題      名: アドベントの霊想(2)
氏      名: T・Y
作成日時: 2012.12.08 - 13:54
                    みことばと共に行くアドベント
                        2012  第2週                                                                      (新共同訳)

                                         東戸塚エルシオン教会
                                              藤冨明子         
☆藤冨先生の作られた挿絵入りは添付ファイルをご覧ください。――T・Y 

                                                    
12月9日(日)ルカ1:6
 二人とも神の前に正しい人で、主の掟と定めをすべて守り、非のうちどころがなかった。
 
 ザカリアとエリサベトは夫婦でした。二人とも各々が神の御前に親しい交わりを持つ夫婦でした。一方が他方に寄りかかるのでもなく、しかし、決して突き放すのでもなく、互いに寄り添い、各々の分を果たしていました。

 主よ、時に人に寄りかかりたくなる私を、どんなときでも人よりもあなたを信頼し続けられるようにお守りください。

10日(月)ルカ1:6.7
 非のうちどころがなかった。しかし、エリサベトは不妊の女だったので、彼らには、子供がなく、二人とも既に年をとっていた。

 主よ、非のうちどころのないエリサベトにも課題はありました。エリサベトとはほど遠い私にも課題が山積されています。祈りの答えを待てずに、時につぶやく私を赦してください。それでも、この年、ここまで歩いてこられたのは、あなたが、見捨てないお方(ヘブライ13:5)だからです。
 どうぞ、私もまた、エリサベトのようにしてください。

11日(火)ルカ1:13〜16
 ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた。・・その子はあなたにとって喜びとなり、・・イスラエルの多くの子らをその神である主のもとに立ち帰らせる。

 この二人には、若い時ではなく、既に年をとったこの時に、救い主のお誕生という素晴らしいご計画にあわせて、願いは叶えられました。

 主よ、祈っても、祈っても、答えられないとき、あなたのご計画がわからなくて、悩み苦しむことがあります。あなたの時に実現すると信じる信仰と忍耐を与えてください。

12日(水)ルカ1:24
 その後、妻エリサベトは身ごもって、五か月の間身を隠していた。

 あまりに予期せぬ出来事に、驚きのあまり身動きができなくなることがあります。
 エリザベトは身を隠して、あなたの愛の中に隠れていたのでしょうか。
 喜びの時も、苦難の時も、あなたはいつも私の隠れ家です。そう言える人に私もなりたいと思います。

 主よ、私をいつもあなたのもとへ引き寄せてください。

13日(木)ルカ1:36.37 
 エリサベトも年をとっているが、男の子を身ごもっている。・・・神にできないことは何一つない。

 救い主の母として選ばれたのは、「身分の低い、この主のはしため」というマリア。血筋の良いアロン家の娘のエリサベトは、主の道を備えるバプテスマのヨハネの母となります。聖なる逆転の恵みの秩序に謙遜に服すエリサベト。
 マリアにとって、エリサベトの存在はどんなに大きな励ましだったでしょうか。
  救い主誕生という神の物語に用いられたのは、謙遜な聖なる器でした。
 主よ、汚れを取り除いて、聖なる者にしてください。

14日(金)ルカ4:18
  主の霊がわたしの上におられる。
  貧しい人に福音を告げ知らせるために、
  主がわたしに油を注がれたからである。

 福音を告げ知らせるために、異邦人に遣わされたパウロ。主に油注がれた宣教師が、伝道者が主のみ声に聞き従った故に、今、日本にも福音が伝えられ、私もまた、罪の赦しの平安と聖潔の信仰に立つことができます。

 試練の多い人生を逞しく歩むには、すべての人の人生の同伴者となってくださる主の存在なくして、平安に生きることはできません。
 
 宣教師のために、牧師、伝道師のために、神学生のために、どれほど祈り、捧げた一年だったでしょうか。そして、どれだけ家族に友人に、福音を告げ知らせたでしょうか。
  主よ、私を聖なる器のために、もっと祈り、捧げることができるようにしてください。

15日(土)ヨハネの手紙一3:8
 悪魔の働きを滅ぼすためにこそ、神の子が現れたのです。

 礼拝の直前に電話が鳴り、いつもなら取らないのに、重病の人がいたので、取りました。すると、礼拝に来たいという青年が道順を教えてほしいと。一番分かりやすい道を伝えて、電話を切ろうとすると、できればそこまで迎えに来て欲しいと。分かりやすいから大丈夫だと、すげなく断ってしまった。そして後悔の念が押し寄せてきた。
 
 毎日、初めての方を、新しい方を送ってくださいと祈っているのに。祈りに答えて、主が送ってくださったのに・・・
 この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである(マタイ25:45)。
 幸いにも道を迷わずに青年は来ることができました。また是非、来て下さいとクリスマス・カードを送ったのです。

 悪魔の手先になろうとした私のために、まさに主はこの地上に来られたのです。
  主よ、私の中にある悪魔の働きの全てを打ち砕いて、主のものにしてください。