名前検索
メール送る

名前検索
メール送る

名前検索
名前検索
ホームページへ戻る

名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
ホームページへ戻る

名前検索
ホームページへ戻る

名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
ホームページへ戻る

名前検索
::: 高津教会 説 教 :::


394 2033 統計カウンターの表示   管理者で接続
Name   fujimoto
Subject   教会(6) 礼拝者を求める神
教会(6) 礼拝者をもとめる神    2007.2.25
     ヨハネ3:19−26

 日曜日の朝、清々しい春の日、夫婦は朝食を終えて、奥さんはせっせか教会にいくしたくをしています。ところが、夫はダイニングのテーブルに座って、のんびりとコーヒーをすすっているのです。
  「あなた、なにやっているの。もう教会に行く時間でし ょう。さっさと着替えなさいよ」
 ダイニングに戻ってきたら、パジャマのままです。
 「どうしたのよ、早く着替えなさい」
 夫は言います。
 「いや、今日はぼく教会に行かない」
 「なぜ、行かないの?」
 「理由を知りたいなら、教えてあげるよ。3つある。」
 「理由第一、教会員が生き生きしていない。
  理由第二、ぼくはみんなに好かれていない。
  理由第三、今日はともかく行く気がしない。」
妻は賢く諭します。
「それでも、あなたが、今朝、教会に行かなければならない理由が、3つあるわよ」
  「理由第一、あなたが生き生きしていなくても、他の教会員は生き生きとしているわ。
 理由第二、だれもがあなたを好きというわけではない。でも、あなたを好きな人がゼロじゃないわよ。
  理由第三、これは、良く聞きなさい。あんたが牧師なんだから、さっさと着替えなさい!

 さて、教会というテーマで、6回目、そしてその中の礼拝を考えて2回目です。有名な聖書の箇所です。おおよそ社会の水準からはかけ離れた生活をしていた女性が、人生に飢え渇いて、サマリヤの井戸のほとりでイエスさまに出会います。そして、ただならぬこの方の魅力に驚いた、この女性がイエスさまに、礼拝について尋ねます。
 18−19「先生。あなたは預言者だとおもいます。私たちの先祖は、この山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムだと言われます。どちらが正しいのでしょう?」
 サマリヤ人とは、もともとユダヤ人とは同じ血族です。ソロモン王の後、王国は北と南に分裂しました。南のユダには、2つの部族がつき、そこにエルサレムの神殿があったのです。それに逆らったヤロブアム率いる10の部族が来たのイスラエル王国を立ち上げます。ヤロブアムは悩みました。今は、分裂状態でも立ちゆく。しかし、やがて北の人々も、南のエルサレムの礼拝をしたって、南になびいて行くに違いない。
 彼は神殿を北の領土に造ることを決意します。宗教的な色彩の強い、ダンとベエルシェバでした。それからしばらくして、北のイスラエル王国の神殿が、このサマリヤの女が言っている「この山」「ゲリジム山」に本拠地を置きます。そこは旧約聖書の昔から、由緒ある場所でした。モーセは、申命記11:29で、イスラエルの民が約束地のを征服したとき、ゲリジム山が祝福の場所であると宣言しました。かつて、アブラハムがイサクを捧げたのが、ゲリジム山だと言われています。この山の上で、アブラハムは祭司メルキゼデクと合うことができたといわれていました。
 それに対して、南のユダ王国の子孫、ユダヤ人たちは、聖なる神殿があるのはエルサレムだけだと主張してきたのです。エルサレムはもともとイスラエルの宗教的な中心ではありません。天然の要害といわれる絶壁に囲まれ、ヨシュアを先頭にカナンの地に入ってきた民も、なかなかこのエルサレムだけは占領できませんでした。ここを占領して首都としたのはダビデです。そして、次の王のソロモンになって、ようやくここに神殿が建設されます。おそらく、宗教的に伝統があるのは、ゲリジム山だったことでしょう。
 イスラエル民族が北と南に別れて以来、ずーっとどちらの山が正統なんだ、どちらの礼拝が正統なのか、延々と言い争ってきたのです。どちらが正しいのでしょう?――その質問に対して、イエスさまはなんと、そんなことは問題ではない時代がやって来たとおっしゃいました。
 21節「あなたがたが父を礼拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない、そういうときが来ます」
  そういうときはそもそも意識されていたのです。それは、神は「霊」であって、場所に縛れるお方ではないということです。
  24節「神は霊ですから……」
 エルサレムの神殿を建設したソロモンでさえ、それを意識して祈りました。天地万物を創造され、霊なるあなたが、私たちが作った神殿に住むなどと私たちは考えていません。しかし、この神殿で祈るとき、この神殿に向かって祈るとき、どうか天におられる神よ、私たちの祈りを聞いてください、と。かといって、だれもがどこでもいい、と勝手に礼拝してきたわけではありません。神さまはソロモンの祈りを聞かれ、神殿に栄光を見たし、なによりもこの神殿を教会を意識してなされる礼拝を重んじられました。
 しかし、人間は弱いものです。いつの間にか、場所に囚われ、実質を失います。その場所にいることにこだわるのですが、だれを礼拝しているのか、なぜ礼拝しているのか、礼拝とはそもそも何なのかに心が向かなくなっていくのです。ユダヤ人もサマリヤ人もそうでした。そして、その危険性は私たちにもあるのです。

 礼拝とは、なんなのでしょう?礼拝とは、私たちを限りなく愛しておられる神さまが、罪深い私たちを迎えて、受け入れてくださるときです。礼拝とは、私たちを創造され、贖ってくださった神に、私たちの日々の糧を与えて、守り導いてくださる神を賛美し、感謝するときです。礼拝とは、聖なる神を、それでいて限りなく低く下ってくださる神の愛に、感動して心をふるわせるときです。礼拝とは、私たちのたましいが本来属する神の懐に帰るときです。礼拝とは、この世の価値観、この世の評価、この世の欲にとらわれた私たちが、方向転換をして、神の御心を求めるときです。 

 こういう話があります。紀元70年、エルサレムを滅ぼしたローマの将軍ポンペイは、ユダヤ人が死守しようとしたエルサレムの神殿に入ります。「ほう、これが、彼らにとってそれほどまで大事な神殿か……。そしてその奥に、これだな、これが神殿の中の神殿、至聖所だな。何があるのか?」
 見てみると、ポンペイはびっくりです。何にもなかったのです。昔、そこには契約の箱がありました。その中には、神の奇跡の象徴であるモーセの杖が入っていたはずです。荒野で民を養った神の恵み、マナが入っていました。神の御心である契約の石の板が入っていたはずです。契約の箱の蓋は、憐れみの座と呼ばれ、いけにえの血をそこに注いで、罪の赦しが宣言された場所です。
  しかし、ユダヤ人は、その歴史の中でとうの昔にそれらを失いました。死守した神殿には、その至聖所には、神の恵みと彼らの信仰を象徴する物はなにもなかったのです。建物だけでした。
 教会は建物ではないのです。そこには礼拝がなければなりません。聖なる神の恵みに心をふるわせ、自分の過ちに心を打たれ、そんな私を受け入れてくださる神の愛に感謝するのが礼拝です。その実質なくして、教会は教会にならないのです。

2)その礼拝の実質が、「霊とまことをもって礼拝する」という言葉の意味でしょう。
 そういう礼拝は、究極にはイエスキリストにあって、は じめてささげることのできる礼拝です。その十字架の恵みを感謝して、その復活の力にあずかって、人生のさまざまな荒波の中で、教会という箱船に身を隠し、神の力を受け、守られて、生き抜いていくのが礼拝です。霊とまことをもって、礼拝の実質を意識して、礼拝に向かうのです。場所や建物ではありません。

3)さて、最後に、このポイントに心を留めていただきたいのです。
 神は、そういう礼拝者を「求めておられます」
 23c「父はこのような人々を礼拝者として求めておられます」
 神さまは失われた人が見いだされ、ご自身のもとに返ってくるのを求めておられる。神さまは、この世界に御心がなることを求めておられます。そのために、教会は存在するのでしょう。しかし、それだけではありません。神は、霊とまことをもって礼拝する、礼拝者を求めておられるのです。情熱をもって伝道する人を、神は求めておられます。愛をもって奉仕する人を、神は求めておられます。
 しかし、神は礼拝者を、聖なる創造者なる神を、神として礼拝する人を求めておられるのです。人生何があっても、時が良くても悪くても、変わらずに神を神として礼拝する人を、神は求めておられるのです。それもまた私たちの姿です。

1870年2月6日、あのロンドンで巨大孤児院を信仰一本で設立し、運営していた、偉大なクリスチャン、ジョージ・ミューラーの奥さんがなくなります。結婚して39年目のことでした。葬儀が終わった後、ミューラーは自分の説教で、奥さんの告別式を行います。愛する妻を天国に送るために、彼が告別礼拝のために選んだ聖句はいったいどこだったのでしょう。それは、詩篇119:68です。昔の訳の方が、簡潔で良いですね。「善にして、善をなしたもう神」
 彼の説教は3つのポイントでできていました。
 1)神は、この女性を私に与えてくださり、善にして善をなされた神であった。
  2)神は、40年ものあいだ、この女性をわたしと共に住まわせ、善にして善をなされた神であった。
  3)神は、この女性を私のもとから取り去られ、善にして善をなされた神であった。
 3番目のポイントで話ながら、ジョージ・ミューラーは、奥さんの病床で、祈ったことを語りました。「天の父よ。妻のいのちとその人生はあなたの御手の中にあります。御心ならば、再び愛する妻を元気にしてください。あなたにはそれがおできになるのです。彼女は苦しんでいます。しかし、あなたが私の祈りにどう答えられようと、私を助けてください。あなたの御旨と一つになって生きることができるように私を助けてください。
 その祈りをあかししながら、彼は最後のポイントを語ったのです。「神は、この女性を私のもとから取り去られ、善にして善をなされた神であった」。神は憐れみに満ちた方で、憐れみをなしてくださる、そのことを信じ切って、神を礼拝する。そういう礼拝者を神は求めて折られるのです。そして、私たちもミューラーのように祈ります。そういう礼拝をあなたにささげることができますように。善にして善をなしたもう神よ、私を助けてください。

掲示物をメールで送信。 プリントプレビュー
DATE: 2007.04.01 - 00:50

221.114.25.27 - Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.1.4322)

田代 簡単意見修正::: 一言削除 ::: IP: 125.170.226.227
メッセージを感謝いたします。3回読ませていただきました。
2007.04.15 - 20:02 
アキコ 簡単意見修正::: 一言削除 ::: IP: 122.24.179.232
感謝します。コピーして友人に送ります。
2007.04.16 - 00:21 
Name   E-Mail   Password

 前文 教会(7) 教会と信仰告白 
 次文 教会(5) 礼拝の心
文章投稿 *^^*削除修正返答を書くリスト

チェックされた全文書を見る
166Simple view *^^*憂いを後にしてて立ち上がる [1] fujimoto 2007.09.04 7912
165Simple view *^^*聖餐式・彼らはみなその杯から飲んだ [2] fujimoto 2007.07.23 3600
164Simple view *^^*Uサムエル11:1−15(ダビデの罪と罪... [1] fujimoto 2007.07.07 4280
163Simple view *^^*Uサムエル9:1−13(あなたに恵みをほ... fujimoto 2007.07.07 5850
162Simple view *^^*Uサムエル7:18−29(祈る勇気を得た... [1] fujimoto 2007.07.07 9865
161Simple view *^^*Uサムエル7:1−17 はかりしれない... fujimoto 2007.05.14 6371
160Simple view *^^*畏れを欠いた信仰 [5] fujimoto 2007.04.26 1157
159Simple view *^^*教会(7) 教会と信仰告白  [1] fujim... 2007.04.01 12529
158現在参照中の文章です...教会(6) 礼拝者を求める神 [2] fujim... 2007.04.01 32137
157Simple view *^^*教会(5) 礼拝の心 [1] fujim... 2007.04.01 6837
156Simple view *^^*教会(4) 箱船 [1] fujim... 2007.04.01 5357
155Simple view *^^*教会(2)キリストの身体の建て上げ [692] fujimoto 2007.01.26 18925
チェック項目を全て削除。 チェック項目を全て削除。

前頁 次頁
本頁が先頭ページです前へ戻る 11  12  13  14  15  16  17  18  19  20 次へ進む本頁が最終ページです
文章投稿 *^^* 再読込
投稿者氏名を検索項目欄に追加/除去タイトルを検索項目欄に追加/除去内容を検索項目欄に追加/除去 メイン画面に戻る。... *^^*