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::: 高津教会 説 教 :::


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Name   fujimoto
Subject   憂いを後にしてて立ち上がる
憂いを後にしてて立ち上がる
Uサムエル12:1−23

 前回の出来事を簡単に復習しておきましょう。学んでいるのは、おそらく聖書の中で、人間の罪深さを最も鋭く描く場面です。そして、罪を犯した人物は、聖書の中で「神と心が一つになっていた」と強調されるダビデです。
 ある日の午後、王宮の屋上から町を眺めていたとき、女性が水浴びをしているのに目を留めます。王の権力を乱用して、その女性を召し入れます。しばらくして、子どもができてしまったとの連絡が入ります。ダビデは焦りました。考えました。隠蔽工作です。夫のウリヤを戦場から呼び戻して、家に帰ってゆっくり休むようにすすめます。ところが、ウリヤは立派な戦士でした。「王様、自分の仲間がいのちをかけて闘っているのに、自分だけ家に帰って、妻とゆっくりするわけにはいきません」
  ダビデの隠蔽工作は破綻します。すると彼は、さらに大胆な隠蔽工作を展開し、ウリヤを戦いの最前線に送り込み、死ぬように画策します。そして、ダビデは子どもができたバテシバを妻に迎えます。
 あのダビデが、あれほど神の御前に忠実に生きていたダビデが、わずかな期間にこれほどを罪を犯すとは。物語では、「ある夕暮れ時」と始まる場面展開に鍵があると申し上げました。街を眺めている彼の目に、バテシバの水浴びが飛び込んできました。それは単なる情欲の問題ではありません。王の傲慢な心です。おおよそ何でも自分の自由になる。これまでの様々な努力が報われ、少しゆっくりした、のんびりしたい、いやもうこの国は自分のものだ、というような高慢な心の隙に、サタンが種をまいたのです。
 すべて、高慢な思いが与えられた一瞬の心のゆるみです。これこそが、ダビデほどの敬虔人物をおとしめる罪の罪深さです。私たちにあっては、なにをか言わんや、です。

今日、学びたい、第一のポイントは、罪の罪深さの二番目です。それは、自分の罪深さに目をつぶることです。12:1にあるように、ナタンという預言者を遣わして、ダビデのしたことを遠回しに話します。
 王様、ある町に二人の男が住んでいました。一人はとても豊かで、非常に多くの羊や牛を持っていました。もう一人はとても貧しく、ようやくにして買った一匹の雌の小羊のほかには何も持っていませんでした。彼はその小羊をとてもかわいがり、家族の一人のようにして育てていました。
 ところがある日、豊かな男のところに客がありましたが、彼は自分の羊や牛を殺すのを惜しがって、貧しい男の小羊を取り上げ、それを殺して客へのもてなしのごちそうにしてしまいました…」。
  それを聞いたダビデ王は激怒しました。5−6節「主は生きておられる」という言い方には、神様はそんなことをお許しにならないし、決して見過ごしにはなさらない、という思いが込められています。
 するとナタンはダビデに鋭い刃物を突き立てるように言います。「あなたがその男だ」
 罪の罪深さの第一は、一瞬の転落です。ダビデのような敬虔な人でも一瞬の心の隙が、おごり高ぶる心の裂け目が、人生を切り裂くということです。

 罪の罪深さの第二は、人は、自分の罪深さを隠す、ということです。ダビデのおかした罪は、周到・計画的です。しかし、ナタンが鏡を彼の前にさしだして、「これがあなたの本当の姿です」と言うまで、人は自分自身の本当の姿に目をつぶれるものなのです。
 この物語は、私たちです。人の犯している罪のことは、よく見える私たち。それを客観的に、正しく判断することができるのです。同じことを自分自身がしているということに全く気づかない私たち。
 ナタンが語ったのは一つの典型的な話です。これがとんでもないことだというのは、私たちでもわかるのです。しかし問題は、そのことを自分自身の現実と結びつけて捉えることができるか、ということです。それが自分のことだと考えられるか? ということです。

2)ダビデは自分の本当の姿を偽りなく、認めます。
 12節「私は主に対して罪を犯した」。=サウルが罪を犯して、それをサムエルに指摘されたとき、
・言い訳をします(一番良い家畜は生け贄のためにとっておいた)
・責任転嫁をします(自分の考えではない、民の考えだ)。
・その場を繕います(私が悪うございました。でも、今は私の面目のために、礼拝をささげてください)。
 言い訳、責任転嫁、その場を繕う、面目を保つ、罪の上塗りをするのです。私たちが罪を犯したときに、失敗したときに、おそらくサウルのように、私たちも走るでしょう。
 だからこそ、ダビデの姿に目を留めたいのです。彼は、一言も、言葉を発しません。ダビデは真実から逃げませんでした。「あなたがその男だ」「それはあなただ」という指摘を自分のこととして受け止めることができるたのです。12節「私は主に対して罪を犯した」。彼は、ナタンの話を自分のこととして受け止めたのです。

3)その姿を、ご一緒に見ていただきたいのです。
  ナタンは罪を認めたダビデに、神の赦しを伝えます。13節「主もまた、あなたの罪を見過ごしにしてくださった」。しかしこの赦しの恵みには、14節がつけ加えられています。「あなたに生まれる子どもは、必ず死ぬ。」
  ダビデは、16節、病気になった、その子が助かるように、断食をして、引きこもって、一晩中地にひれ伏して祈ります。17節の悲痛な姿を見てください。
 7日目に子どもは死にます。その時のダビデの行動に注目したいのです。ダビデは、子どもが病気の間、人と会うこともなく、食事もなく、引きこもって、地面にひれ伏して、神の懇願します。その様子を知っていた家来は、子どもが死んだという知らせをダビデに届けることを躊躇します。そんな知らせを聞いたら、王様もまた死んでしまうんじゃないだろうか?
 ところが、ダビデは、家来が隠れて話していることを聞いて、子どもの死を知ります。20節「すると……」。ダビデは起き上がり、身を洗って神様を礼拝し、食事をとったのです。子供が生きていた間は嘆き悲しんで祈り続けたダビデが、子供が死んでしまうと、掌を返したように、何事もなかったかのように食事を始める。
 その姿にあきれる家来たちに対して、ダビデは言います。22−23節。どういう意味でしょうか。「生きている間はまだ望みがあるが、死んでしまったらもうどうしようもないのだからあきらめるしかない」――そういう意味でしょうか?
 いいえ、ダビデは、この子どもの病気と死は、自分の罪に対して神から与えられた苦しみだ、と、それを遜って受け取ったのです。あれだけ断食して、あれだけ祈ったのに、どうして生かしてくださらないのですか、と神さまの前に言いがかりをつけることをしません。罪を犯したことで、しくじったことで、過ちを犯したことで、自分にも負わなければならない苦しみがあることをダビデは受け止めます。
 神さまに対してくってかかるのではなく、身を清め、神 を礼拝し、食事をして、悲しみを背負ったまま明日に向かいます。一言でなんと言いますか?潔い信仰です。――これもまたダビデの魅力です。
 Uコリント7:10「神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。」悲しみや悔いには、2つあります。
 1)世の悲しみは、世における不都合を悲しみ、嘆く。自分は挫折した、立場を失った、しくじった、転落した、断食も祈りも効果がなかった、自分の人生はもうだめだ、もう終わりだ。時に私たちは、自分が失敗しておきながら、その責任を神さまに転嫁して、私がこうなったのも、あなたのせいです、といいます。悔い改めだの、反省するだの言っても、所詮、大切なのは、世における自分の立場です。世の悲しみは死をもたらします。
 2)神の御心に添った悲しみというのは、神の御前に跪いて悔いることでしょう。言い訳をせず、責任転嫁をせず、その結果をしっかりと担いながら、神が与える苦しみをぐっと背負いながら。それでも神を神として礼拝し、明日に向かっていく姿勢です。それは、潔い信仰です。信仰信仰といって、神さま神さまといって、逃げ回らない。
 ダビデは、礼拝しながら、神の御心にそって悲しむことを学びます。それは神さまの赦しをじ、自分の罪の結果を受け止め、信仰を失わずに、神を礼拝することです。

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DATE: 2007.09.04 - 07:10
LAST UPDATE: 2007.09.06 - 00:00

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