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::: 高津教会 説 教 :::


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Name   fujimoto (http://www.tkchurch.comhttp://www.tkchurch.com)
Subject   シリーズ最後 挫折のペテロと出会うイエス
イエスに出会った人びと(23)――挫折のペテロ
                  
 物語の場面は、ガリラヤ湖の岸辺です。イエスの復活の出来事の後、ガリラヤに行きなさいと言う御使いの命令のまま、弟子たちはガリラヤに戻りました。ペテロは昔を思ってか、舟を出して漁に出かけるのです。「シモン・ペテロが彼らに言った。『私は漁に行く。』」(二一・三)。仲間といっしょに舟に乗り込みました。
 久しぶりでガリラヤの岸辺に立ったとき、思い出した光景があったに違いありません。3年半前、その朝、彼は夜の漁を終えて、帰ってきました。いつもなら、岸辺を市場にして、採ってきた魚を売りさばくところ、一匹もとれなくて、ただ網だけを洗っていました。そこへイエスさまが来られ、「船を貸してくれ。あなたの船に乗って、少し岸から離れたところから、人々に話をしたい。」それから主はペテロにおっしゃいました。「わたしについて来なさい。あなたを人間を取る漁師にしてあげよう」
 それから、三年半、ペテロはイエスに従ってきました。しかし、いまあるペテロは別人です。彼の心は、ガリラヤの湖から遠く離れたエルサレムにありました。あの忌まわしい夜のことが忘れられないのです。ゲッセマネの園にやってきた兵士の武器の音。暗がりで燃えるたいまつの炎。彼は何度も繰り返えして自問しました。「どうして俺は、あのとき逃げたんだ?」
 「たとい全部の者がつまずいても、私は決してつまずきません。たとい、ご一緒に死ななければならないとしても、私はあなたを知らないなどと決してもうしません」。最後の晩餐の席上で、ペテロは確かに豪語したのです。勇ましく、胸を張ったのです。自分の勇ましい口調が、記憶の中でむなしく響きます。ペテロは、身を潜めてしばらくして、少しの勇気を振り絞って、大祭司の家に忍び込みました。しかし、その庭でたき火に当たっていたとき、女中にイエスの仲間だと詰問された彼は、見事なまでに、鶏が鳴く前にその晩、三度もイエスを知らないと否みました。
 三度目に否んだ後、大祭司の館からできてたイエスと目が合いました。その時の主の悲しげなまなざしが、記憶から消えないのです。自分の情けない過去は消えないのです。ここにいるのは、もはや一番弟子のペテロではありません。期待されていながら、期待に応えられずに挫折した男です。その男が、主イエスと出会います。

●主は、彼の名前を呼びます。
  「ヨハネの子、シモン」・・・15節、16節、17節
 挫折した男との出会いは、まず名前を呼ぶことで始まります。名前を呼ぶというのは、暖かな味わいです。ペテロのケースだけではない。それは、主に従うすべての人にあてはまる。マタイでも、パウロでも、ラザロでも、バルテマイでも、私でも・・・主によって救われ、主によって導かれ、主によって召され、主に仕えるものとされる。主は、いつでも、私一人に目を留め、声をかけられる。
 不思議ではありませんか。全世界に、15億というクリスチャンがいる。主の目は、いつも私一人に留められ、その声は私一人にかけてくださる。神の愛の特異性(特徴)とでも言うべきこと。私たちは考えます。この広大な宇宙を創造された神が、何億といるクリスチャンの中で、こんなにも小さな、こんなにも取るに足りない自分のことを、果たして目に留め、導いてくださるのか。その時、私たちはアウグスチヌスの名言を思い出します。「神は、私たちを、あたかも全世界に私一人しかいないように愛してくださる」。いまこの瞬間、イエスは挫折したペテロにだけ目を注いでおられるのです。その視線が痛かったのか、ペテロは思わず、二一節「主よ。この人はどうですか?」と尋ねます。返ってきた主の返事は、その人のことは関係ない、私が語りかけているのは、あなただ、でした。私は、あなたのことを気にかけているのだ。そのようにして、主は挫折したペテロと出会われました。

●愛するか?
 イエスは、ペテロに一貫して一つの問いを投げられます。
 「あなたは、この人たち以上に、私を愛しますか」(15)
 「あなたは私を愛しますか」(16)
 「あなたは私を愛しますか」(17)
 この質問は、ペテロのとって、つらい質問でした。それは、原文に出から読み取ることができます。質問の最初の2回は、愛しますかという言葉の動詞に、イエスさまは、アガパオー(神の愛)という非常に質の高い愛を尋ねておられます。そして、ペテロは、そのたびに、フィレオーというもう少し人間的なレベルの愛で愛しますと、わざわざ言葉を換えて答えています。アガペーの愛で愛する自信がなかったのでしょうか。
 17節の3回目で、主は、ペテロのレベルに妥協して、今度はフィレオーで、愛しますか、と尋ねてくる。そんな文法的なことを見なくても、ペテロのもどかしさはわかります。「愛しますか」という質問に、彼はまともに答えることができないでしょう。なぜなら、主よあなたのためなら死ぬ覚悟だってあります、と豪語したのに、イエスなど知らないと三回も否定したのですから。そのイエスが、ペテロの前にいま現われて、彼が三回イエス様を否んだことをくつがえすかのように三回「私を愛するか」とイエスは尋ねます。
 イエス様は、ペテロの愛を要求しているのでしょうか。「私を愛しますか」と3回尋ねることで、3回イエス様を否んだペテロの罪の意識をかきたてているのでしょうか。
 いいえ。それは、常識的に考えれば、あり得ないですね。私たちは、「ねえ、君はぼくを愛している?」と赤の他人に聞きませんよ。好きでもない人に向かって、「あなたは、私を愛しているの?」と聞く人はいませんよ。私たちは、自分が好きな相手に、自分が愛している相手に聞きたいのです。「ぼくのことを、好き? 愛している?」と。
 三回、「私を愛しますか」と尋ねながら、だんだん度合を増して明らかになっていくのは、ペテロのイエスにする愛ではありません。イエスのペテロに対する愛です。
 さて、「愛するか?」と問われて、どれだけ正確な、正直な返事が出来るでしょうか。彼は、初めの2回の質問に答えます。15節「はい。主よ・・・・」。16節「はい。主よ・・・・」。そう言いながら、3度目をご覧ください。17節「主よ。あなたは一切のことを御存知です。」
 「いっさいのこと」・・・何が含まれているのか?私が、あなたを裏切ったことも。私の、どちらかといえば、口だけのような性格も。私の自信のない姿も。もしかしたら、もう1度ぐらいはあなたを裏切るかも知れない可能性も。私の、空元気も。私の疑問も不安も。私の不信仰も。私の弱さも。あなたは、いっさいをご存じです。

ディートリッヒ・ボンヘッファー「私はだれなのだろう」
 「私はだれなのだろう。人は私を見ている。
  独房から静かに、笑みをたたえて、堂々と出てくる私を。
  まるで田舎の家から出てくるリスのようだと。

  私はだれなのだろう。人は私を見ている。
  看守に向かって、自由に、優しく、はっきりと話しかけ  る私を。まるで、看守を自分の支配下に置いているよう  だと。

  私はだれなのだろう。私は自分を見ている。
  落ちつきがなく、さびしく、病んでいる私を。
  まるで、カゴの中の鳥のように自由を求めて叫んでいる。
  優しい言葉を、友人との語らいを求めて叫んでいる。
   独裁政治への怒りにふるえ、みじめに卑しめられ
  出来事に振り回され、孤独に祈り、考え、この世界に   最後の別れを告げようとしているこの自分。 

    私はだれなのだろう。人が見る自分。私が見る自分。
  今日の自分と明日の自分と違うのだろうか。
    どちらの自分がほんとうの自分なのか。それとも両方とも自分なのだろうか。
    こんな私の疑問は、人はおろかとばかにする。

  私はいったいだれなのだろう。
  ああ主よ、あなたはいっさいのことをご存じです
  あはあなたのものです。)

 主よ、私の生涯を待ちかまえている問題課題についてわかりません、想像もつきません。それを前にするとき、自分がどんな反応を取るかもわかりません。それを正しく対処できるのか、悩むことになるのか、それもわからない。しかし、「主よ、あなたはいっさいのことをご存じです」。私の不安も疑問も、私の弱さも情けなさも。あなたはいっさいのことをご存じです。そう言ったとき、私たちも、ボンヘッファーのようにつけ加えることができます。「主よ、私は、あなたのものです」。

3)信仰の原点
 私たちがそう告白したとき、主は、ペテロに信仰の原点を示してくださいました。「私に従いなさい」(一九節)
  自信がない――そうかも知れません。しかし、「主よ、あなたはいっさいのことをご存じです。私は、あなたのものです」という告白ができれば、主は一つの道を示してくださいます。すべてを知っている私に、すべてをゆだねて、私に従ってきなさい。それがペテロの、そして私たちの信仰生涯の原点であり、すべてなのです。
 キリスト教文学の名著に、シェンケヴィッチの「クオ・バディス」がありあます。1895年に記され、映画にもなった名作。ローマ皇帝ネロの下に迫害を受けるクリスチャンを描いた。そのクライマックス部分に、このクオバディスという言葉が出てきます。最後の場面は、こう始まります。「主が死んで34年以来、ペテロは休息ということを知らなかった。手には巡礼の杖を持ち、世界を経巡って福音を告げて回った彼の力は、旅と労苦で尽き果てた。そして、ついに世界の首都であるこのローマの町に主の事業を打ち立てたとき、ネロの激怒のいなずまがその仕事を焼き払ってしまった。
  ペテロの弟子たちは、涙ながらに訴えます。「先生、お隠れになってください。どうか私たちの涙をご覧ください」。ペテロの頬にも涙が伝わっていた。
 その翌日、夜明け頃、二つの黒い人影が、カンパニアに向かってアッピア街道を進んでいきます。一人はまだ若いナザリウスというクリスチャン、もう一人は使徒ペテロ。彼はローマと、ローマで殉教する子どもたちを見捨ててきたのです。 物語には、こうあります。
 「東方の空はすでにほのかに青みを帯び、次第に地平線上からいっそう明らかなサフラン色に縁取られてきた。やがて、太陽が丘の頂に現れた。と、不思議な光景が使徒の目を打った。金色の輪が空へ登らないで、山の上から道に沿って降りてくるように思われた。
  ペテロは立ち止まって尋ねた「こちらへ近づいてくる光が見えるだろう?」「いえ、私には見えません」とナザリウスは答えた。しかし、ペテロは片手を目にかざしていたが、しばらくすると、彼は叫んだ。「太陽の光に包まれてだれかが近づいてくる」
 ペテロの手から、杖がばたりと地面に落ちた。目は一心に前方を見つめている。口は半ば開かれ、その顔は驚愕と、歓喜と、恍惚とに輝いている。彼は、目に見えぬ足に口づけをするかのように前に乗り出し、顔を地面に伏せた。長い沈黙があった。やがて、涙に咽びながら、老齢の使徒は叫んだ。
  「クオバディス。ドミネー」(主よ、いずこへ)
 ナザリウスには返事は聞こえなかった。しかし、ペテロの耳には悲しげな、また優しい声でいわれるのが聞こえた。
   「あなたが私の民を見捨てるので、私はローマへ行くのです。もう一度十字架にかかるるためです」
   ペテロは、顔をほこりに埋めたまま、身動きもせず、一言も発せず、道に横たわっていた。やがて、立ち上がり、ふるえる手で杖を取り、そして一言もいわず、来た道を引き返しはじめた。
  ナザリウスは、そこで山彦のように繰り返した。
 「クオバディス、ドミネー」(先生、どちらへ)
 「ローマへ」、ペテロは穏やかに言った。 
 一つの創作物語です。しかし、このペテロの言葉は、「クオバディス、ドミネー」は、創作の言葉ではありません。かつて、ペテロは去っていく主にその質問をしました。「主よ、いずこへ」。ペテロは、この質問を何度も主に尋ねてきたはずです。私たちが、曲がり角に立つたびに、尋ねる質問です。そのたびに、主の答えは同じです。「わたしに従って来なさい」。いつでも、主は私たちよりも先に行かれます。「わたしが道です」とおっしゃったように、道はイエスご自身なのです。

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DATE: 2006.07.29 - 22:17

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