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::: 高津教会 説 教 :::


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Name   fujimoto (http://%00http://%00)
Subject   ペンテコステ:再び燃え立たせる
ペンテコステ:再び燃え立たせる  
   Uテモテ1:1−14

 この手紙は、2節「愛する子テモテへ」と始まります。テモテは、パウロの第一次宣教旅行から、パウロに見いだされ、パウロに育てられた子どものような存在でした。かたやパウロは、この手紙を最後に、しばらくして殉教を遂げます。それを本人も意識しています。おそらく新約聖書の中で一番情感の込められた書です。ベテランのパウロが、迫害を受けて牢獄で殉教しようとしているパウロが、次の世代の教会を担うテモテに手紙を書いているのです。
 テモテは、苦境に立たされていました。難しいエペソの教会の牧師として労しています。ギリシャ圏の教会は、異教的な接点が多くて、さまざまな問題を抱えていた難しい教会です。そして、それに見合うだけの力も経験もないテモテ。難しい牧会の中で、テモテからはつらつとしていたエネルギーが奪われていきます。疲れていきます。
  自信を失い、恐れを抱き、負い目を感じているテモテ。そのテモテが慕い続けたパウロ先生は、いまや生涯を閉じようとしているのです。皇帝ネロがローマの大火災を理由にクリスチャンの迫害を開始したのが、紀元後64年、65年です。そしてパウロの殉教の年が、正確にはわかりませんが、66〜70年の間といわれています。そんな緊迫した状況をテモテもエペソにあって感じているのです。ますます不安に包まれていきます。
 最初からそうであったのではありません。6節にあるように、「再び燃え立たせてください」とあるように、かつてあった情熱的な信仰が、かつて聖霊の臨在に包まれていた信仰が、消えかけているのです。それは、私たちもまた、だれでも経験することではありませんか。そのことを心に留めて、パウロが、自信を失い、力を失いつつあるテモテを引き上げていく様子を、3つのポイントから学びましょう。

 
1)5節「私は、あなたの純粋な信仰を思い起こしています」
 テモテの母はユダヤ人、父はギリシャ人でした。その母も祖母も、純粋な信仰をもっていたと記されています。テモテは、敬虔なクリスチャンの家庭に育てられたのでしょう。しかし、それだけなく、彼はパウロの第二回目の伝道旅行で、パウロについていく決意をします。彼は一途でした。主に仕えようと一心でした。パウロは、その彼の信仰を「思い起こしている」のです。
 実は、思い起こしているという動詞は、数節前に出てきます。3節「私は、夜昼、祈りの中であなたのことを絶えず思い起こしては……」。何という結びつきでしょう。夜昼、絶えず祈りの中で、パウロはテモテのことを思い起こしている、その純粋な信仰を思い起こしているのです。今は、少し疲れているでしょう、自信を失っているでしょう、しかし、かつての純粋な信仰を思い起こして、その次になんて書いてあるでしょうか、3節「神に感謝しています」。
  昔と今の落差を思い起こして、嘆くことが多々あります。・懐古趣味、といいます。(昔は良かった)そして、今を嘆くのです。パウロはそんなことをいっているのではありません。彼は、思い起こしては、感謝をしています。なぜでしょう? それは、以前に与えられた神の賜物は、今モテモテのうちにあるからです。洗礼の時に与えられた御霊は、今も私たちの内にあるからです。それは取り去られたのではありません。テモテは不安です、自信を失います、そんなときに私たちもまた内に与えられた御霊を忘れてしまうのです。パウロは、テモテを、そして私たちを励まします。それは取り去られていない、だから再びそれを燃え立たせることができるのです。

2)第二に、自信を失ったテモテを、パウロは励ましていいます。
 12節「その方は、私のお任せしたものを、かの日のために守ってくださることができると確信しているからです」。パウロは、神に何をお任せしたのでしょうか。
 @ 教会のいのち――使徒の働き20:32「今、わたしは、あなたがを神とその恵みのみことばにゆだねます」。あなたがた、とは、エペソの教会の信徒です。パウロが最後に、エペソの教会を去るとき、もう二度とあなたがたの顔を見ることはないでしょう、と告別説教をしますが、その中で、パウロはエペソの教会を神の恵みにゆだねた、お任せしたのです。 
  神は、「私のお任せしたものを守ってくださることができる」。テモテよ、大丈夫、神さまは教会を守ってくださる。
 A それだけでなくて、パウロ自身のいのちと生涯――同じ告別説教の中で、エペソの教会の人々に向かって、自分が苦しみと囚われの方向に行くことを予告します。22節「心縛られてエルサレムにのぼる」。23節そこでは、苦しみと囚われが待っているのです。このミレトの港で、パウロは別れる教会のいのちを神の恵みにゆだねたばかりか、自分自身のいのちを神の恵みにゆだね、お任せしたのです。
 そしてパウロは、言います。神は、「私のお任せしたものを守ってくださることができる」
 昨年の夏、バンコクを経由してインドに行きました。バンコクの蒸し暑さ――しかし、大きな利点がありました。タイ式マッサージのすばらしさ。全身2時間で1000円ぐらい。足と肩だけなら、1時間で500円ぐらい。
 1年の疲れをほぐすがごとくに、日に2度行ってもオッケー。その日も、午前中にゆっくりともみほぐしてもらって、ぼーっとして空港に行って、空港から電話をかけようと。それがなかなかうまくいかない。いくつかの電話を試しているうちに、ふと気がついたら、バックがない。
 インドの先生に、中古のカメラを頼まれまして、本体部分だけを中古でかってもっていったのです。外の荷物はチェックインして、そのカメラバックの中に、帰りの航空券が入っている、それが見あたらないのです。
 すぐに、回りのお店の人に聞いて、どこに行くべきか? サービスカウンターへ、遺失物拾得所へ。あのときほど、広い空港を恨んだことはない。喉はからから、汗はだくだく。あと40分で飛行機は出てしまう。乗ったら、帰りの航空券がない。乗らなくても、航空券は出てこないだろうし。究極の選択です。
 ともかく、走る、走る。どこでも、あっさりしていて、「ない、届いていない、さあ、どうかな」、「sorry」のひと言でおしまいです。それはそうでしょう。仮にそのカメラバックをカウンターであずけていたら、チェックインしていたら、航空会社の責任で探し出すでしょう。どうしても出てこなかったら、別の航空券を用意してでも、何とかするでしょう。
 どうして、そんなに素っ気ないのか――それは預けていない、託していない、私の手荷物だからです。預けられてない、託されていないものにまで、責任は持てないのです。しかし、託されたものには、責任を持つでしょう。
 パウロは、そういうことを言っているのです。エペソの教会のことも、自分のいのちのことも、神の恵みの御手に託した、お任せした。だとしたら、神さまは責任をもって面倒を見てくださいます。

3)それだけではありません。
 14節「あなたにゆだねられた良いものを、聖霊によって守りなさい」
  私たちは、この生涯を、大切なものを、たましいを、神さまにゆだねます。同時に、神さまは、良いものを私たちにゆだねておられるのです。テモテにとっては、純粋な信仰、神に対する情熱でしょう、福音の働きでしょう。すべて主が、テモテにゆだねられたものです。
 パウロは言います。「それを、あなたの内に宿る聖霊によって守りなさい」 ――その聖霊とは、「臆病の霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です」(7節) 
 さまざまな試練に耐え抜いて守ることができる力を与えてくださる。のちに4:2節でパウロは言います。「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい」
 それはまた、愛の御霊です。教会を教会として結び合わせるのは、愛の御霊です。互いが、その純粋な信仰を失い欠けるとき、慰め励まし合うのが愛の御霊です。そしてまた、私たちの内に与えられているのは、「慎みの霊」です。慎み深いという意味ではありません。健全という意味です。13節の「健全なことば」につながります。偏っていないということです。それは、Tテモテ6:20−21によく出ています。
 みことばに立って、偏った教えを見分ける霊です。一昨年、私たちはインマヌエルの一つの教会を閉鎖して伝道所にしました。知らないうちに、カルト的な教えが入って、教会をむしばんでいたからです。その教えは、韓国で異端とされたタラッパンという伝道を中心としたグループです。伝道は難しくない、伝道は楽しいといって、キリスト教書店やさまざまな集会で、よその教会の信徒を自分たちのグループに引き込んでいきます。
 伝道熱心ではありますが、自分たちでは伝道しません。よその教会の信徒を引き抜いて訓練します。何でも白黒はっきりしています。自分たちとは違う立場を断罪します。自分たちの福音だけが、純粋な福音だと主張し、外は全部間違っているというのです。教会は混乱に陥りました。
 今また、その教会は伝道所から教会へと回復しつつあります。しかし、この出来事は多くの教訓を与えてくれました。私たちはだれでも、そのように、偏る傾向をもっています。信仰一本だと愛に欠ける。伝道熱心だと慰めがない。堅くて自由がないと思えば、自由だけれども、いい加減。
 高津教会にゆだねらえれた良いものは、健全なみことばへと導いてくれる聖霊の力によって、守らなければなりません。主ににお任せしたものを、主は責任をもって守ってくださいます。同時に、私たちもまた、主によってゆだねられた良きものを、力と愛と慎みの霊によって守っていきます。

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DATE: 2005.05.26 - 11:34

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