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::: 高津教会 説 教 :::


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Name   T・Y
Subject   2/8説教「夜に出て行くユダ」ヨハネ13:21〜35
今年はイースターが4月第2聖日ですが、それに向けて、先週からヨハネ13章から連続して学ぶ事によって、この出来事を通して神の愛がどのようなものか、ヨハネが初めてわかったと言うのですから、我々も神の愛の深みに到達できれば感謝です。

先週は、主が単に弟子たちに仕える姿を取っただけでなく、主だけしか愛する弟子の足を洗うことができない、むしろ、主によって洗っていただく以外に、潔められることのない多くの傷や罪を我々誰もが負っているということ、主の願いは「わたしに洗わせてほしい。わたしでなければ、そのあなたの心を洗うことができない。」と、我々の前にひざまずいて洗ってくださるという話でした。

さて、今週は、あまり見たくないユダを見て行きますが、21節で弟子たちの内の一人がイエスさまを裏切ることを予告され、ユダはこの場所から追い出されていきます。12弟子の間に異常な緊張が張り詰めます。どうしてこのような話を最後の晩餐でイエスさまはされるのか?弟子たちに心備えをして欲しい気持ちがあったのでしょう。

18節で旧約の預言、詩篇41:9『私が信頼し、私のパンを食べた親しい友までが、私にそむいて、かかとを上げた。』を引用され、それは「成就するのです。」と、ユダがこれから裏切る話に持って行かれます。19節は、そのことが起こった時に驚き乱れてはならないと、信じられない悲劇が弟子たちに降りかかると、静かにしかし確かにおっしゃった。そのことを、イエスさまは「知っている。」と、「わたしは不意を突かれてユダに裏切られ、仰天当惑、もうどうしようもないというのではない、わたしはすべてを前もって知っていた。」と。そして、すべては神がよしとされた事であって、主権者であるイエスさまはこの激動の瞬間にも揺れ動く事はありませんでした。

我々はこれらの降りかかる出来事を前もって知る事は絶対にできない。我々は仰天、不意を突かれて当惑して、どうして仲間が・・・信頼している者が・・・となるが、イエスさまは前もって知っておられる方であり、われわれはその主に信頼しているのだと心に留めていたいものです。と先生がおっしゃった時に、私はこの説教を始める前に、詩篇46篇から祈られた、先生のお祈りを思い出していました。それは、まさに今、心の中に揺れ動く心配材料がある私に力強い悟しでした。

・・・・・私たちの心の中をかき回し、立ち騒ぎ、泡立ち、揺れ動くようなさまざまな不安の材料、心配事、苛立ち、焦り、怒りなど、すべてをあなたに委ねることを教えてください。私たちの人生の中であなたを信じる事は、そんなに難しい事ではありません。しかし、信じているあなたが全能の神であり、愛に富まれる神であり、そのあなたに一切をお願いして、「止めよ、わたしこそ神であることを知れ。」というこの一行を実践することこそ、信仰の真髄であり、もしかしたら一番難しい事かもしれません。心配や試練がやってくるたびに、私たちは自分の信仰が試される事を理解します。しかし信仰が足りない事を自覚したからといって、信仰が増し加えられる事ではなく、ますます私たちは自分の信仰の弱さの中に捨て置かれたような気持ちになります。あの息子を助けて欲しい父親が「信仰の弱い私を助けてください。」とあなたに向かって叫んだように、私たちも叫びます、「信じます。信仰のない私を助けてください。」と。「あなたこそ、私を愛し、愛するがあまりに、ご自身のいのちを捧げてくださった私の救い主御子イエス・キリストです。」と、あなたに委ねる信仰を授けてください。・・・・・

それから、出産を控えた芦田姉と藤本姉の上に、また足の痛みと戦っておられる小林兄に届いてくださいと祈られました。小林兄は原因不明の出血がありますが、あなたがそれを押さえ、元気に回復させ、春の兆しとともに、この教会に元気な顔を見せてくださるよう、日々癒しの恵みを授けてください、とイエスキリストの御名によって祈られ、アーメンと皆が一致し、主がその時、祈り祈られている者たちの、たましいに届いてくださったことを感じたものでした。

27節に「彼がパン切れを受けると、そのとき、サタンが彼に入った。」とあり、30節に「ユダは、パン切れを受けるとすぐ、外に出て行った。すでに夜であった。」とあります。まことに夜とは暗闇の世界を象徴することばです。

いったい、ユダの始まりの部分はどうであったのか?6章の70−71節をご覧ください。イエスさまがイスラエルの12部族の為に、12人を選ばれた時に、ユダの裏切りを最初から知っていてユダを選んだとは、考えにくい。他の福音書では、夜通し祈って祈りぬいて12弟子を選ばれたとあるし(ルカ6:12-13)、またヨハネの福音書だけが、ユダの裏切りをイエスさまは前もって知っておられたと示唆しているが、先生はやっぱり普通に読めば、本当に12人に期待して、自分の弟子として、神の国を受け継ぐ者として選んでおられたと読んだ方が自然だとおっしゃいました。

やがてユダは自分のシナリオどおりに行かないイエスさまを見て、失望が生まれました。救い主はイスラエルを植民地から帝国ローマから解放する。救い主に求められるものは、愛ではなく力であると、イエスさまに期待した。しかしイエスさまはとんでもない方向に向かって行ったのです。イエスさまはますます遜り、最後は弟子たちの前にひざまずいて弟子たちの足を洗う。イエスさまはますます静かになり、奇跡を行わなくなる。イエスさまはますます霊的になり、人々の心を知りながら、静かに十字架に向かわれるようになった。主が愛と赦しに富んでおられればおられるほど、ユダは苛立った。どうして道端のこじきバルテマイを相手にするのか?どうして神殿でレプタ銅貨2枚しか捧げなかった女をほめるのか?どうして神殿を洗い清めるのか?ユダが期待していたことは、イエス・キリストが直接ローマ総督の官邸に行って、神殿を相手にするのではなく、ローマ帝国を相手にして、ローマ帝国をエルサレムから一掃して欲しいということであり、イエスさまのなさった事はすべて失望であった。期待どおりでなく、思い通りでなく我慢がならないという自己中心な心に、ユダはだんだん支配されて行きます。そして自分の目からイエスさまを判断して、イエスさまを切り捨てていく人間になります。ユダの心にあったのは、怒りと苛立ちでした。

その晩イエスさまはユダに迫ります。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたのうちのひとりがわたしを裏切ります」(21節)。「それはわたしがパン切れを浸して与える者です」(26節)。イエスさまははっきりとユダに「思い直せ」と忠告しているように思えます。しかし、その忠告に対してユダは硬く心を閉ざし、サタンが彼に入ります。

サタンが入ったときの人間の心がどのようか、いくつかの例を先生は話してくださいました。アメリカのある教会で購入する電子オルガンを巡って、自分の主張が通らなかった事から牧師とその信徒との絶交状態が4年も続いた頃、その牧師が聖会で講師の話を聞いていて、たとえ向こうが悪くても、その信徒に謝った方がいいと聖霊の促しがあり、集会の終わった礼拝の場で一緒にお祈りをしませんかと問題の信徒を誘ったが、祈り終わって目を開けて見ると、相手は祈らず立ったままこちらを見下げていた。その先生は悪魔に見据えられているような寒気がしたと記しています。熱心なクリスチャンほど、正しい事をしていると思い続け、いつの間にか悪魔にその心を支配されていたという話。

ユダはますますイエスさまに苛立ちを覚えるようになり、数日前、一行がベタニアという小さな村に滞在した時に、高価なナルドの香油のつぼを割り、イエスさまにかけるが大半が床にこぼれてしまった。ユダは批判的に、「あんなに香油を無駄にして・・・あれを売って貧しい人々に施せばどんなに素晴らしい事か、愚かな女だ。」とそう言ったユダの形相はどうだったのか?イエスさまがエルサレムに入って何をなさるにしても、それはユダの期待とは違っていました。

ルカ9:51-55を読むと、イエスさまが弟子たちを戒められたという、そのことばが欄外に書いてあります。一行は「救い主のお通りだ。」といった、虚勢を張った威勢の良い姿で行進していたに違いないが、サマリア人は相手にしない、それに憤りを覚えた弟子たちに、イエスさまは、「あなたがたは、自分たちがどのような霊的状態にあるのかを知らない。」と言われました。

先の教会の信徒は変わり者なのか、頑固者なのか?しかし、そういう事では済まされない。なぜなら教会内の出来事で、ある人物が和解しましょうと言っている、それなら、どんなに憤った思いがあっても、一緒に祈って和解しなければならないのです。彼女は夜に出て行ったユダと同じです。「あなたは自分の霊的状態を知らないのに、自分の主張をまげない。」とイエスさまはユダに言われたのです。そして最後のユダへのことば(13:27)は強烈です。

ヨハネ13:27で、「あなたがしようとしていることを今すぐしなさい。」と言われた意味はここから出て行きなさい、もはやわたしの弟子ではないということです。先週、「わたしがあなたの汚れを洗わない限り、あなたはわたしと何の関係もない。洗うことによって、罪赦され、神の子となり、私と関係のある者となる」。そうおっしゃりながら、洗われ、おそらくユダは無表情で、洗われていたのでしょう。おそらく憤りの思いでいっぱいで、イエスさまの「思い直したら」と言うこの語りかけにも心を閉ざしていました。彼は最後まで自分の期待、考えだけに振り回されて、そういう彼をサタンは最後に捕まえた。ユダに向かって主は「出て行きなさい、もうわたしは関係ない。」と言われる。そういう彼を、サタンは自己中心な心をとらえ、その心は夜に向かって歩いていきます。

私たちもまた夜に向かって歩く事があります。誰もが、ユダになりたいとは思っていません。かつて誰もがイエスさまに足を洗われた。しかし、ユダになりえるのです。だから私たちはいつも祈らねばならない。この心を、自分の魂を縛り、この欲やわがままや自己中心な思いを取り除き、「思い直せ」とおっしゃるあなたの忠告を、遜って聞く素直さに私を導いてくださいと。「野生の王国」という動物番組で見たサイがヘリコプターからのロープを助けの道具だと思わないで、もがいて沼にはまって行く話も、考えさせられました。「いろんな形であなたが助けてくださいます。その助けのロープを捕まえる事ができるように。」と祈られた先生のことばにもアーメンでした。

イエスさまはユダに向かって何度も憐れみの助けのロープを投げられる。しかし、最後の最後まで自分を縛る欲やわがまま、自己中心な思いだけに凝り固まったユダは、イエスキリストの助けを跳ね除けてしまいます。そして、もがいてもがいて、最後はイエスさまにもはや関係ないと言われています。そしてこの場面の後、イエスさまはユダを除く11人を集めて、「わたしはあなたがたに新しい戒めを与える。互いに愛し合いなさい。」(34節)という言葉を残されました。

私たちはどこまで行ってもユダになってはいけない。しかし覚えるべきは、どこまで行ってもユダ的であるものを持っているということ。いつでも足を洗っていただく用意をしておくべきだと先生は私たちにイエスさまの心を代弁しておっしゃったようでした。

お祈りは、恵み深い天の父なる神さまに、「そのパン切れを受け取ったものがわたしを裏切ります。」と言われていながら、ユダはパン切れを受け取ります。イエスさまが忠告を与えておられるのに、その忠告に耳を塞ぐユダに自分の姿を見るようです。私たちも時に思い通りにならない、つまらないことで、自分自身のこだわりに縛られて、ユダのように心を開く事をしない者でありますが、それでもあなたが私たちに何本もの助けのロープを投げていてくださっている事を心に留めながら、あなたの忠告に素直に従う事ができますように。またあなたがおっしゃったように、「あなたがたは自分の霊的状態を知らないのです。」ということばも心に留めながら、いつも御前で信仰を素直にまっすぐに整えることができますように、私たちを助けてください。この朝、そのような思いで座っている方がおられるなら、その方を、愛で包み、温かく赦し助けてください。と主イエス・キリストの聖名によって祈られました。

今まで単に裏切り者として見ていただけのユダで、あまりその心に寄り添う事をしてきませんでしたが、ここで、心の推移を説明していただいていつでも誰でもがユダになる可能性があるとわかり、またそのユダをイエスさまが一番深く関わろうとしてくださったのだと分かり感謝でした。ユダはイエスさまに足を洗われた自覚が足りなかったのだろうかなどと、先週思っていた私ですが、先生が、「だから私たちはいつも祈らねばならない。この心を、自分の魂を縛り、この欲やわがままや自己中心な思いを取り除き、『思い直せ』とおっしゃるあなたの忠告を、遜って聞く素直さに私を導いてくださいと。いろんな形で来る神の助けのロープを捕まえる事ができるように。」と祈られたことばが、ああ、そういうことかと強く心に刻まれました。また、自分の霊的状態をいつも把握できるように、神の前に静まり、いつも心を平安に保たれたいと思いました。

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DATE: 2011.03.26 - 15:08

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