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::: 高津教会 説 教 :::


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Name   fujimoto
Subject   ヨハネに見るキリスト(2)神のもとからきた教師
ヨハネに見るキリスト(2)神のもとからきた教師   
          ヨハネ3:1−15

 ヨハネの福音書が始まったばかりです。2章に入って、イエスさまは公の場で、様々な奇跡を行われました。2:23「多くの人びとが、イエスの行われたしるしをみて、御名を信じた」。病人がいやされ、悪霊につかれた人から悪霊が追い出され、と他の福音書には書いてあります。そうした中で、当時の宗教家はおしなべて、懐疑的でした。やがてエルサレムの宗教家は調査隊を立てあげて、調べに来ます。彼らが出した結論は、イエスは悪霊の親玉だから、悪霊を追い出すことができる、と悪意に満ちた判断でした。イエスが気が狂っていると断定した人びともいました。
 イエス・キリストの所に夜中、人目を忍んで、こっそり会いに来たのは、ニコデモという人物。ユダヤ人の指導者・・・聖書の専門家で、神のことを教え導く教師です。その彼が、イエスさまのところにやってきました。そして、「あなたはが神のもとから来られた教師です」といって、その教師から、何について尋ねたいというのでしょうか。質問は、直接記されていません。答えが記されています。3節「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることができません。」
 明らかに、彼は尋ねたのです。どうしたら、神の国に入 ることができますか?どうしたら、私のようなものが救われるのでしょうか?

1)ニコデモの質問
 尋ねた質問は記されていませんが、3節を見るとわかります。どうしたら、神の国を見ることができますか。どうしたら天国へ行けるのでしょうか。それだけではありません。どうしたら神の恵みを受けることができるか。どうしたら、孤独や苦しみ、矛盾や失敗、人の一生にかかわる様々な問題、最後には死を乗りこえて生きていけるか。ひやかしではありません。
 こんな話があります。飛行機の座席が隣り合わせだった紳士二人が、うち解けていろいろな話をしていました。そして、おもむろに片方がもう片方に尋ねます。
「ところで、お仕事は何ですか?」
「教会の牧師をしています」
「ほー。私は、そういう宗教的なことは全然関心がなく  て。小さい頃は教会学校に行ったこともあるんですよ。
ほら、『主、我を愛す、主は強ければ……』今でも覚えていますよ。でも、すっかり卒業しました。」
 牧師は、話を合わせるように、いっしょに笑いました。
「では、あなたのお仕事は?」
「私は、天文学者です。星の研究一筋です。」
「ほー。私は、その世界のことはあまり関心がなくてすみません。でも小さい頃は幼稚園で習いましたよ。今でも覚えています。 ほら、『きらきら光る、お空の星よ』、ねっ。でも、すっかり卒業しました。」
 宗教を冷やかしの対象にする人もいるでしょう。しかし、この問題ほど根源的な問いかけを、人は持ち得るのでしょうか? ニコデモは、自分の社会的な立場もあったことでしょう。ですから、人目を避けるようにイエスの許に来たのです。彼は、イエスさまから、10節「あなたはイスラエルの教師でありながら、こういうことがわからないのですか」と、挑戦的に言われています。
 しかし、明らかではありませんか。ニコデモは、イエスさまのところに、最もふさわしい質問を持ってきたのです。イエスさまは、この問いかけに喜んでおられたはずです。なぜなら、この質問を持ってこない限り、イエスさまのことはわからないからです。イエスさまが、この世界に来られた目的は、この質問を持ってこない限り、明らかにできないからです。では、それを2番目に見てみましょう。

2)イエスの答え
 私は、どうしたら神の国を見ることができるのでしょう?神の国入ることができるのでしょう?
3節「新しく生まれなければならない」
5節「水と御霊によって生まれなければならない」
6節「肉ではなく、御霊によって生まれなければならない」
1:13「神によって、生まれなければならない」
 生まれるというのは根源的なことです。存在的なことです。私がどんなに空を飛びたくて、ジャンプの練習をしても、それでは飛べないのです。そんなに空を飛びたければ、鳥にならなければだめなのです。鳥に生まれなければだめなのです。イエスさまは、おっしゃいました。「人のいのちと神のいのち、肉のいのちと、霊のいのちとは、それぐらいに違うのです」
  ユダヤ教は、行いの宗教です。信仰の修行と善行の律法宗教です。ニコデモは、指導者として、それをきわめようとして、努力に努力を重ねました。なんとか神の国に近づこうと必死でした。やがて、その努力の果てに、神の国へと上ることができると必死でした。しかし、不安でした
 ニコデモは、正しくあろうとすればするほど、正しくない自分を見いだし、愛そうとすればするほど、愛せない自分を見いだしたのです。そして不安だったのです。目的地は間違っていません。神の国です。でも、持っている切符が間違っているのではないだろうか。それが、ニコデモの不安でした。
 私、ある時、名古屋から新横浜の新幹線に乗って、切符を確認して、指定の座席について、しばらくしたら、おばさんがやってきて、
「すみません、そこ、私の席です」とおっしゃったんです。
「あっ、それは失礼しました」といって、立ち上がって、
席を譲って、自分の切符を見たら、いや、間違いはないのです。
 困ってしまって、その方の切符を見せていただいたら、その方の切符も間違いなく、その席なんだです。へー、驚いてしまいました。ちょうど、そこに車掌さんが来て、「ねえ、こんなこともあるんですね。JRのコンピュータのミスですか?」
 車掌さんも一生懸命に見て、おかしいですね……、同じですね……。そして、おばさんの方に笑っておっしゃった。
「この切符、同じ列車の同じ席なんですよ。でも昨日のですね。」
 私もそれからですね。何度も切符を確認するようになりました。本当にこれで良いのか?そして、この不安は大切なんです。人は、修行で、自分を磨くことで、神の国に入ることができるのか。イエスさまは、根源的なことをおっしゃいます。15節「人の子にあって永遠のいのちを持つ」。これが、福音書の鍵になります。イエスさまは、独特なたとえを教えられました。
 イエスさまは、こう答えられました。14ー15節。モーセが蛇を上げたという話しは、旧約聖書に出てくる、ニコデモもよく知っている出来事です。奴隷のエジプトからせっかく脱出できたイスラエルの人々は、荒野で神さまに不平を言います。彼らの罪の裁きに、神はヘビを送り、それにかまれて死ぬ者、苦しむ者がでました。人々は、自らが罪を犯したことを告白し、モーセに助けを求めます。モーセは神に助けを求め、そのとき神は、モーセに言いました。青銅でヘビを作りなさい。それを棒の先につけなさい。ヘビにかまれた人々が、信仰によってそのヘビを見上げるなら、その傷は癒される。
 そのヘビが上げられたように、キリストも上げられる。ヘビが棒の先につけられたように、キリストは十字架につけられる。エデンの園で、悪魔はヘビに姿を変えて、人を罪にそそのかします。ヘビに姿を変えた悪魔は、私たちにとって呪いでありますが、キリストも私たちの罪の呪いとなって十字架にかかります。イスラエルの人々がヘビを仰いで癒されたように、私たちもまた、十字架のキリストを仰いで、その罪が癒される――わたしは、そのために来たのだ!と
 先ほど申しました、ニコデモが「神の国にどうしたら入れるでしょう」という質問を出さない限り、イエスさまがなぜ来られたのか、それを明らかにすることはできません。イエスさまは、おっしゃっているのです。わたしは、優れた教師ではない。わたしは、病人をいやす者、悪霊を追い出す者でもない。わたしは、救い主だ。あなたの罪を赦し、霊のいのちを与え、あなたを神の子どもとする救い主だ。・ニコデモ、良く聞きなさい。「あなたは、わたしにあって、永遠のいのちを持つ。」

3)それは、信仰の問題なのです。
 イエスさまは、10節で「あなたは、教師でありながら、こういうこともわからないのですか?」とおっしゃいました。でも、問題なのは、理解力ではありません。頭ではないのです。大切なのは、イエスさまを信じる力、心なのです。イエスさまは、それをニコデモに見ました。2:25「人のうちにあるものを知っておられた」。ニコデモのなかに、小さな信仰が芽生えてきたのをごらんになったのです。
 やがて、ヨハネの福音書の最後で、イエスさまは、旧約聖書の蛇のように十字架にあげられます。息を引き取られたとき、その身体を十字架からおろすのは、だれですか?このニコデモです。しばらくして、彼は主イエスにあって永遠のいのちにあずかるとはどういうことか、わかるようになるのです。それまでは、彼の頭の中はまだまだわからないことでいっぱいです。

 アメリカの脳神経外科のオリバー・サックスという医者が、火星にいる人類学者(An Anthoropologist on Mars)という本を書いて、その中で、7つの興味深い症例を取り上げて、脳の不思議を説明しています。幼くして視力を失ったヴァージルという男性。50歳ときに手術を受けて、視力を回復する。ところが、そこでわかったことは、視力が回復することと見えることは必ずしも同じではなかったというのです。
 視力を回復して、色や動きはわかるのですが、見えているものの全体像をつかむには時間がかかったというのです。だんだん、見えているものが何かがわかるようになります。それでも彼の、行動・仕草は依然として目の見えない人のものだったそうです。サックス先生の言葉は、こうです。「目の見える人が生きるためには、目の見えない人が死ななければならない」
 私は、何かとても信仰者に象徴的なことだと思いました。霊の人として生きるには、肉の人が死ななければならない。やがて、それがどういうことか、ニコデモもわかるのでしょう。いや、私たちはこの世に生きる限り、肉の人としてのある部分をひきずらなければなりません。しかし、このヨハネの3章で大切なことは、とにもかくにも、御霊によって新しく生まれることです。キリストにつながることです。キリストにあって永遠のいのちを持つことです。ニコデモはその道を行きます。

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DATE: 2008.02.07 - 09:39

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