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::: 高津教会 説 教 :::


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Name   T・Y
Subject   8/23説教「パウロ(3)神のご計画に寄り添う」使徒の働き9:1-19
☆説教
パウロの生涯を初めて3回目、今日は「神のご計画に寄り添う」というタイトルで、特別にアナニアに注目してご一緒に学んでいきたいと思います。

ちょっと皆さんの頭の中で想像してみてください。1587年のことです。豊臣秀吉のバテレン追放令が、長崎のイエズス会責任者のコエリヨのもとに届きます。それまで、長崎全体20万人の日本人がキリスト教に回心していたと言っても良いでしょう。しかし、バテレン追放令を受けて、宣教師たちは平戸に集結して、公の活動を控えます。長崎の教会堂は没収されます。

それから10年、1597年、さらに状況は厳しくなります。フランシスコ会の活動が挑発的だと判断した秀吉は、京都奉行の石田三成に命じて、京都に住む修道士たちとクリスチャンを縛って、処刑するように命じます。
24名が、京都の堀川通りの一条戻り橋で左の耳たぶを切り落とされます。秀吉の命令は耳と鼻でありました。石田は左の耳だけにとどめておきました。市内引き回しとなり、やがて歩いて長崎へ向かうことになります。途中2名が加えられ、26名が、長崎の丘で十字架にかけられます。中には、12歳の少年もいました。これが、キリスト教の歴史に残る日本二十六聖人です。

当日、この丘には4千名が見物していました。そのひとりが私であり、皆さんと考えられます。かつて礼拝に行きました。聖書を開き、イエスさまについてさまざまなことを学び、信仰に心を向け、決意をしました。もしかしたら、キリスト教は長崎から布教していくんだと考えていました。しかしそれから10年で、時代がこれほどキリスト教に迫害の矢を向けてくるとは想像もしませんでした。丘から眺め、二十六聖人の清らかな顔、12歳の少年の顔のあどけなさの内側からほとばしる勇気、同時にその残酷な処刑が、記憶から離れません。夜家に帰ってなかなか寝られません。でもうとうとしていたら、夢を見ました。

場所は奉行所のようです。周辺のお寺の多さから考えると、京都だと思いました。奉行所の奥で顔おおってうずくまっている人影がいます。それが石田三成です。目をこらしていると、天からイエスさまの声がしました。「あの男のもとへ行け。あの男をわたしは用いる」。私はびっくりして飛び起きます。寝汗をかいています。今の夢は何だったんだろうか。あの声は?そうなると、わかっていただけると思います。それがアナニヤだったのです。パウロの残虐なユダヤ人狩りは、2回続けてお話ししました。

この残虐なユダヤ人狩りの首謀者であったパウロに、イエス・キリストは突然現われます。それはパウロにとってみれば驚くべきことでありました。驚きのあまりにショックのあまりに、彼は見も見えず食事も喉を通らなくなっていました(使徒9:9)。しかし、「その男の所に行き、その男を信仰に導きわたしはその男を用いる」と言われたアナニアはさらに驚きました。ユダヤ人狩りをしていたパウロを助けるように、イエス・キリストはアナニヤに現れたのです。私なら、そんなことを信じるでしょうか?出かけていくでしょうか?今度は自分が捕らえられて、自分が十字架にかけられるかもしれないのです。

サウロは、クリスチャン狩りの陣頭指揮を執っていました。その彼が、ダマスコの途上でキリストに出会います。突然光に照らされ、声を聞きます。「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか?とげのついた棒を蹴って、痛くはないのか?」というキリストの声を(使徒9:4、22:7、26:14)。彼は熱心に神に仕えているつもりで、それが自分の人生のベストだと確信して、しかし実際は神さまのみこころを否定して、背を向けて歩んでいたのです。イエスさまは、そんな彼を優しくいたわるようにおっしゃいました。「あなたのそんな生き方は、とげのついた棒を蹴るようなものだ。」「痛くないのか、そんなに怒りに燃え、欲に燃え、回りを振り切って突っ走って、痛くはないのか?むなしくはないのか?」

それはパウロにとって、衝撃的な体験であり、劇的な出会いでした。私たちは、先週最後に話しました。必ずしもパウロのような、劇的な出会いをイエス・キリストとするのではないかも知れません。しかし私たちもまた主イエスさまと出会うのなら、そこにはパウロと同じような、劇的な意味あいがあります。その日を超えて私たちの人生は変っていく。イエス・キリストと出会った意味を簡単に咀嚼できない、消化できない。よくわからないでしょう。この点においては同じでしょう。それがために、パウロは祈っていました(9:11)。

イエスさまがパウロのために備えておられたのがアナニヤという人物です。10節をご覧ください。「さて、ダマスコにアナニヤという弟子がいた。主が彼に幻の中で、『アナニヤよ。』と言われたので、『主よ。ここにおります。』と答えた」。従順なしもべです。弟子、クリスチャンとしか、アナニヤの素性はわかりません。3つのことを、ここから考えてみたいと思います。

1)驚きに満ちた神さまのご計画
サウロにしてみたら、ダマスコの途上で突然復活の主とお会いしたことは、人生最大の驚きでした。今日、心に留めてほしいのは、この出来事のすべてを包んでいるのは、神さまのご計画です。それは驚きに満ちています。不思議なことに、私たちの人生のすべてを包んでいるのは神さまのご計画です。時にそれにじゃまをするかのように、人の悪意は確かに働きます。それは必ずしも神さまがなさったことではない。しかしこの複雑な人生を生きている限り、神さまのご計画をじゃまする為に、人間の悪意がさまざまな方向から入り込みます。私たちの身体も弱いものです。しかし、それらすべてを包み込む、つまり迫害の人生の一途を辿っていたサウロが突然キリストの元に導かれ、これから後キリストに用いられることになるというのも神のご計画です。

一方、アナニヤにしてみたら、その迫害者サウロのもとに行け、というのも神のご計画です。そう考えますと、神さまのご計画に包まれました我々の人生は、どれほどの驚きと衝撃に満ちているか解ると思います。13−14節を読む。「主よ、私は多くの人々から、この人がエルサレムで、あなたの聖徒たちにどんなにひどいことをしたかを聞きました」。サウロという人物は、あの二十六聖人を京都から長崎に引きつれ、長崎で処刑した石田光成と同じです。アナニアという人物は、長崎に住むキリシタンが石田三成のもとに行けと、言われているようなものです。アナニヤはその人物を用いると言われたときにどれほど抵抗したでしょうか?しかし、イエスさまは、その抵抗を圧倒されます。15節を読む。「行きなさい」。圧倒的な主の権限によって、「行け、わたしの計画だ」。

サウロはショックで食事もとれません。寝られません。同じようにアナニヤも不安です。彼も寝られなかったのではないでしょうか。考え込んでしまったのではないでしょうか。どうしてこんな人物をイエスさまは捕らえられたのか?どうしてこんな人物をあえて用いようとされているのか?なぜ彼なのだ?
 
すると、主は言われました。15節を読む。アナニヤ、お前がどう考えようと、わたしは彼を用いる。しかも、「彼はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子孫の前に運ぶ、わたしの選びの器です」。16節に「彼がわたしの名のために、どんなに苦しまなければならないかを、わたしは彼に示すつもりです。」とあるように、サウロはキリストの福音を背負いながら、迫害する側から迫害される側に変ります。しかし神さまはサウロを用いられました。とてつもない神さまのご計画、想像もできないことです。サウロが回心して、キリスト教の迫害をやめたというのなら、まだいいでしょう。あの人物が迫害をやめるために説得して来い、それならアナニヤは喜んで行ったでしょう。そうではないのです。イエスさまはサウロを使徒として、福音を運ぶ選びの器だとおっしゃるのです。サウロの回心も仰天です。しかしその彼のために、アナニヤに「さあ、行きなさい。」とおっしゃるイエスさまのご計画も仰天です。

神さまのご計画というのは、ある意味で想像もつかない。エイミー・カーマイケルと言う英国の宣教師の女性がいますが、彼女はインドの南端で孤児となった小さな村の子を引き取って孤児院を開きます。当時親を亡くしたヒンズー教の少女たちは、寺院に買われて売春を強要されます。彼女は子供たちを引き取り、親となってドノヴァー・フェローシップという大きな孤児院を設立いたします。エイミー・カーマイケルは1867年に牧師の娘に生まれました。若い頃にケズィックの大会で、その大会に中国奥地伝道の創設者ハドソン・テイラーがやってくるのです。ハドソン・テイラーの説教を聴いて、若きエイミーは宣教師になるようにとのイエスさまの声を聴きます。当然考えていたのは、中国宣教であります。しかし開かれた道は日本の松江でした。バックストンのいる松江にやってきます。しかし彼女は松江でデング熱という熱帯病にかかって、15ヶ月の滞在で日本を去らねばならなかった。彼女が考えたのは、本来の願いであった中国伝道でしたが、その門戸も閉ざされて、なんと行ったことのないインドにイエスさまによって導かれて行った。「さあ行きなさい。」という主の声を聞きました。

主の計画は不思議です。ハドソン・テイラーの説教を聴いて、自分は宣教師になろうと覚悟した。しかしその結果導かれたのは日本であった。そしてほとんど宣教師らしい活動をせずに、自分はデング熱にかかり、それで終わりだと思った彼女はインドに導かれ、そこでインドの女の子たち(孤児)を集めてきて、大きな孤児院を彼女は設立します。中国でもない、日本でもない、紆余曲折に翻弄された彼女の人生は驚きに溢れていました。

2)サウロとアナニヤの従順さ
サウロはショックのあまりに食事も喉を通りません。神さまの圧倒的なご計画に自分は一体どうしたらいいのかわからない。でも先週の説教で学びました。パウロはどういいましたか?彼は26章のアグリッパ王の弁明でこう言います。「アグリッパ王よ、私は、この天からの啓示にそむかず」自分の人生が180度転回して行くような出来事なのです。根底から揺るがされ、自分の計画がすべて0になるような出来事なのです。その出来事のゆえにパウロは苦痛の道を行くようになる。しかし、その苦痛の道を通して更にパウロはきよめられ、やがて聖徒として天のみ国に迎えられる。その自分の人生すべてを振り返った時に、私の人生の原点はどこにあるのか、それはあの時の衝撃的なキリストのご計画であり、私はそれにそむかなかった。アナニヤもそうです。どうしてあんな男の所に行くのですか?本当にあんな男があなたを信じたのですか?アナニヤは自問自答を繰り返しながらサウロのところに出かけて行きます。しかし最後彼は主に言われたとおりに出かけて行きます。

ここに出てくるサウロもアナニヤも共通のある出来事の中を通過して行くのがわかります。人の可能性、人の思い、人の限界をはるかに圧倒する神のご計画の中に、パウロもアナニヤもそむかなかった。沢山の疑問と悶々とする思いに悩まされたことでありましょう。藤本先生は「神のご計画に従った」と言わなかったパウロの表現がとても好きですとおっしゃいました。サウロは神のご計画に私は従ってきたとは言わなかった。天からの啓示にそむかず・・・・納得できないことは山ほどある。しかし私は神の真実さに身を委ねるというように、私は背かなかった。エイミーは最初はインドに怯えました。しかしインドに足を踏み入れて以来、56年間、一度もインドから出ることはありませんでした。サリーを着て、コーヒー豆を炒って潰してインド人の肌の色になる。インド人として生きる。そして1000人のインド人の少女を彼女は育てていきます。それはまさに想像もできない、はるかに自分の限界を超えた働きへと、神さまがエイミーの腕を取って連れて行かれたのです。そして、それをよしとして、アナニヤもまたサウロもイエスさまの真実にこれから先寄り添っていきます。

私たちはこれから先、パウロの生涯を学んでいきます。アナニヤは今回限りでもう出てきません。しかし神さまの偉大なご計画、圧倒的なご計画に、抗し難いご計画にその間より添い、サウロもアナニヤも、自分の計画も限界も考えも、すべて神さまの真実に委ねて生きていきます。

3)「兄弟サウロ」(9:17)
アナニヤは初対面のサウロにどのようにして近づくのでしょうか?17節 サウロの上に手を置いてこう言います。「兄弟サウロ」。あれほど自分に自問自答し、あれほど悩み、考えさせられてこんな男をと悩んできたアナニヤですけれども、サウロの顔を見た途端言った言葉が「兄弟サウロ」です。迫害者の面影もないかのように、でもきっとアナニヤの心は不安に怯え、どうしたらいいかわからない、そんな思いでありましたでしょう。しかしサウロが部屋の隅にうずくまって、そんな彼を見たときに、ああほんとに彼は主に出会ったのだ、主に出会って行く手をふさがれ、そして今自分の助けを必要としているのだとわかった瞬間、彼は思わず「兄弟サウロ」と呼びかけます。

それは温かい響きであり、3日も目が見えず、食事が喉を通らない、人生があまりにも大きく転換していく彼に、「兄弟サウロ」その声は暖かい響きであり、同時に驚きでありました。なぜこんな自分を兄弟と呼んでくれるのか?この人は自分が誰だかわかっているのか?どうしてこんな自分に声かけてくれるのか?どうして迫害者である自分に近づけるのか?

サウロは、イエスさまについて、アナニヤから詳しく聞いたことでしょう。その話の内容は、まさに18節「目から鱗」でした。(注***ちなみにこの聖書の箇所から日本語の格言ができており、英語にはこの格言はないそうです)。18節を読む。それは彼の人生を全く変えてしまうキリストの話でした。その話は、最初の質問の延長です。5節「主よ、あなたはだれですか?」私はかつてあなたを迫害していた。あなたは十字架の上で死んだのではないのですか?「イエスよ、あなたは誰なのですか?」

アナニヤは、十字架と復活の話に集中したのではないでしょうか?特にサウロを驚かせたのは、十字架の話ではなかったでしょうか?イエスが十字架にかかったのは、彼が罪深く神の裁きが下ったと聞かされていたがそうではない。十字架こそはイエスの生涯の最大の汚点と、サウロ、あなたは理解してきたのだけれど、実はそうではない。イザヤ53章にあるだろう。イエスは我らの罪すべてを背負って、我らの為に十字架にかかり、その十字架のゆえに我らの罪が許されたのだと。しかもこの方は息を引き取って墓に葬られたのではない。墓に葬られた後、3日の後によみがえり、やがて天に昇り、神の右の座に着きその方が「サウロ、サウロ。何故わたしを迫害するのだ?」と呼びかけられたのだと、アナニヤはサウロに告げたに違いありません。

その十字架の真理に心が届いた時に、サウロはパウロに変えられていきます。アナニヤはパウロに言ったでありましょう。自分もまたどんなに不安であったか。「あなたがどんなにひどいことをしてきたか、私たちは知っているのです。でも主の圧倒的なご計画に背かずに私はこの場にやってまいりました。主の真実に私は寄り添います。あなたもそうされたらいい。」とアナニヤはサウロに言ったのではないか?「私もどんなに、ここへ来るまで抵抗感があったか。あなたも同じように、キリストを迫害する生涯からキリストに仕える生涯に変るときに、どれほど抵抗しているか私にわからないわけではない。でも私は主の真実にこの身を委ねてあなたのところへ来ました。あなたも同じように、主の呼びかけに素直に応えて主の器となったらいいと思います」。その日、アナニヤはサウロに洗礼を授けます。そしてサウロはパウロになりました。18節に彼は「立ち上がって」とありますが、それはアナニヤと共に立ち上がったのです。

私たちの教会は皆アナニヤとパウロです。私たち一人一人の人生を神さまは圧倒的な計画で包まれます。そして、私たちは皆そのご計画が自分の考えていたこととあまりにも違うので驚き、怖じ惑い、しかし周りには信仰と勇気をもって、想像もできないイエス・キリストのご計画に、より添って生きておられる兄姉がたくさんおられます。そしてその方が私たちに語りかけてくださる。「私も驚きと衝撃を超えて、主にこの身を委ねたように、あなたもさまざまな人生の矛盾、さまざまな問題課題、自分の計画していたかった展開、それらを主に委ねなさい。その日サウロが洗礼を受けたように、バプテスマを聖霊から注いでいただき、『古きは過ぎ去り、見よ、すべてが新しくなりました。』(Uコリント5:17)と言ってこの礼拝堂から出て行きなさい。」私たちは皆その声を互いの証しから聞いていることを申したいと思います。

☆終わりのお祈り
恵み深い天の父なる神さま、どうしてこううまく行かないんだろう?自分の人生はこんなはずではなかったのにと思うような出来事があります。パウロの心を悩ませ、アナニヤの心を悩ませ、しかし彼らは最後、主の呼びかけを感じながらその方向に足を踏み出して行きました。十字架こそが目からうろこであるならば、どうか私たちの罪を消し去り、私たちの古きを新しくすることのできる十字架を見上げて、私たちから覆いを取り去ってください。私たちの人生を、困難な中も、海の中も、川の流れの中も、嵐の中もトンネルの中も真っ直ぐに導いて行かれるのは、イエスさまあなたであり、あなたのみ手をひしと感じて、新しい一週間に踏み出すことができるようお助けください。イエス・キリストの聖名によってお祈りいたします。アーメン。


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DATE: 2011.03.26 - 22:12
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