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::: 高津教会 説 教 :::


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Name   T・Y
Subject   6/7説教「エペソ:初めの愛を取り戻す」黙示録2:1-7
☆初めのお祈り
高くあげることは、東からでもなく、西からでもなく、荒野からでもない。それは、神が、さばく方であり、これを低くし、彼を高くあげられるからだ。
(この日の交読詩篇76編より6−7節)

恵み深い天の父なる神さま、この世界の人の蔑視も、政治も国家も人の人生もすべて高くもなり、低くもなり、高くなれば私たちは自分の力がそれを成し遂げたと錯覚し、低くなればもう2度と起き上がることが出来ないほど私たちは落ち込みます。しかしもしそれが人の力によるのではなく、神がこれを高く上げられるのだとすれば、私たちはどんなに高く上げられても、限りなく遜った者であり、逆にどんなに低く屈んでいたとしても、失望することなくあなたに希望を託すことが出来ますように。どうか、わたしたちの心の内に信仰の心を与えてください。
この世界は目には見えませんが、神がおられ、神がすべてを治めておられることにほんの少しでも心を留め、あなたのことを考えることができますようにお助けください。
イエスさま、どうか山本兄が明日手術を受けます。執刀される先生やまたスタッフ看護婦さんの上にあなたの恵みが豊かであり、どうかすべてを見守っていてくださり、同時にこの病を通してあなたの栄光が顕されますように。その身体の上にもその心の上にもあなたの栄光をお顕しください。
今日初めていらっしゃった方々の上にも、等しく恵みが届きますように。聖書のみことばを開きますが、あなたの愛のみことばがわたしたちの心を取り囲みますようにお助けください。すべてを御手に委ねて、イエス・キリストのみ名によってお祈り致します。アーメン。

☆説教
今日から7回連続で黙示録から学んで行きたいと思います。黙示録の2章3章にイエス・キリストが当時の7つの教会に書き送れとあり、そして、ヨハネが書きとめた箇所があります。

十二弟子の中で一番の長生きであったヨハネ。ほかの弟子たちが、厳しく殉教していく中、彼はいくつもの教会を牧会し、迫害を免れ、しかし最後は、地中海の島パトモスに流され、寂しく生涯を閉じます。もう自分の使命は終わった、ここで息絶えるだけだ、となんとも孤独であり無念であったと思われます。パトモス島に流されたヨハネにイエスさまは、幻を与えます。それがヨハネの黙示録です。

それは、目に見える世界が移り変わり、様々な出来事に翻弄されても、世界の歴史の流れは、今もなおイエスさまの手の中に収められ、イエスさまは決して離れたところにおられない、やがてすべてを終わりへと導かれるという幻でした。
イエスさまは、ヨハネに不思議な幻をいくつも見せられます。独特な表現がいくつも出てきます。その一つが「7 」という数字でしょう。七つの封印、七つのラッパ、七つの鉢、そして七つの燭台・七つの教会です。七つの教会は、実在した、小アジア(現在のトルコ) に散在していた実在の教会です。当時、エーゲ海を中心とした、ギリシャとアジアを結ぶ、東西の貿易・歴史の拠点にありました。

7 という数字は、聖書においては完全数といわれています。どういう意味で完全なのでしょうか?それは、その数が物事の全体、事柄の全体を意味する数字だというのです。七つの教会は確かに歴史的に存在する教会でした。しかし、その七つの教会が、すべての教会の姿を代表している、具現していると考えても良いでしょう。それぞれの教会について、わずかなことしか記されていません。しかし、そのわずかなことが、私たち高津の教会にもすべて当てはまってきます。どこかで信仰生活に当てはまるのです。

ですから、この七つの教会を学ぶことは、高津の教会の姿を学ぶことでもありましょう。私たちが高津に当てはめて考えるのは、そのうちの一つではなく、七つすべてです。
今日は、第一回目、エペソの教会です。

1 ) 主は、まずこの教会のことをほめておられます。

2章2節を読む。「わたしは、あなたの行いとあなたの労苦と忍耐を知っている」。エペソの町は、今は廃墟で古代の遺跡しかありません。しかし、当時のエペソは、大都市、交通の要所でした。古代ギリシャの女神を祀ったアルテミス神殿があり、異教の一大都市で、裏を返しますと、キリスト教には不利な町でした。誠にもったいないぐらいの励ましの言葉だと思います。わたしのためによく忍耐した。

イエスさまに知っていていただいているというのは、大きな励ましです。正直、クリスチャンとして、主イエスにこう言っていただけるならば、天国に帰った時に一番聴きたい言葉です。自分の全てのことが報われるという程の、嬉しい言葉です。エペソの教会は完璧な教会ではありません。しかし、その小さな教会の誠実な努力をイエスさまは知っていてくださるのです。

2 節の続きを見てください。「あなたが、悪い者たちを我慢できず、使徒と自称しているが実はそうではない者たちを試して、その偽りを見抜いたことを知っている」。当時、キリストの弟子の一人だと自称しながら、実は主イエスの福音を曲げているような異端の人々が小アジアにはたくさんいました。今の世界でもそうですが、それなりの魅力をもって迫ってくる異端の人々を、教会は試して見抜くだけの霊的な洞察力がありました。

それに加えて、6 節、「ニコライ派の人々の行いを憎んでいる」。憎んでいるはちょっと強いことばでありますが、エペソ教会は排斥しました。ニコライ派とは、聖書の説明が少ないために、詳しい実体はわかりません。おそらく世俗主義だったろうと言われています。つまり、異教社会エペソにあって、いくらでも世の中のやり方を導入する、世の中のやり方に染まって行く、世の中と妥協するような一派がいたということです。それと与(くみ)しない、教会は誠実な信仰を持っていました。しかし考えて見ますと、教会が世の中と同じやり方を導入したら、教会の中に貧富の差が生まれ、教会の中に上下関係が生まれ、キリストにおける平等も教会に存在しなくなります。それらを彼らは見抜いて、排斥していたわけです。正しい信仰、誠実な信仰を守るために、彼らは霊的な洞察力を備えていました。

つまり、イエスさまが彼らをほめているのは、
@    迫害や試練に耐える忍耐力
A    教えの正しさ過ちを見抜く知的な洞察力
B    そして世の中と妥協しないまじめな信仰です。
それをエペソの教会の人々は持っていると、イエスさまは、知っていると彼らをほめてくださいます。

2 ) しかし、主はエペソの教会に対して、一つの問題を突きつけられました。

4節をご一緒に読む。「あなたは、初めの愛から離れてしまった」。前半の文「あなたには非難すべきことがある」は、「あなたに言っておきたいことがある」と訳してもよいとのことです。エペソの教会は、信仰の規準をしっかりと保っていました。何が正しい教えで、何が正しくない教えであるのかという、信仰的な正しさについて、彼らには揺らぐところありませんでした。世の中と妥協しないまじめな生き方をしていました。

しかし、イエスさまが、あなたには言うべきことがあると突きつけられた問題は、とっても大切なことで、それは、愛でした。正しい教えを貫き、まじめな生き方を大切にする教会でした。異教社会の中で、異端を排除し、世俗主義にも打ち勝って、教会を建てあげて、礼拝に集まってはいました。しかし教会として一番に必要な、欠いてはならいものを失っていたのです。それは愛だと主イエスはおっしゃいます。しかも独特なものの言い方で「初めの愛」だと。単なる愛ではない、新鮮で情熱的な愛ではないでしょうか?

先日、潜水艦に乗り込んでいるエンジニアの話を読みました。一年のうちの半分ぐらいが海の中で、どこを航行しているかは作戦に関わりますから、家族にもわかりません。家族との通信は限られています。彼は、奥さんとの結婚記念日を、海の中で過ごしました。結婚10 年の当日、彼はすっかり忘れてしまいました。奥さんは、一日、二日待ちましたら、何の連絡もないので、メールを打ちます。しかし、メールはすべて通信担当に見られてしまいますし、乗組員の心を騒がせるようなメールはカットされてしまいます。

奥さんは代わりに、こんなメールを送りました。結婚10周年を忘れてしまった彼を、責めるような言葉ではなく、初めてあった頃の心のときめき、結婚式を前にした不安、それを慰めてくれた彼の言葉、恋に落ちて結婚して、その頃の新鮮な出来事を思い出して、それをメールにして送りました。つまり10年目の愛ではなくして、初めの愛です。彼は、自分が結婚記念日を忘れていたことを恥じました。そして、初めの愛を思い出してどんなに励まされたか、それは一生忘れられない結婚記念日になったと記していました。

遠い海の果てで、初めの愛を思いだし、胸を熱くし、一生の愛を誓いなおしたと言うのです。結婚1年目と、10 年目とでは、世界は違うでしょう。結婚の実際も、愛の実質も違うでしょう。しかし、その情熱、真実さ、ときめきや新しさ、その心の度合いにおいては、初めに優るものはない。それが「愛」ではないでしょうか。愛は10年20年かけて深めるものかもしれない。しかし恋に落ちて結婚に至るまでの、その初めの愛ほど情熱的で新鮮なものはないと、私たちはよく知っているではないですか?

イエスさまを信じた当時の喜び、一生懸命に賛美したその情熱。不思議ではありませんか。皆さんに証しをお願いすると、かなりの方々が、救われた当時の話をするではないですか。その後の恵みもたくさんあるのです。それでも、初めの恵みほど、新鮮で心燃やされたことはないのです。愛とは、そういうものかもしれません。

ここで、先生はよく証し集に載せられている2−3人の証しの例を語られました。それを聞いて、確かに初めの愛は大きい、後から考えてもそれに勝るものはちょっとないかもしれない。ですから、洗礼の恵みにはもちろん特別なこだわりがあっても不思議ではないでしょうが、私たちは日々新たにされていくクリスチャンなのだと思うと、洗礼の時の感動にこだわらず、いつ証を頼まれても、何か最近の生活の中で主の愛を証しした方が、聞いている人たちも、自分の生き方もその方が楽しいのではないかと個人的には思ったのでした。しかし、物事は○か×かでは決められませんし、ひとりひとり事情もあって、神さまにその時その時真実な思いで向かっていれば、神さまがその人に何かおっしゃるのでしょうね。要はここでは、初めの信仰のように、いつも謙虚に生きるべしということなのでしょうか?

エペソの教会は、大人の教会として成長していました。福音の教えを忍耐をもってよく守った、真面目で堅実な、その面では成熟して分別のある、大人の教会でした。パウロ、パウロの弟子のテモテ、ヨハネが牧会したと言われる程の伝統的な教会でした。ちょうど60年頃です。しかし同時に、教会としての奢りや自信も芽生えていたかもしれません。いつもと同じ巡りの中で、いつの間にか頭が固く、頑なになっていきます。知らず知らずのうちに、柔らかく、誰でも受け入れる、どんな機会も逃さずに伝道し、みんなの間に保っていた暖かい愛がわからなくなって行ったのです。

イエスさまは、エペソの教会への言葉を通して、私たち高津の教会にも気が付かせてくださいます。永遠に残るものは、伝統ではない、正しさや正論よりも、何よりも信仰、希望、愛であって、その中で最も偉大なものは愛であるということを。(Tコリント13:13、Tテサロニケ1:3、ローマ5:5)

5節を先にご一緒に読む。「 どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行いをしなさい」。
悔い改めることをしないならば、わたし自身があなたの燭台を取り外してしまうよと、随分厳しいことをおっしゃる。でも厳しいことをおっしゃっていながら、7節にこうあります。
7節を読む。「耳のある者は、御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。勝利を得る者に、わたしは神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べさせよう」。

イエスさまが、私たちに与えたいと切に願っておられることは、勝利です。イエスさまは別に気に入らないものは切り捨てるとはおっしゃっていない。あなたはどこからか落ちたと言われる。勝利を得るとは、負けないで、やめないで、最後まで走り抜くことです。いのちの木の実とは永遠のいのちです。そして最も大切な初めの愛をなくしては、もはや教会として成り立たないとおっしゃっているのです。

具体的には、悔い改めて、信仰の初め、つまり洗礼の時からやり直したらどうかということです。洗礼の時、私たちは、自分の罪深さを心に留め、主の十字架を一心に仰いで、胸を高鳴らせながら、緊張しながら、尊い救いの恵みにあずかりました。こんな者を愛し、その罪を洗い清めてくださいました。その感動をもって、私たちは当時みことばも讃美も祈りもおぼつかないながらも、信仰生涯を歩み始めたのです。あの洗礼の時の感動に、純粋な気持ちに戻るならば、まちがいなく勝利を得る。そして永遠のいのちに与ると言われるのです。

こんな話があります。この話を読んで、先生はう〜んと考えられたそうです。T・Yも本当にとんち話のようで、奥深い意味のある話だなぁと思いました。

町に少し頭のおかしい人がいました。みんな知っています。歩きながら独り言を言い、時にイエスさまと話をしています。イエスさまに話しかけ、イエスさまが答えてくださるのです。

その町に、新しい牧師がやってきました。その頭のおかしい女性のことを耳にしました。町ですれ違ったときに、話しかけました。「イエスさまと話をされるんですって? 」「そうですよ。イエスさまとは、毎日何時間も話をします。」「へー、じゃあ、ちょっとお願いしても良いですか?イエスさまに尋ねてほしいことがあるんですよ。」「もちろんです」― ― おばあさんは答えました。

「イエスさまに聞いてみてください。私がイエスさまに告白した最後の罪は何だったでしょうか? 」半ば、からかって言いました。「おやすいご用です」。数日後、牧師は、ぶつぶつ独り言を言っているおばあさんに町ですれ違いました。「どうでした? 聞いてくださいましたか、イエスさまに? 私が告白した最後の罪は何だったか?」「聞きましたよ」。にこっと笑って、おばあさんは答えました。

イエスさまはおっしゃいました。「わたしは、彼が告白した罪を覚えていない。わたしは、彼が告白したすべての咎を踏みつけ、海の深みに投げ入れた。( ミカ7:19 )だから、覚えていない」。

牧師はショックを受けました。そしてこのおばあさんは、本当にイエスさまと話をしておられることがわかりました。そうだ、みことばの通り、憐れみ深い主はわたしの告白したすべての罪を踏みつけ、海の中に投げ入れてくださっているのだ。牧師はイエスさまの愛の大きさ、深さを新たに実感し、初めの愛に、自分の信仰の原点に、立ちかえることができました。半ばからかって投げた質問から、福音の真理が戻って来て、彼は初めの愛に戻ることができた。

それはこんな私の罪さえも、主はその愛のゆえに洗礼を授けてくださり、それを踏みつけ海の中に投げ入れるために十字架にかかってくださった。それから先何度も主に罪を告白して来たが、そのたびに主はその罪を踏みつけ、海の中に投げ入れてくださっていることに気がついた。

私たちは必ず初めの愛に戻ることができる。なぜなら、こんなわたしの罪をその身に背負い、それを海の深みに投げ込んでくださった主は、私たちに永遠の愛を願っておられるから。

このことにとても感動しました。また、そのことを信じていなければ、つまり私たちが悔い改めた時、神さまは私たちの罪を赦すだけでなく、もうすっかり忘れてくださっているのだと、本気で信じられなければ、人間はとても明日に向かって新しく踏み出すことは出来ない(それ程、弱く罪深いもの)と思いました。私がこうして前向きに生きていけるのも、神さまにその信仰を知らない間に授けられているからとわかり、本当に感謝しました。

☆終わりのお祈り
恵み深い天の父なる神さま、初めの愛、深められた成熟した大人の愛もあるのかもしれません。しかし、おおよそ深められていないかもしれないけれども、まっすぐで純粋で燃えるような愛、初めてクリスマスに出たあの夜の感動、初めて聖餐に与ったあの日の新鮮な感動もあります。
いつの間にかさまざまな知識を身につけ、いつの間にか、およそすべてのことがわかるようになったと思っている私たちですが、却ってイエスさまからあなたがたに言いたいことがあると言われた時に、主よどうか私たちの心の内側にその新鮮な感動を忘れることがありませんように。
そして何をしていても、初心忘るべからず。そしてどんなことがあっても、イエスさまの愛に対する感動だけは、絶対に古びて風化してしまうことがありませんように、私たちに新しくいつも愛を注いでください。イエス・キリストのみ名によってお祈りいたします。アーメン。

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DATE: 2011.03.26 - 21:57

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