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::: 高津教会 説 教 :::


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Name   fujimoto (http://www.tkchurch.comhttp://www.tkchurch.com)
Subject   ペンテコステと教会
ペンテコステと教会
  使徒2:1−14         

 教会の暦の中で、最も大切なものが3つあります。クリスマス、受難週とイースター、そして今日がペンテコステ、です。世界中の人びとがキリストの誕生日であるクリスマスを知っています。クリスチャンであれば、受難週とイースターは十字架と復活のことを心に留めずに過ごす人はいないでしょう。しかし、今日がペンテコステだと意識もしない、教会もないわけではないでしょう。
 そのペンテコステとは何か。イースターから数えて50日目、復活のキリストは天に昇り、地上に残され祈っている弟子たちの上に聖霊が降り、そして、この日、教会が誕生したのです。聖霊降臨日とも呼びます。2つの大きな出来事があったといえるでしょう。この日、地上を去って行かれるイエスさまが、あなたがたのもとにもう一人の助け主が送られます、という聖霊が臨み、弟子たちが変えられました。十字架の出来事以来、エルサレムになりを潜めていた弟子たちが帰られ、勇気にあふれてキリストの十字架と復活を語り始めました。そして、教会が誕生したのです。
 私は、今朝、聖霊によって誕生した教会に目を向けたいと思います。あらためて、教会とは何であるべきか、どうあるべきかを考えていただきたいからです。

1)1ー2節 聖霊が天から降り、教会が誕生します。
 かつてイエスさまは、ペテロと弟子たちに言いました。
 「わたしは、わたしの教会をこの岩の上に立てます」
 この岩というのは、ペテロのことであり、ペテロの信仰のことでした。しかし、イエスさまは明確で、ペテロが教会を建てるのではない、わたしが、わたしの教会を建てる、と。しかもイエスさまは、地獄の門でさえ、教会を打ち破ることはできない、とおっしゃいました。
 やがてローマ帝国の皇帝ネロは、教会を迫害します。江戸幕府も、日本の軍事政権も教会を迫害します。しかし、教会は死に絶えたことがないのです。教会は、初代の時代から、たとえばコリントの教会でも問題を抱えています。問題のない教会はありません。しかしそれでも、教会は、イエスさまによって建てられる、イエスさまの教会なのです。
  ペンテコステの朝、弟子たちが頭をひねって、祈りに祈って教会を始めることを決心したのではありません。この日、キリストの御霊が、天から降り、教会を生み出したのです。
 十数年前、アメリカの大きな教団二つが、ラジオでコマーシャルを流したことがありました。前代未聞のことです。全く違った教団でしたが、基本的に同じメッセージでした。「帰ってきてください。あなたの教会へ」というような広告なのですが、そのうちの一つのコマーシャルはもっと具体的でした。「私たちは、過ちを犯したと思っています。教会の本来の姿から離れていたのではと悔い改めて、神の言葉へ帰ります。ですから、みなさんも私たちの教会に帰ってきてください」というものでした。
  聖書を脇にどけて、自分たちの思想や流行に振り回されて、いつの間にか教会の中心がどこにあるのかを見失ってしまった、大きな教団です。教会はキリストの教会です。イエスさまご自身のものです。この世界の流行に振り回されるものではありません。

2)そのようにしてできた教会は、明確に一つの使命を背負っていました。それが、伝道です。
 6節、聖霊を受けた弟子たちは、いきなり外国語を、しかも様々な外国語を話し始めます。7-8節で、人びとは驚いています。こんなことがあったのは、この日だけです。それ以降、弟子たちであれ、宣教師であれ、よその国に行くならば、その国の言葉を習得するのに努力しなければなりません。それは、聖霊に期待できないことです。
 しかし、この日、明確になりました。イエスさまが教会を建てられた明確な理由がわかりました。それは、十字架による罪の赦しと、神の国への希望を伝えることです。聖霊は、これほどの奇跡を起こして、それが第一目的であることを教えてくれました。
 先週、ある教会の先生とお話をしていました。高津にいらっしゃって、掲示ボードにジョン・チャヌさんのコンサートの写真を小島兄がまた張ってくださったので、それをご覧になっておっしゃいました。この方のバイオリンの響きは、特別ですね……
 チャヌさんは、新大久保の駅でホームに落ちた人を助けようとして、自分のいのちを失った韓国の青年のための追悼コンサートをしたいと、まず最初にうちの教会に電話をしてこられたんです、とその先生は話をしてくださいました。応対した方が、まあ、事情もよくわからなかったと思いますし、悪気はないのですが、そういうことに教会は開場を貸せないと断られったんですよね。 それで、他の教会をお訪ねになって、それをきっかけにクリスチャンになって、いまもその教会の会員なんですよね。
  「へー」と聞いてしまいました。教会をそういう会場としてお貸しすることができない、という考えが間違っていたとは思いません。また事情もよくわからなかったことでしょう。でも、何か象徴的な気がするんです。それは、本来、伝道というのは、このペンテコステの日の出来事にあるように、あらゆる機会を捉えて福音を伝えることです。教会は閉鎖的であってはならないと言いますか、教会は内側を向いてはならないと言いますか、どんな表現もでもいいでしょう。  
 教会は、私たちはキリストの福音を伝えることを模索し続けなければならないのです。聖霊は、そのために、弟子たちに勇気を与え、そのために弟子たちに言葉を話す自由を与えられたのですから。

3)教会の最終的な目的は、その独特な交わりを形成することにありました。
 ペンテコステの日に、ペテロの説教を通じて、三千人がイエスさまを信じて、洗礼を受けます。みんな、自分の罪ためにイエスが十字架にかかられたことがわかりました。みんな、罪を悔い改めて、洗礼を受け、みんな、救われて、賜物としての聖霊を受けたのです。
 そのみんなが、これまでになかった新しい家族を、これまでになかった交わりを形成していくのです。独特なことです。これが教会になるのです。罪や迷信の奴隷となって生きていた人びとが、神の御心に生きることを学ぶ世界です。不安におののいて人たちが、神にゆだねる信仰を学んでいくのです。自己中心やどん欲な思いが当然である世界に生きてきた人びとが、神の愛を学ぶ交わりです。経歴も学歴も育ちも、いっさい関係ありません。不思議な世界です。その独特さを表現しているのが、2:44−47です。この言葉、何か不思議な暖かさを感じます。
 アメリカの有名な牧師で、チャールズ・スウィンドルという人物がいます。日本語にも数冊彼の著作は訳されています。訳されているものには入っていないと思うのですが、彼がこんなことを言っています。
  海軍時代の親友が、驚いたことに、退役した後クリスチャンになりました。スウィンドルは、従軍牧師をしていました。かつては、荒くれの海兵隊、よくけんかもするし、酒を飲み、女性の後を追いかけているような人間で、何が嫌いと言えば、教会ほど嫌いなものはなかったのです。
 数ヶ月前、偶然彼と出会って、しばらく話したあと、わたしの肩に手を回して言ったのです。「なあ、チャック、俺はクリスチャンになって本当に良かったよ。でも、当時を振り返って、ただ一つ懐かしいことがある。あのころ、酒場で入り浸っては、みんなで座って、ビールを飲んで、騒いで、言いたいことを言って、悩みも苦しみも分かち合った。ありのままの自分をさらけ出すことができたよ。あれが懐かしいよ」
 スインドル先生は、その時は、そのまま聞き流して、帰ったそうです。それから後に、先生はある本を読んでいたら、こんなことが書いてあったというのです。
  「キリストが教会に与えようとしている交わりを、この世界で喩えることができるものがあるとしたら、街角の酒場かも知れない。酒の代わりに御霊があって、そこでは上下関係はなし、みんなが仲間で、自分のありのままの姿が許され、受け入れられ、だれもそれに驚くことはない。いろいろなことが受け入れられる世界。なぜならそこには完璧な人間は一人もいないから。それぞれの悩みに耳を傾け、真剣に相談に乗る。涙も流す。大声で笑いもする。秘密を話しても、それを守ってくれる。いたわってくれる。同情してくれる、理解してくれる。キリストが願っている教会の交わりは、きっと街角の酒場のようなものかもしれない」
 その文章をスウィンドル先生は読んで、なるほど、と思ったそうです。初代教会は、きれい事だけではありませんでした。人間事がたくさんあふれていました。しかし、その目指すべき原点がここにある。愛し合い、分かち合い、大切にし合い、共に喜び、感謝し、共に悩み涙する。上下関係もなく、等しく兄弟姉妹。そんな交わりを聖霊は教会の中に作ってくださる。聖霊にあふれた教会というのは、そういう交わりをもっているのです。

掲示物をメールで送信。 プリントプレビュー
DATE: 2006.07.12 - 23:33

221.114.25.28 - Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)

kenji 簡単意見修正::: 一言削除 ::: IP: 203.140.171.99
御霊によって、イエスの酒場をつくってゆきたいものです。
2006.07.28 - 07:21 
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