題      名: 11/11幼児・児童祝福礼拝   ピリピ3:12〜14
氏      名: T・Y
作成日時: 2012.11.12 - 07:17
11/11幼児・児童祝福礼拝   ピリピ3:12〜14

今日は教会学校のお友達も大人の礼拝といっしょに合同の礼拝でした。今日の礼拝は毎年恒例となった、CSの教師たち(伊藤大輔兄、横溝園恵姉、下村聖美姉)による司会で進められました。
高津では、ご高齢者から幼い子どもたちまで各年代の方々が多く集われています。CSの子どもたちが幼い時からイエスさまを信じて、光の子どもとして成長していくことができるようお祈りください。
この日のために祈りつつ見守って来られた先生方、ストーリーを考案した若いCS教師たち、劇のために練習したユース、その他関係者に、一同心より感謝申し上げます。
OHPのスクリーンを見ながら、大変楽しく笑顔で聖書のお勉強のできた『オリンピック礼拝』を再現できませんが、藤本先生の語られたことば、お祈りや、聖書のおはなしなどを味わってくださいますと感謝です。(T・Y)

☆開会式宣言

高津教会のみなさん、こんにちは。(こんにちは!)今日は待ちに待った『オリンピック礼拝』、高津教会として一致して、心を合わせて、神さまに礼拝をささげ、ともにみことばを学び、皆で静まり、栄冠を目ざして一心に走り続けましょう。どんなことがあっても、私たちは一つのチームです。そのことを忘れずに、思いやりをもって、神さまとの関係を大切にして、神さまから金メダルをいただきましょう。藤本満。

☆祝福のお祈り

天の神さま、あなたの御前に、あなたが心から愛され、大切に思っておられる子どもたちが今、祝福していただくために集ってまいりました。
イエスさま、あなたご自身がかつて子どもたちを抱いて祝福されたように、今朝この子どもたちを恵みに包んでください。

この世界には、たくさん難しい病気がありますが、その病気から幼子と家庭を守ってください。
・交通事故が、今日も日本のどこかで小さな子どものいのちを奪っていますが、どうかこの子どもたちをあなたの右の手であらゆる危険からお守りください。
・恐ろしい事件には、あなたの砦を作って守ってください。
・何よりも、子どもたちの心を守ってください。

・楽しく学校へ行けますように、クラスによい友だちを備えてください。
・この子たち一人一人の一番良いところが引き出せるように、良い先生を備えてください。
・でも、楽しいことばかりではありません。辛いこと、嫌なことを乗り超える力を与えてください。辛いことや嫌なことを通して強くたくましくなることができますようにしてください。
・やる気をもって何でも積極的に取り組むことができますように、夢や目標を与えてください。

イエスさま、ぼくたち・私たちは、毎日、あなたからたくさんの恵みをいただいています。健康、勉強、お父さんお母さん、食べ物、友だち、すばらしいものは全部あなたがくださいます。
・それを感謝する心を忘れませんように
・またお父さんやお母さんの言うことをよく聞く、素直な心を与えてください。
・兄弟喧嘩をしないように、相手を赦し、人に譲ることができる広い心を与えてください。

あなたがいつも私たちを守ってくださり、導いてくださり、必要なものを全部備えていてくださるお方であることを、心から感じることができますように、よろしくお願いいたします。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。

☆今日のみことば   ピリピ3:12〜14

12私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕らえようとして、追求しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです。
13兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、
14キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。

☆お知らせ

●皆さんおはようございます。よく来てくださいました。寒さを感じる季節でありますけれども、子どもたちが風邪から守られますように祈っております。

●高橋武兄は、腎臓の手術を終えて、7日無事退院されました。順調に回復に向かっています。今日礼拝に出席しておられます!(***皆驚きましたが感謝でした)

●25日礼拝後の壮年会では10月、「聖書考古学資料館第九回聖書地理研修旅行」に行って来られた長岡淳三兄の報告と証しの会を行います。ギリシャとか、パウロの行ったクレテ島とか、キプロス島、などの写真がありますので、壮年会以外の婦人会の方も学生会の方もぜひ参加していただきたいと思います。

●23日、関東の壮年部大会が中目黒教会で開かれます。これはお弁当の関係で申し込みが必要です。午前が私(藤本牧師)の話。そして午後は、牧師で神学院院長でよく高津教会に来てくださいました、河村従彦先生。彼は心理療法士でもあります。正式に資格を持っていますが、人の個性・人の難しさ、バラはバラ、百合は百合、スミレはスミレ、それぞれの個性が主に生かされるようにという、そういう講演があります。ちょっと今までにない壮年会の大会だと思いますので、ぜひ覚えて申し込んでいただきたいと思います。

●週報に(チラシを)挟みましたが、私たちの教会の矢代ゆうさん(ヴォーカル)と、竹内梨瑛さん(ピアノ)でコンサートがあります。「自死をなくしたい・・・『苦しみから希望の歌へ』」11/24(土)、場所:てくのホール、開場:1時半、開演:2時になります。

☆お祈りと聖書のおはなし

父なる神さま、子どもたちといっしょに礼拝を守ることができまして感謝いたします。あなたは私たちの教会に沢山の幼子をくださいました。どうか幼子のような素直さ、幼子のようなエネルギー、また幼子のような柔らかな笑顔を私たちにも与えてください。特別に高齢者に恵みが豊かでありますように。しばらく聖書のことばを聞きますが、私たちの心を励ましてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。

礼拝は年間51回あります。そしてこの礼拝だけが、礼拝のさまざまな意味を教えてくれる礼拝です。主の祈りが何であるのか、使徒信条は何なのか、皆で祈ることの意味、賛美することの意味、全部説明してくれるのは実はこの礼拝だけで、他の礼拝はただ淡々と、式次第に従って進んで行きます。改めて、礼拝の意義を覚えてくだされば感謝です。

今日の聖書のみことばは、さっき読んでいただきました。もう一度見ていただきたいと思います。ピリピの3章、私の方で読んでいきます。

12私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕らえようとして、追求しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです。
13兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、
14キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。

3つ短くお話します。

1)聖書は、そして特にこの手紙を書いたパウロという人は、私たちの人生、私たちが生まれて死ぬまでを「レース」として描いています。

そのレースというのは、皆が走れる50m走のような短いレースじゃなく、長くて、苦しい坂、曲がりくねった道もある、マラソンのようなレースです。
そこには、嫌なこともたくさんありますし、邪魔されることも、転ぶこともありでしょう。さっきも(***ユースが活躍した劇で)パウロ先生、転んでましたね。

でも、パウロは、そういう長いレースの中で、13節で「うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進」んでいくと言っています。          

「うしろのものを忘れ」っていうのは、レースの途中の嫌なことにこだわらないことです。
「ひたむきに」とは、ともかくレースを走り切ることを考えています。

昔ね、今イギリスに行っているHちゃん、Kちゃんのお母さんのいとこが、海外青年協力隊でバングラデシュでボランティアをしたことがありました。後から話を聞いたんですけれども、そのボランティアをしていた青年がね、――やっぱり一番大切なものは教育だ。海外にボランティアに行くなら、教育を持って行かなきゃならない――と、こういう話をしたのです。

それはバングラデシュで、運動会の徒競走で、誰かが一番になったら、他の人はみんな止めちゃう(笑)。他のコースの人たちは、歩いて自分の席に帰って行くと言うのですね。だったら最初から走らなきゃいいのにと、思うんだけど、それじゃ運動会にならないですね。
だから、よーい、どん、なんですけれども、一番になることしか皆考えていない。だから一人一番になったら、もう帰っちゃうんですね。あきらめが早いというのか、潔いというのか。 

そりゃ、一番が良いと思います。でもパウロは、一番になるよりももっと大切なことがある(って教えています)――それは、最後まで走ること、レースを諦めずに走り切ること。

一人ひとりレースは違うんです。一人ひとり違うレースを、ちゃんと最後まで走り切ることがすばらしい、っていうのが聖書のメッセージです。そして、それはとっても難しいことですね。

メアリー・デッカーというアメリカの陸上競技の選手がいました。
1983年の世界選手権で、1500メートルと3000メートル2つで金メダルを取ります。ですから、次の年の1984年のロサンゼルス・オリンピックでも、金メダルが両方とも確実だと言われていました。
スタートしてから、ずっと先頭を走ります。ところが途中で、2番目に走っていたまだ10代の高校生のような女の子(この子は裸足)が、メアリー・デッカーの前に出ます。

ちょっとその写真を見せてもらいます?(***スクリーンに写真1)
その子は南アフリカ共和国生まれだったんですけれども、金メダルを取るためにわざわざイギリスに国籍を変えます。(***人種差別政策のゆえに、南アフリカはロサンゼルス・オリンピックに参加できないという事情があったので)この子は裸足なのです。この高校生の女の子が一番を走っていたメアリー・デッカーの前を、無理やり先頭になろうとして出た時に、足が接触するのですね。そしてなんと、金メダルが確実だと言われていたメアリー・デッカーは転びます。次の写真。(***写真2)

これはもうスタジアムも世界も大変なことになりました。転ばせた選手は失格になります。世界中がこの泣いているメアリー・デッカーが可哀想、可哀想というニュースを延々と流すのです。
でもしばらくすると、みんなの意見がちょっと変わります。それはね、転んで泣いているんだけれども、けがはしなかったのです。だったらあそこから立ち上がって、走れたんじゃないの?そして、走っていたら、金メダルは無理かもしれない。でももしかしたら、彼女の実力だったら銅メダルは取れたかもしれない。

そういう意見も厳しいと思いますが、でもひとことで言うと、みんなにしてみれば、彼女に立ち上がってほしかった。金メダル確実で、そして世界大会の経験のないゾーラ・バットという女の子が前を横切ったがゆえに、倒れてしまった。しかし彼女には、立ち上がってほしかった。
なぜ?それは、だれでも転ぶからです。み〜んな転ぶから、転んだメアリーも立ち上がって、最後まで走って欲しかった。

そう思いますとね、お父さんお母さんは、皆さんこの人を思い出すでしょう?三番目の写真をちょっとお願いします。(***写真3)
覚えています?2004年のアテネ・オリンピック、男子マラソン、ブラジル代表のデリマ選手ですね。
この人はず〜っとレースの最後の方までトップを走っていたのです。
ところが、道ばたからいきなりこいつが出て来るのです(笑)。訳が分からないです。なぜ出て来たのか、最後まで言いませんし。
この緑の帽子をかぶった男が、彼を捕まえて、なんと、道路の脇でデリマ選手を倒しちゃうのです。

20秒ぐらい揉み合いがありました。周りの人は何が起こったのか、全然わかりません。
アナウンサーもびっくりです。アナウンサーの実況を聞いていますと、オリンピックの歴史で初めてではないかと(言っていました)。
でも20秒後に、デリマ選手は倒されますが、また起き上がって走ります。彼は結果、金メダルは逃しました。でも、銅メダルでした。オリンピックだと、マラソンなら挽回ができるのです。

後に、彼はインタビューでこんなことを言うのです。
「自分としては、金メダルを取ったよりも有名になっちゃった」(笑)
彼はブラジルの英雄になりました。
一番ではない。でも、彼はレースをあきらめませんでした。
思わぬ邪魔が入った。彼には何の責任もない。でも、最後までがんばって走ります。最後まで走るために、ここまでずっと練習してきた。

彼は、後ろにあるいろんな出来事、最悪の出来事を忘れ、乗り越えて、最後まで自分の人生のレースを走り切る。それができる人を、私たちは「英雄」って呼ぶのです。デリマ選手はとってもさわやかでした。

2)人生というレースには、応援団がいます。

マラソンもそうですね。後ろにザーッといる人たち、みんな応援しています。最後にスタジアムに入って来ると、応援の歓声は大きくなります。
  
皆さんの応援団はだれですか?お父さんやお母さんもそうでしょう。おじいちゃんやおばあちゃんはもっと応援するでしょう。皆さんに何かあると、教会の皆さんも応援しています。応援したくて仕方がないのです。応援している人も走っている人といっしょです。その分だけ頑張って応援をします。

教会学校で話を聞いているように、モーセさんやダビデさん、ペテロさんやパウロさんも応援しています。
新約聖書の「へブル人への手紙」で、同じように信仰のレースを走った人たちは、もう先にゴールして天国に行っている。でも天国に行った人たちは、雲のように私たちを取り囲んで応援している、という風にヘブル人への手紙(***12:1)に書いてありますよ。

だから、転んでも立ち上がるんですよ。嫌なことがあったら、しばらく転んで寝転がっていりゃいいんです。でもしばらくしたら、神さまは必ず助け人を送ってくださる。そしたらその人の手を取って、もう一回走ることが大切なのですね。

3)ちょっと面白いことばがあります。
 
12節の最後――「それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです」

私たちはこのレースで、イエスさまに手を捕まえられて走っている。レースを諦めることがないように、イエス・キリストが私たちを捕らえていてくださる。
どういうことか?それはイエス・キリストの信頼です。○くんは最後までレースを走り切るとイエスさまは信頼している。信じている。

みんなの国語の教会書に『走れメロス』って載っていましたか?
太宰治という人がギリシャ神話に基づいて書きました。話はこうです。
曲がったことが大嫌いなメロスという人がいた。そしてこっちには、悪いことばかりして人を殺しているローマの皇帝、ディオニスがいた。メロスはディオニスをやっつけようとして、ばれてしまって逆に捕まってメロスは死刑が決まってしまいます。
          
でも、メロスには妹の結婚式がありました。死ぬ前に妹の結婚式だけは自分の目で見ておきたい。ディオニスに言います。
「三日間欲しい。三日間だけ待ってくれ、必ず帰るから」と。
その代わりに、友人セリヌンティウスを人質として皇帝に預けます。

皇帝は人を信じません。それでメロスを見抜くような口調で、
「まあ、せいぜい遅れて来るんだな、おまえの友人の死を見届けてやる」
と言って、メロスに三日間くれるんです。
メロスは、友人セリヌンティウスに、
「必ず間に合って、戻って来るからな」
と言って、彼は走って妹の結婚式に行くんですね。

無事に式を済ませて、彼は友が待っている王宮に戻るために走ります。走るんです。走れメロス、ですから。
ところが、激しい雨で川の水はすごいことになっています。流されそうになりながら、メロスは、力を尽くして泳ぎます。皇帝がわざとメロスが間に合わないように、山賊を送ります。この山賊に殺されそうになる。でも命からがら、そこも切り抜けていきます。
 
それでも、メロスは不死身ではありません。もう走って走って疲れて寝てしまう。疲労困憊して寝てしまったら、ああ無理だなぁ、セリヌンティウスには悪いけど、間に合わないなぁと諦めそうになるんです。

皇帝は、遅れてまだ現れないメロスをひたすら待っているセリヌンティウスを、十字架につけようとして言います。
「ほら、メロスはやっぱり来やせぬ。あいつはそもそも逃げる気だった。妹の結婚式なんて嘘だ。そしてメロスの代わりに死ぬのはおまえだ。おまえはほんとにばかな奴だ」
その時、セリヌンティウスは、こう言うんです。
「メロスは来ます」「必ず来ます」 

疲れ切っていたメロスは最後の力振り絞って走ります。
自分は、死ぬことになります。でも、友の信頼を裏切るわけにはいきません。
必ず来ると待っている友のところへ、メロスは走ります。

ちょっと、物語をそのまま読んで終わりにします。よ〜く聞いてね。

「私を待っている人があるのだ。少しも疑わず、静かに期待してくれる人があるのだ。私は信じられている。私のいのちなぞ問題ではない。私は信頼に答えなければならない。今はただその一事だ。走れ、メロス。走れ、メロス。」

メロスは私たちのことで、私たちはなぜ走れるのか?
なぜ山を越えて、盗賊を振り切って、谷を越えて、誘惑に勝ち、疲れ切っていながら、乗り越えて走れるのか?
                  
それは、私を待っている人がいる。ゴールで栄冠を授けるためにきみを待っている人がいる――それがイエス・キリストで、その方は少しも疑わず、静かに期待しながら、必ず△ちゃんはやって来ると待っているのですよ。
だからいろんな嫌なこと、大変なことも、沢山あるんですけれども、私たちは自分のレースを走り抜く。その力を神さまは必ず与えてくださる。

☆お祈り

恵み深い天の父なる神さま、私なんか、走り切れるんだろうかと思うことがありますが、でもあなたは私を捕らえて、私に期待し、私を信じていてくださる恵みを感謝いたします。
どうか私の周りに、天使もパウロ先生もペテロさんもモーセさんも、み〜んな用意してくださり、私たちの倒れた時に、再び起き上がってレースを再開することができるように、力づけてください。
応援が必要です。私を励ましてくれる人が必要です。どうか私の周りに応援団をつけてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。