
「世界中を騒がして来た者たちが、ここにも(6)入り込んでしまいました」と。
で、10節で「兄弟たちはすぐさま、夜のうちにパウロとシラスをベレアに送った」とあるように、
伝道期間がものすごく短かったこと、それからユダヤ教側からの迫害が酷かったこと、
そしてキリスト教と言えば、もっぱら「世界中を騒がす、とんでもない者たち」という風に考えられていました。

パウロは恐らく1か月もテサロニケにいなかったと思います。
そう考えますと、伝道は絶望的でありました。
「あの時、自分たちのことばを受け入れて救われた人は、もはや信仰も捨てて、(伝道は)無駄であったに違いない」と、パウロは思っていたと思います。

でもしばらくすると、パウロのもとに知らせが届きます。
ほかの様々な教会から知らせが届きます。
それは「テサロニケの教会は、あれから後、きちっと建ち上がって行った」という知らせが周囲から届くんですね。
そしてそれが事実なら、パウロは思ったはずですね。
「キリストの恵みと平安が、彼らを守っていた以外なにものでもない」と。

今年一年間高津教会の活動も、また高津教会の77年間の歴史も、牧師の交代も、教会員の構成メンバーの交代も、多くの兄弟姉妹を天国に送りつつ、教会が守られたとしたならば、それは主の恵みと平安のゆえであったと、だれもが納得すると思います。

それゆえ、パウロは神さまに感謝します。(1テサロニケ1章)2節をご覧ください。

 2私たちは、あなたがたのことを覚えて祈るとき、あなたがたすべてについて、いつも神に感謝しています。

2)パウロがテサロニケの教会の様々な知らせを聞く時に、この教会の内実を彼はこういう風に表現しますね。

画面を見ていただいて――(※指で示しながら読んで行く)
【画面:Tテサロニケ1章2節「覚えて祈るとき〜感謝しています」3節「思い起こしている」にオレンジのハイライト】
<Tテサロニケ1:2〜3>
 2私たちは、あなたがたのことを覚えて祈るとき、あなたがたすべてについて、いつも神に感謝しています。
3私たちの父である神の御前に、あなたがたの信仰から出た働きと、愛から生まれた労苦、私たちの主イエス・キリストに対する望みに支えられた忍耐を、絶えず思い起こしているからです。

彼らについて、(2節を指で押さえて)神に感謝します。
でも思い起こしているのは、これは以前の訳の方が簡単でした。
《信仰の働き、愛の労苦、望の忍耐》
私(藤本牧師)はこの箇所から何回か説教をしてきました。
以前はもう少し詳しくこの部分を話したんですけれども、
《信仰の働き、愛の労苦、望みの忍耐》――(※2〜3回思い出して言い直した後、3つがスラスラッと出て来て笑顔になる藤本牧師)
これね、心の中で良〜く覚えておいていただきたい。(※左手の指を3つ折って見せて)
信望愛――信愛望なんですけれども、
《信仰っていうのは、何か働き出る》時に働くんですよね。
愛する時には必ず労苦が伴う。愛して喜ぶのは恋人位なもので、夫婦であれば、やっぱり《愛の労苦》ですよね。
愛するというのは、子育てであろうが、家族であろうが、それは労苦を伴なうというのが、愛の本質的なものです。
なぜなら自分を犠牲にし、自分の考えを譲り、自分よりも相手を大切にするわけですから、それは自分自身、労苦を担うって当然ですよね。
そして教会にとって大切なのは、《望みの忍耐》。忍耐だけではない。
私たちは《神を待ち望む》わけですから、希望に燃やされて、《希望に支えられて忍耐する》ということです。

今皆さんが使っておられるこの教会堂、その壁も、この正面も、私(藤本牧師)が大学二年生の時に、1974年に出来上がりました。
それまでは木造の平屋でございましたけれども、この時に二階になりました。
段々教会員が増えて、手狭になって来たのが理由でありました。
しかし決して経済的には豊かでない時に、新会堂建設に着手できたのは、教会員の一致した《信仰の働き》、信仰の働き以外の何ものでもありませんでした。

1992年に増改築いたします。その費用も決して小さくはありませんでした。
二階にバルコニーを付け、準備室の上に牧師室を載せ、そして正面のロビーを全部改め、床暖房を敷き、そしてトイレが一か所であったのを、男子トイレをそちら、女子トイレをそちら、グレースルームを載せ、そして応接室の方向を変え、道路ギリギリまで張り出すように増改築をしました。約4000万かかりました。
その時に、牧師館の一部を変えて、牧師館も若干過ごし易くなりました。
そして牧師館と教会堂をベランダで繋げてしまったのも、この時の出来事でありました。
3800万ぐらいの献金を募ったんだと思います。

そして4000万を超えて与えられましたその余剰金で、私たちは将来に備えて、土地積み立て献金を始めたんです。
できた時からここは借地で、ま、広大な借地で十分なんですけれども、私たちはかなりの地代と20年ごとの多大な更新料を払って来ましたので、このままでは私たちはどうすることもできない。
土地を獲得する時がやがて来る、ということを信じて、貯金を始めて行きました。

それが一億に到達しました。一億に到達した時に、私たちはそれをそのままにして、
今度は教会は毎年、新しい会堂のために貯金しようと頑張って来ました。
そして今年、それが、ごめんなさい、後で正確な数字が出て来ますけれども、ま、5000万、7000万になっています。

ここ10年、貯金の多い教会だなぁって思わないでください(笑)、って話をして来ました。
それはもし何らかの事情で教会堂を建てたら、これ0になりますと(笑)。
だから私たちは、貯金多くして豊かに教会生活を送っているのではない。
もうギリギリの線で何とかして、この貯金を増やさねばならない。
そして増やすことを、神さまは可能にしてくださいました。

建物の話をしましたけれども、教会というのは建物ではないんですよね。
建物だけをとっても、《信仰の働き》です
いま見ましたように、《信仰の働き、愛の労苦、望みの忍耐》です。
これがないと――私(藤本牧師)前に話したことがありますけれども、私が(教団)代表の時に献堂式をしまして――献堂式をした二週間後に教会が分裂したというのがありました。
それには、大きなため息ですね。
献堂式終えて、みんな仲良く愛餐会をして、そして二週間後に分裂するというケースは。
二か月後だったかな、あっという間に分裂してしまいましたよ。

この3つは信仰者個人に問われるのですが、それ以上にパウロは教会に問うています。
この教会に、《信仰の働き、愛の労苦、望みの忍耐》はあるのかと?
高津教会にはもう15年程前からずっとこの――今日は詩篇の84篇を読みましたよね――
あすこが高津教会の教会聖句なんです 。
高津教会に標語があるかと言えば、まさにあれで、ホームページにもそのことは記されています。
(詩篇)84篇の3節に「雀さえも 住みかを 燕も ひなを入れる巣を あなたの祭壇のところに得ます」とあります。

話の始まりはこうでした。
ある日、午前中に高津小学校の数名がやって来まして、
対応したのは圭子(夫人)だったんですけれども、
社会見学の一環で、一つのグループが教会というものを見せてほしいと。
で、圭子を先頭に色々案内しました。
その頃、ベランダに燕が来ていまして、男の子がそれをじ〜っと見ながら、
「おばさん、ここは幸せなところですね」と、言ってくださったんですね(笑)。

後から考えてみると、その男の子はオスカー・ワイルドの「幸福の王子」と重ねたんだろうと思う。
燕が幸せを運んで来る教会(笑)。
私たちは聖書にそういう教えはないので(笑)、色々考えた。
それはね、燕さえも教会堂に自分の住みかを設けることができる、というのは、
詩篇の84篇そのままですよね。
しかも祭壇のところに設けるというのは、神殿の中で最も聖らかな、最も神の臨在の濃い祭壇に燕が招かれている、ということはどういうことか?
《どんな人もここの教会に、住みかを見出すことができる》(そんな教会を目指そうと)。

私たちの教会は、勿論都会の教会、関東の教会ということもありますけれども、
皆さんに、初めて来られた方々に、いきなり名前を聞いたり、或いは住所を聞いたりすることはいたしません。
様々な事情をもって、来ておられる方が多いわけですから。
でも言えることは、どんな社会的な背景があろうと、国籍に関係なく、教団教派に関係なく、「燕さえも」「雀さえも」と言えるほど、
《だれでもこの教会に入ることができる、教会家族になることができる》と、
なるべく門戸を広げたい、という思いはあるんですけれども、
実際それが実現されているかは別としてですね。

イエスさまは仰いました。マタイの福音書10章の29節に――
<マタイ10:29〜31>
29二羽の雀は一アサリオンで売られているではありませんか。そんな雀の一羽でさえ、あなたがたの父の許しなしに地に落ちることはありません。
30あなたがたの髪の毛さえも、すべて数えられています。
31ですから恐れてはいけません。あなたがたは多くの雀よりも価値があるのです。

詩篇84篇の「燕さえも」「雀さえも」という時に、私たち一人の人間はそれよりもはるかに多くの価値ができる。
ですから、だれでも共に礼拝ができる教会というのは、高津教会のめあてでありました。

しかしこの教会家族に加わりましたら、互いに励まし合うことが求められます。
それは《信仰の働き、愛の労苦、望みの忍耐》の何かを私たちは背負う。
個人として、また教会として、これを背負う。
オンラインの向こう側から祈ってくださる方がいる。《望みの忍耐》をもって。
オンラインの向こうで、愛の労苦をもって、暫らくお目にかかってない方に電話をしてくださる方がいる。
オンラインの向こうから、この能登の地震のために、多額の献金を送ってくださる方がいる。
それは《信仰の働き》のゆえに。
信仰の働きは、教会の中だけではない。皆さんが置かれている家族、家庭、或いは職場の中でも、皆さんは《信仰をもって》、ご自分の仕事をこなしておられるはずですよね。
《愛の労苦》を喜んで担いながら、皆さんは人と接し、ま、なかなか接せられないこともありますけれども、その努力を忘れずに家庭の中でも生活している。
一言で言えば、《自己中心から少しでも解放されることを願って、私たちは生きている》。
そういう意味で、忍耐する教会、愛の労苦をする教会に、燕も、雀も招かれているわけですよ。

門戸を限りなく広くしたいというよりも、一人の人に与えられた尊厳をとても大切にする教会でありたいです。
でも教会家族に入る時に、自己中心さから少しでも解放されるということを願わない時に、ここは皆さんの自己実現の場ではありません。
ここは神の愛を受けて、皆さんがキリストのように遜り、
嵐の谷間を通る時も、「泉の湧く所」としてくださる(詩篇84:6)、
神の恵みを十二分に味わう場所です。
ですから自分の人生の苦労や、自分が抱えている問題をのべつ幕なしに、皆さんに語りかける場所ではない。
いつでもそれらを越えて、十字架を仰ぎ、希望を感じる場所です。

忍耐する教会ということは、皆さんは牧師に忍耐してくださいます。
教会の人間関係に忍耐してくださいます。
自分の人生の辛い出来事に忍耐してくださっています。
でもそれはすべて、《望みの忍耐》なんですね。
我慢すればいい、ということではない。
《神さまは必ず問題を解決してくださる、という望みの忍耐》です。

3)テサロニケの教会は、周囲の教会の模範となりました。

ちょっと映しますね。7節にこうありますね。
【画面:Tテサロニケ1章8節「神に対する〜伝わっています」にオレンジのハイライト】
<Tテサロニケ1:7〜8>
7その結果、あなたがたは、マケドニアとアカイアにいるすべての信者の模範になったのです。
8主のことばがあなたがたのところから出て、マケドニアとアカイアに響き渡っただけでなく、神に対するあなたがたの信仰が、あらゆる場所に伝わっています。・・・

神に対するあなたがたの信仰が、周囲に聞こえていくような教会ですね。
覚えておきたいことは、テサロニケの教会が名前を馳せるようになったのは、教会が急成長を遂げたからではないです。
たった数年で教会が建ち上がり、大きな教会堂ができたからでもないです。
優秀な説教者が牧会していて、周囲の教会にそのことが響き渡った、でもないですし、
町の有力者が教会員になったとか、そんなことでもないんですよね。
それは単純に9節にありますように――
  1.福音を素直に受け入れ、
  2.偶像から立ち返り、
  3.生けるまことの神に仕えるようになり、
  4.復活の希望を抱いて、キリストの再臨を待ち望むようになった(10節)

つまり、教会というのは実質。実質なんですね。
その実質というのは、牧会者の実質じゃないんです。
皆さんの実質です。
その実質を保とうとすれば、実質を育てようとすれば、
《信仰の働き、愛の労苦、望みの忍耐》この一つでも欠けたら――勿論欠けますよ、
でも皆さんがカバーしてくださいます。
私にとって、愛の労苦はなかなか難しい。
愛の労苦はほかの人がしてくださるでしょう。
私にとって信仰の働き、こんな小さな者の信仰の働きって、何の意味があるんだろう?
いや、信仰の働きは、あの方が担ってくださるでしょう。
でも愛の忍耐はあなたが担います。

というように、「私たちは自分の得意な所をもって、キリストのからだの欠けを補う」と、パウロは表現していますよね。
完璧な教会なんか一つもないですよ。
でも私たちが互いを一部その欠けに当てはめることによって、教会を成り立たせている、ということが当然求められています。

私(藤本牧師)は今年神さまからのビジョンを与えられています。
それは小さなビジョンです。
近い将来、新しい教会堂を建設できるように祈る、というビジョンです。
教会堂建設と聞きますとね、何か負担に感じますね。
「献げなきゃいけないのか?」という。
そういうことを負担に感じてほしくないです。でも、
「自分は教会堂のために――地震大国――教会堂のために祈ることをしなかった」
っていうのは、負担に感じてほしいです。
もし教会堂が出来上がった時に、沢山捧げてるのはすばらしいことです。
でも「自分はほとんど祈らなかったなぁ」となったら、
う〜ん、この教会堂の家族の一人になれるのかなぁと思う位、
《信仰の働き、愛の労苦、望みの忍耐》。

これから後の教会総会で話をしますが、いつ着工するかなんて何にも決まってません。
だけど、私(藤本牧師)の気持ちは、能登に2022年に一回マグニチュード5.5がありましたよね。
それから二年先にマグニチュードいくつ?7.4位かな?7.6。
その二年間の間、Iさんなんかは視察にいらっしゃってますけれども、二年ではどうしようもないんですよね。
その間、様々な微震も余震もあったわけですけれども、
「最近ずいぶん能登半島に地震が多いねぇ」ってのは、理解しているわけですけれども、
だからと言って、何かができるわけではない。

仮にですよ。私たちの教会で一つの地震が、ま、首都圏であって、そこから3年後に大きなものがあったとしたら、この3年間って何もできないと思います。
というのは、ゼネコン含めて大手は全部押さえて対策を講じるということに必死になりますので、勿論地震があった後は、阪神淡路が5年10年かかったとしたら、
東京は10年20年かけても、立ち上がれないんじゃないでしょうかねぇ。
とはいえ、立派なビルはあります。そして様々な住宅家屋も耐震補強がなされて、十分に倒れずに済むかもしれない。
でも「倒れたら」って考えますと、私は(建設は)そんなに遠くではない。
そこで「先ず、祈ることから始めましょう」という総会の議案を、皆さんと、
より詳しくお話ししますので、礼拝をここまでにして、お祈りをもって閉じます。

☆お祈り――藤本牧師

恵み深い天の父なる神さま、近隣の教会さえ、テサロニケを知るほど、あれほど初期段階においては迫害も多く、パウロもシルワノもそしてテモテも、夜中逃げ出してしまったというほど厳しい教会でありました。でも、あなたの真実のゆえに教会は守られ、福音の芽は育ち、やがて実をつけるほどになって行きました。《信仰の働き、愛の労苦、望みの忍耐》、これがこの教会のみならず、そもそも神の家族の実質であったとすると、私たちの教会もすべての人に対して門戸を開き、なおかつ、実質を大切にする教会、この実質に関しては、「自分はできないことが多過ぎて、何も参加できません」とは言わずに、だれでも祈ることはできるのですから、祈りの力を発揮する一年でありますようにお助けください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。

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DATE: 2024.01.28 - 20:23
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