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::: 高津教会 説 教 :::


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Name   T・Y
Subject   12/24キャンドルサービスの夜の説教「独り子をお与えになったほどに」
☆説教
約3500年ぐらい前から、長〜い歴史を経てこの一冊の聖書ができあがって行きますし、これほど多くのページをもっておりますが、その中で、この聖書をひとことで凝縮している言葉があるとすればこのヨハネの福音書3章16節、「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。」この一文につきます。主語は神です。目的語は世、すなわち私たちです。そしてその神と私たちをつないでいる動詞が愛です。本当に簡単にクリスマスのメッセージを3つのポイントでお話しします。

1)主語は神
聖書は神がおられるという大前提で始まります。聖書で一番最初の言葉は、創世記1章1節「初めに、神は天と地を創造された。」と聖書は始まります。そう始まる聖書は、神を主語として描かれています。そしてこの世のすべての混乱の原因は、人が、私たちが、神を見失ったことにあると言っています。主語である神、それはある意味で、私たちの日常考えていないことです。

皆さんは今日の一日の会話の中で、神という主語をどれ程自らにあてはめましたでしょうか?私たちの日常なす会話。買い物に行ってなす会話。仕事場でなす会話。TVのニュースや、新聞の中で神という主語で始まる文章はほとんど出て来ません。にもかかわらず人生の道のり、すなわち私たちの誕生から死に至るまで、生きるとは、死ぬとは、愛するとは、幸せとは、その主語はみんな、ほとんどが自分であります。

この世界を創造され、この私たちを造ってくださり、いのちを与えてくださる。私たちにみ心を示して、導いてくださる神という主語が、私の人生にあるのだろうか?私のなす決断、私の働き、私の仕事、生活、私の家庭に、神という主語がほとんど出てこないとしたら、それまでのことです。それだけのことです。そしてそれ以上のことではありません。つまり、自分の力、自分の願い・欲、自分の感情、人のなす過ち、それに気づく自分、楽しみ・喜び、自分の成功・失敗、それ以上のものは、自分の人生の缶からをどんなに振っても出て来ないでしょう。なぜなら、そこには神という主語がないからです。

私は今月の初めに「国会議員が主催するクリスマス」という催ものに連れて行って戴きました。そこで、クリスチャンの国会議員の方々がいろいろお話しておられまして、元防衛大臣、農林水産大臣の石破さんが話しておられました。石破さんは衆議院議員でクリスチャン4代目であります。彼はこう言いました。「政治家という仕事は、自分のやっていることに絶対的な確信がなければできない仕事であり、政治家とはそういう職業です。」とおっしゃいました。これが正しい、これで行こうと、確信が持てない人はおおよそ政治家には向いていない。であるがゆえに政治家はどこにいてもその確信を訴える。「ところが、そんな自分に神という主語が入ってくると、はたして自分がしていることは、究極的に本当に正しいことなのか?と、とても謙虚になる。」と石破さんはおっしゃっておられました。忙しくて、自分の鳥取という母教会になかなか行けない、しかしそれでも祈らない日は一日もない。本当にこれでよろしいのですか?あなたは何を願っておられるのですか?あなたはどこへ連れて行こうとされているのですか?と、遜って祈らない日は一日もない。神という主語が、皆さんの人生に果たしてあるのでしょうか?

2)目的語は世。
この主語を神とした文章(ヨハネ3:16)の目的語は世です。言語のギリシャ語ではコスモスです。コスモスという花は実にきれいに、花びらが円形に360度に広がって咲いています。まさにコスモス的な美しさがあります。コスモスと言えば、宇宙をさしますが、壮大で美しい世界を考えてしまいます。確かに、コスモスはそのように創造されました。創世記の2章で、世界を創造された神はご自身が創造されたこの世界、コスモスをご覧になって「はなはだよい」と、実に満足をたたえる言葉を発せられました。それが創世記の2章です。

ところが、そのコスモスが4章で変わってしまいます。カインとアベルつまり、アダムとエバの息子たちの、兄さんが弟を殺してしまった事件として神さまは答えました。「あなたはなんということをしたのか。」そうすると、わずか聖書の3ページ目に「ああ、あなたはなんということをしたのか。」という神の嘆きが出て来るのです。それが人間世界の罪深さです。私たち人間が何かを手にすると、この世界のものをこの手に握りますと、それがみんな複雑になり、歪んで壊れて行くかのように、人は環境を破壊し、人は人生を歪め、人は互いに傷つけ、それがコスモスである。

ヨハネ3章16節に、この分厚い聖書を一つに要約してしまう、「神は、実に、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。」という一文が出てくるという話をしました。そしてそこに3つの要素がある。一つは主語としての神です。もうひとつはこの世。私も含めて、「ああ、なんということをしたのか。」と言われるようなこの世界です。3番目に、主語である神と目的語である私たちとを結ぶ動詞、それが愛です。

3)キリストは神の愛そのもの
そしてこのヨハネの3章16節の素晴らしさ、ここから最後までは、よく聞いておいてほしいのですが、その愛の素晴らしさ。その愛は半端ではないということです。

もう一回見ていきます。「神は、実に、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された」、ここに、中途半端な愛ではない、“ほどに”という日本語が出て来ます。ほどにというのは、それほどまでにということ。神は、実に、その独り子をお与えになった、“それほどまでに”あなたを愛された。

20世紀のはじめに、ニューヨークのグリニッジ・ビレッジを中心に活躍しました、オー・ヘンリーという作家がいます。アメリカの小説家で、とても有名な人で、特に短編小説を最終的には380篇も書いて世に出したという人です。その中でも一番有名なのが『最後の一葉』という小説で、私が話し出しますと、ああ、その話か、と皆さんもよく知っておられるでしょう。“The Last Leaf”の中には、スーとジョンジーという二人の画家志望の女の子が出て来ます。そしてもう一人、絵描きのベルマンという老人が出て来ます。肺炎を患ったジョンジーが、ベッドの中から窓の外を眺めて、レンガに貼りつくように生えているツタの蔓を毎朝のように眺めて、やがて秋が終わり、冬が来るころ、その散っていくツタの葉を一枚一枚数えるという話で、物語は構成されています。

スーは言いました。「ねぇ、ジョンジー。その五つってなあに?その五つって教えてよ。」「あのツタの葉のことよ。今5つしか付いていない、最後の一枚が散ると私もさよならをするに違いない。3日前から分かっていたの。最後の一枚が落ちるのを見たい。待ちくたびれた。私はすべての執着を捨てて、あの哀れな疲れ切ったツタの葉のように散っていくの。」そのように、オー・ヘンリーの小説は続いて行きます。

叩きつけるような雨と激しい風が、長い夜の間中、荒れ狂ったというのに、朝、煉瓦の壁の上にはツタの葉が一枚まだはっきりと残っていたのです。肺炎のジョンジーはこう言います。「最後の一枚は、きっと夜の内に落ちてしまうだろうと思っていたのに、あんなに風が吹いていたのに、でも今日は落ちるでしょう。そして私は死ぬわ」。翌日夜になるとやっぱり北風が吹き始めて、雨は相変わらず窓を叩きつけます。そして、夜が明けて、ジョンジーはスーに、窓にかかっていたカーテンを開けるように頼みます。すると、そこにツタの葉っぱはありました。ジョンジーは長い間見つめていました。それからスーに温めていたスープを一杯運んでくれるように言います。彼女はこう言います。「私は悪い子だった。スー。あの最後の一枚が、何かの力で今でもあそこに残っているのは、私がどんなに罪深いかを教えるためだわ。死にたい気分になるなんて、罪悪よ。私にも少しスープを頂戴」。

翌日の午後、少し元気を取り戻したジョンジーにスーはこういう話をします。「ベルマンさんは今日病院で肺炎で亡くなったの。たった二日患っただけで逝ってしまったわ。おとといの朝、管理人が階下の部屋で見つけた時には、もう苦しがって手の着けようがなかったそうよ。靴も服もびっしょびっしょで、氷のように冷え切っていたんですって。あんな嵐の中にどこに行っていたのか分からなかったけれども、そのうち、灯りのついたランタンとはしごと散らばった数本の絵筆が見つかったの。ねぇ、ジョンジー、あの窓の外のツタの葉を見てごらんなさい。風が吹いているのに、ひらひらとしていないでしょう?不思議だと思わなかった?あれはね、ベルマンさんの最後の傑作なのよ。最後の一葉が散った夜、あの人はあれをあそこで描いたのよ。」というのは、オー・ヘンリーの“The Last Leaf”という物語の最後のことばです。

ひとりの哀れな疲れ切った病める人を生かすために、いのちを捨てた老人がいるという物語なのです。そこまでなんでするんだろうと思います。それと同時に、私たちは愛とは一体何だろうと思います。この物語に込められた愛は、この“The Last Leaf”という物語に込められた愛は、そこまでする、そこまで犠牲となるという尊い意味が含まれている愛です。それがヨハネの福音書3章16節のクリスマスに込められた神の愛です。その神の愛がどれほど大きなものであったのか、それを言い表すために、キリストを私たちにお与えになったほどに、それほどまでに私たちを愛されたと、ヨハネは記しています。

神の御子キリストは天に座しておられたのに、永遠の栄光の中におられたのに、ご自身を空しくして世に来られます。王宮に生まれず、豊かさに囲まれず、馬小屋に生まれる家庭に育ちます。やがてこの方は悲しみの人となり、この世の悲しみにご自身を重ね、罪人を招き、病人を癒し、批判にさらされ、ののしられ、ついにはこの世界の、私の罪を背負って十字架にかかります。神とコスモス(この世界)の最大の隔たりであった、罪と裁きをキリストは十字架の上でご自身で引き受けられ、その結果として、こんな私が、こんな私たちが聖なる神の御前に帰る道を作ってくださいました。キリストは「神の愛に生きた」のではない。キリストは「神の愛そのもの」でありました。キリストは、かくまで、ご自身のいのちを与えるまで、私たちを愛してくださったのです。

クリスマスに私たちは皆一つの祈りをします。それは、「その神の愛を受け取ることができますように。その神の愛が自分のためであることを知ることが出来ますように」。それがクリスマスの祈りです。皆さんが口を開いて歌われたすべての賛美、クリスマスのオーナメント、そして皆さんの手元にあるキャンドルも、一つのことを祈っています。「神の愛を受け取ってください」。

☆お祈り
神は、実に、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者がひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネ3:16)

恵み深い天の父なる神さま、あなたがそれほどまでに私の悩みを、苦悩を、罪深さを、弱さを見つめておられ、それほどまでに私を愛してくださったがゆえに、永遠の栄光に包まれた御子イエス・キリストをこの世界に贈り、私のような底辺と思えるような悩みを背負う者の心にご自身を重ねてくださり、私の悩みを解ってくださり、私を救いだしてくださり、強めてくださるために、御子イエス・キリストのいのちを十字架に注いでくださる、それほどまでに私を愛してくださった、その愛が解ることができますように。

この世界で、もしかしたら自分のことを真実に目を留めて、心を注ぎだして思ってくれる人は一人もいないのかもしれないと、時に私たちは思い悩み絶望しますが、天からあなたは「わたしはそうではない」と、十字架の上で言われる主イエスよ。「わたしはこれほどまでに、あなたを愛し、あなたを導き守り、あなたを支え、永遠のいのちを与えることができる」と言われる主よ。

どうか、そのみ声が私のたましいに光となって差し込み、この暗闇を照らし出し、私に光を与えて、光の中を歩んで行くことができるよう、私の生涯を祝福してください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。


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DATE: 2011.03.26 - 22:36
LAST UPDATE: 2011.04.02 - 22:49

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