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::: 高津教会 説 教 :::


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Name   T・Y
Subject   5/17説教「それぞれの人生を主と共に」ヨハネ21:15-22

☆説教
2月からずっとヨハネの福音書を、13章から始まって21章まで読み進めることが出来ました。2月から13章を学び始めたのは言うまでもなく、受難節を意識したわけでありますけれども、受難節を超え、またイースターを越え、とうとう今日で最後を迎えることになりました。

前回申し上げましたように、ヨハネの福音書は一度20章で終わっています。20章の最後を読む。30-31節でこれで福音書が終わると言うことをヨハネは明確に記しています。同じエンディングが21章の最後に出てきます。ですからこれがエンディングであることは、明らかなのです。20章の最後で一旦筆を置いたヨハネは、どうしてもこのことだけは付け加えて置きたかった、それが後書きのようにして入ってくる2 1章で、このように始まります。1節を読む。特に、イエスを否んだペテロを回復しておられる記事が載っています。福音書の既述を終えて、キリストの生涯を描いて、完結させておいて、そのうえ何を加えたかったのでしょう。それは、今はすでに世を去って主のみもとに帰った、なつかしい弟子仲間ペテロのことでした。

イエスが引き渡される前の、最後の晩餐では、死んでもあなたについていきます、と豪語しておきながら、イエスを三度否んだペテロのことです。その大きな失敗、取り返しのつかない過去に、触れることもなく、責めることもなく、「わたしはあなたを愛する。あなたはわたしを愛するか? 」と尋ねられた主イエスさまのことです。

ペテロは完全に自信を失っていました。アガペーの愛で愛するか? と尋ねられて、素直に「はい」と言えないペテロ。ペテロは主を愛すると言うときに、フィレオーという、同じ愛でも少し低いランクの動詞にあえて置き換えて、「はい。愛します。」と答えます。どうしてもペテロには自信がないのです。しかし、三度目に、同時にすべてを主にゆだねるように言いました。17 節「主よ、あなたはいっさいのことをご存じです」。いっさいのこと---自信のなさも、弱さも、失敗も、挫折もいっさいを。でも、そのように知っていてくださるイエスさまに、ペテロは自分のすべてをゆだねました。

主は、こういうペテロに近づかれました。死んでもあなたについて行きますと、自分の弱さも知らずに豪語しているペテロではなく、挫折を抱えながらも、自信なさげでありながらも、「主よ、あなたは一切のことをご存じです。こんな私も知っておられます」と、なんとか主について行こうとするペテロを、イエスさまは尊ばれました。

そして、このペテロに主はおっしゃいます。18節を読む。「まことに、まことにあなたに告げます」。告げられたことは、若い頃の自由と、そして、年老いてからやってくる不自由、いやそれは年齢的な不自由さでなくて、ペテロの後半の人生に襲いかかる迫害、十字架でした。初代キリスト教会の伝承によりますと、ペテロは紀元61年にローマで殉教します。一緒に殉教した妻には、「最後まで主を覚えていよ。」といい、そして自分の殉教の番が回ってきた時に、自分は主を三度否んだ、私は主と同じ十字架にかかるのも申し訳ない。十字架を逆さにして最後を全うしたいと言って、かの有名な『逆さ磔』になって死んで行ったというのは、初代の教会がいくつも伝承で残している事実です。私は創り話ではないと思います。イエスさまは、19節の最後、そのようなペテロの最後を示唆しつつ、それでも「わたしに従いなさい」とおっしゃいます。

そして、今朝は、そこから続く箇所を、短く三つのポイントで見ていただきます。
1) ひるむペテロです。
イエスさまがペテロに「わたしの羊を飼いなさい」とおっしゃり、なおかつその道が厳しい道であることを示唆されたとき、思わずペテロの心をよぎったことがありました。それが21節に書いてあります。21節をご一緒に読む。21節「主よ。この人はどうですか? 」ほかの弟子を指さして、主よ、この人はどうなんでしょう。

自分に与えられる人生、それは複雑な人生です。年を取って、人に帯をされて、行きたくないところに連れて行かれる人生で、そんな人生を好む人はひとりもいません。ペテロはいろいろなことを想像したでしょう。そのとき、思わず尋ねたことばは、「主よ、この人はどうなんでしょう?私だけですか? 私だけ違う道なんですか?その苦しみの道がみんな同じなら、それでも勇気を得るでしょう。しかし、私だけが、その道を孤独に行くのでしょうか?」みんなと違う召命を受ける、あるいは、みんなと違う道をたどる自分にペテロは、ひるみます。

2) イエスさまは、圧倒的な答えでペテロに迫ります。
22節をご一緒に読む。「わたしの来るまで彼が生きながらえるのをわたしが望むとしても、それがあなたに何のかかわりがありますか。あなたはわたしに従いなさい。」
ペテロが思わずひるんで、「この人はどうですか?」と尋ねた仲間の弟子が、たとえ再臨の時まで『生きながらえた』としても、『生きながらえる』というのは、彼が迫害に会わず、殉教しないという意味ですが、そうだとしても、それがあなたに何の関係があるのか、あなたには関係ない。あなたはわたしに従ってきなさい。これはもう圧倒的な答です。

日本と韓国がお隣の国でありながら、キリスト教の立場が、現代これほど対比的な国は他にないでしょう。日本にも韓国にも、同じような時期に、同じように宣教師が入っていきました。そして、日本も韓国も同じような儒教的な精神が幅を利かせ、伝道は困難だったでしょう。やがて日本が東南アジア全域を侵略して行った時に、国家神道と日本の軍隊が韓国の教会を徹底して弾圧を致します。日本の教会以上に、韓国の教会は厳しい弾圧を受けた。そして戦後、朝鮮動乱の後、軍事政権の時代を韓国は迎えます。しかし、それらを突破して、韓国の教会ほど成長を遂げた教会は恐らくキリスト教会の歴史にないでしょう。現代、韓国は世界で最も強力なキリスト教国の一つで、アジアに送り出す宣教師は圧倒的に韓国人です。どこに行ってもそうです。

韓国のキリスト教会、私たちにしてみれば羨ましいです。神学校の入試は難関です。インマヌエルの神学校は入試はありますけれども、落としたことがない。(笑)来る者を拒まず。それではいけないということで、少し落とすようにしましたけれども、私たちは本当に神学校に来る方が少ないなと、これは日本国中そうですけれども、きっとこの方も神学校生活3年4年の間にイエスさまが育ててくださる、今の所よりもその希望にかけて(笑)来る者を拒まずです。

韓国の神学校は平均して入試の倍率は7倍です。韓国で、牧師はエリートです。日本で牧師ほど社会的な立場があいまいな人種はいない。私はほとんどの人に訊かれます。「牧師って失礼ですけれども、どうやって生活しているのですか?」。(大笑)「それは大変失礼です。そういう質問は私には答えられません」。日本では、牧師は日陰の存在でしょう。それは、牧師だけでなく、クリスチャンという存在がそうなのでしょう。

そんな日本のクリスチャンが信仰の道を行くとき、あるいは牧師の道を行くとき、ペテロと同じように、周囲を見てひるむのです。主よ、この人はどうですか?そのとき、圧倒的な力で、イエスさまの答えが返ってきます。説得力はないかもしれないが、主は私たちの口を圧倒的な力で抑えられます。「そんなことが、あなたに何の関わりがあるのか。わたしがあなたを牧師の道に召した。あなたは、わたしに従ってきなさい。」

英語では“You follow me”です。日本の牧師は、よくこの箇所を引用して、牧師になった証しをします。私も何度もこの証しをしました。
大学のときには、すでに牧師になる決意をしていました。初めの頃は、友達に言われました。「いいなあ、おまえは、もう行く道が決まっていて」。ところが、大学4年になって、就活が6月ぐらいから始まり決まるのは9月頃でした。キャンパスが就職の話でもちきりになります。学食でも、喫茶店でも、ゼミでも、その話ばかりでした。

どちらかといえば、くだらない話。どこどこの面接では、お菓子とお茶が出た。どこどこの内定で、幾らの支度金が出た。そういう時代でした。牧師になろうとしていた私には、話の輪に入れません。友達は聞きます。「おまえはどうする? 」「牧師になる。」すると、今度は答えが違います。「そんなんで、生活して行けるのか? 」自分だけ、取り残された気がしました。自分だけが違う道を行くことに不安を感じました。家庭教師のアルバイトをしていた家のお父さんが、銀行に来ないかと誘ってくれました。それもまた、立派な道です。もし主が導いてくださるのなら。しかし、私にとっては、また皆さんにとっても人と違う道を行く時に、ひるむのです。

そんな時でした。アフリカのコンゴへ宣教へ行き、そこで殉教の死を遂げたビル・マッチェズニーという人物の書いたものを読みました。伝記でしたが、彼はC.T.スタッドという有名なアフリカの宣教師の証を聞き、自分もアフリカへと導かれます。名門大学を出た後にコンゴに宣教に行きます。そこには、こう書いてありました。

「私だって、朝食はベッドに運ばせて、ハムと卵を皿にのせ、昼にはステーキを、一日終れば夕食を---そんなことを考える。私だって、近代的な家に住み、各々の部屋に電話を置いて、柔らかな絨毯を敷き詰めて、きれいなカーテン床まで届かせ、愛らしい部屋を用意して、体が沈むソファーをおいて、小さなテレビを隅にすえ---私だって、そんなことを考える。 私だって、くつろいで一流のガウンを身にまとい、出かけるときに、流れるようなシルクのスーツをさっそうと、クリスチャンが、最上のものを手にして何処が悪いというのです---私だって、そんなことを考える。そのとき、我が主よ。私はあなたの声を聞く。『我に従え。我に従え。』柔和な、謙虚なガリラヤのささやく声を耳元で。『空の鳥も巣を造り、野原の狐も穴にすむ、しかし、わたしイエスには、枕する床もなく。』」

マッチェズニーは続けます。「その声を聞いたとき、恥しさの余りで顔を覆い、涙と共に悔い改めた。十字架にかかられた救い主、彼が40日40夜、荒野を何も食べずに飲まずにさまよったとき、自分は何をしていたのだろう。イエスが十字架の上で、息をすることすら苦しい痛みの中で、息を吐くようにおっしゃた言葉、『父よ、彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか分からないのです。』ああ、自分は、あのとき何処にいたのだろうか。『我に従え。我に従え。』柔和な、謙虚なガリラヤのささやく声が耳元で。」という文章です。

マッチェズニーは、私達がそうした洋服を、そうした家を持つべきではないと言っているのではありません。彼はそうした洋服を、そうした家を持っている人、活躍していた人に支えられて、コンゴまで宣教に来ることが出来たのです。そして彼を支えてきた人々は、彼に劣らぬ清い真実な神の子どもたちでした。しかし、忘れていけないことは、それぞれに主が召される道があるのです。みんな同じ道を行かないのです。

そして、我に従えとの主の御声は、ほかの誰でもない、あなたにかけられているのです。社会で活躍することも、主婦の道を行くときも、小さな教会の奉仕をすることも、社会にあって愛の働きに携わることも、人と全く違う道を行くときも、たとえ親族の中で自分だけがクリスチャンの道を行く時も、孤独に感じて、思わずあの人はこの人はと、人と自分を比べて落ち込む時も、ひるむときも、主は一貫しておっしゃいます。

「人と比べてどうする?人の道がどうであるかということがあなたに何の関わりがあるか?何の関係もない。あなたはわたしに従いなさい。あなたの道を、わたしが共に行く。」とイエスさまはおっしゃいます。ヨハネは、ペテロのことを書いているのではないでしょう。ヨハネは、イエスさまとペテロの会話を記すことによって、私たちのことを書いているのでしょう、また自分のことを書いているのでしょう。

ヨハネは、弟子たちの中で、誰よりも長生きをしました。それがよかったのか悪かったのか、長生きをしたが故に、彼は教会の浮き沈みを体験しました。非常に勢いのあった時代、しかしやがて迫害の波がやって来て、教会が地下にもぐっている姿を体験します。教会が緩慢になるときも、異端によってばらばらになることも体験しました。そうこうしているうちに、他の弟子たちがみんな天に召され、いつの間にか一人残されたのです。そして、やがて彼は地中海のパトモスという島に流されていくのです。孤独でした。みんなと違う道を行ったのはむしろヨハネでした。「それが、あなたに何のかかわりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。」(22節)それは、確かにヨハネが聞いた言葉だったのです。

3 ) それぞれの人生です。
他の人が行く道は、あなたの行く道とは違うのです。行く道は、人は皆それぞれに違うのです。

昨日、S姉とお電話でお話をしました。S姉は、私が父に連れられて高津教会に4 歳の時にやってきた時、幼稚科の先生をしておられました。私はこの教会で育てられ、この教会から献身して神学校に行きます。29歳の時に、直樹と愛香を連れてこの教会に赴任しました。

そのとき直樹は、4歳で、同じようにS馬姉が教えてくださいました。直樹が幼稚科にいた頃、何度か間違えて、直樹のことを「みっちゃん」って、呼んでしまうくらいです。私は不思議に思いました。48年のお知り合い、おつきあいです。家族でない限り、社会でそんなに長いおつきあいはないでしょう。主にある家族ですね、と感慨に浸りました。

そんなに長いおつきあいでも、やがて、別々に別れて行きます。いつかは、自分の道を進んでいかなければならないのです。いや、すでに道はそれぞれ違います。遣わされている世界も、携わっている仕事も、関わっている問題も、みんなそれぞれ違います。すでに、それぞれの信仰生涯なのです。誰一人、同じ道をたどっているわけではありません。喜びも悲しみも、労苦も報いも、重荷も課題も、みんなそれぞれ違います。ペテロとヨハネが別の道を行くように、私たちも別の道をすでに歩いているのです。

あの人が教会に導かれたから私もという人はいません。イエスさまはあなたに声をかけているのであって、5人10人束にして声をかけているのではない。それでも、どこまでもペテロとヨハネはつながっていました。それは、一人一人が主イエスにつながっているからです。一人一人が、主イエスにつながっているなら、地上の別れがあったとしても、天上の再会があります。それぞれが別々の人生ですが、それぞれが死に至るまで、主と共に、そして主によって導かれた道を歩いて行くのです。この姿をヨハネはどうしても記しておきたかった。

やがて、面々は皆バラバラになっていくが、イエス・キリストについていく限り、どこまでもひとつであり、主の老齢の使徒ヨハネは、忘れません。あの日の主イエスの言葉を。だれがどうなろうと、どういう道へと進んでいこうと、それに振り回されてはいけない。わたしは、一人一人と共にいる。最後まで、あなたは「わたしに」ついて来なさい、という主のみ声を。

ペテロも、ほかの弟子たちもすでに逝きました。それぞれが主にしたがい、勝利の賛歌を奏でながら天に凱旋していきました。ヨハネは主の圧倒的なみ声を聴きながら、パトモス島で命を絶えて行く自分の姿を書き記して置きたかったのでありましょう。

☆最後のお祈り
恵み深い天の父なる神さま、私たちはだれかに連れられて教会に来たように思います。時に先に天に召されたり、ひとり残される時が来るに違いありません。しかし、「見よ。わたしは世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」と言ってくださるあなたの望みは変わりません。今日、この礼拝からそれぞれの場所へ遣わされ、オランダへ帰っていく姉妹もいます。ひとりひとりのそれぞれの道を祝してください。愛する主イエス・キリストの御名によってお祈り致します。アーメン。


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DATE: 2011.03.26 - 21:53
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