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::: 高津教会 説 教 :::


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Name   fujimoto
Subject   「祈りと行動」 (祈りのシリーズ2)
「祈りと行動」(祈りのシリーズ2)

「立って、その地を縦と横に歩き回りなさい。わたしがあなたに、その地を与えるのだから」(創世記一三・一七)

                                ●祈りか行動か
          
 今年は、ウェスレー生誕300年になります。ウェスレーのことを、私はあまり多く講壇から語ることはないように思います。しかし出来事は語っていなくても、彼の神学の特色を、折に触れて学んできました。例えば、今日の説教題にしました、「祈りと行動」――この二つのかねあいを考えるとき、ウェスレー先生の神学が実に参考になります。
 ウェスレーは、まだアメリカの独立前、英国からアメリカ大陸に宣教に出かけ、そこでドイツから移住してきたルター派の敬虔な人々、モラビア派と接触し、彼らによって「信仰によって救われる」という福音の真髄へと導かれました。
 しかし、それから1年して、このモラビア派と袂を分かつことになります。信仰によって救われる――この教えには全面的に賛成であったウェスレーも、モラビア派の「静止主義」という教えには、抵抗があったのです。
 「静止主義」は、救いはすべて神さまのなさることだから、人は何もしないで、じっと祈って待っていればいいと教えます。教会に行くも行かないも、聖書を読むも読まないも、人間側はいろいろ動かず、何もせず、じっと待っていなさい、という考え方です。
 祈って神にお任せするか、祈りつつも自分で様々な行動に出るか――実はこの問題は、宗教観に関わるほど大きなことなのです。ちょっとだけ、話しを広げて説明します。
 聖書の中で、祈りか行動か、この対比を最もわかりやすく押しているのが、ルカの福音書10章に出てくるマルタとマリヤのベタニアの姉妹の話です。
 この姉妹の家で、イエスさまは食事をし、また神の国について教えられたのです。そのとき、マルタは、イエスさまをもてなそうと気遣いながら、食事の準備に精を出します。それとは反対に、妹のマリヤは、イエスさまの膝元で熱心にその教えに耳を傾けていました。この対比をおわかりになりますでしょう。マルタは動的、そしてマリヤは静的です。最近の表現を使えば、マルタはdoing、マリヤはbeingのタイプです。マルタは生活と道徳の強調であり、マリヤは心と祈りの強調です。
 ひとりで忙しく奉仕をしているマリヤが、イエスさまに訴えました。「妹のマリヤにも手伝うように言ってください」。すると主はおっしゃいました。
「どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良い方を選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません」(四二節)
 キリスト教は、私たちの生活と行動を大切にします。しかし、何にもまして、主の御前に座り、祈ることを大切にします。なぜなら、神の御業は私たちの心に始まるからです。神の御業は世界を変える前に、まず私の心を変えられます。キリスト教は制度ではない、形ではない、心です。心に、たましいに福音が届いて、初めて信仰が始まります。
 しかし、そこで終わりはしません。イエスさまは弟子たちをまずみもとにおき、教えました。でも次に主は弟子たちに権威を授けて、派遣されます。イエスさまは、まず私たちの心に語りかけ、私たちを教えてくださいます。しかし、そこで終わるのではなくて、そこから立ち上がって、私たちはその教えに生きるのです。
 これが今回のテーマです。端的に言うなら、「私たちはアーメンと言ったのなら、アーメンと祈ったことを信じて生きるべきである」ということです。だから、静かに止まっていてはならないとウェスレーは教えました。

                    ●「やめよ」

 モラビア派は静止主義も、きちんと聖書の教えに基づいていました。静止主義を支えていたのは、たとえば詩編46:10「やめよ。わたしこそ神であることを知れ」です。これほど大切な聖句もまた他にないのが信仰生活の実感です。  
  46篇に繰り返し出てくるのは、「立ち騒ぐ」ありさまです。
「たとい、その水が立ち騒ぎ、泡だっても……」(三節)
「国々は立ち騒ぎ、諸方の王国は揺らいだ」(六節)
 水が立ち騒ぎ、国々が立ち騒ぎ、私たちの生活の基盤が 揺れ動き、私たちは将来の不安に、人間関係にと、私たちはさまざまに揺らされます。そんなとき、周りからさまざまな声が聞こえてきます。その中で、どの声が最終的に勝つのでしょうか。自分の欲望の声か、不安の声か、自分の願いか、人の願いか、サタンのささやきか……。騒ぎ立つこの世界の真ん中にあって、私たちはさまざまな声、時に自分の内側の声に揺らされて、不信仰に転落していく危険にさらされます。
 そのときです。天から怒鳴るように神の声が響いてきます。
「やめよ。わたしこそ、神であることを知れ」
 天から怒鳴られて、ふと信仰の分別を取り戻します。「ああ、一番大切なことは、『わたしこそ神であることを知れ』と言われる神に、だまって、静かに信頼することなんだ」と。祈って静かにしていることの大切さは、強調してしすぎることはないのです。

                   ●眠っている間に

 詩編127:8には、私たちがどんなに働いて、辛苦の糧を得てきたとしても、実は「主はその愛する者のには、眠っている間に、このように備えてくださる」と記されています。これもまた大切なことです。家を建てるのも、町を守るのも、辛苦の糧を得るのも、実は、神が備えてくださるのです。しかも、私たちが眠っている間に。
 ジョン・ベイリーというスコットランドの神学者は、この箇所にコメントして、興味深いことを教えています。
 「昼間、私たちは自分の運命を牛耳ろうとするので、神は、私たちが眠るのを待って、私たちが自力でできないことを、行ってくださいます」(『眠りの神学』大塚野百合訳、日基出版局、p.150)。
 神は私たちが寝るのを待っておられるというのです。私たちがばたばたするのをやめて、神に全的にお任せするのを待って、行動される。だから、信頼して眠りにつくことが大切なのです。自分の運命を牛耳ろうとせずに、信仰をもって祈ることが大切なのです。
 このように祈ることの大切さは、強調してもしすぎることはありません。しかし同時に、ウェスレーがモラビア派の静止主義に反対した理由があります。
 なぜなら、信じてゆだねて祈って眠って、しかしそれでも私たちにもなすべきことはあるからです。神は主権をもって、私たちの生涯を治めておられます。しかし主は、私たちの人生のすべてをご自分の手の中に奪ってしまったのではありません。主は、私たちがなすべきこと、私たちの責任を残しておいてくださいました。それが、以下に見るロトの祈りによく出ています。

                  ●ソドムが滅ぼされる朝

 ロトの祈りが聖書に出てくるのは、ソドムの町に襲った大災害の朝のことでした(創世記一九章一三節〜)。ソドムは、その後、性的な罪の代名詞になるほど、汚れていた町でした。神は、この町を滅ぼすことを決め、アブラハムの甥であったロトの家族を、この朝、救出されます。
「夜が明けるころ、御使いたちはロトを促して言った。『さあ立って、あなたの妻と、ここにいる二人の娘たちを連れて行きなさい。さもないと、あなたはこの町の咎のために滅ぼし尽くされてしまおう』」
 しかし、ロトはためらっていました。ためらうロトと、その妻、二人の娘の手を強引に引っ張って、神はロトの家族を町の外に連れて行きます(一六節)。強引に力ずくに、一方的に引いて連れ出したのです。一六節の注釈には、「主の彼に対するあわれみによる」と記されています。あわれみというのは大きいものです。ときにそれは強引ささえ持っています。
 そのあわれみは、まだ続きます。町の外におかれたロトの家族に、御使いは山へ逃げろと命じます。しかし、山に逃げる力はロトにはありませんでした。
「私は山に逃げることができません。わざわいが追いついて、たぶん私は死ぬでしょう。ご覧ください。あそこの町はのがれるのに近いのです。しかもあんなに小さいのです。どうか、あそこに逃げさせてください」(一九〜二〇節)
 そのとき、神は、さらにあわれみを加えられます。
「よろしい。私はこのことでも、あなたの願いを聞き入れよう」
 願いを聞き入れたとは、祈りは聞かれた、ということです。
 迷っているロト、山は遠すぎるという情けないロト、それでも祈りの故に、神は願いを聞き入れくださいました。
 しかし、このあわれみと同時に、主はロトの家族に一つの「責任」を課しておられます。
「いのちがけで逃げなさい。後ろを振り返ってはいけない」(一七節)
 それほどむずかしいことではないのです。町の外へ置いてもらいました。でも、ここから走るのはおまえだ。わたしが代わりに走るわけにはいかないのだ、ということでしょう。
 神さまに腕を捕まれて、町の外においてもらったことに、勇気を得てしかるべき、励まされてしかるべきです。まして祈りを受け入れてもらいましたから、真剣に走ってしかるべきです。しかし、ロトの妻は後ろを振り返ります。祈ったことに真剣ではなかったのです。神の恵みに真剣に答える姿勢が彼女にはありませんでした。

                    ●「アーメン」を生きる

 これと対比されるのが、アブラハムの信仰です。前回でも触れました創世記の一三章を見てみましょう。ロトとアブラハムが別れていく場面です。アブラハムとロトとは、同じようにして生まれ故郷を後にしてきました。しかし、ここで道が分かれていきます。アブラハムは甥のロトに提案しました。
 「全地はあなたの前にあるではないか。私から別れてくれないか。もしあなたが左に行けば、私は右に行こう。もしあなたが右に行けば、私は左に行こう」(九節)
 ロトは、自分の目で見渡して、自分の判断で、自分の考えで、ヨルダンの低地を選びました。そしてアブラハムには、残り物が回ってきました。人間的に考えれば、損な選択枝が回ってきたのです。しかし、神は、そこを祝福にかえるとおっしゃいました。
 「さあ、目を上げて、あなたがいるところから北と南、東と西を見渡しなさい。わたしは、あなたが見渡しているこの地全部を、永久にあなたとあなたの子孫とに与えよう。私は、あなたの子孫を地のちりのようにならせる……」(一四〜一五節)
 主を信頼する目で、もう一度いまの与えられた土地をアブラハムは見ました。この土地を与えてくださった神さまを信頼する目で、もう一度、神さまが選んでくださった人生とその場所を見渡しました。アブラハムは、残り物でふてくされることはありませんでした。
 さてここです。神は、信仰をもって踏みとどまったアブラハムにおっしゃいました。
「立って、その地を縦と横に歩き回りなさい。わたしがあなたに、その地を与えるのだから」(一七節)
 アブラハムは、神が与えてくださった土地を歩き回りました。自分のおかれた人生とその場所を、信仰で確かめるように歩いて回りました。そこは、ロトが見捨てた場所、人が選ばなかった場所です。しかし、これは摂理のうちに、神さまが選んでくださった土地なのです。そのことをアブラハムは信じて、もう一度見渡して、神が「与える」とおっしゃる、その土地を、自分のものにするために歩き回りました。
 祈りの中で与えられる約束を、その足で踏みしめて、歩き回って、自分のものにする――これこそが信仰ある「行動」です。「与えるのはわたしだ」と神はおっしいます。そして、「踏みしめて自分のものとするのは、あなただ」と神はおっしゃいます。

 星野富弘さんの詩にこういうのがあります。
 「のろくてもいいじゃないか。
 新しく降った雪の上を
 歩くようなもの
 ゆっくり歩けば
 足跡がきれいにのこる」

 すぐに結果を出すことよりも、ゆっくりでいいのです。毎日を恵みのうちに、祈りを踏みしめ、祈ったことを踏みしめるように、生きていきたいと思います。「アーメン」と祈ったのなら、アーメンと祈ったことを信じて生きる、行動するようにしたいと願います。 


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DATE: 2003.01.05 - 17:38
LAST UPDATE: 2003.01.11 - 11:11

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T.Tominaga 簡単意見修正::: 一言削除 ::: IP: 211.11.20.188
今年はみことばを聞くだけではなく、実行することを心掛けたいと思います。
2003.01.07 - 00:00 
絹田 簡単意見修正::: 一言削除 ::: IP: 202.212.231.223
愛によって働く信仰を心にとどめます。
2009.01.28 - 13:41 
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