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::: 説  教 :::


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Name   T・Y
Subject   3/9第一ペテロ(4)見ずして信じる幸い 第一ペテロ1:8〜9
☆聖書箇所      第一ペテロ1:8〜9

8あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。
9これは、信仰の結果である、たましいの救いを得ているからです。

☆説教       第一ペテロ(4)見ずして信じる幸い

今朝はペテロの手紙第一、先週の続きになりますが、先週は6〜7(節)を見ていただきました。「金よりも尊い」という7節のことばを覚えていてください。浅田真央さんの演技ではないですが(笑)、金よりも尊い。
8節を今日は見ていただきます。

8あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。

聖書の中で有名な「あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており」というこのことばが、ここにあるんだ、ここにあるんですよ、そのことも覚えていただきたいと思います。

お釈迦さまがその道に悟りを見出し、真理を発見した時に、彼は自害しようと考えたと言われています。
自分自身がすばらしい真理を見出し、それが最高のものであると納得しながら、なぜ自害を考えたか?
それは、その真理を人に伝えようとする時に、果たしてそれが伝わるか。伝わるわけがないと考えたからだそうです。

自分だけがその道を発見し、誰もがその道に進んでくれるだろうと想像しながらも、しばらくよ〜く考えたら、いったい誰がそれを信じてくれるだろうと、そう考えたら絶望の淵に叩き込まれたというわけです。
私(藤本牧師)はこの手紙を記したペテロというイエスさまの一番弟子、そのペテロが世界を駆け巡って伝道していく時にまさにそういう気持ちを抱いていたのではないだろうかと考えさせられます。

神がこの世界を救うために、人となって、卑しい乙女マリヤに宿り、ベツレヘムに生まれた。
旧約聖書に人の子は雲に乗ってこの世界にやって来て、諸国の王たちがその前にひざまずく(***ダニエル7:13〜14)と言われている救い主が、メシヤが、なぜガリラヤの田舎で育たれたのだろうか?
神の子イエスは、ガリラヤの湖でペテロに声をかけて「ついて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう」と仰った。
仮にイエス・キリストが神の子であり、メシヤだとしても、いったいどうして自分のような一人の人間に、漁師に、「ついて来なさい」と弟子にされたのであろうか?
それはそれは数々の奇跡を行い、目が見えない人の目を開き、死んだ少女をよみがえらせ、五千人もの人びとの空腹を、わずかなパンと魚で満たし、悪霊を追い出し、すばらしい教えを説いた。
そんなことを信じてくれる人がいるのだろうか?

すばらしい教えを説いたということで、ま、すばらしい道徳家として信じる人はいるかもしれない。
しかし、自分が目の当たりにしたイエス・キリストは、ガリラヤの荒れ狂う嵐を静め、湖の波を静め、死の力を覆すような奇跡を行ったと、どんなに説明してもいったい誰が信じるのだろうか?
自分がどんなに弁が達者になったとしても、どんな雄弁な説教を練習したとしても、この福音にいのちをかけたとしても、そんなことで人は信じてくれるんだろうかとペテロは頭を抱えてしまったに違いないというのは、想像するのに難しいことではないと思います。

それだけではありません。そのイエスはユダヤ人に引き渡され、ローマの兵士に引き渡され、ローマ帝国の極刑中の極刑、十字架に磔られた、そんなメシヤをいったい誰が信じるのだろうか?

その後3日後に死からよみがえり、確かにこの方の遺体を納めたはずなのに、私ペテロとヨハネが行ってみるとその墓は空っぽであった。
呆然としている中、主は恐れて閉じこもっていたエルサレムの隠れ家に現れ、「平安があなたがたにあるように」と仰った。
やがて、ガリラヤの湖で復活された主とお会いした時に、その方は魚を食べられた。パンを手で割いてくださった。
そうして何度も弟子たちに現れた後に、やがてオリーブ山から天に上って行かれた。

ペテロはそれが真実であるということを知っているのです。
なぜなら、彼はその目で見たからです。その手で触ったからです。
疑いもなく、主の奇跡をその目で見て十字架から復活に至るまで、彼は確認しているからです。

でもそんな話を誰が信じるのか?
その十字架が私たちの罪のためであって、そもそもこの方は私たちを罪から救うために十字架にかかり、神の愛をその身に帯び、私たちの所に来られた――そんなことを、どんなに熱心に、どんなにいのちをかけても信じてくれる人なんかいるんだろうかとペテロも考えたはずです。

それが1節にありますように、ポント、ガラテヤ、カパドキヤ、アジヤ、ビテニヤという地域の教会の人は、おおよそエルサレムからもユダヤからもガリラヤからも離れた、当時の感覚から言えば世界の果てにいる人々、もちろんこれらの教会の人々はイエスさまに会ったことはないです。
それが8節にあります「あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっている」というのは、一番驚いているのはペテロでしょうね。
人間的にはおおよそあり得ない。

簡単に3つのポイントで見ていただきたいと思いますが、まず第一に――

1)見ずして信じる幸い

私たちは考えるではありませんか。もし2千年前にパレスチナに住んでいて、イエスさまが自分の住んでいる村にも来られるとしたならば、その教えを聞き、癒しの業を目の当たりにしたならば、それがどんなに幸いであったかと。

いま第一ペテロの手紙を見ていますが、ほんとにしばらくしたところに、ヨハネの手紙第一というのがあります。これは同じようにイエスさまの弟子ヨハネが書いた手紙ですが、ほんの数ページ先のヨハネの手紙第一1章の1節、これをご一緒に読んでみたいと思います。

1初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて、

いのちのことばというのは、イエス・キリストです。
そしてそのイエス・キリストというお方は、アルファであり、オメガですから、初めから、この世のすべての初めからおられた永遠なる神です(***黙示録1:8、22:13)。
でもその神を、ヨハネは「私たちが目で見た。じっと見た。手で触った」と言っているのです。
でも、ヨハネの手紙を見ている読者たちは、あるいは私たちは、目で見たことも、じっと見たことも、手で触ったこともない。

不思議なほど、聖書の中にイエスさまの容姿に関するコメントはないです。
身長がどれくらいであったのか、当時のユダヤの人ですから、ヒゲは生やしていたに違いない。でも私たちはイエスさまを知らないです。
ですからヨーロッパの人が描いたイエスさまはどこかヨーロッパ的ですし、アフリカの人が描けばアフリカ的なイエスさまになりますし、言うまでもなくイエスさまという方は私たちは見たこともない。

でも、そんなイエスさまを信じている、そんなイエスさまを愛している、というその幸いは、聖書の中で本当に謳われていますね。
また申し訳ないのですが、ヨハネの福音書を見ていただきたいと思います。これはペテロの手紙よりだいぶ前です。
ヨハネの福音書の20章の26節に同じように、「見ずして信じる幸い」が記されています。
20章の26〜29節を交読いたしましょう。よみがえりのイエス・キリストが弟子たちに現れている場面です。

ヨハネ20:26〜29
26八日後に、弟子たちはまた室内におり、またトマスも彼らといっしょにいた。戸が閉じられていたが、イエスが来て、彼らの中に立って「平安があなたがたにあるように」と言われた。
27それからトマスに言われた。「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」
28トマスは答えてイエスに言った。「私の主。私の神。」
29イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」

ここに「見ずに信じる者は幸いです」ということばが出てくるという事も、ぜひ覚えていただきたいと思います。

24節に、「十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたときに、彼らといっしょにいなかった」。いなかったのです。
それで、彼は25節にありますように、「私はその手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じない」(と言ったのです。
十字架の上で息絶え、墓に納められたイエスが復活したという事実を、自分はこの眼で見、この手で確認しない限り、絶対に信じないと言った人物です。

それから八日後に、イエスさまは彼の前にも現れ、27節に「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい」というこのことばは、今日の私たちにも響くことばです。――信じない者にならないで、信じる者になりなさい。

この願い、この願いのもどかしさ。
自分の持っているイエス・キリストに対する信仰、キリストに対する愛を人に伝えようと思いながら、それが上手く伝わらないこのもどかしさ。
――あぁ、イエスさまがその人に現れて奇跡を見せてください。トマスに現れたように、主よ、どうかその人にも現れてください。イエスさま、どうか夢の中でもいいです。あなたが現れて、「信じない者にならないで、信じる者になりなさい」と声をかけてあげてください――それは私たちの内側にあるもどかしさが、その祈りになっているのです。

そう簡単に人は信じないだろうという前提は明確です。
なぜ2000年前のキリストを信じなければいけないのか?
なぜ、日本ではない、ユダヤの一角で。私たちはユダヤ教徒でもない。
なぜイエス・キリストはガリラヤで、ガリラヤがどこにあるのかもわからないし……。
聖書のわからない教えがいっぱい詰まっているこの聖書のことばを、どういう風にして受け入れたらいいのだろうかと思いながら、教会の門を叩いた方々も沢山おられる。
そういう方々が不思議にイエス・キリストの愛に捉えられて、イエス・キリストを信じる者となったならば、主よ、どうか、あなたの存在をこの人の内にも現してください。

聖書の書かれた当時の人の中で、見て信じる者もいた。
でもイエスさまは仰いました、「見ずに信じる者はさらに幸いだ」ということは、見ずに信じることのできる力を、聖霊の働きを私たちの上に与えてくださると、イエスさまは約束してくださいました。
ですから、私たちはその約束にいのちをかけているのです。

私の上手に回らない舌で、どんなに説明したところで、神の愛を語り尽くすことはできない。
でももし聖霊がその人のうちに働かれるなら、必ず信じることができる。なぜなら、私が信じることができたのだから、あなたもまた信じることができる。
私のような者がキリストの救いに与ることができたのだから、あなたも必ず与ることができるという確信をもって、主よ、どうか、聖霊がその人のうちに働かれますようにと、私たちは祈り続けているわけです。

見ずに信じる者は幸いです――イエスさまがトマスに言ったことばをペテロは聞いていたはずです。そうですよね。
そしてまさに「見ずに信じる者の幸い」を、この小アジヤのカパドキヤ、ビテニヤ、これらの小さな教会の中で彼(ペテロ)は見出したのです。

二番目にペテロが驚いているのはそれだけではないです。

2)なんと、彼らは喜んでいる

もう一度第一ペテロの手紙の1章に戻っていただきますと、この「喜び」ということばがもう既に何回か出て来ます。
6節に「そういうわけで、あなたがたは大いに喜んで」いる。
8節の最後に「ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどって」いる。

驚くのは、彼らが置かれている状況がおおよそ喜びとは正反対なのです。
6節にありますように、「さまざまな試練の中」にあって教会の人々は悲しんでいる。あるいは、7節にあるように、「信仰の試練の中を通っている」。
でもそうであったとしても、喜んでいるその事実。
見たことはないのにイエスさまを愛していて、見たことはないけれども、イエス・キリストを信じている。それはなにゆえ?
9節に記されています。――「たましいの救いを得ているからです。」
たましいの救いを得ている喜びというのは、何にも代え難い喜びです。

試練の中にあって、それに屈することなく喜んでいる姿に驚いたというのが、2番目のポイントであるとすれば、3番目にその理由として、

3)彼らがそれほど喜んでいるのはたましいの救いを得ているからです。

それは3節〜4節。私が3節を読みますので、皆さんで4節を読んでみてください。

3私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました。
4また、朽ちることも汚れることも、消えて行くこともない資産を受け継ぐようにしてくださいました。これはあなたがたのために、天にたくわえられているのです。

救われているというのは、キリストの贖いによって新しく生まれ変わり、朽ちることも汚れることも、消えて行くこともない天国という資産を受け継ぐようにされ、今それを全部手にしているわけではない。
でもあなたがたのために、その資産は天にたくわえられているという、この救いの喜びのゆえに、試練の中にあっても喜びおどっているわけです。

私(藤本牧師)が大学生の頃に活躍したスティーブ・マックイーン(Steve McQueen 、1930 〜1980アメリカ人)という俳優がいました。「大脱走」という映画が有名ですが。
スティーブ・マックイーンは14歳で少年院に入って、17歳で海兵隊に入り、その後ヤクザの用心棒を努め、それから俳優になった人物です。でもそれから先も、離婚歴が3回?アルコール依存性?
彼は絶望の中で、ビリー・グラハムという大伝道者、大説教者の伝道大会にすがるように出席するのですね。そしてそこでイエスさまを信じるわけです。
でも自分の人生、なかなか変わりもせず、教会に行くこともできず、彼はどうしてもビリー・グラハムにもう一回会いたいと、面会を申込みます。
会ったのはロサンゼルスで、グラハム先生がロサンゼルスに来ていた時に、マックイーンは自分のリムジンで乗り付けて、リムジンの中で2時間グラハム先生と話をしたと言われています。

グラハム先生は彼の質問に答えるように、いろいろな聖書の箇所を説明します。彼が最後まで解らなかったことは――神の子イエス・キリストが自分のような人間のためにいのちを投げ出して十字架にかかってくださった。それによって救われる――その「自分のような者のために」ということが、彼にはなかなか解らなかった。

グラハム先生はテトス書の1章の2節「偽ることのない神が、永遠の昔から約束してくださった永遠のいのちの望みに基づくことです」という、このみことばをマックイーンに託し、マックイーンはグラハム先生に「その聖句を書いてくれ」と言います。
グラハム先生はその代わりに、自分の持っていた聖書を彼にプレゼントします。

スティーブ・マックイーンはその時点で、アスベストから来る中皮腫で肺がんに冒されていました。
やがて彼はメキシコで最先端治療を受け、亡くなっていきます。
病院のベッドに最後に置かれていた聖書、そして開かれていた箇所はテトス書の1章2節「偽りのない神が、永遠の昔から約束してくださった永遠のいのちの望み」をあなたに与えてくださる。

聖霊の働きで、そのみことばが私たちのたましいを貫き、私たちは見ずしてイエス・キリストを愛し、イエスを見ずして信じ、試練の中にあっても、天の御国を相続することに喜びを抱く者とされる。
私たちが信頼を置いているのは、見ずして信じている神のひとり子イエス・キリスト、そして偽りのない神です。

ここに小冊子があります。これはY.T.兄の葬儀の時に配布された証しです。
最後の方に、彼が2006年の青山学院の宗教部の卒業生のために編集した雑誌があるのですけれども、その雑誌に自分の中学校35年の生活、それから結婚、家庭、子ども、そして新しい教会の出発、「1998年の終わり頃から日本福音キリスト教会連合の長津田キリスト教会に出席するようになりました」で、終わっているのですけれども、その一番最初はこう始まります。(***人名は牧師名以外イニシャルにしました。T・Y)

「私は戦時下の昭和43年2月、横浜市神奈川区の桐畑にT・Sの第5子、二男として生まれました。戦争の目的達成のためにTと命名されました。やがて戦局も怪しくなり、小学校教師であった父は病を得て、私を他の家に養子に出そうとしていました。それをきっかけに母は近くの教会に通うようになり、幾度となく訪問をいただいて、44年に父は明確な信仰に立ち受洗しました。

その年6月、父は家族を神の御手に委ねて召天し、享年42歳でした。翌年横浜の大空襲に見舞われ、私たちは分散して親戚に身を寄せました。やがて母は自立のために生産者の寮に入り内職をしていましたが、奇しくもインマヌエル高津教会に導かれ、教会生活を再開し、母は小学校の給食婦、木工所の賄い婦、信用金庫の用務員等をして家族を支えました。

兄や姉たちもまた多くの苦労を経験しましたが、幸いにも次々と信仰を持つようになりました。小学校3年の頃から、教会の垣根のかたつむりや、途中の水たまりの道草を食いながら、毎週教会学校に通いました。物の貧しい頃で、クリスマス祝会でみかんやお菓子を貰うのも無上の楽しみで、「天の歴程」などの劇に夢中になったりしました。

中学になったとき――云々――そして蔦田二雄先生から洗礼を受けました。私は嬉しくて集会出席と聖書通読に励むようになり――云々――61年藤本栄造先生が着任し、68年には奉仕者2名で、中高生クラスが独立し、クリスマスの時期には日曜日は教会に入り浸りでした。その教師会も後に14名に増加し、幼、小、中、高に分かれつつ最盛期を迎え、奥多摩福音の家を借りてCSのキャンプも恒例になりました。」

長〜い信仰生涯ですけれども、やっぱり一番長い部分を、自分がいかにして教会に導かれ、いかにして洗礼を受けたかというところに割いています。
そしてこの文章を書いたのは2006年ですね。そしてやがてそれが葬儀の時の小冊子にまとめられる。
自分の人生の最大の喜び、最大の遺産は、教会に導かれ、信仰を持つようになり、朽ちることも汚れることもない、天国の資産を得たということ。

そしてその信仰生涯の中で、さまざまな試練の中で、悲しみながらも信仰が精錬され、金よりも尊い存在と変えられていったという、その証しを残さずして天国に行くのは残念。残念ですよ。
私たちは見ずして信じる信仰、見ずして愛する信仰というものを残しておくべきです。

それで今日の礼拝は最後はアピールです。いいですか。
今年の高津教会の目標、それは救いの証し集を出すこと(大笑)。いいですね。
そこに皆さんの愛唱聖句も愛唱讃美歌も入れます。それで皆さんの葬儀の時に(大笑)、これが助けになる(大笑)。

私はね、Y.T.兄というのは――35年間高津の教会で過ごされました。そして最後は長津田でした――でもこれを読んだ途端に、やっぱり教会家族としての繋がりと言いますか――兄弟が長津田に移って15年になります――それでもこの証しがあるがゆえに私たちの愛する兄弟姉妹だという事実は全く変わっていない。
なぜなら高津教会で味わった喜び、その救いの素晴らしさというものが、ここに明明白白と謳われているからです。

私たちはみんなが高津教会で救いを得たわけではない。みんなどこかで(救いの)恵みを受け教会生活を送られ、そしていま高津教会で教会生活を送っておられるのです。その足跡をやっぱり言葉に残して置くということは何とも言えない喜びに繋がるのだ。何も文章が得意でなければ、そういう形にならない箇条書きでも上手にまとまるように、いろいろ私たちも工夫したいと思いますので。

ペテロが言ってるところの、見ずして信じている人、試練の中にありつつも喜んでいる人を見て、ペテロが驚いている。自分よりもはるかに上の信仰を彼らは持っているのだということに、ペテロは感動してこの手紙を書いているのです。私たちもまたそういう存在でありたいと思います。

☆お祈り

恵み深い天の父なる神さま、Y.J.姉の上に、またMくんやYくんの上に、変わらずのあなたのご愛と恵み、平安を与えてください。葬儀を終えてJ姉は今日も教会に行っておられることでしょう。J姉のために私たちは祈っています。どうか豊かな慰めがあり、これから家族三人がますます一つとなり、特にYくん、Mくんはお母さんを支えていくことができるように、あなたが力を与えてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。

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DATE: 2014.03.10 - 10:05
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