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::: 高津教会 説 教 :::


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Name   T・Y
Subject   4/12イースターの説教「なぜ泣いているのか?」ヨハネ20:1-18

☆お知らせ
皆さんよくご存知のように、今年は横浜開港150年と同時に、プロテスタント宣教150年の年です。各地でさまざまなイベントが開かれますが、一番大きなのは横浜のパシフィコで開かれるイベントです。それと同時に、関東の教会がこぞって赤坂のホテルで記念の晩餐会があります。このチラシが後ろに貼ってありますので、お持ち帰りいただき、ここぞと思う時に使おうと思っていたへそくりがある人は、(爆笑)参加してください。前売り2万円云々・・・・

☆「イースター」の意味
イースターの朝、私たちは主のよみがえりを共にお祝いしていますが、十字架に掛けられ、墓に納められたイエス・キリストが3日の後に、復活されたことを私たちは祝い、そして恵みを味わっている、これはイースターだけでなく、毎週の日曜日の礼拝がそうです。私たちはよく日曜日のことを安息日と言いますが、ユダヤ教、旧約聖書にとっての安息日は土曜日です。なぜ私たちは日曜日に祝うか、言うまでもなく、イースターを毎週毎週、主の恵みとして覚える(記念して祝う)ためです。
復活はイエスさまのご生涯で最も重要な、歴史的な出来事でありました。歴史的と私たちは言わざるを得ない。なぜなら、復活が歴史的になかったとしたならば、救い主は十字架の上で死んだだけです。復活がなければイエスさまは昔の人です。偉大な教え、偉大な業を成した偉大な神の人に過ぎません。しかしキリスト教の中心の信仰は、イエスキリストは人類の最大の敵である死を打ち破り、死の力を滅ぼし、今も私たちと共に生きておられる、これがキリスト教の信仰の一番中心にある事実です。
でも単にそれだけではない。復活こそが地上における私たちの信仰生涯の中で、神との出会いのパターンを示しています。十字架が私たちにとっての暗闇、驚き、不安、恐れ、混乱、絶望を表しているとしたならば、十字架が金曜日と土曜日の現実であるとしたならば、イースターは、そして日曜日の礼拝は、暗い世界に神がよみがえりの主が入って来られ、私たちと出会い、私たちの名前を呼び、私たちに語りかけてくださり、私たちの目を覚まさせ、私たちに力を与え、私たちに希望を注ぎ、私たちにいのちを与えてくださる。そのことを証ししているのが、イースターです。

☆今週と来週の学び
今回は、ヨハネの福音書13章から初めての8回目、20章のマグダラのマリヤの出来事を通して、次回はトマスの出来事を通して、イエスキリストのことばを学んで行きたいと思っています。特に注目していただきたいのは、「泣いてはならない。」正確には「なぜ泣いているのですか?」というこのことばですが、イエスさまの言う実際は、「泣いてはなりません。」という意味に当たりますでしょう。
15節、イエスは彼女に言われた。「なぜ泣いているのですか。誰を捜しているのですか。」3つのポイントで短く見ていただきたいと思います。

1)泣いてたたずむマリヤ(このマリヤはマグダラのマリヤ)

1節をご覧ください。場所は墓場であり、時間は朝早い、まだ陽が昇らぬ暗い時間だったということは、マリヤの心そのものです。マリヤは木曜の夜から、恐ろしく暗く絶望的な憂鬱な苦痛な時間を過ごしてきました。
イエスさまが捕らえられた夜、先週のパームサンデーで勉強いたしました。ローマの兵士たちは何百人でゲッセマネの園を取り囲むのです。パチパチと燃えるたいまつの音、ガチャガチャと鳴り響く兵士たちの武器の音が聞こえる。やがてイエスは捕らえられる。イエスさまを裁判にかけるために、大祭司の家に騒がしく人が出入りするようになる。金曜日の朝には、「イエスを十字架に掛けろ。」と言う人々の叫びが、怒涛のこだまとなってエルサレムの広場を包んで行くのを、マグダラのマリヤは心痛く耳にします。やがてマリヤを愛し、マリヤが愛し従って来た人の頭の上に茨の冠がはめ込まれ、背中中を血に染めた主が十字架を背負い、市内を引き回され、人々の罵声が町中に響き、そしてゴルゴダの丘で、生きたまま、不気味な釘の音と共に、張り裂けるような叫び声と共にイエスさまは十字架に掛けられた。それを体験したマグダラのマリヤの心の痛み、その悲しみは計り知れません。

日が変わりました土曜日です。ヘブル人の安息日でありました。町は一転、死んだように静まり返り、誰もあの金曜日の出来事を語ろうともしない。誰も互いを慰めようともしない。弟子たちはみんな暗い部屋に閉じこもり、ずっと真っ暗な部屋の中で頭を抱えてうずくまっていました。

聖書にはもうひとりのマリヤ、母マリヤがいましたが、マグダラのマリヤだけが(他の福音書は複数のマリヤ)、墓場に納められたイエスに香油を塗るため、朝早く出掛けて行くと、墓から石が取り除けられています。
11節ご覧ください。恐らくマリヤはずっと泣きながら歩いて行ったのでありましょう。マリヤは金曜日からずっと泣いていたに違いありません。どれくらい寝ることが出来たのか、止まる事のない涙をほほに伝わせながら、そして着いてみますと、加えて何者かが墓を荒らしたに違いない、イエス・キリストの遺体がない、彼女は墓の所で泣きながらたたずんでいるだけの人生でした。

ゲオルギューと言うドイツの小説家がいます。彼は第2次世界大戦のあとに「25時」と言う小説を書きます。24時が来たら普通1時2時・・・・そして夜明けを迎える。ところが第2次世界大戦とともに、ヨーロッパの人の心はすさみ、世界は未来が見えなくなっていた時に、これから先は25時だと言う。もっと先に進めば26時、27時、暗闇はますます深まるばかりで、一向に夜明けを迎えることのない人間の歴史と人生。

マグダラのマリヤは暗闇の中を歩き始めました。泣きながら歩いていました。そして墓にたどり着いてもそこに何の解決もない、自分の愛し仕えて来たイエス・キリストに香料を塗るためにやってきた、泣きながら墓の前にたたずむマリヤです。
そこに二人の御使いが現れて言います。13‐14節を読む。「なぜ泣いているのですか?」その声に反応して、マリヤは思わず後ろを振り返ります。そして振り向いた瞬間そこに立っておられるのは、御使いではなくイエスさまです。そしてイエスさまは同じことをおっしゃる。「なぜ泣いているのですか?誰を捜しているのですか?」イエスさまがおっしゃってるのは、「泣かなくてもよい。わたしだ」。

一番目に見て頂いたのは、泣きながら暗い道を歩んで墓場にたたずむマリヤです。そうまとめられた後、先生はある方から証を頂いたと語られました。

新年度に入って職場が変わったせいでしょうか、ずっと、人間関係やさまざまな忙しさに苦労して、なぜこの部署に配属が決まったのか、その荷物が重たくて辛かった。ある日、バスの中で先週の日曜日に配られた「みことばとともに歩む受難週」を読んでいた時に、「なぜ泣くのですか?」という声が聞こえた。それはみことばから聞こえてきた声でしょうか?しかし思わず後ろを見た時に、それはもうみことばではなく、イエス・キリストご自身が後ろに立っておられたと。

2)名前を呼ばれるイエスさま

ヨハネの福音書20章に戻り、この箇所は実に衝撃的で、それはなんと言ってもこのことば、16節の「マリヤ。」とイエスさまはマリヤの名を呼んでやって来られる所ですね。先生からそうお聞きした時、アーメンであり、私にもマリヤの驚きと喜びがわかる気がしました。

数年前に『ダヴィンチコード』という映画が一世を風靡しました。ダヴィンチコードの背景にあるものの考え方は昔からあります。それはイエス・キリストは普通の男性で、マグダラのマリヤがイエスの妻であったと、やがてヨーロッパにはこのイエスとマグダラのマリヤとの間に生まれた子孫が、綿々と歴史の陰に隠れるようにして存在してきたと、そういう言い伝えもない訳ではない、イタリアのある村だと先生は教えてくださいました。

あの時キリスト教会は、えらい迷惑だと思いましたが、しかしあの話はキリスト教会が長い間目をつぶってきた一点の事実に光を与えます。それは、イエスキリストの傍には12弟子ばかりではない、他の小さき者たちもたくさんいたという事実です。特に男性ばかりのユダヤ人社会で、イエス・キリストは女性にも目を留めておられた。イエス・キリストに就き従って来た人びとは、素性の分からない人も多い、決して財力のある訳ではない。しかしこのマグダラのマリヤのように、地味にしかしひたすらイエスさまに就き従って来た者もいました。暗闇の道を力もなく光もなく、歩いてきたマリヤに突然出会ったイエスは、マリヤの名前を呼ばれたのです。

それはとても尊いことです。洗礼式では必ず名前を呼びます。200人同時に洗礼を受けたとしても、ひとりひとり名前を呼んで洗礼を授けないと洗礼式にならない。イエスさまが関心を持っているのは「あなた」であり、そして世の中がまったく関心を持ってないのは「あなた」なのです。世の中が全く関心を持っていない「あなた」を、イエス・キリストは名前を呼んで呼び出し、名前を呼んで導き、名前を呼んであなたにいのちを授けるのです。
説教の前にあった洗礼式で、小2の永見幸太郎くんが、とてもはきはきとよいお返事をしていたのが、思い出されます。主はどんなにお喜びになった事でしょうと思いました。

この世界の問題は一体どこにあるのか?現代蔓延している病気は癌がトップ。あるいは環境問題。昨年の秋から騒がれている地球規模での経済崩壊、いろんなことを意識するに違いない。しかし、現代人が一番何に悩んでいるのかということを突き詰めていくなら、間違いなくトップに上がるのは、現代人の存在感の薄さ、意味のなさです。

先生は満員電車を見るだけで疲れを覚えるそうです。大学生の頃からそうで、一体どこにこんなにたくさんの人間がいるんだろう、いつも不思議に思うのは、みんな名前があって、家族があって、歴史を持っていて、悩みを持っていて、それぞれの楽しみを味わい、どこかの会社に吸い込まれていく。その会社でさまざまな悩みを抱えながら、くたくたになって会社から吐き出されるようにして、それは皆さんのことなんですけれども、(笑)やがて眠りに就き、また次の朝に同じ動作を繰り返していくこの世界を、一体何なのだろうという漠然な思いに圧倒されてしまうのだそうです。自分が何のために、どこに向かって生きているのか、私という一人の人間は何を考えようが、何を悩もうが、どんな問題に取り組もうが、何を叫ぼうがまるで意味のないこと。自動販売機からお金を入れるとペットボトルが出てきます。するとそのペットボトルを今度は、ゴミの回収の所に入れる。自分はペットボトルじゃないか?何かの弾みでこの世界に誕生し、それなりの仕事を全うし、でもやがて用済みのペットボトルはリサイクルされるまでもなく、ゴミ箱に捨てられていく。

先生のお話を聴いていて、それは特に男性は最近は女性も同じですが、社会に出て働くことが期待されている以上、企業で何年か歯車のように使われているうちに、それが誰でも普通になっていくことですが、そういう悩みとはさよならしないと、自分の生活が立ち行かなくなる現実に気が付いたというのが、そしてあえて考えないようにしているのが、おおよその社会人だと思うのです。誰もが、やむなく、働かざるを得ないのですから。
そのような現実の中で、状況に左右されない自分を内側から支えるものを持てた人というか、その悩みを訴える相手を、人間にでなくもっと大きな存在に見つけ、存在感のない自分という悩みから解放されて、神に愛されている自分の価値に気が付いている人が、もっと言うなら、そこから他人をもこの世界をも神の憐れみの視点で見ることができるようになった(幸いなるかなと山上の垂訓に出てくるような?)人が、現代社会の中では少数派と言われるけれども、教会に行っている人の中には多いのではないかと思えました。

(2000年前のユダヤの男性社会で、)マグダラのマリヤという女性はそういう(存在感の薄い)人物でありました。どこかでイエスさまに拾われ、救っていただいたイエスさまは十字架の上で息を絶えられ、ではこれから自分の人生はどういう風に展開するのだろう、と考えることも出来ない、一体これまでの三年半は何の意味があったのだろうか?彼女は暗闇の中で涙を流し、墓場に暗い内にたたずむだけの人生。そのマリヤにイエスさまは「マリヤ。」わたしはあなたの悩みを知り、あなたの必要を知り、あなたの名を呼んでいる。という、この現実は何を意味するのか?全地全宇宙を創造された神は、人間ひとりひとりを、小さい者をも、弱い者をも、特にここに集まっている私たちひとりひとりを愛しておられる。

今朝ツバメが飛来して来ました。イースターの朝にふさわしく、教会にツバメが飛来して来てもう7‐8年、毎年やってきます。世代は交代しているに違いなく、そのツバメの人生の苦労まで私たちは考える余裕はありませんが、でもこの世界に生きているものすべてを養い育ててくださる天の父なる神が、ましてやあなたの心を養い育ててくださらないはずがないという、その神の思いがイエス・キリストの「マリヤ。」と言うことばに込められています。しかも、復活のキリストはどんな所にも入って行かれます。

17節をご覧ください。「わたしにすがりついてはいけません。わたしはまだ父のもとに上っていないからです。」難しい表現です。ただ恐らく、ヨハネのコンテキスト(文脈)を考えますと、イエスさまはもう普通のイエスさまではないということがよく分かります。例えば(19節を読む)、イエスさまは閉じられていた空間をすり抜けることが出来るのです。肉体的な制限を越えたお方として、この世界に戻って来られ、私たちのどんな境遇でも、どんな状況でも、どんな場所でも制限されることはないのです。主は私たちの所に来てくださる。そして主は17節の後半におっしゃいました。『わたしの父またあなたがたの父、わたしの神またあなたがたの神』と言う表現です。イエスさまが十字架に掛かり贖いのみ業を全うされた時点において、もうそれから先はキリストと父なる神の関係は、私と父なる神の関係に当てはめて考えることができる。もはや何の隔てもなく、あなたは神の子どもだ。そのことを伝えるため、あらゆる制限をすり抜けるように私たちの所に入って来られる。

3)大きな問題がある。この私に復活の主が見えているか?

マリヤは初め、復活の主が見えていませんでした。15節‐16節を読む。マリヤは見えていない。ですから「泣いてはならない。」と言ったのは、園の管理人と思ったのです。
「泣いてはならない。」と一番最初に言ったのは、二人の御使い。二人の御使いのことばも単なる声としか聞き取れなかったに違いない。次にイエスさまがもう少し明確に「泣いてはならない。」と言うのですが、彼女はそれを単純に園の管理人のことばだとしか思っていない。どういうことか?それはよみがえりの出来事で、弟子たちは皆そうです。心が固く閉じられていたので、それがイエスだと分からなかったのです。心が固く閉じられていたとはどういうことか?それは暗闇の道を歩き、墓場にたたずみ、涙を流すことだけに一生懸命なマリヤには、それがイエスだとは分からなかったと言うのは、皆の姿です。

先生は、5年前のイースターで、これからの話を全然違う聖句と結びつけて、話されたのだそうですが、「心のチキンスープ13回」と聞いて、思い出しました。私にとっても、印象深い話で記憶に残っていましたが、この聖句と結び付けて話をしたかった、ぴったりだと、よ〜く聴いてくださいと前置きして話されました。書店にもある、実話だそうです。これは、お話全文ではなく、覚えている要点だけ書きます。

視力を失ってわずか一年、人一倍独立心の強かったスーザン34歳のために、軍人の夫は車で送っていた。だが本人のために、職場に復帰させるため、これで大丈夫という所まで、2週間一緒に乗ってやって、バスに乗る練習をした後、ついに一人でバスに乗せることになった。苛立ちや抵抗があり、自分だけが苦労をして、夫は全く違った所で悠々と生きていると思い込み、怒っていたスーザンだった。実は彼は一緒に乗らなくなってずっと1週間、彼女が乗り降りするのを見届けていたのだが、スーザンには見えていなかった。それを毎日見ていた運転手が言う、「あんたはいいねぇ。」と言うことばがどういう意味かわからなかったが、運転手の証言を聴いたその時やっと、夫が自分をつき放していたのではなく、逆に見守られていたことに気が付いたという、霊的な目が開かれる例えのよいお話に、また心が温かくなりました。

先生は私たちにもあまりにも見えてないことが多すぎるとおっしゃいました。イエスさまは毎日知っておられて、あなたの隣に満員電車に座り、あなたの手を引っ張って・・というわけではない。そんなことをしたら、私たちはいつまでも子どものままです。
イエスさまはマリヤに言いました。「わたしにすがりついてはいけない」。これから先はわたしの天の父はあなたの天の父であり、あなたは天の父に見守られ、わたしは天からあなたを見守り、肉体ではもう見えない姿かもしれないけれども、決してあなたを捨てず、あなたを離れず、あなたと共に歩もうとおっしゃるイエスキリストを見えるようにしてください。私を愛し、私のために祈ってくださり、いのちをお捨てになり、いのちを与えるために戻って来てくださるイエスさま、共にいてくださることを私が知ることができますように、というのがこのイースターの祈りです。

☆お祈り
恵み深い天の父なる神さま、泣きあかし、泣きながら真っ暗な道を墓にたどり着いたマリヤには、絶望しか見えていませんでした。そんなマリヤに、名前を呼んで近づいてくださり、「泣いてはいけない。」とおっしゃるイエスさま、どうか私たちに同じことばを掛けてください。わたしたちの心の内に希望の光を注いでください。しかしそれ以上に、いつもいてくださるあなたが見えなくなってしまった私たち、肉体的に触れる状態であなたがいてくださらなければ納得できない私たちに、「すがりついてはいけない。わたしの父はあなたの父であり、わたしの神はあなたの神である。」と、目に見えなくてもいつも共にいるわたしを思い出せと声をかけてくださり、あなたと共に生きていくことが出来ますようにお助けください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。

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DATE: 2011.03.26 - 21:47
LAST UPDATE: 2011.04.03 - 17:14

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