同じく概要だけです。
聖書箇所:黙示録2:18−29
テアテラの教会はぺルガモの教会から約90km離れた所にありました。
@テアテラの教会は大した教会! 19節「わたしは、あなたの行ないとあなたの愛と信仰と奉仕と忍耐を知っており、また、あなたの近ごろの行ないが初めの行いにまさっていることも知っている。」
この教会は、すべての教会が目指すべき教会なのです。(愛、信仰、奉仕、忍耐) だけど、イエス様は黙示録の教会シリーズを聞いていらっしゃればわかりますが、褒める方だけど、悪いところをも必ず気付かせてくれる方でもあります。
それは、20節にありますが、イザベルという女がいるということです。 今回の問題は外側からの迫害(ぺルガモ)ではなくて、内側の問題なのです。つまり、教会内に潜む問題のことです。
イザベルとは旧約聖書最悪の女とも言えました。その彼女がイスラエルの王と結婚したわけです。
彼女が持ってきた思想は次のようなものでした。
→お付き合いしないと仲間外れにされちゃうよ。(異教)
付き合いなしの生活なんか無理だから妥協しようよと説得していたわけです。 自称預言者のイザベルは、人々に不品行を行わせたり、偶像の神にささげた物を食べさせたのです。
私たちの生活の中でも、よくあるかもしれません。これぐらいなら神様は怒らないでしょとか思い、御心でないことをすることがあるかもしれません。まさに、妥協です。
藤本先生は例話でピアノの話をされていました。 調律されていないピアノが教会においてあり、それで、賛美をリードするとどうなるでしょうか。いくら歌いたいんだ!!という気持ちがあってもそれはうまくは歌えません。 ピアノの調律が狂えば、歌も狂います。 それとおんなじで、イザベルの行動、話を見聞きした人々はその妥協案に呑まれていきます。 いくら熱心でも偶像拝んでもいいんじゃないというのは間違った信仰です。
イエス様は、テアテラに対してそこを注意しました。
Aこの言葉を語っているイエス様
(豆知識*18節には神の子という言葉が使われています。これは黙示録の中ではここでしか使われていないそうです!)
イエス様は@を見ればわかりますが、異教のど真ん中で大変だということを理解した上で、25節の「ただ、あなた方が持っているものを私が行くまで、しっかりと持っていなさい。」と言いました。
これは、外側は忍耐強く素晴らしい。それもとっても大切。でも内側が大事なんだよ。と教えてくれているようです。 イエス様は、私たちに内側の重要性(教会の中という意味)を教えてくれ、改めて、「私は、あなたの主なのか。」と聞いています。
Bイエス様は励ます(あなたは何を神として生きるのか)
24節「しかし、テアテラにいる人たちの中で、この教えを受け入れておらず、彼らの言うサタンの深いところをまだ知っていないあなた方に言う。わたしはあなたがたに、ほかに重荷を負わせない。」
信仰をまっすぐに整えるということです。すじを通そうよということです。
28節「また、彼に明けの明星を与えよう。」
明けの明星とはイエス様のことです。イエス様がご自身をすべてあなたに与えると言ってくれています。
今の日本は特にそうかもしれませんが、クリスチャンにとって妥協させようとする誘惑はたくさんあると思います。 自分たちの信仰を社会の水で薄めなきゃやっていけないよと思うこともあるかもしれません。 でもイエス様は、信仰を貫くなら、すべて与えくれると宣言してくれています。感謝です。
a)私たちが誘惑に勝った時(信仰を貫いた時)、神様は私たちの心の中に入ってきてくれて暗い心を照らしてくれます。 明星=Mornig Starです。暗い心に朝の光をくれます!
b)世の終わりに、真っ暗闇が訪れます。失望とかしかないその世界に明星が輝いておられるということ。(イエス様の再臨) そして、そのときに信仰を貫いているのなら、私たちは明けの明星に迎え入れられるのです。キリスト者は朝の光に守られ天に昇るということです。
世の中には神様がのぞまらないこともいっぱいあるけど、神様に対する信仰をいつでも固く持っているなら、神様はそれを褒めてくれます。 そして、明けの明星に迎え入れられるのです。
信仰を社会の水で薄めないで純粋な信仰を貫き生きていきたいです。
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