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::: 高津教会 説 教 :::


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Name   fujimoto (http://www.tkchurch.comhttp://www.tkchurch.com)
Subject   十戒(3)ねたむ神
十戒(3)ねたむ神         
    出エジプト20:1−6

 十戒の第一として、前回「神を神とする」ということを学びました。十戒の二つの戒めは偶像崇拝を禁じています。第一の戒めは、偽りの神に対する礼拝をいっさい禁じています。第二の戒めは、像を刻み、拝むことを禁じています。そして、今日は、この問題については、神はねたむほどのこだわりをもっておられる、ほかのいかなることに先立って明確にしておきたいのです。

1)まず第一に注目すべきは、神のねたみです。
 旧約聖書の「ねたみ」(jealous)の語源は、「熱心」(zealous)と同じです。ですから、この言葉を嫌悪する必要はありません。神のねたみは、神の心からわき出る、その子らに向けられた熱情を指します。こだわり、といっても良いでしょう。教会学校のお泊まり会がありました。みんな元気です。会堂の真ん中を広げて、間に一つ椅子を置いて、それをネットに見立て、風船をボールにして、バレーボールができるのです。クーラーを入れていても、びっしょり汗をかくくらい、一生懸命になります。でも、時々、静かになります。おや、どこにいるの? 見てみると、3人ずつぐらい固まって、下を向いて、ゲームをしています。でも、私なんかにしてみれば、休息の時間なんですよね。何にもしなくても、放っておけばいいのです。どうぞ、好きなだけ、ゲームをやって頂戴。静かだし、問題はないし、その間、先生はお休みをするから。これって、情熱がない、ことを意味します。
 吉田先生は、いろいろ作ってこられます。子どもたちのためにボール紙で飛行機を作ったり、そこら辺にあるもので、子どもたちの喜ぶ顔が見たい。それが情熱です。それは、子どものことを真剣に考えているからです。
 時に、親のこだわりが子どもの自由を奪います。しかし、往々にしてそれは、奪われていい自由、奪わなければならない自由なのかも知れません。神様は、十戒を与えることによって、私たちを縛ろうとしておられるのではありません。しかし、愛故にこだわっておられる。特に、何に一番こだわるかといえば、他の神々を刻むな。わたしだけに心を向けよ。他の神々が、あなたの心に居座ってはならない。わたしだけがあなたの心に住む――そのことに神様はこだわっておられます。
 あの、イエスさまの有名な言葉「カエサルのものはカエサルに返しなさい。しかし、神のものは神に返しなさい」とあります。カエサルのものとは、税金のことです。そのようにして、あなたの自由にすべきことがたくさんある、というのです。しかし、人は皆、神のかたちに想像され、神の刻印が押されています。いや、信仰者は、キリストの十字架によって罪と死の世界から、いのちの世界に買い戻されたのです。そのあなたの心に、他の神々を入れてはいけない――それは神様の情熱です、こだわりです、ねたみです。

2)クリスチャンの偶像
 新約聖書の中で最後に記されたと言われるヨハネの手紙第一は、「子どもたちよ。偶像に警戒しなさい」との命令で閉じられています。一見して、私たちには不必要だと思われる命令が実は聖書の中で、他のいかなる戒めよりも繰り返されているのです。なぜでしょうか。それは、神は人の心をよく知っておられるからです。神は人が偶像に不思議と引きつけられる傾向があることを知っておられます。神を信じる者でさえ、この誘惑から完全に解放されていません。
 その典型的な例が旧約聖書の青銅の蛇です。イスラエルの人々が荒野をさまよっていたとき、彼らはへびにかまれていのちを落とします。神様はモーセに、青銅の蛇を作ることを命じました。人々がそれを仰ぎ見るなら救われると約束されました。その蛇は、救いのシンボルとなり、やがて、イエスさまは、ご自身もまた、荒野でへびがあげられたように、ご自分も上げられる、と十字架について語ります。青銅でできたへびは、神を見上げる手段であり、人々はそれによって死の危機から救われたのです。しかし、時がたつと、その蛇が崇拝対象になります。モーセから七百年後に、ヒゼキヤが王座につくと、彼は宗教改革を行います。そのとき、モーセが作ったあの青銅の蛇を粉々に砕きました。なぜなら、「そのころまでイスラエル人は、これに香をたいていた」(U列王一八・四)からです。
 教会の牧師が偶像となることもあります――今話題になっている韓国のカルトはその典型です。いや、時には、特定の礼拝音楽が偶像となり、カルヴァン派にとっては選びの教理が偶像となり、きよめ派にとってはきよめの教理が偶像となります。異言の賜物や特殊な霊的体験も、偶像崇拝の対象となります。こうした賜物も、それが信仰生活の中でバランスを越えて強調されるとき、偶像となります。恵みの手段として意図されていたものを崇拝するとき、私たちはそれを「刻まれた像」に代えてしまっているのです。それによって心が神ではなく、教理に向き、音楽に向き、賜物に向いていきます。
 F・B・マイヤーが聖霊の深い体験に導かれた話を聞いたことがあるでしょうか。有名な宣教師C・T・スタッドがある日マイヤーに言いました。「マイヤー、あなたは聖霊に満たされていますか。あなたのすべてをキリストに捧げましたか」。深く考えることなく、マイヤーはさっと答えました。「ええ、もちろんです」。スタッドはさらに尋ねます。「あなたは自分の人生のすべての部屋の鍵を、イエス・キリストの主権に明け渡しましたか」。「はい、すべての鍵を」。しかし、マイヤーはこの晩、眠れませんでした。彼は何度も寝返りを打ち、時計の秒針がカチカチと進む音が、「すべての鍵、すべての鍵、すべての鍵」と彼の耳に聞こえてきました。「主よ、いったい何ですか。あなたは、私の人生のすべての部屋の鍵をすでにお持ちではないのですか」。彼は主に尋ねました。明け方近くに、聖霊はそのひとつの鍵の上に御手を置れました。それは、マイヤーが福音を宣べ伝える「能力」でした。彼は、その能力をキリストに完全に明け渡していないことに気がつきました。「その鍵を、私に渡しなさい」。聖霊はおっしゃいました。「すべての鍵を、あなたがた説教する能力さえをも」。これがF・B・マイヤーの信仰生涯の転機でした。
 たとえ、主が与えてくださった賜物でさえ、それを主の手に渡しておくこと、それがヨハネが、「子どもたちよ、偶像に気をつけなさい」といった、メッセージです。財も、友人、恋人、夫、妻、子ども、あるいは、あなたの習慣、才能、立場、信仰そのもの、それらが偶像になり得るのです。

3)締めくくりに
 神様は、私たちを愛しておられます。であるが故に、ねたみます、こだわります。私たちの心に、他の事柄が王座を締めることを、ねたまれます。あなたの心を占めるのは、私だけだと、おっしゃいます。すべてのことを追い出すのではありません。すべてのことを主の支配の元に起き、すべての鍵を主に渡すことです。そして、すべて主の御心にかなわないことを追い出すことです。それが、この十戒の第二が語っていることです。「偶像を刻んではならない、偶像に気をつけなさい。」
 神は私たちを見て、こうおっしゃいます。「あそこに、わたしの子どもたちが行く。彼らはすべてわたしのもの。彼らはわたしに全的に属し、その人格のすべての部分、人間関係、人生の目標、すべてがわたしに属する」。
 1946年、イギリスがインド領をインドとパキスタンに分割したとき、一夜にして、ヒンズー教徒とイスラム教徒の対立が激化しました。インドは血の海と化したといわれています。北のパキスタン地方に住むヒンズー教徒はみな、南に逃げようと必死です。南のイスラム教とは、パキスタンの故郷に帰ろうと必死です。国境では二つの流れがぶつかり合い、何十万、おそらく百万の命が奪われたといいます。このインドとパキスタンの問題は、今でも尾を引いています。
 当時、クエーカーの説教師であったクリフ・ロビンソンは、このカルカッタで働いていました。カルカッタの治安が完全に乱れていたある日のことです。クリフが住んでいた地域では、若いイスラム教徒の過激派が軍を組織し、かつてはヒンズー教が支配していた町を制圧しました。クリフと妻ベッティーは、アパートの三階から暴徒が町を荒らしている様子を見ていました。猛り狂った暴徒は、家々をめぐり、人々を引きずり出し、撲殺するほどの脅威でした。
 暴徒は、ひと固まりのクリスチャンが住んでいる道路にやってきました。住んでいるのは、クリフの友人です。クリスチャンの四家族が、隣り合わせのアパートに住んでいました。当時クリスチャンは、家や車やドアに赤い十字架を描いて、自分たちがヒンズー教徒でもイスラム教とでもないことを表明していたそうです。この中立の立場の故に、クリスチャンは、医療などの社会活動を全インドに展開することができたのです。クリスチャンの四家族も、この十字架を家の扉の上に描いていました。
 イスラム教徒の暴徒が下ってきたとき、赤い十字架のついた最初の扉の前で立ち止まり、何やら口論をしていました。クリフは、通りの騒音のために口論の内容まで聞き取ることができません。暴徒は二つ目のアパートに向かい、赤い十字架のあるドアの前を通り過ぎ、四番目の扉の前も同様にして通り過ぎました。
 しかし、三番目のドアに戻ってきて、暴徒の一人が激しい訴えをしていました。突然、リーダーの一人が赤い十字架の扉をぶち破って、部屋の中に乱入しました。女性や子どもに至るまで、泣き叫ぶ住民を引き出して、剣によって道路の真ん中で彼らを殺害しました。あっという間の出来事でした。クリフには理由がわかりません。十字架がついた最初の扉は助かったのです。第二の扉も、第四の扉も助かりました。第三の扉だけがなぜ。そこには、同じ十字架があったのです。
 町に治安が戻ったとき、クリフは調査を始めました。彼は、三番目のアパートに住んでいた人々が木工職人であることを突き止めました。彼らはクリスチャンであったのですが、パートの稼ぎのためにヒンズー教の偶像を彫って、市場で売っていたというのです。イスラム教は、偶像を見れば唾をかけるような激しい一神教です。
 猛り狂ったイスラム教徒は、この家族がいわゆるクリスチャンとは言われていても、ヒンズー教の偶像を彫っていると聞いたとき、思ったのです。「彼らはクリスチャンではない。クリスチャンが偶像を彫るはずがない。彼らは、死刑だ」。そこで家族全員を殺害したということでした。
 残虐な、恐ろしい話です。しかし、考えさせられる話です。なぜなら、人生のドアに十字架を描いて、生ける真の神が心を支配しておられるかのように振る舞うからです。しかし実際は、偶像が優先権を握っているのです。第二の戒めが命じているように、私たちはいかなる種類の偶像も。たとえそれ自体がよいものであったとしても作ってはなりません。偶像崇拝とは、使われるべきものを崇拝し、礼拝されるべきものを使うことです。私たちは、自分の心の中に居座る偶像が何であるか、考えてみなければなりません。

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