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::: 高津教会 説 教 :::


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Name   fujimoto
Subject   ヨハネに見るイエス(4)――いのちのパン
ヨハネに見るイエス(4)――いのちのパン
  ヨハネ6:22−37

 ヨハネに見るイエス、というシリーズで説教をして、今日は4回目です。人となって、私たちの間に住まわされた神のひとり子キリスト。ニコデモに現れた、まことの教師、いのちの水。そして、今朝はいのちのパンです。4回目です。35「わたしがいのちのパンです」。48「わたしはいのちのパンです」。51「わたしは天から下ってきたいけるパンです」

 6章は、パンの章です。6章の始めで、ガリラヤ湖のイエスさまのところに大勢の人々が押し寄せてきます。空腹でも熱心に集まってきた人々を、その食事を弟子たちが心配する、という場面から始まります。6:10−11、イエスさまはこの群衆をわずかなパンとわずかな魚で養われます。いったん人々はイエスさまのところに、押し寄せてきます。そして、6:66を見ますと、彼らのうちの多くの者が離れていきます。なぜでしょう? 彼らは、奇跡に関心があり、パンに関心があり、でもイエスが与えようとしている霊的な食物には関心がなかった。

1)大勢で追いかけてくる群衆にイエスさまはおっしゃいます。
 26節「あなたがたがわたしを探しているのは、印を見た  からではなく、パンを食べて満腹したからです」
  27節「なくなる食物ではなく、霊的な食物がある。それ  こそ、わたしがあなたがたに与えるものです」――それ  に飢えなさい。それを求めなさい。

 よく言われます。日本人はいつも、キリスト教をほかの宗教と同じように、御利益的に考えてきた。この世の成功のために、キリストを信じる。戦国時代には、ザビエルのもたらしたキリスト教に関心を抱いたのは、それとともにやってきたスペインの鉄砲に関心がなったからだ。鎖国が解かれて、キリスト教が入ってきます。宣教師と聖書学校に、そして教会に、当時、明治維新に乗り遅れた、地方の藩の下級武士たちが殺到します。西欧文化を吸収するために、教会の門戸をたたきます。戦後の日本、ミッションスクールの教育に人々は殺到する。それらは、悪いことではないでしょう。
  イエスさまも、大勢の群衆が食べ物に、実際のパンを食べて空腹を満たしことに、何の問題も感じておられません。ただ、イエスさまには、大きな疑問があるのです。なぜ、そこから一歩進まない。どうしていつも、地上の必要、地上の祝福だけを考える? あなたにとって必要なのは、永遠のいのちに至る食物だ。私は、それを与えるために来たのだ。


2)わたしは豊かに与えることができる、29「わたしを信じなさい、信頼しなさい」。
 ちょっと興味深い聖書の解釈があります。6:13、男だけでも5千人という膨大な人々の必要、それをイエスさまは、5つのパンと2匹の魚、という男の子が持ってきた弁当をもってを満たされました。人々が組になって草むらに座って、そこにパンを届けたのは12人の弟子たちでした。そしてすべて配り終わって、何時間もかかったことでしょう、最後イエスさまは指示を出されます。12節「あまったパン切れを、一つもむだに捨てないように集めなさい」。
  そうして、集まったのは、12のかごにいっぱいのパンです。わたしは思います。なぜ、12のかごか?それは、弟子たちの分だからでしょう。配っていて、あり得ない、絶対に無理だ、絶対に足らない、と一番信仰が試されたのは弟子たちです。だから、絶対に足りないと思っているから、自分たちは後回しです。
 クリスマスの祝会のお菓子みたいなものです。足りないと思ったら、教会学校の教師は受け取らない、クリスチャンホームの子どもたちも後回しです。足りないかもしれない。足りたらあげるから。イエスさまは、絶対足りないと思っている弟子たちに、信仰の教訓を与えるために、あえて12人分、つまり12のかごにいっぱいのパンを備えてくださったのです。
 ある人々は、12のパンで違うことを思い起こすことでしょう。レビ24:5−18。神の祭壇に供えられる、12のパンです。イスラエルの全部族の必要を神はいつも覚えておられる。決してお忘れにならない。あなたの必要は、いつもわたしの前にある。わたしはいつも、あなたに何が必要であるかを知っている。だからあなたも覚えなさい。わたしがいつも、あなたのために備えをしていることを。わたしには、いつもあなたを養う用意があることを覚えておきなさい。
 5千人の給食の後で、弟子たちは、湖の船の上で、強風にあおられて、苦労します、おそれます。あのキリストの奇跡が何であったのかも、吹き飛んでしまうほど、強風にあおられて、おそれ惑います。20「わたしだ。わたしがいるのではないか。おそれることはない」
 世界大戦の後に、こんなことがあったと聞いたことがあります。ヨーロッパで連合軍が、敗戦国の孤児たちを集めて、施設を作ったというのです。親を失った孤児たちです。しかも、長い間、飢餓に遭った子どもたちです。施設では、十分なケア、そして食料を用意したのに子どもたちの不安、飢餓に対する神経症的な症状はなかなか治まることがなかったそうです。子どもたちは夜寝られない。食事を食べても、やすらがない。
 そこへ精神科の医者が提案をしました。子どもたちを食べさせるだけではなく、彼らに明日の分の食料も与えて、寝床に尽かせよう。子どもたちは、それぞれに与えられたビスケットやパンをその手に持って、飲み物は朝に与えられるか ら、これを持って寝なさい、そうすると、食料に対する彼らの不安は、驚くほど収まっていったというのです。
 私はレビ記の24章の12のパンを見ていると、あるいは、ここで弟子たちが学んだ、12のパンかごを見ていると、そういうイエスさまのメッセージが聞こえてくるように思うのです。心配しなくてもいい。わたしはあなたの必要を知っている、あなたのことを見ている。わたしは、あなたを豊かに養うことができる。ただ、あなたも学んでほしい、わたしに信頼することを学んでほしい。
 あなたに一番求められていることはなんだと思うか?29節「神が遣わした、わたしを信じなさい。わたしに信頼しなさい。」わたしがいのちのパンです。
 わたしがなんのために来たと思うか?33節「わたしは、世にいのちを与えるために下ってきた」

3) 2)のポイントをひっくり返すようにして、不信仰への警戒 36節「しかし、あなたがたはわたしを見ながら信じようとしない」。イエスさまに対する信仰を鈍らせるのは何でしょうか。5千人というような、圧倒的な必要でしょう。そんなことは、無理です、という人間的な計算です。あるいは湖の上での嵐でしょう。見たことも体験したこともないほどの嵐でしょう。
 「しかし、あなたがたはわたしを見ながら信じようとしない」。群衆は、以前として印を求めます。30節「信じますが、では信じるために、何をくださいますか。どのようなことをしてくださるのですか?」それを見て、確認してから、信じます。
 彼らは続けていいます。31節「私たちの先祖は(モーセ)、荒野でマナを食べさせました。」40年間、何十万という民に、毎日毎日。あなたがパンの奇跡をしてといっても、まだ一回ではないですか?ということなんです。イエスさまは、おっしゃいました。32節「よーく聞きなさい。モーセがあなたがたに天からのパンを与えたのではありません。それをしたのは、神です。」その神が、わたしを使わし、パンではない、永遠のいのちを与えるために、わたしが来たのです。36節「見ながら信じようとしない、という自分の不信仰に気がつきなさい」。

 96年にエベレスト登山史上で最大の被害、7名の登山家の遭難という出来事がありました。山岳ジャーナリストでベテランの登山家ジョン・クラカワーは、そのときの出来事を本にします。In the Thin Air(「空へ」――エベレストの悲劇はなぜ起きたのか?」
 彼は、ジャーナリストとして、そこで起きた出来事を解説するのです。アンディ・ハリスという登山家が、登頂隊のリーダーの一人でした。彼は、頂上に長くいたために、下山のために必要であった酸素を過剰に消費してしまいます。そして、下山途中で、酸素が足りなくて、死をさまようのです。
 無線で連絡が入ります。下山途中で、前の隊がおいていった酸素ボンベを見つけた。でも、空っぽだった。なんとかならないか。先に降りた隊員が無線で彼に訴えます。「そんなはずはない。ボンベには十分な酸素が残してある」。しかし、彼は苦しい叫びを上げます。あえぎます。「ボンベはここにある。でも酸素はない、からだ」。
 どんなに周囲が説得しても無駄でした。酸素はあったのです。しかし、酸素不足のために、彼の頭脳は、まともに動いていなかったということです。もうろうとしていた彼頭脳は、酸素はからだと判断したのです。彼がその手に持っていたのは、彼がもっとも必要としていた酸素が入ったタンクでした。
  それを手に持っているのです。しかし、それは彼の頭の中には存在していませんでした。手に持っている、にもかかわらず、頭には入らない、心には入らない。いのちのパンであるキリストを前にして、その恵みにあずかっていながら、いのちのパンが心に入っていかない。いつまでも、どこまでも、キリストの恵みが、自分のところに入ってこない。
 クラカワーの書物のタイトルは興味深い。Into the thin air――酸素の薄い世界に身を置くと、わからなくなっていく。たとえ、そこに酸素ボンベがあっても、それを使わずに死んでいくのです。恵みの薄い世界に身を置くな――わたしは、すぐそこにいる。あなたとともにいる。わたしをあなたの頭の中に心の中に迎えなさい。

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DATE: 2008.03.28 - 21:20

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