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::: 高津教会 説 教 :::


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Name   T・Y
Subject   12/20クリスマス洗礼式と説教「すれ違う人、出会う人」ヨハネ1:1〜13

☆説教
今日は「すれ違う人、出会う人」と題して、クリスマスのメッセージを致します。先ほどから繰り返して申していますように、クリスマスは神から私たちに与えられる最大の贈り物です。私たちの人生のみならず、人類の歴史の中で最大の恵みです。この贈り物を受けた人は罪の中に死に、そして罪と戦い、罪に打ち勝ち、私たちの人生を変えます。キリストは光としてこの世界に来られました。ヨハネの福音書1章の4節と5節を見てください。読む。

4節 この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。
5節 光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。

人の光として来られたと書いてありますが、10節を見てください。読む。
10節 この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。

この贈り物を知らなかった人々がいます。11節を見てください。読む。
11節 この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。
という受け入れない人々。

そして、12節を読む。
12節 しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子とされる特権をお与えになった。

という風に、聖書は世の光、人の光としてこの世に来られたイエス・キリストという神の贈り物を、知らない人もいれば、受け入れない人もいれば、受け入れる人もいるという風に3種類に分けて書いていますので、この3つのポイントから今日はお話致します。

1)世はこの方を知らなかった。(ヨハネ1章10節)
日本人のどれほどがクリスマスがキリストの誕生日だと知っているでしょう?最近はよくクイズにもなりますし、かなりの人が知るようになりましたけれども、それでもサンタクロースの誕生日と思っている人はたくさんいます。たとえそれがキリストの誕生日だと知っていたとしても、それが今の自分に何の係わりがあるのかほとんどの人が知りません。キリストの誕生日だとしても、そのキリストは何のためにこの世界に来られたのか、何をされたのかさえも知りません。ある意味、人はこのようにして神とすれ違う。キリストが来られたのに、父なる神が御子イエス・キリストを私たちに与えようと、贈り物としてくださるために来られたのに、私たちの思いや願いがその神の御思いとすれ違う。

日本キリスト教団に、長い間聖学院で聖書を教えておられる、そして牧師をして務められた先生がいます。この牧師先生が決意されました。70歳になったら引退して、日本には小さな島がたくさんあるので、自分は島の伝道にこれからの生涯をかけようと。離島に行って残された生涯を伝道のために費やそうと決意されたこの先生が、伝道の熱意に燃えて奥様に話されますと、奥様は悲しい目をしてご主人にこう言います。「あなたが引退したら、もっとゆっくり私と生活してくれると思っていたのに。私と一緒にゆっくり時間を過ごしてくれると思っていたのに」。この言葉は、ご主人の胸に重く響きました。元気な間は、神さまのため、教会のため、学校のため、伝道のため、信徒のためと心を費やして、果たして自分はどれほど妻と一緒にいて、妻と共に生きたのだろうかと。この先生は自分は奥様の寂しさとか奥様の心を知らなかったと。先生は、ミャンマーで「私は70歳を超えたら、離島伝道に生涯をかけます。」と宣言されたその宣言を撤回し引退して行かれます。しかし、引退して一年後、奥様はあっという間に天国に召されて行かれました。

私は悲しい話だと思いました。それは熱心に主に仕えていても、がんばっていても、同じ屋根の下に住んでいたとしても、人は往々にして、その心がすれ違う。一体私たちも、神さまのみ心とどれほどすれ違った一年であったのかということは考えさせられます。すれ違うことがあまりにも多いこの世界の現実として、悲しいものではありますけれども仕方ないとも思います。

日本のクリスマスは神さまとのすれ違いです。私たちのこの日本は当時のローマの世界と何ら変わりはありません。人々はクリスマスの雰囲気にメロディーをつけ讃美歌だったりします。「きよしこの夜」でさえ、ポップスになりジャズになり、どこからでも聞こえてきます。ケーキが贈られ、きれいな包み紙のプレゼントが交換されて、レストランも予約でいっぱいで、至る所でクリスマスの象徴である、人の光として来られたイエス・キリストの光が、イルミネーションがこの世界で輝いています。しかしこの日お生まれになったイエス・キリストが、暗闇の世界を照らす人の光として来られたことは、何の関心事にもならない。

ルカの福音書(2:7)は、お生まれになったキリストは、馬小屋の片隅に追いやられ、飼い葉おけに寝かせられたと伝えられています。宿屋はどこもいっぱいで、ヨセフとマリアを泊らせる所がありませんでした。この「宿屋はどこもいっぱいで」というのは、単に場所の問題ではないでしょう。それは世の人々の心の問題でもあります。自分の目の前の幸せ、自分自身を楽しませることに精一杯で、神のことも、いのちのことも死のことも、罪も救いも真理も正義も私たちの心の中にはいることが出来ないのです。それは「この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった」(ヨハネ1章10節)。そういうすれ違いです。

2)ご自分の民は受け入れなかった。(ヨハネ1章11節)
2番目に11節を見ていただくと、受け入れなかったのはご自分の民と記されているように、ユダヤの人々でした。彼らは知らなかったのではない。救い主がお生まれになるということを彼らは期待していた。でもこのイエス・キリストは受け入れられなかった。なぜ受け入れなかったか?ルカの福音書(3:15)には、当時の人々は救い主の誕生を待ち焦がれていたと書いてあります。なのに、なぜ受け入れなかったか?

イエスさまは彼らの期待にそぐわなかったから。同じ救い主でも、ローマ帝国の圧政から救い出す強力な指導者を彼らは待っていました。彼らが求めていたのは、亡国の復興、権威、繁栄、国家の威信、ローマ帝国からの解放。でもイエスさまが与えようとしていたものは、罪の赦しであり、永遠のいのちであり、魂の安らぎであり、本当の意味で神の民となることです。しかし、このことに彼らは全く関心を寄せませんでした。人の目には馬小屋はあまりにもみすぼらしい。ベツレヘムはあまりにも遠く、救い主の誕生はあまりにも弱々しく、受け入れがたい神の贈り物でした。

今朝皆さんは教会の礼拝堂にはいられますと、正面のクリスマスの飾りつけが新しくされていたのに目を留められましたか?昨日の夜、講壇の花は斎藤信子姉が、そして玄関のクリスマスの飾りつけは松井姉が夜遅くまでしてくださいました。人形はフェルトでできておりまして、そしてクリスマスの手編みのタペストリーが掛っておりました。その人形一人一人の顔、そのヨセフの顔を見ますと、本当に温かい顔をしています。高津教会は温かい教会であることをまず第一に目指しておりますけれども、それにふさわしい働きをお手製でしていただきました。

でもあの中にほのぼのとした温かみはあったとしても、当時のイスラエルの人々が期待したところの、ローマ帝国を叩き潰すような力は感じることはできないでしょう。小さな小さな光、みすぼらしい、慎ましい、貧しい包み紙で包まれた、しかし中には、悲しみを喜びに変え、迷っている者を導き、汚れた者をきよめ、空しいものを尊くし、朽ちていく者を生かす神の愛が詰まっているんです。詰まっているのだけれども、彼らはいかにも乏しい貧しい包み紙に目を奪われて、イエス・キリストを受け入れません。

皆さんは今年のクリスマスに、贈り物をあげたりあるいは貰ったりしますでしょう?高津教会は以前、年末感謝会というものがありました。一年の最後の日曜日の夜、年末感謝会をしてみんなで証しをしたり、今のフェローシップがそれにあたる訳ですけれども、年末感謝会と言いますと、当時プレゼント交換というのがありました。週報に厳しいお達しが書いてあって、『プレゼントは300円まで』というのです。当時100円ショップがありませんから、300円で何が買えるか?人が喜んでもらえるようなプレゼントを何が買えるか?買い物が終わりますと、一番後ろにテーブルがありまして、そこに持ってきたプレゼントをみんな置いて番号札を貼ります。最後に讃美歌の曲が流れて、箱の中の番号札を引いた人がそのプレゼントをもらう。子どももみんなも楽しむ。分からないのですもの、何があるのか。でも大体わかってきます。大きな包み紙は怪しい(大笑)。大体年末で買い物にも行けないし、魚を焼く網だったり(大笑)。それから子どもの感覚として、形の良い箱というのも怪しい。形がよく整っている箱というのは、大体開けてみると洗剤か石鹸の箱だったりして(大笑)。周りをずらっと見渡して、子どもにふさわしいものに交換していくのが、プレゼント交換でありました。

クリスマスに神さまがくださった贈り物は、その逆です。包装紙は実に質素です。皆さんも思いますでしょう。洗礼の恵みで、そして洗礼式。教会によって少しスタイルが違いますが、洗礼の浴槽がある教会では、皆さんが白い服に着替えて浴槽に浸けられ、古い人を水に流し葬り去る。そして水から上がると、新しい人を神から戴くという儀式。私たちの教会では、洗礼の時に聖霊が天から降り注がれるという意味を込めて、頭の上から水を垂らします。

あんな儀式が人の人生をどれ程変えるのか?と言われる。洗礼の水はあなたの罪が洗われることの象徴ですと言われますでしょうし、あるいは手を置くのは、聖霊がその人の内に留まっている象徴ですと言えるでしょうし、でも儀式としての包み紙は貧しい乏しい薄っぺらな包みであっても仕方がない。しかし洗礼によって与えられた恵みはクリスチャン生涯において一番重い。これは生涯一度だけです。

洗礼を受けた方が20年30年教会から離れ、そしてある年齢を経てからもう一度教会に戻って来られる方はたくさんおられます。そういう方はみなさんおっしゃいます。「もう一回洗礼を受けさせてください。私は洗礼を受け、そのあとしばらく教会を離れ、戻って来たわけですから、もう一度やり直すつもりで洗礼を受けさせて下さい。」と。しかし、私はお断りしますね。洗礼は一生に一回です。それはあなたがどんなに神に対して不誠実、不忠実であったとしても、神は誠実なるお方で、あの洗礼式は神のみ守りが生涯続いているということの表れでありますから、何も2回する必要はない。あなたは自分がかつて受けた洗礼の恵みを思い出し、悔い改めの祈りをなし、そして新しく出発すればいいのです。

なぜ神さまからの最大の贈り物がそんな包み紙にくるまれて、馬小屋と飼い葉おけに出てきたのか?それは神さまがそうなさったことで、私たち生身の人間の苦しみも罪も喜びも痛みも弱さもご自分で体験されたからでした。どんな時にも、しかしクリスマスに心に沁みる讃美歌があるとすれば『いつくしみ深き友なるイエスは』です。(2節)♪♪いつくしみ深き友なるイエスは、我らの弱きを知りて憐れむ。悩み悲しみに沈める時も、祈りに応えて慰め給わん。♪♪ “知りて”というのは、“味わって”という意味です。

神が天の御位に座しておられるときに、私たちの悩みや私たちの矛盾は神と大きく隔たっていることでありましょう。父なる神は御子イエス・キリストを人の形に変え、しかも大工の家庭に育ち、やがて弟子に裏切られさげすまれ「彼は悲しみの人で病を知っていた」とイザヤ書53章にあるように、私たちの病を知っておられる。この方は私たちの罪を背負い、十字架にかかるために、そして死に至るまで私たちを守り導いてくださるために、この世界にお生まれになった。最も貧しい姿でお生まれになった。それがクリスマス、御子イエス・キリストの誕生という神さまの贈り物です。

しかしこの世界はこの贈り物を知らずに、ご自身の民はこの贈り物を受け取らず・・・これがクリスマスの大きな悲しみです。贈られた神さまの悲しみです。イエスさまは十字架にかかる前に、エルサレムの丘に行かれました。そして、涙を流しておっしゃっいました。「めんどりがその雛を翼の下に集めるように、何度私はあなたがたを集めようとしたか。しかしあなたがたはそれを好まなかった」(マタイ23:37、ルカ13:34参照)。神の愛を知らずに自分のことに夢中で、そして楽しくクリスマスを過ごしていく。そこに顕われるすれ違う人々の無関心さと神の悲しみを見ます。

『ドナウの跳ね橋』という話を聞いたことがあると思います。ドナウ川にかかる跳ね橋というのは、橋桁が非常に低く、両側から橋を跳ね上げて、その真ん中を船が通って行く、そんなものです。話はこうです。ドナウの跳ね橋を管理していた男、彼はこの橋げたのそばの小屋に住んでいて、毎日船の運航を見ながら橋を上げる、交通をストップして橋を上げる、また降ろしてという責任のある仕事をしていました。彼の家はまさに橋の脇にあって、24時間それに対応できるように、小さな息子とそこで過ごしていました。船が近づいて来ると、橋の交通を遮断してそれからレバーを引いて、太い鉄のワイヤーを巻き上げて橋を跳ね上がらせて船を通します。

ある日、船がゆっくり近づいて来ました。船が汽笛を鳴らします。大きな回転音を出してワイヤーを巻き上げます。彼が船を確認しているその瞬間、息子はなんとワイヤーボックスの上に乗っているではありませんか!彼はあわててレバーを止めようとします。でも船が近づき過ぎている今止めたら、確実に船が橋に衝突します。そして乗船している多くの人の顔が彼には見えた。動きを止めたら船は衝突して多くの人の命が失われるという、その瞬間の決断で彼は息子の命を犠牲にします。『ドナウの跳ね橋』という名前の物語です。

私はこれが実話なのか、また実話だったとしてもその詳細は一切分かりません。しかしそういう出来事があったとしても不思議ではないと思いますし、仮に本当の話だとすれば、船に乗っている人は、橋が跳ね上がっていくのをその目で確認し、跳ね橋の大怒号を聞きながら、橋の脇にいる人々に何も知らずに歓声を上げて手を振って、楽しそうに行き過ぎていきます。

この『ドナウの跳ね橋』という話はこの父親を神として、また犠牲になった息子をキリスとして語られる。だから恐らく皆さん聞いたことがあると思います。父親の思いを何にも知らずに、船はいつものように何事もなかったかのように川を下っていく。いのちを救うために息子を犠牲にした父なる神の思いを何も知らず、いやそれを受け取ることもなく、クリスマスを人々は楽しく過ごしていく。世の光、人の光として来られたこの方を世は知らず、ご自身の民は受け入れず。

3)受け入れた人々の特権
(12節と13節を読む)。
12節 しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。
13節 この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。

“この方を受け入れた人々”というのは私たちです。あえて言いますと、宗教家でもない、修道の者でもない、もちろん旧約聖書の民でもない。キリスト教会に近い所にいた者もいるかもしれません。教会に通い始めてまだ数カ月という方もいらっしゃるでしょう。でもそういう者であったとしても、神さまが差し出してくださる贈り物を、その包みを全く戴く資格がない者であったとしても、謙虚に遜り、自らの罪深さを認め、私の罪のために十字架にかかってくださったイエス・キリストを信じ、イエスに顕われた神の愛が自分の人生を包むと信じて、十字架にすがるようにして、この贈り物を受け取る私たち、そんな私たちに神の子どもとして特権を与えてくださった。

神の子どもっていったい何なのか?それは神の資産、天の御国を相続する資産です。それはもちろん相続してみないと分からないものです。神の子どもは特別に愛され、神はすべての人を愛しておられるとしても、神の子どもは特別に愛され、そして子どもを決して捨てない。子どもをいつも抱かれて守って、必要なものすべてを与えて、そしてその子どもはやがて天の御国を相続する。「主よ、感謝します。私を神の子どもの一人として相続者となしてくださったことを感謝します。」というのが、クリスマスの喜びです。今朝愛する兄姉とともに、この喜びを共有できたことを感謝したいと思います。

☆終わりのお祈り
しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。(ヨハネ1:12)

恵み深い天の父なる神さま、神の与えられし最大の贈り物を知らない人もいるし、受け入れない人もいるのに、こんな私に目を留めてくださり、その贈り物を受け取る素直さを授けてくださいましたことを感謝します。

この世界には、多くのすれ違いもあるでしょう。この世界には、私たちの願いどおりにいかないこともたくさんあるでしょう。しかし私たちの人生にとって最も大切な、永遠のいのちを、罪の赦しを与えてくださった、神の子どもとされているということを、まず第一に求める、そして何より、人がどう見ようが、自分が自分自身をどう見ようが、あなたが限りなく優しい、愛しい目で私たちを見ていてくださる、守っていてくださることを感謝するクリスマスでありますように、どうかこの日を祝福してください。イエス・キリストの聖名によってお祈りいたします。アーメン。


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DATE: 2011.03.26 - 22:35
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