題      名: 神は来て、あなた方を救われる(アドベント)
氏      名: fujimoto
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作成日時: 2002.12.04 - 17:43
「神は来て、あなたがたを救われる」(アドベント)

「弱った手を強め、よろめくひざをしっかりさせよ。
心騒ぐ者たちに言え。
「強くあれ。恐れるな。
見よ。あなたがたの神を。……
神は来て、あなたがたを救われる。」(イザヤ35:3−4)


                  ●12月1日

 昭和12年(1937年)12月1日、戦中日本を代表するクリスチャンのひとり、矢内原忠雄は、東京大学経済学部教授の座から退くため、大学に辞表を提出しました。前の年の2月26日、いわゆる二二六事件以来、軍部が政権を握り、日本の中国侵略はますます激しくなります。矢内原先生は、東大で植民地政策の専門に教えていました。この年から、熱心なクリスチャンであった矢内原先生の平和のための戦いも熾烈を極めるようになります。
 彼は、1937年の夏、山陰、山陽、四国と、信仰上の弟子数名を伴って、講演旅行を展開します。それは、当時の軍国主義の中で決死の大伝道旅行でした。20日にかけて、毎日、各地で福音を語り、平和を  祈り、戦争を批判します。
 そして、中央公論の9月号に「国家の理想」と出した論文を巻頭に発表します。国家が目標とすべき理想は正義である(聖書の語ること、「義」「公義」)。正義とは、弱い者の権利を強い者の侵害から守ること。そして、国家が正義に反したときは、国民の中からそれに対する批判がなされなければならないこと。
 この論文が、まず経済学部の教授会で問題にされます。当時、軍部、警察、司法、文部省、は全部連携を取っていました。国と大学を挙げての、矢内原追放運動が展開されます。
 矢内原先生は、この年のアドベント、東京大学を追われて、去っていきます。12月1日、辞表を出した先生は、「私は広い野に出ました。たといそこが荒野であっても、吹く風は実に自由です」とことばを残しました。
 先生はこのとき、内村鑑三から引き継いだ、帝大聖書研究会の最後の講演をされます。それがイザヤ書34章〜35章でした。

                    ●預言者の信仰

 34章と35章は、内容が正反対です。34章は、神の裁きの預言であり、35章は、神の救いの預言です。
 34:1はこう始まります。
「国々よ。近づいて聞け。諸国の民よ。耳を傾けお。地と、それに満ちるもの、世界と、そこから生え出たすべてのものよ。聞け。」
 世界が聞かなければならないメッセージとは何でしょうか。それは悪に対する神の裁きでした。神は天地を創造され、この地上に人類を平和のうちに住むように願われたのです。神が私たちを創造し、地上に住まわせられたのは、私たちが互いにむさぼり合うためではありません。しかしながら、私たちは神をはなれ、自分たちの欲に従い、互いに争い、互いを滅ぼし合ってきました。
 それに対する神の裁きは、2節の最後「神は、されるがままにされた」と記されています。血で血を洗う争いを放任して、私たちが互いにむさぼることに引き渡されているのです。なぜこれほどまで戦争がはびこるのか? それは私たちが神の御心を心にとめないからです。
 やがて世界は、その姿を変えていきます。11〜14節に、世界がどんなにすさんだ場所になるかが記されています。
「ペリカンとはりねずみがそこをわがものとし、みみずくとカラスがそこに住む。主はその上に虚空のはかり縄を張り、虚無のおもりを下げられる……」
 矢内原先生の最後の講義で語りました。イザヤという偉大な預言者は、まだイスラエルの国が安泰で栄えている時代に、すでに滅びを予見していると。矢内原先生の信仰もまた正しかったのです。昭和12年には、まだ日本は栄えていました。しかし、それから2年後には、南の島に戦車や戦艦が、それからさらに数年で、東京が、広島が、長崎が、焼け野原になっていきます。そこは、おおよそ人の住むようなところではありませんでした。
 矢内原先生は、短く34章を講義されたあとで、すぐに35章に触れます。神の人イザヤの、実に大きな信仰――それは、この荒涼とした、殺伐な世界に、平和が戻ってくるのを見ているからです。
「荒野と砂漠は楽しみ、サフランのように花を咲かせる。」
 ここに展開されているのは、すばらしき復興の預言でした。この希望が、預言者の信仰です。「預言者は国民が有頂天になって空虚な楽観に浸っているとき、滅亡の姿を見て悲しみ、国民が意気消沈して悲哀に陥ったとき、復興の萌しを見いだして、希望を預言する。」
  昭和12年のアドベント、矢内原先生はまだ日本の歴史のその後を知りませんでした。しかし、神をはなれた世界は、イスラエルであっても日本であっても同じだと、先生は見ていました。血で血を争う、荒涼とした、おおよそ人が住む世界ではありません。しかし、大学を去るとき、先生は同時に来るべき希望も見ていました。やがて、荒れ地が水のわくところとなります。サフランの花を咲かせるようになるという、復興の希望です。

                   ●アドベント

 「私は広い野に出ました。たといそこが荒野であっても、吹く風は実に自由です」――そういいながらも、この年のクリスマス、矢内原忠雄という人物の心はどんなに揺れていたことでしょう。去っていくことで、戦いが終わったのではありません。これからが戦いの本番でした。
 4節の冒頭に「心騒ぐ者たちに言え」とありますが、大学を追われ、社会全体が自分に牙をむき、心が騒いでいるのは、自分だったのです。これから何が始まるのか、わかりません。
 まさに、4節はそんな彼に対する主のことばでした。
「強くあれ、雄々しくあれ」
 今日から、私たちはアドベントに入ります。アドベントは、キリストの降誕を待ち望むことです。神の救いを、キリストが来られることを待ち望むことです。
 アドベントの元になるラテン語は、アドベニーレです。何かが起こってくる、思いがけないことが自分の前に立ち現れる――そういう意味の動詞です。ですから、このアドベニーレということばから、アドベンチャー(冒険)という英語も出てきます。そこには期待と不安が混じっているのです。いや、不安の方が度合いが大きいでしょう。
 私たちの外から、新しい出来事として立ち起こるのは、到来するのは、よいことばかりではありません。期待などできないことの方が多いのです。イザヤの時代であれば、敵が攻めてくる、飢饉が訪れる、国々が滅びては誕生して、全く新しい環境へと投げ込まれる、灰と化した故郷に帰る、等々。仕事を失い、家族を失い、健康を失い、そんなことも立ち起こります。 
 最後の講義をしながら、矢内原先生は心騒ぐ自分に言い聞かせたのでした。
「見よ。あなたがたの神を。
神は来て、あなたがたを救われる」
 出ていった荒野がどんなに厳しくても、また思いもかけない、不測の事態が起こったとしても、神は不測の事態に手を伸ばしてくださり、この出来事の中で私を導き、守り、支え、ご自身の栄光を現してくださるという信仰です。
 この信仰をもっていれば、出ていった世界が荒野であっても、吹く風は実に自由だ、とおっしゃったのだと思います。

                                  ●聖なる大路を行く

 辞職した彼を待っていたのは、軍国主義に染まったさらに厳しい世界でした。彼はこの荒野を期待と信仰を持って歩むのですが、彼が行く道は、荒野の真ん中にできた「聖なる道」(8節)です。そこを通のは、贖われた者です。独特な言い方です。主の恵みによって罪から救い出された者たちです。その道は、主によって守られています。
「そこには獅子もおらず、猛獣もそこに上って来ず、そこで出会うこともない。ただ、贖われた者たちがそこを歩む。」(9節)。
 未知の出来事が立ちはだかっても、神が来て、私を救ってくださる、神がともにいて、荒野に備えられた聖なる道を歩むことができる、これがアドベントの信仰です。