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::: 高津教会 説 教 :::


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Name   T・Y
Subject   11/22説教「パウロ(10)救いは十字架による」使徒の働き13:38−52
☆初めのお祈り
主を恐れる人は、だれか。主はその人に選ぶべき道を教えられる。その人のたましいは、しあわせの中に住み、その子孫は地を受け継ごう。主はご自身を恐れる者と親しくされ、ご自身の契約を彼らにお知らせになる。(この日の交読詩篇25篇より、12.13.14節)

恵み深い天の父なる神さま、今朝私たちはあなたに限りなく信頼を寄せ、あなたの愛の中に憩っています。しかしあなたは私たちがそのみ顔を拝することができないほど、聖なる輝きに包まれ、また逆に私たちはこの地の罪に染まり、私たちも大変な恐れを抱きながら時にあなたを礼拝いたします。しかしそこに十字架の血潮があるなら、私たちはキリストの義を着ることができ、枯葉のように舞い散る私たちの咎を、あなたはきれいに処分してくださり、親しく私たちと交わってくださるお方があることを覚えて感謝致します。

恐れが圧倒するときに愛を与えてください。愛が狎れ合いになるのでしたら、恐れを与えてください。そして私たちはいつも心から神を神とすることができるように。神を主とし、私たちは飽くまでもしもべであり、自分の願いをあなたに発する前に、まずあなたが何を願っておられるのか、どの道を行けと語っておられるのか私たちが知ることができますように。そんな従順な信仰を私たちに授けてください。

今日このようにして礼拝に集っておられるお一人お一人を祝してくださるとともに、午後のコンサートにまたさらに多くの方々をお迎えすることができますように、そしてクリスマスを前にして、高津の地に60年を超えて生かされているこの教会を、あなたが世の光として、地の塩として用いてくださることを切にお願い致します。この時を主にゆだね、愛するイエス・キリストのみ名によってお祈りいたします。アーメン。

☆説教
パウロの生涯からしばらく学びを続けてまいりまして、もう今日は10回目になります。13章の頭を見てください。先週、ご一緒に読んでいただいたところです。2節に、「彼らが主を礼拝し、断食をしていると、聖霊が、『バルナバとサウロをわたしのために聖別して、わたしが召した任務につかせなさい。』と言われた」。3節「そこで彼らは、断食と祈りをして、ふたりの上に手を置いてから、送り出した。」というのは、何とも言えない恵みの解放感を感じるという話をしました。

アンテオケの教会は初代の教会の中で最も勢いのあった教会です。少なくとも1節に名前を連ねている5人の牧師がいた。その中でパウロが筆頭であったことは間違いない。しかしあえて神さまは教会に、そして彼らに、その二人を送り出せとおっしゃる。一番用いられていた時期に、(パウロにしてみれば、アラビア、エルサレム、故郷のタルソと転々とした。5年ばかり故郷のタルソで身を隠して、一線から退いていたパウロは突然アンテオケという大舞台で主に用いられるという経験をしていながら、)神は別の地に派遣されていくのです。その時、パウロもバルナバも、そして教会も今の現状に固執することなく、主の恵みに心を開いて、彼らを素直に送り出していく。

私たちも様々な現状に執着します。そして時に神さまはそこから私たちを切り離して、まったく新しい世界に飛び立たせる。飛び立つところの勇気、また手放すところの平安、そういうものをパウロやバルナバは得て、伝道旅行が始まって行ったという風にお話をいたしました。

さて、これからしばらく、小アジア(今のトルコ)それからギリシャ圏で、パウロが伝道していった人物に起こった様々な出来事を見ていただきますが、今日はその最初に13章を見てまいります。パウロとバルナバは途中で別れるのですけれども、彼らの伝道旅行を特徴づけることは3つあります。その3つを学んでまいります。

1)どこへいっても困難が待ち受けていた。

一体パウロたちを待っていたのは、どのような困難であったか?まず彼らが旅をした膨大な距離をみればわかります。

4節を読む。「ふたりは聖霊に遣わされて、セルキアに下り、そこから船でキプロスに渡った」。キプロスはバルナバの故郷です。そこでバルナバの親戚になりますヨハネと呼ばれるマルコが、一行に加わります。

5節を読む。「サラミスに着くと、ユダヤ人の諸会堂で神のことばを宣べ始めた。彼らはヨハネを助手として連れていた」。ヨハネというのは、後にマルコの福音書を記したマルコです。このヨハネが伝道旅行をしたマルコで、マルコはバルナバの親戚でありました。

6節で「島全体を巡回し」、13節で島を出ます。

13節を読む。「一行はパポスから船出して、パンフリヤのペルガに渡った。ここでヨハネは一行から離れて、エルサレムに帰った」。何があったのか、理由は定かではありません。しかし、後のパウロの言葉で言いますと、ここでマルコは脱落(give up)するのです。

単純に使徒の働きは伝道旅行のすさまじい範囲を記しています。

14節に「しかし彼らは、ペルガから進んでピシデヤのアンテオケ(注***以前のアンテオケではなく、もっと北の方のアンテオケ)に行き、安息日に会堂にはいって席についた」。それから、そこでした長い説教が記されています。

13章の一番最後、ページをめくっていただいて、51節、「ふたりは、彼らに対して足のちりを払い落して、イコニオムへ行った」。とあります。彼らが移動を余儀なくされた理由は、このピシデヤのアンテオケにおける迫害であります。注目を浴びるたびに、地元のユダヤ人から迫害を受けて撤退を余儀なくされる様子が描かれています。

44節、「次の安息日には、ほとんど町中の人が神のことばを聞きに集まって来た」。
45節、「しかし、この群衆を見たユダヤ人たちは、ねたみに燃え、パウロの話に反対して、口ぎたなくののしった。」
50節には、町の有力者たちが扇動されてふたりを迫害し、町から放り出されて、14章の1節にイコニオムという都市に彼らは移動して行きます。
でも14章5節を見ますと、「異邦人とユダヤ人が彼らの指導者たちといっしょになって、使徒たちをはずかしめて、石打ちにしようと企てた」。

そして二人は今度はルステラという町に移って行きます(14章6節)。単純な距離を考えますと、膨大な旅をして、しかもどこにあっても困難が待ち受けているというのが、これから始まりますパウロの伝道旅行の形であります。

数年前、圭子が『パウロの足跡を追って、ギリシャを巡る』という研修旅行に行ってまいりました。2週間ぐらいの日程で、ちょうどアテネでオリンピックの年でしたが、家に帰って来た第一声が「ああ、暑かった!」。「一体何を学んだの?」と尋ねますと、返って来た答えが見事な真理ですね。「マルコの方が正しい」。どういう意味かというと、「途中で脱落したマルコの方が正しい。これでも私たちはクーラーの効いたバスに乗って移動していたけど、あの灼熱の大地を旅していたパウロの方がよほどおかしい。」のだそうです。これはしんどい。どこへ行っても白っぽい石、岩、木の生えていない山肌、水のない世界、そこを彼らはある意味で旅して行き、そして途中でマルコが脱落する、というのはなんか納得がいきます。

しかし仮にです、これを私たちの人生にたとえてみるとよくわかります。パウロがどれほどの距離を旅したのか、どんな町に住んだのか、どんな人々に出会ったのか、そして何よりもどんなことを体験したのか、というのは、その伝道旅行の大変さというのは、実は私たちの人生そのものではないでしょうか?皆さんにおいては引っ越しをされ、時に職場を変え、転勤という試練に遭い、新しい人たちに出会い、そして健康という自分のことを、人間関係のことを、さまざまなことに悩まされながら、私たちもまた人生の旅路を行くということを考えたら、このパウロの大変さは私たちの人生そのものだとよくわかります。

2)パウロはこの先の伝道旅行で必ず福音を語っている。

これは不思議なまでにそうです。というのは、13章と14章の2章全体で、一つずつは見ませんが、パウロが福音を語るとか、主の教えを宣べ伝えるとか、律法と預言者のことばをひも解くとか、福音を宣教したという種類の言葉がなんと15回も出てきます。それがどんな教えだったか、この13章にじっくりと書き留めています。それを司会者に読んでいただきましたが、全部読んでいる余裕はないので、出だしに目を留めていただきたい。

16節、「そこでパウロが立ち上がり、手を振りながら言った。『イスラエルの人たち、ならびに神を恐れかしこむ方々。よく聞いてください」。
17節、「この民イスラエルの神は、私たちの先祖たちを選び、民がエジプトの地に滞在していた間にこれを強大にし、御腕を高く上げて彼らをその地から導き出してくださいました」。
18節、「そして約40年間、荒野で彼らを養われました」。
19節、「それからカナンの地で、七つの民を滅ぼし、その地を相続財産として分配されました。これが、約四百五十年間のことです」。

まあ旧約聖書の歴史を復習しているといってもよいでしょう。しかしパウロが強調していることは、神はあなたがたに目を留め、あなたがたを選び、導き、祝福してくださり、更なる祝福を約束してくださった。その祝福の頂点にキリストによる救いがあった。それをずっと語って、27節に行きます。

27節、(皆で読む)。「エルサレムに住む人々とその指導者たちは、このイエスを認めず、また安息日ごとに読まれる預言者のことばを理解せず、イエスを罪に定めて、その預言を成就させてしまいました」。

エルサレムに住む人々とその指導者たちは、このイエスを認めず、預言者のことばを理解せず・・・まさにパウロです、そしてまさに私たちです。パウロのメッセージをひとことで言いますと、先ほども申しましたように、神さまはあなたがたに目を留め、あなたがたを選び、導いてくださり、祝福してくださる。その祝福の頂点にキリストの救いがあった。しかし、このイエスをあなた方は認めず、聖書の教えを理解せず、神さまの愛を、神さまの救いを知らずに認めずに、キリストを十字架につけて殺してしまいました。しかしキリストはその十字架の上で、私たちの罪を背負い、少し飛ばしますが、38節にパウロはこう書いています。
    
38節、(ご一緒に読む)。「ですから、兄弟たち。あなたがたに罪の赦しが宣べられているのはこの方によるということを、よく知っておいてください」。これがパウロの福音のメッセージの中心であります。

私たちも神に目を留めていただき、導かれ、祝福を約束される。しかし、イエスを知ろうともせず、聖書を理解せず、私たちは神に背を向けて、私たちもまたキリストを十字架にかけてしまう。しかし、実はキリストはあなたの罪を背負い、その十字架の上で私たちの罪を赦してくださる。その赦してくださるキリストにパウロは出会ったのです。

パウロが福音を語るときに一体どんな話をしたのだろう?それは大体13章の概略でわかるのですけれども、それはイスラエルの歴史の復習でもなく、聖書の教えのほとんどの説明でもなく、実は自分の人生そのものなのです。自分こそが神さまによって選ばれ、導かれ、祝福を受け、約束され、しかし、キリストも聖書も理解せずに、キリストを殺し、教会を迫害し、しかしそんな私に、キリストは現れてくださり、罪を赦し、私を導き、神の愛を教えてくださり、私を神の子として迎えてくださった。

彼はいつでもどこでも、ユダヤ人の会堂を探して説教をしに行くのです。私たちも同じで、いつでもどこの町に行くとしても、私たちは教会を探します。私たちは聖書を開くときに、説教を聴くときに、もちろん様々なことを学ぶことができるでしょう。しかし、いつでもその中心にあるのは、神さまはいつでも私に目を留めてくださり、教会に導かれ、長い間キリストを知らずに、聖書を知らずに、自分勝手な道を行き、実はキリストを十字架にかけたのはエルサレムの人というのではなくて私だった。しかし、キリストは私の罪を十字架の上で背負ってくださり、その罪を赦し処分してくださり、私を神の子どもとして天のみ国へと迎えてくださった。そのことを確認するため、そのことを証しするため、そのことを実感するため、私たちは讃美歌を歌う。先ほど歌った讃美歌もそうです。そのことをともに味わうために説教を聴くとか、聖書を読む、讃美歌を歌うというなら、私たちはパウロと一緒です。

あれだけ膨大な範囲に命を犠牲にして伝道していようが、しかしどこに行っても、どの町に住んでも、どんな仕事に就いても、自分の人生に与えられる神の恵みを証しし実感し確認するために、聖書を開き、讃美歌を歌います。

3)パウロはこの先どの町に行っても、迫害も受けるが同時に真実な信仰者が与えられる。*****これがパウロの伝道旅行の面白さです。

13章12節、(ご一緒に読む)。「この出来事を見た総督は、主の教えに驚嘆して信仰にはいった」。パウロのこの内容に関しては後に学んでまいりますが、パウロの柔らかいメッセージですが、ここでは厳しいメッセージをします。魔術に凝っていたユダヤ人から悪霊を追い出すために、睨みつけるように厳しいことばを発します。それを見ていたローマの総督は『感動した』ということばもありますが、最後のことば『信仰にはいった』。

この信仰にはいるというものの言い方、それはパウロが語っていたメッセージを受け取り、イエス・キリストを信じ、クリスチャンになったとか、洗礼を受けたという表現もあるかと思いますし、教会員になったという表現もあるかもしれませんが、しかしそれは制度的なことではない。信じた、信仰にはいった。キリストを受け入れた。キリストを救い主とした。

13章の52節、(13章の一番最後)「弟子たちは喜びと聖霊に満たされていた」。弟子たちとは一体誰のことを指すのか?もしかしたら、パウロとバルナバを指すのかもしれない。あるいは、既にピシデヤのアンテオケで信仰に入った弟子たちなのかもしれない。そこでパウロとバルナバは別の町へ移っていかねばならない。それでも、そこで救われた人たちは、喜びと聖霊に満たされていたと理解することもできるかもしれない。

あるいは14章の1節を見てください。「イコニオムでも、ふたりは連れ立ってユダヤ人の会堂にはいり、話をすると、ユダヤ人もギリシヤ人も大勢の人々が信仰にはいった」。

こういうことです。パウロの生涯どこにあっても困難に直面するというのは、私たちもまた同じことです。どこにあっても自分が救われた恵みを人々に証しをするわけですし、また私たちも自分が救われ神の恵みによって生かされているという実感に生きるのです。

そして、パウロの働きにあっても、また私たちの人生にあっても、同じです。時に一人、時には大勢かもしれない。しかし、私たちはキリストの恵みを証しするところに、また仲間が与えられるのです。

最初はひとりなのです。そして迫害も受けるでしょう。でも主がともにいてくださるならば、必ずそこに同じ救いに与る人々が備えられる。人々はキリストの恵みのうちに罪を赦され、神の子どもとして、ともに祈りともに礼拝する喜びを、パウロが味わったように、私たちもまた同じ喜びを味わう。

この先パウロはローマで殉教するまで、同じことの連続です。基本同じです。やがて伝道の道が閉ざされ、彼はエルサレムで捕えられ牢獄にはいる。そして、ローマに移されそこでまた牢獄生活にはいる。どこにあっても、それなりの困難はある。しかし新しい出会いもある。そして、どこにあっても、福音を語り、福音を生きる。時に牢獄の看守だったり、自分を護衛するローマ兵だったりします。誰かが同じ信仰にはいり、そしてともに賛美し、聖書を読む仲間が与えられます。

私は、この使徒の働きを読んで、ジョン・ウェスレーという人物を思い出します。高津教会の信仰のルーツをたどりますと、18世紀の英国の教会に福音の信仰を取り戻したウェスレーに行きつくのです。

彼は当時20代のオクスフォードの大学生でした。大学を卒業してすぐに国教会の司祭になりました。宣教師になってアメリカにも行きます。しかし35歳のときに、パウロが語る「キリストを信じる信仰によって、私たちは罪が赦され、神の子どもとされる。救いは私たちの行いによるのではない。」という神の恵みを体験するのです。パウロが復活のイエスに出会ったぐらい劇的にウェスレーを変えます。

その日以来、彼はどこに行っても、十字架による罪の赦しを説きます。イギリス中の教会を改革するために彼は活動を開始します。パウロと同じように彼は、オクスフォード大学の講壇から締め出されます。その説教をしたとたんに、原稿の提出を大学当局から言われて、そして彼は二度と招かれることはなかった。当時のキリスト教は律法に縛られ、制度に縛られ、福音は忘れ去られていました。

ある時、彼は故郷のエプワースの、自分の父親が牧会していた教会で説教をしようとしたときに、その教会の牧師はウェスレーに許可をくれませんでした。彼は日曜日に父の墓の上に立って、教会墓地に集まった人に福音を語るのです。教会を閉め出された彼は野外で説教をする。一貫してキリストにある罪の赦しを説きます。教会には行けない社会のはみ出し者に、貧しい人々に彼は説教をし、馬に乗って彼はイギリス中を旅をし、どこにあっても説教をするときには石を投げられ、時には暴徒の障害に遭っても、しかし彼は福音を語ることだけに専念します。迫害の中でも、野原でも、教会でも、やじられても非難されても、福音を語ることだけに専念する。そしてどこにあっても主は、どこにあっても信仰に新しくはいる人々を与えてくださった。

ウェスレーは天に召される一年前、87歳のときに、ロンドンの聖ヘレンという教会で説教をします。その晩の日記にこう記してありますので、それを引用して終わりにいたします。非常に短い。「思えば、前回この教会で説教してから50年が経つ。あの時以来、神がなされたことは何と偉大であったろうか!」

50年ぶりだった。50年前に彼はその教会で、十字架による罪の赦しをまっすぐに説いた。そして、礼拝が終わった後、その牧師から「先生、もう2度とこの教会に来ないでください。」と言い渡された。その教会から50年後に招かれた。招かれた理由は、もうその時点で、メソジストはイギリス全土を巻き込むほど大きな働きに成長していたから。そして今回は牧師も信徒も、その福音を語るメッセージに熱心に耳を傾けて、その晩の日記で彼は、しみじみと神の真実に感謝します。あの時以来、いつも彼は福音に根ざして生きることにしてきて本当に良かったと。暴徒に殴られたことも、石を投げつけられたことも、血を流したこともあった。でもどこにあっても福音をまっすぐに生きて来てよかった。50年してようやく温かく迎えられた。それもこれも一筋に信仰に生きて来たからだと彼は確信して、一年後にこの世を去っていくわけです。

私たちもパウロではない。私たちはどちらかというとマルコです。大体脱落します。その厳しい、寂しいところを行く勇気もなければ「神さま、そんな使命私たちに与えないで下さい」と、私たちはどちらかというと、そう思う。そして神さまもそれほど厳しい中を通過させられないのかもしれない。でも振り返ってみると、石を投げられるほどの冷たい言葉を投げかけられるかもしれない、自分の存在が全く認められないような職場に行くこともあるでしょう。苦難や試練の中で、でも神さまは福音にまっすぐに生きる者に、いつも一握りの仲間を、あなたを支援する人を与えてくださる。教会の交わりの中で、励まされ、支えられ、真実に生きて行く、50年でも60年でも地上に生きている限り、私たちはそのように生きたいと思います。

☆終わりのお祈り
恵み深い天の父なる神さま、もしキリスト教に関して最も大切なことを伝えなさいと言われたら、まぎれもなく、「私の罪が許され、十字架によって神の子どもとされ、私は天の御国に国籍を置く者となりました。」と証しするのが、私たちです。

それが苦難の中でも、どこの地にあっても、同じ証しを私たちもいたします。ですからどうか、孤独に感じる時に、新しく信仰にはいり、私たちとともに賛美し、祈る仲間を加えてください。今日はこのようにして、同じ信仰に立つ者たちがこの場に集まり、ともに礼拝を捧げる恵みを感謝致します。

これから教会はクリスマスに入ろうとしています。どうか今日の午後のコンサートを祝福し、また、同時にこのクリスマスの機会に、新しく信仰に入る方々を加えてください。イエス・キリストの聖名によって、お祈りします。アーメン。


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DATE: 2011.03.26 - 22:29
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