ホームページへ戻る

名前検索
メール送る

名前検索
メール送る

名前検索
ホームページへ戻る

名前検索
ホームページへ戻る

名前検索
ホームページへ戻る

名前検索
ホームページへ戻る

名前検索
ホームページへ戻る

名前検索
ホームページへ戻る

名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
::: 高津教会 説 教 :::


162 514 統計カウンターの表示   管理者で接続
Name   fujimoto (http://www.tkchurch.comhttp://www.tkchurch.com)
Subject   アドベント1「神はあなたの願いを聞かれた」
アドベント1 「神はあなたの願いを聞かれた」
 ルカ1:8−23

 アドベントとは、日本語で待降節(神がこの世に人として降りてこられたクリスマスを待ち望む)という意味です。アドというのは、一つの方向を指し示し、ベントは行くの意。実に期待感のある言葉です。
 アドベントと同じ語源で、アドベンチャーという英語があります。何かが起こってくる。ある出来事が起こってくる。思いもかけないことが自分の前に立ち現れる。そういう意味の動詞です。期待感があると同時に、信仰と勇気が求められている動詞です。
 私たちの外から、新しい出来事として事件として起こってくるのは、良い言葉からではありません。期待などできないことのほうが多いのです。大変なことが多い、新しいと言うだけで大変です。旧約聖書で言えば、敵が攻めてくる、基金が訪れる、国々が滅びては誕生し、全く新しい環境へと投げ込まれます。
 思いもかけない、不測の事態にあって、ある意味で期待感を持って望んでいられるのは、なぜでしょうか。それは、神さまというお方が、この不測の事態に手を伸ばしてくださり、この出来事の中でどのようにして私を導いてくださり、守り、支え、ご自身の栄光を現してくださるか、それは心配な中にも、信仰の機会が生まれてきます。
 それは、私たちが出会うのは、いつものその状況におられる神さまだからです。クリスマスの出来事を担った人びとは、みな驚き恐れおののいています。ザカリヤもエリサベツも、マリヤもヨセフも、羊飼いも、文字通り冒険しながら旅をしてくる東方の博士も、みなそうです。しかし、彼らにあられるのは天の使いです。導くのは、天の星です。まったく未知の、新しい世界に飛び込んでいき、多くの苦労を背負うであろうことを予想しつつも、期待をもてるのは、神が共にいて、神が祝福してくださるのを信じているからです。それがクリスマスに向かう私たちの姿です。

 さて、クリスマスは、ザカリヤのアドベンチャーから始まります。その彼をわたし自身のこととして、見てみましょう。

1)彼の心には願いがありました。13節「恐がることはない。ザカリヤ。あなたの願いは聞かれたのです」。8−11節で、祭司としていつもの、何の変わらぬ勤めをしていた彼に、突然天の使いが現れます。ザカリヤの願いを誰が知っていたのでしょうか。その苦悩を、その人生を、その願いを誰が知っていたのでしょうか。
 私は数週間前に、昨年アカデミー賞を取った「ミリオンダラーベイビー」という映画を借りてきてみました。見終わった瞬間は、絶句です。ことばはありません。深い人生の意味が込められた映画です。しばらくして、暖かい思いがこみ上げてきました。
 興味深い場面があります。クリント・イーストウッド演じる主役の老齢のボクシングトレーナーが、地味な生活をしているのですが、毎日、カトリック教会のミサに行きます。彼は、毎回のように司祭さまに、奇妙な質問をします。キリスト教の三位一体の教えは不可解だとか。司祭さまにはわかりません。なぜ彼が教会に来るのか、どうしてそんな質問をするのか、嫌がらせなのか。
  しかし、映画を見ている人には、彼の心の中に願いがあるのが徐々に分かる。別れた娘に会いたい。連絡が取れない娘に会いたい。彼は毎日手紙を出している。そして、毎日のように宛先不明でその手紙が戻ってくるのです。
 私はあの映画を見て思いました。人は、その願いを簡単に表に出さないのです。会えば、関係のない話をしてしまう。しかし、毎日ミサに来るほど、彼の願いは、彼の祈りは、彼の信仰は、どこかで息づいている。そして、それを知っているのは、司祭さまではない。神さまだけです。
 クリント・イーストウッド演じる老齢のトレーナーを見ていますと、何かこのザカリヤに通じるものを見る。誰も、私の心の願いを受け止めてくれる人はいない、という人生の矛盾を生きてきた男の叫びです。神はおっしゃいます。「こわがることはない。私はあなたの願いを受け止めた」。クリスマスの独特な暖かさは、ここから来ます。山も海も川も空も、あなたの願いを受け止めることはない。私たちの仕事も財産も、権力も社会も、その願いを受け止めるわけではない。
 老齢のザカリヤの願いというのは、世間では忘れられた願いです。しかし、神はそれを受けて止めておられた。心の奥底の悩みも悲しみも矛盾もむなしさも、焦りも願いも、受け止めてくださる方がおられる。
  ザカリヤという名前の意味ですが、それは「神はあなたを覚えておられる」です。

2)普段のザカリヤの生き方です。
 願いを聞いてくださる神の御前に、忠実に歩んでいたザカリヤです。ルカの福音書には後に、シメオンが出てきますが、彼は「神の御前に正しく、主のすべての戒めと定めを落ち度なく踏み行っていた」としるされています。一言で言えば、シメオンは真実で忠実な人物でした。きっと、ザカリヤもそうだったのではないでしょうか。
 スコット・ペック(精神科医)「愛と心理療法」という本があります。その中で、彼はこのようなことを記しています。
 あくまで真実に忠実な生活とはどんなものだろうか。第一にそれは、終わることのない厳しい自省の伴う生活である。我々は、世界を自分との関係を通してしか知ることができない。従って、世界を知るためには、世界と同時に調べ手でもある自分を調べる必要がある。精神科医を含めて、多くの人が外の世界は厳密に調べるけれども、自分自身についてはさほど厳密に調べない。
 あくまで真実に忠実な生活とは、自分に対する挑戦を進んで引き受ける生活でもある。現実に関する自分の地図がまともかどうか確かめる唯一の方法は、他からの批判と挑戦にさらすことである。
 私たちは、地図の正しさを脅かすものはすべてさけようとする。そこで子どもたちには、「口答えするんじゃないよ。私は親なんだからね」といい、配偶者には「好きにやらせてよ。あれこれいうとだめな女になっちゃうわよ。そしたらあなたも後悔するでしょう」などという。今までのやり方を脅かすものを避ける傾向は、人類あまねく存在している。
  ペックの考えでは、真実な人生とは、自分に対する批判・挑戦を喜んで受ける人生。自分が作った地図、自分の物差しに対する挑戦を謙虚に受け止める生き方。それが、真実な生き方です。
 神の御前に正しく歩むためには、正しく歩んでいるだろうか、という反省がなければならなりません。神さまの定めを落ち度もなく行うためには、自分の地図、自分の物差しを、他人の批判にさらす謙虚な姿勢がなければ、絶対に無理です。
 そう考えていくと、ザカリヤは、人生に対して謙虚であったと思います。神さまが彼を特別に選ばれた理由は書いてありません。しかし、願いが聞かれる背景には、真実な人生、望みを失わない人生、地道な生き方があったのです。

3)さて、願いが聞かれたとき、彼に求められたのは、地道な生き方を越える「信仰」でした。
 正しく、非難されることなく、忠実に生きる、その生き方を越える「信仰」です。神さまの奇跡を信じる信仰、それが彼に求められました。しかし、ザカリヤは、それを信じることができなかった。祭司の家系に育ち、伝統を受け継いだザカリヤです。主は覚えておられる・・・そんなすばらしい名前をもらった彼です。夫婦ともに主に仕え、真実に生きてきました。その彼に、神様が語りかけたのは、「祭司の務めの最中」でした。天使が現れたのは、神殿の香の壇の右です。すべての条件が整っていたように思えます。
 しかしそのとき、その肝心なとき、信仰が働かなかったのです。結果として、言葉が出なくなり、回りの人が身ぶり手振りで、彼に物を尋ねています。
 落ち度もなく、忠実に正しく生きてきたとしても、肝心な時に信仰的でない。さて、こうして考えていくと、信仰的であるとは、常識的である以上に貴いことがわかります。忠実に生きる、非難されることがないように生きる、真実に生きようとする――それらは、貴いことです。しかし、それを越えて、信仰が求められています。私は、このときのザカリヤの信仰姿勢を象徴する言葉が、18節にあると思うのです。「私ももう年寄りですし……」。
 「年寄り」・・・これは、年齢ではありません。新しいことが期待できなくなったら、年寄りです。アドベントの信仰の挑戦を受けて立てなくなったら、年寄りです。高津教会は、信仰の壮健なご高齢の人であふれています。むしろ、私のような「若年より」の方が心配なのです。

掲示物をメールで送信。 プリントプレビュー
DATE: 2005.12.16 - 00:27

221.114.25.28 - Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)

opeteogAnode 簡単意見修正::: 一言削除 ::: IP: 208.66.16.65
http://michaelzimmerman.blogspot.com/
2014.04.05 - 23:00 
woz22m 簡単意見修正::: 一言削除 ::: IP: 178.159.37.111
<a href=http://SlammaTep.com>SlammaTep</a>
ney205wzokzmha53mo
2017.06.24 - 15:47 
Name   E-Mail   Password

 前文 アドベント2 ザカリヤの賛歌
 次文 イエスに出会った人びと(14)――エパタ
文章投稿 *^^*削除修正返答を書く検索目録を見る。... *^^*

チェックされた全文書を見る
114Simple view *^^*アドベント2 ザカリヤの賛歌 [169] fujimoto 2005.12.16 46089
113現在参照中の文章です...アドベント1「神はあなたの願いを聞かれ... [2] fujimoto 2005.12.16 6080
112Simple view *^^*イエスに出会った人びと(14)――エパタ [9] fujimoto 2005.12.08 9470
111Simple view *^^*イエスに出会った人びと(13)小犬のよ... fujimoto 2005.10.24 925
110Simple view *^^*神の恵みに足りる [6] fujimoto 2005.10.24 17944
109Simple view *^^*聖餐式 ユダも招かれ [147] fujimoto 2005.10.13 76202
108Simple view *^^*イエスに出会った人びと(11)――ザー... [341] fujimoto 2005.08.19 6309
107Simple view *^^*キリストこそ、私たちの平和 fujimoto 2005.08.19 6073
106Simple view *^^*神と出会うモーセ [3] fujimoto 2005.08.09 2431
105Simple view *^^*神が来られるとき(アブラハム)  [4] fujimoto 2005.08.01 11065
104Simple view *^^*日を正しく数える知恵を与えてください [3970] fujimoto 2005.07.18 46870
103Simple view *^^*イエスと出会った人々(10)――ゲラサ人 [7] fujimoto 2005.07.18 9771
チェック項目を全て削除。 チェック項目を全て削除。

前頁 次頁
前へ戻る 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10 次へ進む本頁が最終ページです
文章投稿 *^^* 再読込
投稿者氏名を検索項目欄に追加/除去タイトルを検索項目欄に追加/除去内容を検索項目欄に追加/除去 メイン画面に戻る。... *^^*