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::: 高津教会 説 教 :::


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Name   fujimoto (http://www.tkchurch.comhttp://www.tkchurch.com)
Subject   水を汲むしもべ
水を汲むしもべ(教会総会の礼拝)

 2:1 それから三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、そこにイエスの母がいた。
 2:2 イエスも、また弟子たちも、その婚礼に招かれた。
 2:3 ぶどう酒がなくなったとき、母がイエスに向かって「ぶどう酒がありません。」と言った。
 2:4 すると、イエスは母に言われた。「あなたはわたしと何の関係があるのでしょう。女の方。わたしの時はまだ来ていません。」
 2:5 母は手伝いの人たちに言った。「あの方が言われることを、何でもしてあげてください。」
 2:6 さて、そこには、ユダヤ人のきよめのしきたりによって、それぞれ八十リットルから百二十リットル入りの石の水がめが六つ置いてあった。
 2:7 イエスは彼らに言われた。「水がめに水を満たしなさい。」彼らは水がめを縁までいっぱいにした。
 2:8 イエスは彼らに言われた。「さあ、今くみなさい。そして宴会の世話役のところに持って行きなさい。」彼らは持って行った。
 2:9 宴会の世話役はぶどう酒になったその水を味わってみた。それがどこから来たのか、知らなかったので、――しかし、水をくんだ手伝いの者たちは知っていた。――彼は、花婿を呼んで、
 2:10 言った。「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、人々が十分飲んだころになると、悪いのを出すものだが、あなたは良いぶどう酒をよくも今まで取っておきました。」
 2:11 イエスはこのことを最初のしるしとしてガリラヤのカナで行ない、ご自分の栄光を現わされた。それで、弟子たちはイエスを信じた。

 場面は、結婚式です。カナの婚礼といいます。この場面には、キリストが行われた初めての奇跡が記されています。牧師や司祭が、キリスト教式の結婚式で読み上げる式文には、世界共通でこのことが記されています。そもそも結婚は創造のはじめから、神の定められたものであって、そして、キリストはカナの婚礼で初めの奇跡をあらわし、と。
 今年、今決まっているのは、4月29日、小山英夫兄と鎌塚涼子姉の結婚式がここで行われます。教会の兄弟姉妹の祝福とお助けを借りて、教会で結婚式を挙げることには深い意味があります。結婚式は、人生の象徴です。そこにある問題も苦労も、喜びも大変さも、周りの人の応援も助けも、そして失敗も。
 私は、結婚式のリハーサルの時に必ず申し上げます。「結婚式に出席される方には分からないでしょうが、100%うまくいった試しはない。絶対にどこかが狂う、でも心配しないで。出席しているの心には留まらない。司式者が名前を読み間違えなければ、それでよし!」
 私は一度、牧師の結婚式で、新郎新婦の誓約の後で結婚宣言を言うのを忘れて、さんびかを歌ってしまった。あのときは、出席していた他の先生方から、あとでさんざん言われました。それでも、最後の祝祷の前に、結婚宣言を入れましたので、宣言なしの結婚式は何とか免れられました。
 いや、間違うものです。そして焦るものです。こういう混乱って、ある意味で、人生の象徴だろうと思います。カナの婚礼もそうだったのです。宴会の最中に、ぶどう酒がなくなりました。料理がなくなるのと同じ。騒然、特に舞台裏は騒然です。それが舞台裏から、舞台の表に伝わってきました(3)。
 人生の最も幸福な瞬間、結婚式での混乱です。周到な準備をしておいて、何度かリハーサルをして、確認しても、100%うまくいくものではない。どこかが狂った瞬間、音を立てて崩れていきます。

1)奇跡は、ぶどう酒がなくなったときに起こった。イエス様の答は、ちょっと奇妙に聞こえます(4a)。マリヤさんの方で、イエス様の回りに起こっている様々な異変を感じていました。弟子を連れているのです。そろそろ公の生涯に立つときだ、そう感じて、促したのでしょう。すでに、母親の自分を完全に離れて、御子の使命を追求される、そう覚悟していたのでしょう。
 「時はまだ」と言いながらも、イエス様は「ぶどう酒がなくなった」という深刻な問題に向かって、腰をあげなさいました。イエス様が腰をあげてくださるチャンスです。ぶどう酒がなくなったとき、私たちが限界に面したとき、壁にぶつかったとき、やるだけやって、可能性も尽くしたとき。
 そして、ご覧ください。イエス様が造ってくださったぶどう酒が10節に。「良いぶどう酒」と記されています。普通でしたら、初めに上等なものを出して、もう適当に酔っぱらってきたら、何が出てきても良いのです。しかし、イエスさまが働き出てくださると、人のなす業とは全く次元の違う、すばらしい結果が出てくるのです。
 昨年の高津教会の感謝祭でも、森祐理さんのコンサートでも、みなイエスさまが働いてくださったことを、私たちは実感しました。そこには人間のベストを越えた、祝福があるのです。

2)すべてにあてはまる、神の力を引き出す期待と信仰。イエスさまは、ここで「私の時」とおっしゃいました。ヨハネの福音書で何度か出てくる表現。先を読むと分かる、私の時というのは、十字架にかかるとき、あるいは復活するとき。
  かなた、向こうにある大きな出来事のことです。弟子たちは、後になって、このカナの婚礼を思いだすのです。「ああ、あれがはじめての奇跡だった」。あのときから、主はすべてを収められていた。あのときも、混乱を収拾し、いや混乱から栄光を引きだしてくださった。主の奇跡は、主の働きはいつもそうだ。あの奇跡の中に、すべてが象徴されていた、と。
 神の力は、人間の力が尽き果てたときに現される。その限界をはるかに超えて、豊かに現される。その祝福は、後に行くほど味わい深くなる。すべてがそうだ、と弟子たちも私たちも確信するのです。
 その上で、あのときのマリヤの教訓をあらためて、書き留めたのがヨハネです。教訓となる御言葉が2つあります。
  1)5節「イエス様の言うことを、何でもしなさい」
  2)7節「彼らは水瓶を縁までいっぱいにした」
        信仰と服従です。
 6つの瓶の縁まで水を満たす、彼らの期待・信仰です。
 ユダヤには、沐浴の習慣があります。庭や、町の入り口に、水瓶にはいった水が用意してあるのです。イエス様はそれを使いました。大きな水瓶・・・80−120リットル/風呂おけサイズです。それを6つ。平均値をとって100リットルとしても、600リットル。ワインの瓶で、約600本分です。
 イギリスの有名な聖書学者バークレーは言います。「文字どおり解釈すべきではない。ラクダじゃあるまいし、どんなに大きな宴会でも、こんなにたくさんのぶどう酒はいらない。」だとしたら、水瓶6つを水で満たすしもべたちの信仰と期待は偉大です。これから与えられる神の豊かな豊かな祝福。それには、その祝福に答えるべき、大きな信仰と素直な服従があったのです。
 まさに、カナの婚礼の出来事は、最初のしるしとして、ふさわしいものでした。

3)さて、最後のポイントも大切です。しもべたちの姿です。
 みんなは、何にも知らないで、楽しくぶどう酒を味わい、料理を食べていました。でも、しもべたちは、イエス様と一緒にいたのですから、ことの一部始終を知っているはずです。しかし、彼らは黙っています。声高に、自慢げに言いふらしたりしません。
 私はこのしもべの姿が、神様のお姿、イエスさまのお姿であると思うのです。イエスさまも黙っておられます。招待客は何も知らずに、ごちそうを食べ、とっておきの葡萄酒を飲んで、楽しんでいます。 
  私たちもまた、日常生活を教会生活をそのように楽しんでいるのです。何も知らずに、何もなかったかのように。しかし、実はその背後にあって、イエスさまが配慮してくださり、働いてくださり、多くの奇跡を起こしてくださっている――だから、高津教会の一年があったのではないでしょうか。神様はだまって、教会のことを、私たちの日常のことを配慮してくださいます。
 そのことを、しもべたちは知っていました。宴会には、事の次第を知っていたしもべたちがいたように、この教会にもそのように、背後にある神の配慮、事の次第を知っている人がいた方が良いのです。・声高に言いふらすわけではありません。しかし、この教会がイエスさまの奇跡の中に保たれていることを知って、静かに仕える人がいることが大切です。
 私たちのクリスチャンの役割は、神の国の宣教です。それが教会の使命です。しかしその宣教というものは、イベントでも人集めでもありません。もっと静かな落ち着きに満ちたものです。その落ち着きはどこからくるのでしょう。
 それは、「ぶどう酒がどこから来たかを知る」ことから来ます。すべての祝福は、備えは、供給は、助けは、イエスさまから来ます。教会の働きも、私たちの日常生活も、私たちの知らないところでこの方が支えていてくださるのです。
 水をぶどう酒に変えた神を知る者は、そんなに多くはないでしょう。それは、イエスさまの側に立って、イエスさまと共に労して、はじめてわかってくることだからです。そんなに多くはない水を汲むしもべたちが、高津教会にたくさんおられることが、何よりもこの教会のすばらしさです。

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DATE: 2006.02.08 - 22:26

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