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::: 高津教会 説 教 :::


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Name   T・Y
Subject   「教会のゆたかな交わり」(Tコリント16:5-20)
教会総会のこの日の説教は、コリント人への手紙Tの最後の章からの学びでした。高津教会の姿を重ね合わせてみる意味で、特に手紙の最後の方の挨拶に目を留められました。
この箇所は今エペソにいるパウロが、5節でマケドニアを通って必ずコリントに行くことになると語りながら、8節でペンテコステまではここにいると言っており、9節では反対者も大勢いるが、エペソの働きもまた祝されていると言います。
それから、コリントに向けていくつかの事を書き送っていますが、それが我々の教会に当てはめられ、4つのポイントで教えていただきました。

1.    テモテに心を配り軽んじない。

テモテとは、パウロが伝道旅行をした小アジアのルステラという所で、パウロを慕った青年で、クリスチャンホームに育った心優しい人であり、パウロのようなたたき上げのクリスチャンではなく、命を犠牲にしてどこへでも出かける屈強さも持ち合わせていないのですが、パウロと対極的であり、まっすぐな笑顔の多い青年です。
テモテが若いからといって、11節に『誰も彼を軽んじてはいけません』とあります。それは、10節で『彼も、パウロと同じように主のみわざに励んでいるからです』と、それを理由にするのです。

昨年洗礼を受けてまもない小林佳くんが4月に献身をして、それに多分に刺激を受けて、小島兄も9月に正式に神学校に入学して、それと引き換えに、福田くんがインターン実習で高津に来ました。この年、神学校と関わる人が高津は3人になったのですが、その内2人は高津から送り出したことはすばらしい教会の誇りであり、牧師の誇りです。
洗礼者が多く与えられる事も嬉しいが、献身者を出したことは何十倍も嬉しいそうです。しかし、主の目に高津教会が誇りとするところがあるとすれば、献身者が若いからといって、軽んじないで大切にするところだそうです。

福田兄は長崎教会出身で、お母さまから年賀状で先生は感謝のことばを戴いたとのこと。彼はクリスマスに30分説教をしたら、信徒に捕まり1時間説教されたと一生忘れられないいい経験になったという、彼らしい楽しいお証しをご披露してくださいましたが、信仰経験の浅い、牧会経験の浅い献身者、実習生をどういう風にして軽んじないで心を配るか、何とか育てていけるかが、私達の問題です。(もちろん、その1時間の説教の中身は冗談や世間話もあったでしょうが)。

パウロはテモテも私と同じ主のみわざに励んでいるのであれば、自分を重んじると同様に彼をも重んじてくれることを期待しています。
それから、12節で『兄弟アポロ』と呼んでいます。アポロとは、コリントにパウロの後から入ってきた力強い説教者で、事実パウロより、説教そのものは説得力があり良かったのですが、そのために教会内に派閥ができてしまった。(Tコリント1:12、3:4)伝道者や牧師はそれぞれに賜物を持ち、能力、生活環境の違いがあるので、時にそういう派閥ができても不思議ではないのですが、そういうアポロを『兄弟アポロ』というのです。アポロはアポロなりに、コリント教会に資するところが大きいと信じるが故に、コリントに行くことを勧めているのです。アポロが行くことによって、パウロに反対する勢力があるかもしれないが、アポロにコリントに行って欲しい。パウロは決して人間的な視点で見ないのです。そして、『同労者アポロ』と呼ばずに、『兄弟アポロ』と呼ぶのです。

2.    互いに仕える

「ステパナの家族は、アカヤ(コリントの属している州)の初穂(初めてのクリスチャン)であって、聖徒たち(クリスチャン、必ずしも牧師のことではない)のために熱心に奉仕してくれました。」という15節は、ギリシャ語に忠実に訳すと、もともと原語では、「仲間の信仰者のために仕えるように、自分で自分を任命した」となり、それ程熱心だったということでしょう。

任命されたのではないのです。高津では役員や係りは任命されます。任命と言いながら、牧師が頭を下げて、頼み込んでやってもらっている実情もありますが、と笑っておっしゃいましたが、任命するまでもなく、その人物はその責任の為に、自発的に立ち上がっていてくださって、ふさわしい場合もあります。つまり、15節の意味は「進んで教会の人に仕えていた」とか、「誰に言われたわけでもなく、自分の教会生涯の中で、周囲の兄姉に仕えることをモットーとすると、自分自身を任命した」ということなのです。

奉仕の原点を考えさせる面白い視点で、こういうことが赦されるのが、というより、こういう視点に立てることが、この世の組織ではありえない、いかにもキリストの体である教会だとなるほどと感心しました。

また16節には、「服従しなさい」とあります。面白い事に『任命する』ということばの頭に[下に]という接頭辞がつくと、『服従する』ということばになるのだそうです。
教会の頭はイエス・キリスト。主は自発的に誰からも強制されることなく、私たちを愛するが故に、我々の罪の十字架を背負い私たちに仕えてくださる。そのように、ご自分を任命されたのです。「誰もわたしからいのちを取った者はいません。わたしが自分からいのちを捨てるのです」(ヨハネ10:18)。自分からいのちを捨てた、それは神のみこころであったが、自分自身の思いで、愛するあまりに十字架を背負われた。その主によって召された者の集まりが教会。我々の中には、ある人物は誰から言われたわけでもなく、自分自身を任命します。周囲の者もその人物を感謝し尊敬し、それだけでなく、その人物の下に入るように自分を任命し、皆が互いに仕える教会になりなさいと、パウロは言うのです。

また先生のお話は他の牧師さまと話された会話へと続きます。高津では、日曜日夜の集会(伝道会)を5年程前から止めて、礼拝に集中し、午後の集会を大切にする事にした。夜の集会を『伝道会』という名前でしているから、伝道していることにならない事実を真剣に捉えるため、1年以上かけて話し合った。夜の伝道会を開いている事が自己満足になってしまって教会の営みにならない、そういう名前の集会があるというだけで自分が納得しているとしたら自己欺瞞であって、それと真剣に向き合って、教会全体が伝道に加わるために、どんな方法があるのだろうか、なかなかどんな集会をしても難しいという同じ趣旨で、その先生は皆さんと話し合われたのだそうです。

ある信徒さんは「私が生きている限り、伝道会をして欲しい」と主張していて、その人は一度も伝道会に来た事のないのに言うのだそうです。その心情を探るに、自分の通っている教会はこういうイメージでありたい、しかし自分はこの中に入らないということでしょう。それでは、教会ができない。教会の中に大変奇特な方がいて、この方がいると、50人分の世話が出来るぐらい、心の行き届いた、愛にあふれている、その人は誰から言われたわけでもなく、自分で自分を任命したから、この方に任せておけばいいじゃないか、とはパウロは言っていない。皆がその人に倣ってその人の下に入るようにしたら、教会は互いを慰め、励ますものに変わっていくと言うのです。

教会ジョークに『シークレットサービス』というのがあるそうです。クリスマスとイースターぐらいしか教会に来ない人が、久しぶりに来ていて、牧師が皮肉を込めて「年に数回でなく、キリストの兵士として、正規に教会に入ってください。」と握手をしながら話すと、その人は牧師に耳打ちしたのだそうです。「もうとうの昔に入ってますよ。」「でもめったにお目にかかれないじゃないですか」「いやぁ、私はシークレットサービスですから。」と言う教会ジョークです。隠れてしまって、どこにいるのか分からない(?)と言う意識で自分は教会に仕えていると言いたいのでしょうか?

しかし、仕える姿勢を取るというのはまさにシークレットサービス的な部分があると先生はおっしゃいました。自分自身で人目に表れる奉仕に任命する人もいれば、人目につかない奉仕に自分自身を任命する人もいる。もしかしたら人は、あなたがやっている奉仕を見ることがないかもしれない。しかし、神はすべてを見ておられる。人目につかない奉仕であればあるほど、神は尊んでくださるという信仰がもし教会から失われたら、教会は教会らしさを失います。黙々と人目につかない奉仕をしていく、牧師も気がついていない、だれからも感謝されない、しかし、主はそういう奉仕には、何百倍もの報いを与えてくださるという信仰は教会が持たなければならないのです。

3.    互いに慰められる

17節と18節にステパナ、ボルトナト、アカイコの3人がコリントからコリントの教会を代表してエペソにいるパウロを訪ねて元気づけています。彼らは私の心を慰めただけでなく、あなたがたの心をも安心させてくれたとパウロは言っています。

励ました側も励まされた側も、ともに元気づけられる、慰められるのです。表面的には慰める人と慰められる人とがいるが、双方が神さまからの慰めを受けているのです。自分を遜って人を慰める事によって、自分もまた神からの慰めを受けている。弱っている人を訪ねて、逆に元気付けられる、こういうことはよくありますが、誰かを慰めようとすると、神があなたを慰めてくださるからです。

神は元気を受ける人も与える人も、元気付けてくださるのです。なぜなら、神は慰めの神であり、励ましの神だから。ですから、神は慰める人を、こよなく愛される神です。他人を慰めるとか慰められるとか、双方に亘ってなされている世界が教会だということを覚えるべきです。

4.    互いに挨拶をする

19節20節によろしくとか挨拶のことばが合計4回出てきます。聖書の世界で、挨拶は大切です。交わりのしるしが挨拶です。教会で挨拶する人は自分と同じ神の子であり、自分の兄弟姉妹です。

礼拝の心を大切にするあまり、隣の人には目もくれず礼拝前にひたすら祈ったり、礼拝後になるべく早く玄関を出るなどのパターンが見られますが、これには人好き、人嫌いなどの性格的なところや、時間的な事情もあって一概にいえず、深く広く挨拶しないことは、必ずしも信仰の問題でないかもしれません。でもパウロは互いに挨拶を交わすようにと、4回も言うのです。

20節は主に教会の中での挨拶、そして19節はアジアの諸教会、他教会との挨拶を勧めています。挨拶が自分の教会だけで狭く固まってしまわないで、他教会へ広がるよう、地域にも交わりを閉ざしたりすることがないよう、世界との交わりにも目を向けるように。その出発点は、今日あなたの隣に、前に、座っている方々と挨拶することだと教えられました。

数年前に『礼拝の充実』というテーマで、教会総会で話されたことですが、礼拝こそが教会の営みの中で最も伝道的であり、最も意味のある営みとという意識にいかに立つか、そこに礼拝の重さがかかる。いかなる交わり、伝道活動にもまして、礼拝がどれほど大切であるかを知らねばならないと。しかし礼拝に集中するが故に、教会の証しや交わりが薄くなると、我々はある意味、挨拶を忘れてしまった羊の群れです。

礼拝は一人でしているのではない。同じように主によって召された愛する兄姉とともに、主の御前に立つ、その方を知るようになり、その方に挨拶して、その方を祈りに覚え、その方と励ましあうことが礼拝の営みだが、全部の事を礼拝でやってしまうのは難しい。フェローシップ、証し集、「天の窓」などはすべて、主の前の教会の家族に入れたということ、一つの交わりの中に入っているということを意識する為にその意義があると考えられます。

ある意味都会的な感覚、大きなマンションに住みながら、隣に誰がいるか分からない、その方が気楽で過ごしやすいというような感覚が、いつの間にか教会にも入ってきて、ここで礼拝を捧げるだけで充分、それ以上の教会の営みに深く入らないというのは、礼拝を捧げていることにならない。我々はお互いの魂の交流を大切にする者だと改めて覚えていきたい。

説教の後に先生が、「------誰一人単独で孤独に主に召しだされたものはいません。誰もが教会に加わり、教会の中で礼拝することによって、神の家族の一員となるのです。健康な健全な主の体として成長していく為に、どれほど多くの事が求められているのか、考えさせられますが、いつも遜って、主の愛によって結ばれている自分を意識する事ができますようにしてください。」と、主イエス・キリストの聖名によって祈られ、アーメンであり私の魂に強く響きました。


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DATE: 2011.03.26 - 15:06

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