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::: 高津教会 説 教 :::


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Name   T・Y
Subject   8/30説教「パウロ(4)アラビアの荒野で」ガラテヤ1:10〜17
☆学生会の賛美 『大いなる方に』
〜大いなる方に感謝捧げます、御子キリストの愛のゆえに。聖なる方に感謝捧げます、御子キリストの愛のゆえに。今、弱い者よ、叫べ勇士だと。勝利の主が共におられる。今、貧しい者よ、叫べ富んでいると。恵みの主が共におられる。感謝します。感謝します。〜

☆初めのお祈り
恵み深い天の父なる神さま、あなたに私たちは8月の最後の聖日、先ず感謝いたします。御子キリストの愛のゆえにあなたに感謝いたします。
あなたは私たちがどんなに弱い者であるか、よくご存知であるにもかかわらず、お前は勇士だと、私たちを励ましてくださるお方であり、私たちにゆるぎない確信を与えてくださるお方です。私たちは乏しい、貧しい者です。持てる物さえ乏しい。しかしそれ以上に私たちの愛も心も決して豊かではありません。
しかし「叫べ富んでいると」と私たちを励ましてくださり、なぜなら私たちを富ませるために貧しくなられた主がともにおられるからです。しかし信仰を込めて自分の人生をさらに見直したときに、ああこの時もあの時もあなたが近くにおられ、助けてくださったことを実感できる恵みを覚えてありがとうございます。今なお、さまざまな課題を抱えている私たちでありますが、あなたが私たちを助けてくださることを私たちが信じることができますように。

今日は衆議院の選挙の日ですが、日本の国がどこへいこうとしているのか。しかしすべての国の王であられるあなたが、日本の為にも憐れんでください。そしてこの国があなたのみこころに適うことを行うことができるように。のみならず、この国があなたを信じることができるように。さまざまな機会、人物を通してあなたがこの国を支えてくださることを感謝します。日本を憐れんでください。日本にあって、主よ、あなたと福音の為にいのちをお捨てになった殉教者たちが沢山います。日本の国の為にも、世界中から来て愛と労を惜しまなかった宣教師たち、また牧師も信徒も沢山いることを、あなたが憐れんでくださることを、そのことを心から信じて選挙に行くことができますように導いてください。

今日、この8月最後の聖日に、共に礼拝を守ることのできなかった方々もおられます。お一人お一人と共にいて、同じ恵みをもって臨んでください。そして、9月10月と、私たちは伝道のために力を尽くしますが、いつも教会に主の家族として加えられるたましいをあなたが備えてくださるとともに、インフルエンザの流行期に入るのでありましょう。特に小さな子供達をお守りください。また、おなかの中に新しいいのちを宿しているお母さんをお守りください。そしてご高齢の方々をお守りください。明日退院して家に帰られる小林武男兄とともにあなたがいてくださり、必要なすべての助けを、あなたが病院以上に与えてくださり、この病を背負うことができますようにお助けください。

只今からみことばに耳を傾けますが、どうか、どうか主よ、私たちの心を砕いて、あなたのみ声をさやかに聴くことが出来ますように、よろしくお願いいたします。イエス・キリストのみ名によってお祈りします。アーメン。

☆説教
皆さん、夏場どこかにいらっしゃいましたでしょうか?お休みを取ることができましたでしょうか?尤も昨日も東名高速は渋滞しておりました。先週もそうですし、しかし、やっぱり人間休みを取らなければいけないと思います。ふとどこかに行きますと、日常から離れますと、“時”は思ったよりゆっくりと流れていると、なるほど私たちは神さまの恵みを実感するものです。

私は休みは取りませんでしたけれども、7月の初めにサンタバーバラというカリフォルニアのある町で持たれた修養会に出席する為に、2日目の午後は完全にフリーになりました。家内と一緒にサンタバーバラの、原点のある場所を訪れることができました。それはフランシスコ会の修道会、まだカリフォルニアにインディアンたちが居住していた頃、一番最初にその場所に入って行ったのは、17世紀後半のスペインからの修道会の人たちでありました。彼らは原住民を集めて楽器を作ります。それから酪農を初め、畑を耕します。ひとつの湾を望む高台の所に修道院が今も残っていまして、今もそこでカトリックの礼拝がささげられています。当時は開拓初期でありましたから、ゆっくり休むどころではなかったと思います。そしてまた、原住民のインディアンと共に畑を耕し、楽器を奏でるということがどれだけ大変だったかとは思いますけれども、今そこをふと訪れますと、神さまの歴史の“時”というのは、私たちの想像する以上にゆっくりと長く流れているのだなぁと、そして自然の中で生活することのない私たちは、少し別世界のようで、あまりにも激しい歯車の中で生きているんだなぁということを考えさせられました。今日のパウロからの学びはまさにそういうことです。今日はその4回目。

パリサイ派のパリサイ、生粋のユダヤ人、熱血漢、実力者、最高の教育、ユダヤ教原理主義者であった彼は、どうしてもキリストとその教会が許せません。自らを神としたイエスは、冒涜者として処刑されたのです。ところが、イエスは復活したと噂をたて、その処刑行為を批判し、イエスを救い主として礼拝しているクリスチャンは抹殺されるべき存在としか、パウロの目には映りませんでした。

イエスさまはダマスコの途上で彼に現れ、彼を憐れむようにしておっしゃいます。「サウロ、サウロ、とげの棒を蹴って痛くはないのか? 」神さまのためにと思って、これで良いんだと確信していた彼の人生に、突然主は立ちはだかります。それでいいのか? そんなことをして、痛くはないのか? むなしくはないのか? それで本当にいいのか?と。キリスト教徒を迫害していた残虐な罪人がイエスさまに取り上げられて、「これから先、わたしはあなたをわたしのために用いる」と言われます。自分の人生を180 度変えることを要求されたパウロは、戸惑います。しかし、彼はイエスさまに逆らいませんでした。イエスさまの恵みの計画に寄り添うように、彼は新しい人生を出発して行きます。

さて、使徒の働きでは、このパウロはそのままダマスコに入って、福音を宣べ伝えたと記されています。すぐに彼の福音宣教の働きがフル回転で始まったかのように記されていますが、実際はそうではありませんでした。パウロは3年、アラビアの荒野に退きます。遊牧民が住んでいるだけで、街はありません。人が全くいないところです。アラビアの荒野というのは、エジプトを出発した民が紅海を渡って、その東側に広大に広がっている(今のサウジアラビア一帯)荒野と砂漠です。

旧約聖書の時代、エジプトの王宮に40年間いたモーセが、40歳の時、自分の同胞イスラエルがエジプトに抑圧されている、その様子を見て彼はエジプト人を殺して王宮から逃亡し、やがて80歳にして神さまに召されるまで40年間羊飼いをしていたミデヤンの地が、このアラビアの荒野です。今朝は、この記事から3つの点で学びます。

1 ) パウロは用いられる前に、3 年の荒野を必要としていたということです。
パウロだけではありません。神に用いられた器には、それぞれ荒野の時代があります。
・モーセは、同じアラビアの荒野で40年です。
・ヨセフは、エジプトの宰相として活躍する前、2 年間監獄で生活をしています。
・ダビデは、二代目の王として油注がれても、一代目の王サウルのもとを逃れて、何年も荒野を逃げ回り、孤独なよりどころのない放浪の生活を強いられ、人には頼れないことを学びます。
・預言者エリヤは、活動を初めてすぐ、ケリテ川のほとりに身を隠す生活を余儀なくされ、カラスに養われ、孤独に生きます。

ガラテヤ人への手紙1章のパウロを見てみましょう。イエスさまの声を受けて、2つのことは自分はしなかったと告白しています。
@ 16 節の最後「人には相談せず… … 」
彼はダマスコに入ったのです。そこにはアナニヤの教会もありました。そこには多くのクリスチャンがいたはずです。いろいろな先輩から教えを聞くこともできたはずです。いや、そうするのがこれまでのパウロでした。しかし、あえてしませんでした。そして、孤独にアラビアの荒野に出て行きます。イエスさまが、「さあ、こちらに来なさい」と彼を招いたのでしょう。
A 17節「先輩の使徒たちに会うためにエルサレムにも上らず」
 イエスさまの弟子たちと話をするのが、一番手っ取り早いはずです。一番確実な道でしょう。その仲間としていち早く認められて、自分の立場の逆転をはかりたいところです。しかし、彼はイエスさまに言われて、アラビアの荒野に出て行き、そこで3 年を過ごします。

2 ) なぜ、荒野だったのでしょうか。
私はよく神学生にいいます。私たちは偉大な器になることはできない。偉大な器は神学校には来ないで、皆荒野に行く。あえて偉大な器になろうと思わずに、キリスト教会を牧会できる牧師になって欲しい。大預言者は、そもそも教会を牧会しようと思わず、もちろん結婚しようとも思わずに、何か特別な目的のために荒野に教育されるのでしょう。でも神学校はやっぱり荒野ですよ。私たちの神学校はとても厳しいです。私もそこまで厳しくなくてもいいんじゃないかと考えさせられますが、私たちの神学校は学び以上に、霊的に生活を訓練致します。霊的な生活をするというときに、何よりも訓練されなければならないのは、信仰です。神にのみ頼る信仰です。しかしパウロを考えてみてください。

なんとなく、想像できます。彼はエリート中のエリートでした。しかも情熱と行動にあふれていた人物です。タルソに生まれながら、(律法を極める)教育のためにはエルサレムへ。そしてガマリエルのもとに学びます。彼はどうせやるなら、ベストのベストを吸収したい人です。どんな人物を想像しますか?彼は、自己主張の強い人物だったことでしょう。確信したことは必ず実行する人だったでしょう。努力家で熱血漢で、いい加減なことが嫌いで、自分に厳しく、また人にも厳しい人物だったことでしょう。だからこそ、ユダヤ教原理主義者になれた。おそらく、人間的な助けがあるのなら、それを全部束ねてでも、自らの道を切り開くガッツと能力のあった人でしょう。何でもやり遂げる人です。どんな障害もできるだけ早く克服する人です。

イエスさまは、彼の邁進する性格、どんな障害も自分に与えられた賜物と能力と情報を結集して、突破していく性格を、砕かれようとしたのでしょう。誰彼に頼るのではなく、わたしにだけ聞きなさい、わたしにだけついて来なさい、とパウロの思いをご自身に集中させるとするならば、荒野以外になかった。

イエスさまの働きや、イエスさまの教えを弟子たちから学ぶこともできたでしょう。十字架や復活について、神さまのご計画を教えてもらうこともできたでしょう。いかにしてつじつまを合わせるか、それは私たちが聖書を学ぶのとは訳が違う。もし弟子たちからイエスさまの教えの真髄を聞くことができるならば、彼は3年を要せずして、弟子の中心にそのイスを与えられたでしょう。しかし、なによりも彼が学ぶべきは、福音理解ではなかったのかもしれない。自分の力で強硬に様々な障害物を突破して、自分のやり方で築き上げる、成し遂げる、そういう生き方を捨てることだったのではないでしょうか?

パウロは、荒野で遊牧民と共に暮らしながら、静かに祈り、主に信頼し、主の御声を聞き、この方だけを見上げて生きていくことを学んだのではないでしょうか?ですから彼は10 節で宣言できたのです。「いま私は人に取り入ろうとしているのでしょうか。いや。神に、でしょう。あるいはまた、人の歓心を買おうと努めているのでしょうか。もし私がいまなお人の歓心を買おうとするようなら、私はキリストのしもべとは言えません」。一体いつ、どこでキリストのしもべに成り得たのか?主に信頼し、この方だけを見上げて生きていくことを習得したパウロは、もはや人に取り入ることよりも、人の評価を気にし人の歓心を買うことよりも、神さまに従うことだけを中心的に考えるようになったのです。荒野という、神に頼る以外に道がない所に身を置いたからです。

2001年アカデミー賞のとった「キャスト・アウェー」という作品があります。主演のトム・ハンクスは、世界を股にかける宅急便、フェデックスの実力者。世界を股にかけ、時間との勝負で、人が旅客機で目的地に着くのと同じ速度で、果たして預けられた貨物が目的地に着くか、そんな勝負の場面から映画が始まります。人間味という以上に、実業界の実力者という主人公。しかし、ある日彼を乗せたフェデックスの輸送機は太平洋に墜落します。そして、彼ひとりが無人島に流れ着きます。

台詞の少ない映画です。無人島で、彼の話し相手は荷物の一つで島に流れ着いたバレーボール。彼はそれをウィルソンと名付けて、友達にします。映画のほとんどは、彼の無人島でのサバイバルです。島で見つけた食べ物や飲み物で、もっとも基本的な生活をして、孤独の中でもボールを友人に見立てて、生き延びていきます。

そして4 年経過した彼は、とうとう島から脱出します。航行中の船に救出されて、国に帰ります。こうなる前は、彼がいなかったら会社はどうなっていたんだろう、というくらい中心人物でした。しかし、会社は普通に動いていました。彼の婚約者は、別の男性と結婚して幸せな家庭の中にありました。4年の歳月を元に戻すわけにはいきません。以前の居場所はないのです。 しかし、彼はそれらの複雑な事情を飲み込んで、前に進める、たくましい、奥の深い、絶望しない、底力のある人間に変わっていました。無人島での生活が彼を変えたのです。命令することよりも、理解することを。急ぐよりも、じっくり考えることを。実行力よりも、懸命であることを、彼は無人島で学んだのです。孤独の中で彼は学んだのです。パウロもそうでした。

3 ) 私たちにとっての荒野
私たちにとっての荒野とは、私たちが足を止めて、静かになって、自分の無力さをじんわりと味わって、試練を見つめ、転換点を考え、ひたすら神に祈り、イエスさまの声を聞こうとする場所です。それは必ずしも、アラビアではないでしょう。もしかしたら、それは病院のベッドの上かもしれません。もしかしたら職を失って、次の段階に歩を進めるときかもしれません。もしかしたら、挫折のただ中かもしれません。

でも荒野は何のためにあるのでしょうか。それは、サウロが一番誇りとしてきた自分の力を砕き、神さまにのみ信頼し、神さまにのみ期待し、神さまだけをよりどころとするために、彼にとって必要な通過した時間です。ピリピの3:3―9をご一緒に読む。ここに、パウロが荒野で学んだことのすべてが書いてあります。

7節には、「私にとって得であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえに、損と思うようになりました」。8節には、損だけではない、それを、ちりあくたのように、ごみのように、全く無用の、自分には不要のものと思えるようになった、それは何か?それは彼の高貴な育ち、優秀な教育、彼が今まで味わってきた幸せ、成し遂げてきた業績、それらをちりあくたのように思うようになったのはいつか?と言うと、そんなものが全く役に立たない荒野です。そして役に立つこと、得と思えること、それはイエス・キリストに対する信仰以外にないと確信した荒野で、彼はイエスキリストのすばらしさを味わったのです。

私たちは、あえてこの荒野を考えなければならないでしょう。いや、とくに「私は」考えなければならないと思います。待てない(先生がカップラーメンの3分がとおっしゃって笑)、すぐに結果を出したい、すぐに決めてしまいたい。荒野にいると不安になるのです。この世界とつながっていないと、この世界をある程度自分の思い通りにコントロールしていないと不安なのです。そして、イエスさまは、そのような私たちを、荒野に連れて行かれます。まったく自分の自由にならない、無人島のような世界に。

時に孤独に生活しながら、時に夜空を見上げて星を見ながら、時に独り言のような祈りをつぶやきながら、でも、荒野は私たちを変える。人に頼るよりも、神に頼ることを、自分の希望通りに周囲を動かすことではなく、神さまによって動くことを、周囲の動きに自分を合わせることを、命令することよりも、耳を傾けて理解することを、急ぐよりもじっくり考えることを、主は私たちに学ばせてくださる。そして初めて私たちを用いてくださる。それ以外に主が私たちを用いることはない。そのことを覚えていただきたいと思います。

☆終わりのお祈り
恵み深い天の父なる神さま、これまでも荒野を沢山経験してきました。そして荒野が過ぎ去って行った時が喜びの時であった、感謝な時であったと、私たちはついつい考えてしまいます。そう考えるなら、荒野の教訓はあまり意味のなかったものであったに違いありません。主よ、悩みの中であなたにせっつきます。あなたのみ名を叫び求めて、助けてくださいとあなたに詰め寄ります。そして自分が積み上げて来たことも、自分の力も自分の持てる物も、ちりあくたのように考えることができますように、そんなものに信頼して一体何になろうと、あなたのみに信頼したいという信仰の思いを私たちの内側から引き上げてください。イエス・キリストのみ名によってお祈りいたします。アーメン。


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