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::: 高津教会 説 教 :::


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Name   fujimoto (http://www.tkchurch.comhttp://www.tkchurch.com)
Subject   イエスに出会った人びと(15)――イエスにつまずいた者たち
イエスに出会った人びと(15)――イエスにつまずいた者たち                      2006.2.5

マタイ13:51−58
13:54 それから、ご自分の郷里に行って、会堂で人々を教え始められた。すると、彼らは驚いて言った。「この人は、こんな知恵と不思議な力をどこで得たのでしょう。
13:55 この人は大工の息子ではありませんか。彼の母親はマリヤで、彼の兄弟は、ヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではありませんか。
13:56 妹たちもみな私たちといっしょにいるではありませんか。とすると、いったいこの人は、これらのものをどこから得たのでしょう。」
13:57 こうして、彼らはイエスにつまずいた。しかし、イエスは彼らに言われた。「預言者が尊敬されないのは、自分の郷里、家族の間だけです。」
13:58 そして、イエスは、彼らの不信仰のゆえに、そこでは多くの奇蹟をなさらなかった。

 物語は、54節にこうはじまります。「それから、ご自分の郷里に行って、会堂で人びとを教え始められました」。
 郷里の人びとはイエスさまの教えに驚きはします。しかし、徐々に疑念がわいてきて、最終的には57節「こうして彼らはイエスにつまずいた」と記されています。イエスに出会った人びとの15回目、それはイエスにつまずいた郷里の人びとです。
 イエスさまはここで、あらためて、旧約聖書の預言書を引用しておっしゃいます。「預言者が尊敬されないのは、自分の郷里、家族の間だけです」。私はこの箇所を考えると、母教会に戻ってきて、自分の郷里に戻ってきて20年、よく皆さんが私につまずかずに、牧師として迎えてくださったと感謝します。幼稚園の時からここでお世話になり、役員の方々には、教会学校で教えていただき、玉木兄は、大学生時代の仲間です。戸塚兄は、そのころ、高津に展開されました。私などより、はるかに立派な信仰でした。郷里に戻ってきて、よく受け入れてくださった、よくついてきてくださった、と思います。それはひとえに、皆さんの寛大さの故です。
 しかし、それでも、私たちもまた家族に伝道することがどんなに難しいか知っているわけですから、このイエスさまが郷里で直面された問題がよくわかります。
 イエスさまが郷里で敬われることなく、かえって怪しまれ、疑われた理由が2つあろうかと思います。すなわち、彼らがイエスさまに出会っていながら、その教えに感嘆していながら、彼らがイエスさまにつまずいた理由です。

1)「この人は……」という表現です。
 54節、55節、そして56節にも出てきます。「この人、この人、この人」です。55節「この人は大工の息子ではありませんか。母親はマリアで、彼の兄弟はヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではありませんか。妹たちもみんな私たちといっしょにいるではありませんか。」父ヨセフが出てこないのは、既にこのときには亡くなっていたからでしょう。とにかく、主イエスがヨセフとマリアの家庭で育てられ、成長していった様子を彼らは見てきました。子供の頃からのことをつぶさに知っているのです。
 近所のおばさんがイエス様の姿を見て言います。「あらまあ、イエス君、大きくなってちょっと見ないうちに、すっかりかわちゃって」。「あっ、俺あいつ知っている。あいつが、幼稚園の時、ドブにはまって泣いているのを、助けてやったことがあるよ。」 
 私もここで育って、地元で奉仕していますからよくわかる。イエス様は、小さい頃から品行方正だったかも知れません。でも、兄弟はわかりませんよ。「あの弟のヨセと言うのが、だらしないんだ。学校では、忘れもの大将、っていうあだ名だったな」。
 「この人、この人、この人」といって、彼らはイエスさまの人間として目に見える部分に捕らわれていくんです。その言葉、その働きに目を向ける以前に、自分たちが知っていることの範囲内で、イエスのことをとらえようとしているのです。私たち日本人にしてみれば、ユダヤ人イエス、西欧キリスト教のイエス、キリスト教の創始者、偉大な宗教家・・・それ以上でもなく、それ以下でもない。イエスさまを自分の知っている人間としての知識や常識の範囲内でとらえるとき、そこにはつまずきしか起こらないのです。

2)つまずきの理由は、もう一つ考えられます。
 それはここが郷里のナザレ、ホームグランドだということです。そこは、主イエスにとってだけでなく、その人々にとっても故郷なのです。自分の生まれ育った所なのです。彼らが全然旅先で、不安の中でイエスさまに出会ったのなら、状況は違っていたかもしれません。
 しかし、何の不安もない、何の不足もない状況の中で、イエスさまに出会ったとき、それは自分がよく知っている、自分の手の内にある、自分が主人である世界でイエスさまと出会ったことになります。
  故郷は、自分が主人であり支配することのできる世界です。そんな境遇から、主イエスのことをとらえ、理解しようとしたとき、心を開くことはありませんでした。
 信仰の世界に生きようとするとき、私たちは自分のホームグラウンドを出なければなりません。自分が知っている世界、人間の常識の世界、そこから一歩外に出て行って、神様がみ言葉とみ業とによって示して下さる新しい世界、未知の世界へと旅立っていくことがなければ、主イエスを信じることはできないのです。その救いの恵みにあずかることはできないのです。信じること、祈ること、そこから始める以外にないのです。

3)最後、このつまずきの結果、この不信仰の結果が記されています。
 58節「そしてイエスは、彼らの不信仰の故に、そこでは多くの奇跡をなさらなかった」・・・つまずきの故に、不信仰の故に。他の地域では、イエスさまを通して、神の働きは圧倒的な勢いを見せています。イエスさまにあっては、神の働きは人の力で妨げることはできないのです。イエス様が誕生されたとき、ヘロデというユダヤの王様は、自分の王権が奪われることを恐れて、イエス様を殺す計画を立てました。しかしそんなことで、神様の働きが妨げられることはありませんでした。
 イエス様のために道をそなえて働いてきたバプテスマのヨハネは、罪を責められたヘロデ(これは、先のヘロデとは違いますが)、バプテスマのヨハネを殺します。しかし、このことでも、神様の働きが妨げられることはありませんでした。
 イエス様の伝道活動の中で、至るところで、当時の宗教家が批判を加え、殺害計画を立てます。しかし、このことでも、神様の働きが妨げられることはありませんでした。かえって、神様は、彼らの悪意を用いて、イエス様が私たちの罪のために十字架にかかる道を備えておられました。私たちの罪を贖い、私たちを再び神の子どもとするための、新しい道はどのような妨害にも屈することなく、完成されました。だれも、何事も、それを邪魔をする事は出来ませんでした。
 しかし、そのように完成した十字架の死でさえ、イエスさまにつまずく人の前では無効です。イエス様を信じる心、これなくしては、ゲッセマネの熱い祈りも、十字架の流血も、人を救うことが出来ません。復活も意味をなさないのです。不信仰・・・イエス様を信じない心。これは、福音書に描かれている、イエス様の最大の敵です。
 イエス様は、悪霊をご自分の敵としては見ておられませんでした。ヘロデもピラトも、イエス様の敵にはなりません。パリサイ人も、祭司長も、あまりにも愚かで論争の相手にもなりません。イエス様の敵は、人々の不信仰でした。イエスさまにつまずく心でした。それは、郷里の人々の心の中にありました。「なんだ、これは、大工のヨセフの息子ではないか」。自分の小さな世界観から、自分の愚かな判断で、「ああ、これは自分には関係ない、イエスなんて自分には関係ない」 イエスさまは、悲しい顔をして、心を痛めて、ナザレを、そして私たちの所を去って行かれます。
 しかし、それでも主は、つまずく私たちの心の中にも小さな灯火のような信仰があるとき、私たちを見放すことはないのです。疑うトマスの前に現れて、「信じない者にならないで、信じる者となりなさい」とおっしゃいました。ショックと失望によって信じることを忘れている弟子たちの、後ろからイエス様の方で近づいて、そして、15節「ともに道を歩きながら」聖書の説明をしてくださいました。イエス様は弟子たちの間にたって、その不信仰を取り除き、信じる心を与えようとなさいます。

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DATE: 2006.02.08 - 22:51

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