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::: 高津教会 説 教 :::


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Name   fujimoto
Subject   イエスとの出会い(6)――中風の男
イエスとの出会い(6)――中風の男
      マルコ2:1ー12


 イエス様は、会堂めぐりの旅を終えて、再びカペナウムという町へ戻ってきました。イエス様が町にいらっしゃった、何処かのお宅に滞在なさっているという知らせと共に、多くの人々が集まってきた。2節。イエス様のお言葉を聞こうと人々が黒山の人だかりとなってこの家に集まってきた。すぐに、戸口のところまで隙間もないほどになった。そのとき、一人の中風の人が4人の人に担がれて、やってきたという話です。
 中風の人がイエスさまに出会った物語に特徴があるとすれば、まず、彼を連れてきた4人の友人の存在なのです。友人がいなければ、この人はイエス様のところにも来ていません。救われてもいません。私たちのなかで、当てはまらない人は一人もいません。
  私のような、クリスチャンホームの子どもであれば、両親の信仰なくしては、私の信仰はありませんでした。チラシを見て教会を来た人であれば、そのチラシを配った人の祈りがなければ、救われていません。家庭集会を通して救われた人の背後には、家庭集会を開いた人の熱心な信仰がありました。

1)ですから、この出会いの物語で、まず注目すべきは、4人の信仰です。
  黒山の人だかりを見て、4人の中の一人が言ったはずです。
 「こりゃ駄目だ。またにしよう……」
   並ぶのが大嫌いなら私なら、絶対に言っています。すると、もう一人が言います。
 「諦める? 冗談じゃないよ。この機会を逃したら、もう駄目かもしれないぞ。」
 「だって、どうするんだよ」
 すると3番目が言います。
 「よしっ。屋根に上って、そこに穴を開けて、担架ごと、釣り下ろそう」
  4番目が言います。
 「おい、まじかよーっ」
 信じられない発想ですが、ありがちな会話に聞こえるから不思議ではないですか。それが、4人の強さです。4人の真剣でも、笑っている顔がわかるではないですか。
 そして、背後にあったのは、彼らのイエスさまに対する信仰です。彼らは、自分の友人が持っている問題の唯一の解答はイエス・キリストであると確信していました。しかも、チャンスは今しかない。まさに今イエスさまは彼らの町に来ているのです。この確信が、彼らをこれほど勇敢に、行動的にしました。
 そして、5節、「イエスは彼らの信仰を見て……」。中風の人とイエスさまとの出会いは、この4人の信仰によったのです。

2)第二に、この出会いの特徴は、5節の後半です。「子よ。あなたの罪は赦されました」
 何と出会いは、罪の赦しでした。周りの人の度肝を抜く発言です。病をいやしてもらおうと思っていた男性に向かって、それ以上のことをおっしゃったのです。本人も、周囲もそれはそれは驚いたに違いありません。私たちはみな、彼に自分自身を重ねるのです。罪赦されなければならない、私です。
 三浦綾子さん 「道ありき」――自分がイエスさまを信じた道のりを小説にしている。
 「私は、人間はそう簡単に過去の自分と縁を切ることの出来ない存在だと、つくづく思った。たとえ自分では一切の過去を断ち切ったと思うことは出来ても、自分がなしてきたすべての行動は、決して消すことのできないもののように、改めて私は感じた。たとえ、私が死んでも、私がしたことだけは、私のでたらめな生き方だけは、この世にとどまっているのではないだろうか。
 ベットの上に座り聖書を開いた。病室は3人部屋で、私のベットは一番廊下側にあった。他の二人は、もう静かに眠っていた。聖書を開くと、次の言葉が目に入った。「天地はすぎゆかん。されどわがことばはすぎゆくことなし。偶然の一致であろうか。私はいま自分が考えていたことと、あまりに共通している言葉に驚いた。この世のすべてがすぐ行き、そして滅び去ったとしても、イエス・キリストの言葉は永遠に滅びないと、ここに聖書は言っている。
 イエスのことばがほろびないということは、いったいどういうことだろうか。私の細い指は、その聖句の上にとどまってじっと離れなかった。私は思った。つまり、イエスの言葉滅びないと言うことは、その言葉が世にある限り、私の醜さもまた、そこにとどまっているように思われた。イエスが赦すと言えば、私の罪は赦されるであろう。しかし、もし赦さないと言われるならば、私の罪も永遠にそこに消えることはないであろう。「天地はすぎゆかん。されど、我が言葉は過ぎゆくことなし」。私は繰り返しつぶやいた。

3)イエスさまは、彼を「子よ」と呼んでおられます。
  この慈しみ富んだ呼びかけは何だったのでしょうか。聖書を読み進めることで、この言葉の背景にあるものをいっしょに考えて頂きたいのです。
 6節、座っていた律法学者たちは、こんなことを言いました。
 「この人は、なぜあんなことを言うのか。神を汚しているのだ。神おひとりのほか、誰が罪を赦すことができよう」 
 その疑念を見抜かれたイエスさまは、いきなりこんな質問をされました。
 9節「中風の人に、『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて、寝床をたたんで歩け』というのと、どちらがやさしいか」。
 さて、どちらがやさしい、どちらが難しいのでしょう。状況から考えれば、「起きて、寝床をたたんで歩け」と言う方が、「罪が赦されました」と言うことよりも、難しいのです。それはそうです。罪赦されましたと言っても、言うだけなら、誰でも言えます。言ったところで、それを証明することは所詮できないのですから、言いっぱなしもでいいわけです。
 ところが、「起きて、寝床をたたんで歩け」というのには、勇気がいります。なぜなら、そういった瞬間、何らかの肉体的な変化が目のまで現れなければ、そう言ったイエスさまは、面目丸つぶれになるからです。
 しかし、もっと深く考えてみると、発想は逆転します。御子イエスキリスト、神さまの側から見て、どちらが本当のところ難しいのでしょうか。やがて、マルコの福音書の5章には、奇跡の連続がでてきます。ガリラヤ湖の嵐を静め、猛り狂う波を静めておられます。死んでしまったヤイロの娘を生き返らせておられます。神にはできないことは何一つありません、という御言葉通り、それは難しい・やさしいというような話ではなかったと思います。
  しかし、聖なる神が、罪人を赦すということは、少なくともやさしいことではありませんでした。聖なる神が、罪に染まった人間を抱きかかえるということは、一つの苦悶を伴いことでした。聖なる神さまが、罪に染みし私たちをあきらめることができない、探して、探して、追いかけて、追いかけて、罪に染まった私たちを抱きかかえて、天の御国へつれていってくださる。
 これは、神さまの側にとってやさしいことではありませんでした。ご自身のいのちを、罪に染まって死んでいる私たちに差し出すことを意味しました。イエスさまは、「あなたの罪は赦されました」ということを、口だけで言うのではなく、それを本当に意味のあることとして宣言されるために、この世界に人となって生まれてこられました。馬小屋に誕生され、飼い葉桶に寝かせられ、人としての弱さも、苦労も、悲しみも味わい、罪の洗い清めの洗礼を、私たちと同じように受けられ、荒野で誘惑を体験さ、やがて十字架を背負って行かれるのです。
 「あなたの罪には赦されました」そう言えるのは、イエスさまだけです。なぜならイエスさまこそが、私たちの罪を背負って、それを十字架につけてくださったから。
  だから、イエスさまはその愛を込めておっしゃった。「子よ」と。

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