題      名: 「私たちの感謝祭」(T歴代29:14)
氏      名: fujimoto
ホーム: http://www.2winz.com/tkchurch
作成日時: 2002.11.26 - 11:16
私たちの感謝祭

「まことに、私は何者なのでしょう。私の民は何者なのでしょう。このようにみずから進んでささげる力を保っていたとしても、すべてはあなたから出たのです。私たちは、御手から出たものをささげたにすぎません」(T歴代29:14)

             ●「感謝祭」

 アメリカでは11月の最後の木曜日が、「感謝祭」となっています。その起源からまずお話しして、神に感謝することの恵みを考えてみましょう。神に感謝するとき、私たちのクリスチャンらしさが一番生き生きと表現されるのです。
 イギリスからメイフラワー号に乗って、新大陸に移住したピューリタンに感謝祭の原点があります。希望の新大陸と言っても、楽なわけはありませんでした。何しろ、家も村も、畑も店もないのです。そのようななかで、3年の間に移住者のなんと2/3が死亡します。そして生き残った人々は、荒れ地に育つわずかな食料(とうもろこし、インゲン、じゃがいも、のぶどう、七面鳥)を糧として生きていました。
 指導者であったウィリアム・ブラッドフォードは、3年面の秋、収穫を終えた11月、次のような感謝のおふれを出します。
 「今年も、偉大な神は、とうもろこしや小麦、豆、スクワッシュ、庭の野菜の収穫を豊かに祝し、森を獲物でみたし、海を魚や貝でみたしてくださった。そして神は、今年も我らをこの極限の環境から守り、病から生命を助け、神を礼拝する自由を与えてくださいました。ですから私は、皆さんの上に立つ者として提案します。
 新大陸に移住してから3年目、主がお生まれになってから
1623年目の11月29日、木曜日、妻と子供、家族全員で村の集会場に集まりなさい。そこであなたがたの牧師の言葉を聞き、全能なる神に、すべての恵みに対して感謝を捧げよう。」
 ここからアメリカの感謝祭が始まります。この日は事実上、全米の民族大移動です。みんな家族と一緒に過ごすために、家に帰ります。お母さんは、久々の手料理に腕を振るい、だいたいお昼、家族が集まって、昔の素朴な姿に戻って、食卓につき、アメージンググレイスを歌って、感謝の祈りを捧げます。
 こういう日が、年に一度はあってもいいと思います。ただ生かされていることを、神に感謝するのです。

                            ●感謝の場面

 聖書の中には、神に感謝する場面が、本当に多く出てきます。中でも、この箇所は有名です。神殿を建てることを生涯の望みとしていながら、叶わなかったダビデが、神殿建設の大任を担うソロモンのために、財源を用意するのです。その呼びかけが、29章の始めに記されています。
 おびただしい金、銀、そして宝石がささげられました。それを前にして、ダビデは、神に感謝を捧げています。いや、このことだけのためではありません。この感謝は、ダビデの生涯の総決算的な感謝でした。

             ●「すべてはあなたから出たものです……」

 6節からの箇所に、捧げられた金、銀の数字が書いてあります。いまの金額になおしたらいくらぐらいになるでしょうか。高津教会の十時兄があるとき、金に関連する公の機関に電話をして調査をしてくださったことがありました。確か、何兆円、いや何十兆円にものぼる金額に換算できるのです。
 それらすべては、主よ、「あなたから出たものです」と告白しているのです。
 ナザレンの気骨ある牧師、瀬尾要三先生は、心に残る神への感謝を、こう記している。「私が開拓伝道をしているとき、一升30銭の米を買うお金がないので、一升12銭のゴミのまじったお米、つまり鳥のえさを買って、ひとりの兄弟と、無銭飲食で刑務所を出てきた医科大学出身の人と3人でかゆをつくり、なすびの塩漬けで食事をしたが、そのときほどおいしい大感謝の食事をしたことがなかった」。初代ピューリタンの感謝祭と同じです。そこに備えられたわずかなものに、しかし神が備えてくださったことの故に感謝をしているのです。
 ダビデもまた、この乏しさを味わったことがあります。サウルに追われて、洞穴の生活をし、飢えに苦しんで、祭壇の供え物を盗んだこともありました。
 しかしいま、おびただしいものを並べることができて、あらためて痛感しています。「すべては、神の御手から出たもの」なのです。
 「ルーツ」という黒人奴隷の物語を描いたアレックス・ヘイリーという作家がいます。彼の書斎には、奇妙な絵が掲げられています。それは、フェンスの柱の上にいる亀です。書斎を訪れる人から「なぜ、あんな絵を掛けているのか?」とよく聞かれるそうです。ヘイリーの答えはこうです。
「作家としての仕事が一段落するときにはいつも、そしてぼくのことばや考えが賞賛されるときはいつも、自分の力を誇りに思う誘惑に駆られる。そのとき、フェンスの柱にいる亀を見る。すると心に刻むことができる。亀はどんなに努力しても、柱の上にのぼれない。誰かの助けがあったから、と」。 誰かが持ち上げてくれなければ、亀はそこにいないのです。その感動が、ダビデにもあります。14節の「まことに、私は何ものなのでしょう……」がそれです。
 高津教会では、昨日餅つき大会をしました。子供用の杵があるから、子ども餅をつきました。私は、子どもの一生懸命な様を見ていただけなのですが、気がつくと、何人かの方がは、声をかけているのです。
「よいしょ! よいしょ!」
 そのかけ声が、子どもを力づけるのです。私には初めての餅つき大会でしたが、わかりました。こうやってみんなが参加するのです。こうやってついている人を力づけるのです。かけ声をかけてくれる人がいるということは、幸せです。私がここまで来ることができたのは、自分の力ではありません。神が私をフェンスの柱の上に置いてくださったのです。神の聖徒、愛する兄弟姉妹という、応援団を後ろにつけて、ここまで来たのです。これが、私たちが味わう感謝です。  

            ●「全集団の前で」
 
 ダビデの感謝は祈りですが、礼拝そのものです。感謝は、神を礼拝することにつながります。ダビデは神をさんびし、神の偉大さ、神の善、神の愛、神の恵みを、全会衆の前で証ししています。全会衆の前で、神がどんなにすばらしいことを、彼と民の上にしてくださったか、それを証ししているのです。感謝、というのはそういうものではないでしょうか。1)すべての良きものは神から来ていることを神に感謝し、2)その神の恵みを証しし、礼拝をするのです。民の集会の中で、みんなが記念し、同じ感謝にあずかるのです。
 20世紀の初頭、中国に宣教師となったロナルド・アレンという英国の宣教師がいます。彼がこんな話を残しています。あるところで彼が説教したあと、ベテランの宣教師があいさつにやってきて、こんな証しをしてくれたというのです。
 このベテラン宣教師は、医療宣教師としてインドで長年奉仕をしてきました。その村には、進行性盲目症、だんだんと目が見えなくなっていく病気があったそうです。健康な視力で生まれ育つのですが、年齢と共に視力を失っていきます。この宣教師が、進行性の病を発見し、治療法を考え、事態は大きく変わっていったというのです。 
 このインドの村の方言には、「ありがとう」ということばがないというのです。ですから、いろいろな患者さんを御手あげても、誰ひとりとして、「ありがとうございました」と言う人はいません。代わりに、村の人たちは、「先生、あなたのお名前をみんなに広めます」「あなたのお名前をみんなに伝えます」と言います。
 癒された人は、村の至る所で、この先生の名前を、この先生の存在を証しします。これがこの村人にとって、感謝なのです。なかなか通じる話ではないですか。ダビデは、全会衆の前で主を証ししました。主の恵みを証しをする、主のみなを告げ広める、これこそ私たちの感謝です。