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::: 高津教会 説 教 :::


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Name   fujimoto
Subject   神と出会うモーセ
神と出会うモーセ

出エジプト3:1−14


 モーセは、イスラエル人でありながら、エジプトの王子の一人として育てられます。成人した彼は、同胞に課せられる苦役を嘆いて、同胞を奴隷から救い出そうと試みますが、失敗して、エジプトから逃亡します。彼はミデヤン(サウジ・アラビア)の荒野に移り住んで、羊を飼うことになること、40年間。アラビアの荒野から、羊の群れを追って、西へ西へと進できたモーセ。40年後の、ある日、いつもと同じように、朝早く起きて、羊を追いながら移動して、働いている、いつもと同じ、日常のある日。神様は、彼に現れました。
 向こうで、芝が燃えているのです。どんどん燃えているのです。そばに行ってみると、燃えているのに燃え尽きません。不思議に思ったモーセは、見に行ってみると、なんと神が彼に声をかけられました。
 4節「主は彼が横切って見に来るのをご覧になった。神は柴の中から彼を呼び、「モーセ、モーセ。」と仰せられた。彼は「はい。ここにおります。」と答えた

 私たちはモーセのように、人生の様々な課題を背負って、日常の荒野を歩き、そこに神さまが現れてくださる。その時、モーセのように、神さまに問いかける、と思うのです。その3つの問いを今日は見ていただきたい。

1)「私はいったい何者なのでしょう?」
 それは、そうでしょう。今、突きつけられている課題を前にして、モーセの正直な気持ちです。エジプトの王となれば、当時の中近東で絶大な力を誇っている、巨大な存在です。ミデヤンの荒野で羊を飼っていたモーセに、しかも老齢のモーセ、味方もいないモーセに何ができるのでしょう。
 神と出会うことによって、モーセは逆に自分の内側を見つめ、自分の存在のもろさ、小ささ、弱さを体験することになります。私たちは、困難な課題を前にして、パロのような自分を圧倒する権力を前にして、縮こまって、うめくのです。
 「私はいったい何者なのでしょう」
 Uコリント7:5のパウロの姿を思い出します。
 「マケドニアに着いたとき、私たちの身には少しの安らぎもなく、様々の苦しみに会って、外には戦い、内にはおそれがありました。」
  信仰の勇者パウロでさえ、そういっているのです。偉大な指導者モーセでさえ、自分の存在の小ささを認めているのです。私たちも、神と出会い、神を前にしながら、人生、やっぱり苦しい時がやってきます。
  「いったい、私は誰なのでしょう」

2)二番目にモーセが発した質問が、また興味深い。
 13節「彼らは、その名は何ですかと私に聞くでしょう。 私は、なんと答えたらよいのですか」
  モーセが民の所に行って、私は神から遣わされたといえば、当然、どんな神、誰から遣わされたのかと聞かれます。その時、なんと答えればいいのですか? 端的に言えば、それはモーセの問いでもあるのです。あなたは、いったい誰ですか。第一の質問は、私はいったい何者なのでしょう?外には戦い、内にはおそれを感じながら、私たちが発する問いは、私はいったい何者なのでしょう?、そして次に、あなたはいったい何者なのですか? 
 神様が明かされたご自身の名前が、14節「わたしは、わたしはある、というものである」。聖書の中で、神様が初めてご自身で明かされた名前です。これまでに、神はエロヒム(神)と呼ばれ、エルシャダイ(全能の神)と呼ばれ、エルロイ(ごらんになる神)と呼ばれ、人間から神は様々な呼び名で呼ばれてきたのです。しかし、ご自身で明かされたこの名前こそ、ご自身の本質を明らかにされた名前はありません。
 ヤハウェ、あるいはエホバとヘブル語で発音されるこの名前の意味するところは、哲学的にも神学的にも様々に論じられてきました。しかし、私の解釈は非常に単純で、これまでにも申し上げました。この世界は、あるんだかないんだか、わからないものばかり。人の愛も信頼も、今日の自分も明日の自分も、社会も国も、希望も喜びも。あるようでない、ないようである、あるんだかないんだかわからない、すべてが不確かです。存在そのものが不確かです。その中で、神様だけは、わたしはある、とおっしゃった。動きません。永遠です。変わりません。確かです。
 しかも、神様は、ご自身の名前を、12節「わたしはあなたとともにいる」という事実と結びつけられました。つまり、神様の本質は何かと問われて、ご自身が明らかにしてくださったことは、わたしは確かにいる、あなたとともにいる、ということです。
 私の説教の結論は、こうです。人生神と出会い、問題課題に直面し、投げかける問いがある。岩のような課題を前にし、川のような流れに流され、私たちは思います。「私はいったい何者だろう」。そして、その問いは、最終的に、「いったい神様、あなたは誰なんですか」という問いに飲まれてしまうということです。
 私たちが抱いている、自分の不確かさ、自分の弱さ、はかなさは、「わたしは確かにいる、あなたとともにいる」という、神様の臨在の中に飲み込まれていく、それが信仰なのではないでしょうか。自分の不確かさ、弱さ、はかなさ、そんなことを問いかけるのではなく、そんな質問に埋もれてしまうのではなく、わたしを見上げなさい。確かにいる、あなたとともにいるわたしを信じなさい、と神様はおっしゃるのです。

その結論を考えていただく前に、実はもう一つの問いがあります
3)13節に込められているモーセの思いは、何でしょう。
 それは、わたしが行っても、彼らはとうてい信じません、ということです。モーセはイスラエルの人々を知っています。ここでモーセは、自分のことを考えているのではない、神様のことを考えているのでもない、彼らのことを考えているのです。これから、自分が抱える問題、あるいは自分を取り巻く人々、周囲の人びとを考えているのです。
 自分もはかない、弱い、足りない。しかし神様、わたしを取り巻く人々はもっと厄介です。それは、ある意味で三番目の問いで、
 「私は、いったい何者なのでしょうか?」
 「あなたは、いったい何者なのでしょうか?」
 「彼らは、いったい何者なのでしょうか?」
  ・・・彼らは、どんなに厄介なのでしょう?
 しかし、この第三の質問も、「わたしは確かにいる。あなたととものいる」という信仰に、飲まれていくのです。ああ、神さまがいてくださる、ともにいてくださる。

 ディートリッヒ・ボンヘッファーが収容所の中で書いた詩に、「私はだれなのだろう」と題されたものがあります。
  
 「私はだれなのだろう。人は私を見ている。
  独房から静かに、笑みをたたえて、堂々と出てくる私を。
  まるで田舎の家から出てくるりすのようだと。

  私はだれなのだろう。人は私を見ている。
  看守に向かって、自由に、優しく、はっきりと話しかけ  る私を。
  まるで、看守を自分の支配下に置いているようだと。

  私はだれなのだろう。私は自分を見ている。
  落ちつきがなく、さびしく、病んでいる私を。
  まるで、カゴの中の鳥のように、自由を求めて叫んでい  る。
  優しい言葉を、友人との語らいを求めて叫んでいる。
   独裁政治への怒りにふるえ、みじめに卑しめられ
  出来事に振り回され、孤独に祈り、考え、この世界に
  最後の別れを告げようとしているこの自分。 

    私はだれなのだろう。人が見る自分。私が見る自分。
  今日の自分と明日の自分と違うのだろうか。
      どちらの自分がほんとうの自分なのか。それとも両方   とも自分なのだろうか。
    こんな私の疑問は、人はおろかとばかにする。

  私はいったいだれなのだろう。
  ああ主よ、あなただけがご存じです
  私はあなたのものです。
 
 自分はいったい何者か? 周囲の状況はどうなるか?そんな問いが、神さまがいったいいかなるお方であるのか、この方は、確かにおられ、わたしと共におられる、という確信の中に、飲まれていくのです。まっすぐに神さまだけを仰ぐとき、自分が誰であるのか、周囲の問題がなんであるのか、それが飲まれていくのが、ボンヘッファーの詩によく現れています。

 モーセがこのボンヘッファーの境地に至るまでに、まだ時間がかかります。ただ、一つ、この時点で興味深いことがあります。
 4:2−4で、神さまは、モーセが持っていた杖を蛇に変えてしまわれました。それは、それは、ぎょっとしたことでしょう。荒野で40年、遊牧民として生きてきたモーセには蛇の恐ろしさも習性もよくわかっていました。
 神さまがモーセにおっしゃったことは、「蛇のしっぽをつかめ」でした。そんなことをしてはならない。しっぽをつかむことが一番危険なことは、モーセもよく知っているのです。神さまは、モーセの信仰を試しておられるのです。大きなことではない、しかし、確かにいて、あなたとともにいるわたしを信じるか?と試しておられるのです。
 モーセは、信じることができました。そうして、信仰生活の第一歩を記していったのです。主の言葉に従って、主との出会いを一つ確かなものとしていったのです。

 ジェームズ・エドワードというアメリカの長老派の牧師が、その本の中で興味深い証しを述べているのが心にとまりましたので、それを引用して終わりにします。神学校で教えていた頃の、彼の学生の証しです。

 その学生は、大学生時代、信仰から離れて、ありきたりの生活をしていたそうです。ある年、アフリカで過ごして、そこへ妹さんが遊びに来ました。到着時刻、バス停まで迎えに行きます。ところがそこに悪い知らせが入ってきて、ゲリラが、一つ向こうの町でバスをおそって、乗客を人質に取ったというのです。
 彼は、不安でおろおろして、しかしそのニュースを確認するすべもなく、バス停で待っていました。祈ったそうです。もし妹が無事なら、神様、あなたを信じます、一生をかけてあなたにお仕えします。そうして、20分後、バスが到着しました。そして妹は無事に元気な顔で降りてきました。
 そして、彼はこう言ったそうです。
 「妹が無事である姿を見たとたん、わずか20分前、神さまに祈ったことも誓ったことも忘れてしまった。その途端、その途端、神様は以前に増して、自分にとって遠い存在になってしまった。」
 ある出会いが、神さまと自分を近づけるのでしょうか? 必ずしもそうではない。もしモーセが、芝の中から自分が呼ばれていながら、神さまに従わないのなら、その約束に信頼しないのなら、燃える芝の出来事がどんなに奇跡的でも、神さまは、以前に増して、遠い存在になっていくのです。
 出会いは、深まらなければ、私たちの人生を変えはしません。モーセは、神さまの約束に、様々な言い訳をしながらも答えていったのです。自分の弱さも足りなさも、周囲の問題課題も、ただひたすら主に信頼することで、出会いを深めていったのです。

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DATE: 2005.08.09 - 11:46

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毎日神様に近づけるように生活したいものです。
2009.01.15 - 17:23 
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