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::: 高津教会 説 教 :::


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Name   T・Y
Subject   1/17説教「パウロ(14)意見の対立」使徒の働き15:36〜41
☆始めのお祈り
私は全き道に心を留めます。いつ、あなたは私のところに来てくださいますか。私は正しい心で、自分の家の中を歩みます。私の目の前に卑しいことを置きません。
(この日の交読詩篇101篇より、2節と3節前半)

恵み深い天の父なる神さま、全き道が踏みにじられるような世界に住む私たちは、そんな中でも礼拝に集い、全き道を明らかにしてくださる聖書のみことばに心を留め、あなたが今日この時、私のところに来て下さらんことを待ち望んでいます。賛美の言葉の中に、祈りの中に、既にあなたは私たちの心の扉を叩いてくださり、あなたに向かって扉を開けるよう招いていてくださることを感謝いたします。どうか私のところに来て、私の心の内をきよめ、卑しい事柄を取り除き、また苦々しい思いや、あるいは沈滞するわだかまりがありましたならば、それらを消し去ってくださり、あなたの愛と平安で満たしてください。

主よ。この時、受験生の上に臨んでください。昨日センター試験を受けておられるM君、あるいは、私たちの家族の上にあなたが手を触れてくださり、おおよそ自分の力でわからないところがありましたならば、天からの息吹をもって、ひらめきを授けてください。忘れていることがありましたならば、天からの力付けをもって、思い出すことができるように。また、私たちはあらゆることに過ちを犯し易いものであります。試験においてもさまざまな過ちから救い出してくださり、持てる力以上の力を出すことができますように、よろしくお願いいたします。

そして、この時期から始まって、中学校を受験する子供たち、高校を受験する者たち、厳しい戦いが続いて行きます。長丁場でありましょう。どうかその健康を支えてくださり、よく寝ることができますように。そして寒い季節でありますから、たとえ天候がどうなったとしても、それに自分の体調が悪い時であったとしても、頭の中は明晰で、普段以上の力を出し切ることができますように、あなたが導いてください。分けても、人の心にはさまざまな考えがありますが、その行く道を定めてくださるのはあなたであります。あなたに絶対的な信頼を置いて、いつも振り返ってみるとあなたの恵みが豊かであったと、その事が分かる生き方、人生を、若くして味わうことができますように、恵みを通して育ててください。

しばらく聖書のみことばに耳を傾けますが、どうか私たちの心を開いて、私たちにさまざまな事を教えてください。格別に今日初めて礼拝に来られた方々の上にあなたが届いて、礼拝することの喜びを、そしてさまざまな犠牲を払っていらっしゃったことに、あなたが報いを与えてください。イエス・キリストのみ名によってお祈りいたします。アーメン。

☆お知らせ
パウロの生涯から学んでおりますが、今日はその14回目、15章に至っております。私はつい忘れてしまうのですが、考えてみましたら、元旦礼拝と、新年の礼拝をもし出かけておられて、出席できなかった方もおられることでしょう。インターネットに説教の全文が田中姉がまとめてくださったのが、掲載されております。来週の日曜日に、それをプリントアウトした方がいいですね。そして元旦礼拝と新年礼拝を出席できなかった方に見て頂きたいですし、またインターネットができますならば、一回目からずっとそこに掲載されていますので、見てどういう学びをしているのかご覧いただければと思います。

☆説教
今日は、使徒の働きの15章の最後でありますが、先週は15章の前半、中盤以降のエルサレム教会会議から学びましたね。教会会議が開催された理由は一つは激しい議論があったからです。それは激しい対立で、最終的には決着のつかないような議論でありましたけれども、しかし、15章の28節を見ていただきますと、彼らはそういう中でも一つの結論に導かれて行きます。それは28節に、「聖霊と私たちは、次のぜひ必要な事のほかは、あなたがたにその上、どんな重荷も負わせないことを決めました。」と、ユダヤ教の習慣を、ユダヤ教でない人々に押し付けることをしないという決断を私たちは決めましたという、論じて行く中で聖霊が一つの決断を導いてくださった、あるいは頷きを与えてくださったというだけではないだろうという話をしました。

それは論じる者たちの心の中に残った、心の対立、敵対心というものを聖霊が最終的に溶かしてくださって、意見の違いがあって、喧々諤々の議論をしたけれども、最終的にこれでよかったという頷きを神さまが与えてくださったのではないか。聖霊は一つの結論を導き出すだけでなく、私たちの心の内に働いて、私たちの思いを溶かして一つにしてくださるという話をしました。

今日見てくださったこの36節からの個所にはまたもや意見の対立が描かれています。そして、今回は物別れに終わっています。物別れに終わって行く様子を見て行きますが、先に事情を説明しておきます。

1)    二人の事情
パウロとバルナバはエルサレム教会会議の決定をアンテオケ教会に持ち帰ることになります。22節を読む。「そこで使徒たちと長老たち、また、全教会もともに、彼らの中から人を選んで、パウロやバルナバといっしょにアンテオケへ送ることを決議した」。アンテオケ教会から問題が始まりましたので、問題の決着をアンテオケ教会に報告致しますが、その時公平性を保つためにでしょう、(22節後半に)「選ばれたのは兄弟たちの中の指導者たちで、バルサバと呼ばれるユダおよびシラスであった」。シラスという人物も加えられて、彼らに手紙を託して、そして30節から、アンテオケ教会が安心して異邦人伝道に励み、ユダヤの習慣に縛られずに教会生活を送ることができるように、一行は帰って行くという場面ですね。

さてここからです。一段落した後に、パウロもバルナバも自分たちがずーっと伝道して建てて来た教会を、もう一回訪れてみたい、そしてそこからさらに伝道を広げたいという気持ちを持つようになります。そして、15章の36節を迎える訳ですが、「幾日かたって後、パウロはバルナバにこう言った」のです。「先に主のことばを伝えたすべての町々の兄弟たちのところに、またたずねて行って、どうしているか見て来ようではありませんか」。―――ここからパウロの第二次伝道旅行がはじまるわけです。

ところが問題は起こりました。
バルナバはマルコという人物を連れて行くつもりでいます。マルコはパウロとバルナバによる第1次伝道旅行に途中から助手として参加します。
13:5「サラミスに着くと、ユダヤ人の諸会堂で神のことばを宣べ始めた。彼らはヨハネを助手として連れていた」。しかし幾日もたっていないのに、彼は一行から離れます。
13:13「パウロの一行はパポスから船出して、パンフリアのペルガに渡った。ここでヨハネは一行から離れて、エルサレムに帰った」。このヨハネがマルコです。この段階では、なぜマルコが一行から離れたかは書いてありません。

でも、今読みました15章38節を読めば、分かります。そこにもう一回戻っていただいて、
15:38 「しかしパウロは、パンフリアで一行から離れてしまい、仕事のために(宣教のために)同行しなかったような者はいっしょに連れて行かないほうがよいと考えた」。ということは、マルコは明らかに途中で脱落したのです。挫折したということが、その事情から伺い知ることができます。それでパウロはマルコを連れて行けないと言うのです。

第2次伝道旅行が始まる時に、バルナバというのは、「慰めの子」という意味ですが、彼はマルコに声をかけたのではないでしょうか?あるいはマルコの方から、「第一回目のときは挫折して途中で脱落したけれども、先生もう一回チャンスをください。」と訴えたに違いない。そして、バルナバはそれをOKしたのです。

しかし、パウロはどうしても首を縦に振らない。そういう者はいっしょに連れて行けないと言う。もう一度チャンスがほしいと訴えるマルコ、それを受けて、よし、一緒に行こう、と励ますバルナバ、それに対してパウロは、突き放すように、いやそれはできない、と答えてしまう。がっかりして顔も上げられないマルコに、バルナバは言いました。「さあ、パウロの言っていることなどに耳を貸さないで、時々パウロは頑固になるんだから。僕と一緒に行こう。僕は君を信じている。神さまは君を偉大なことに用いられる。」と言って、励ましたのではないかな?

さて、これがその事情です。今日のメインの話は、この二人の対立をどう読むか?皆さんはどう考えるか?

2)2番目のポイントとして、どっちが悪いのか?
私はこれまでずっと、この時のパウロは自分が教えて来た教えを実行していない。自分の教えに背いたと考えて来ました。

そのパウロの教えと言うのを、ちょっと見てみたいと思います。ガラテヤ人の手紙と言うのがあります。その6章の1節と2節をご一緒に声を合わせて読みたいと思います。
ガラテヤ6:1「兄弟たちよ。もしだれかがあやまちに陥ったなら、御霊の人であるあなたがたは、柔和な心でその人を正してあげなさい。また、自分自身も誘惑に陥らないように気をつけなさい」。
同6:2「互いの重荷を負い合い、そのようにしてキリストの律法を全うしなさい」。

このキリストの律法というのは、言うまでもなく、愛の律法です。誰でも過ちに陥ることがある。そして、もしそれに陥ったならば、御霊の人であるあなたがたは柔和な心でその人を正すだけでなく、自分も同じ誘惑に陥る危険性に陥る可能性があることを知りながら、決しておごり高ぶるような姿勢を取ることなく、なおかつ2節に、互いの重荷を負い合い、つまりその人を助け支えてあげることによって、愛の律法を全うしなさいとパウロは教えているとすれば、一度伝道旅行から挫折して脱落したマルコが、再び自分は挑戦したい、今度は大丈夫だというのであれば、私はパウロは一緒に連れて行くべきだと、バルナバは連れて行くと言っているのですから、パウロも連れて行けばいいのではないかと、ずっと思っていました。もしパウロがもう少し円熟していたならば、あるいは老齢の人であれば、挫折したマルコに対する対応は違っていたのではないかと思っていたのですが、最近少し、考えが変わりまして、それをこれから話して行きたいと思います。

私たちの教団は、戦後すぐに1945年に創立されまして、50周年を迎えた年に、教団の50周年記念事業に協力して、『ウェスレーの説教53』というのを発行しました。これはウェスレーの著作の中で一番大切な53の説教集でありまして、新しく訳しただけでなく、現代の人が読んでも解るように、歴史的神学的な解説をそれぞれの説教につけました。解説の方を書いたのは、私なのですが、万全と思っていたのに、後にある先生から指摘を受けました。説教22の『主の山上の垂訓』の連続説教の中で、「信仰者でも罪を犯すことがある」という解説で実例に、このことが書いてある。罪を犯しているのはパウロではなく、バルナバだというのです。そのまま読みますと、「聖霊によって結び合わされたパートナーであるパウロを捨てた」という解釈なのです。それを普通に読みますとですね、このウェスレーの解釈はおかしいのではないか?だれが見ても、一回挫折してもう一回やりたいと言っているこのマルコを背負ったバルナバの方が正しいのであって、パウロの方はむしろ、ガラテヤの6章で言う、互いの重荷を負い合うという柔和な心、愛の心に欠けているのではないかと。

ところがウェスレーはいや、バルナバの方が悪いと(言っているのです)。その問題を指摘された先生は、「(藤本)先生はどう思います?」と聞かれましたので、私も「悪いのはバルナバではなくして、むしろパウロの方だと思います」。(と答えましたら、)「だとしたら、ウェスレーのメッセージの解釈に対するちょっとしたコメントを付けておけば、読んだ人に誤解を招かなかったかも知れませんね。」と言われました。なるほどなぁと、私もウェスレーの解釈をおかしいなと思いながらも、それをほっておいたのはちょっとまずかったかなと思います。

皆さんはどちらが悪いと思います?そういう質問は実はいい質問ではありません。(笑)実はどちらが正しい、どちらが悪いではなくして、あなたはどちらのタイプですかの方がもしかしたらいいのではないか?つまり聖書はパウロに問題があったとも、バルナバに問題があったとも、実は全く記していない。私はある意味で、性格的な事かなぁと思うようになりました。私は牧師でありながら、堂々と認める血液型信奉者なので、(笑)バルナバはO型で、パウロはA型なのかなぁとか、バルナバはO型で、パウロはAB型の可能性もあるかなぁと、ついついそういう風に考えてしまう。

もしかしたら、ウェスレーにも、厳しいパウロのような一徹の部分があったのではないか?少なくとも教会にはさまざまな人間が必要ではないか?そして聖書はある特定な発想を肯定しているのではない。パウロがこの宣教の目的のためには、こういう人物が必要なのだと、この厳しい戦いを戦い抜くには、こういうタイプの人が求められているのであれば、自分はマルコのような人物とは一緒にできないと言っても、これは決して間違ったことではない。パウロはパウロなりの宣教展開ができただろうし、バルナバはバルナバなりの。

先日私は教会の風刺漫画を見ていました。4コマぐらいなのですけれども、ある日、青年が講壇の前にひざまずき、牧師が青年の肩のところに手を置いて、お祈りをしています。青年の風貌は、髪が長く、耳にピアスをして、首にじゃらじゃらと派手なネックレスをさげて、だぼだぼの洋服を着ているわけです。でもこの青年は、救いを求めて教会に来て、そしてイエスさまを信じたのです。

牧師は言いました。「君ね、イエスさまに救われたら、教会にいらっしゃい。礼拝にね。そして、もう少し普通の格好をして来るといいね」。そして、青年が次の日曜日に礼拝に行ってみると、なんとその牧師が、真っ黒なガウンを着て、真っ赤なストールを首に提げて、そのストールには金色の派手な十字架の刺繍がしてあるではありませんか。そして青年が言います。「どっちが、普通の格好だよ? 」って(笑)。

よくわかりますね。社会においては、この青年の格好の方が普通です。真っ黒なガウンに真っ赤なストール、金色の十字架を背負っているこの牧師の方が普通ではないです。私たちは、信仰が同じでも、画一的に人間はできてないし、画一的に同じような職務は成り立っていない。私は、パウロとバルナバの対立は、何だか、よくある対立のように思えてきました。よく言います。二人の人物が争っている時に、どちらかが正しくてどちらかが悪いというのは、往々にして、両方とも悪いか両方とも良いかのどちらかであると。私は一理あると思います。そして、それはどちらが正しい、悪いという問題ではなく、両者の個性が表れているのではないか、のみならず、教会は両者とも必要としているのではないか、と。

私は神学校で教えていますが、10年ぐらい前に、ある時TVで、板前の修業の特集を観たのです。そしてその番組にえらく感動しました。板前の修業と言うのは、厳しいです。体で覚えさせられる。いかようにも罵倒されながらもついていく、そして一人前に仕上げて行く。その親方との信頼関係が密な事、信頼における指導。私は神学校において、これからは指導を変えると神学生に宣言したことがあります。これからは厳しいと。そして、一週間後に実にその幅のあるいい加減な教師に戻っちゃう。つまり頭の中ではこういう風にやってみたいと思いながら、自分の人間のタイプとして、私はどちらかと言うと、緩やかなのです。

以前キリスト教会では、礼拝に遅れる時には牧師に電話するようにと言われました。結構そういう教会が多かったのですけれども、私にしてみれば、そんなことで電話してくるだけで迷惑だ。(笑)この日曜日の朝忙しいのに、そんなことで電話して来ないでほしい。そういう人間が講壇に立ちますと、あらゆることが若干ルーズ、(笑)これがよく働く時もある。でも教会の中には、逆にもう少し厳しい人もいないと、全部が若干ルーズになってしまう。(笑)

牧師が厳しければ、少し緩やかな役員さんがほしいですし、牧師が緩やかであれば、すこしきちんとした役員さんがほしいです。教会の中と言うのは、そういう風に、さまざまなタイプの人で成り立っているものですね。牧師の服装に皆さんは合わせる必要はない。み〜んな同じような格好をしていれば、外からの人はついていけない。入れないですよ。きちんとした格好をしている人もいれば、私のように緩やかな格好の人もいるのです。昔言いましたよ。神さまの前に出るならば、ベストな格好をして来いと。それは一理あります。でもそういうきち〜んとした格好の教会に一般の人はどうやって足を踏み入れることができるのか?私はそういう意味で、高津教会と言うのは、とてもバランスがとれていると思うのです。牧師(私)と、それぞれの個性とを大事にしている。

3)この二人は別々の道を行く。
39−40節をご一緒に読みたいと思います。
15:39 「そして激しい反目となり、その結果、互いに別行動をとることになって、バルナバはマルコを連れて、船でキプロスに渡って行った」。
15:40 「パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて出発した」。

個性と意見によって、二人は別々の道を行きますが、覚えておかなければならないのは、それは喧嘩別れではない、ということです。別れたことで、単純に伝道の範囲は2 倍になりました。またパウロとバルナバの決別、別れを教会はよく知っていました。でもそれは教会を弱めることにはなりませんでした。教会も認めていました。むしろ1 6 : 5 にあるように「こうして諸教会は、その信仰を強められ、日ごとに人数を増して行った」のです。それは、この二人が別々の道を行くということを神さまもよしとされたということです。ということは、この二人は感情的なしこりを残したままの、相手を受け入れないが故の別々の行動ではなかった。感情的なしこりを残したまま、相手を受け入れないがゆえに別々の行動をとりますと、神さまは決して両者を祝福なさりません。激しい反目の割に、最終的な結論はもっと単純だったのではないかと思っています。パウロはバルナバに言います。「よし、じゃあ、君はマルコを連れて行ったらいいよ。ぼくは、シラスと一緒に行くよ。」と言う風に。そして、この4人はアンテオケの教会から等しく祝福を受けて送り出された。互いの性格の違いを認めながら、感情的なしこりを残さず、後々まで引きずらず、別行動を決めました。

バルナバが連れて行ったマルコは、偉大な信仰者であった。そしてパウロから信頼を受けて、パウロを助ける同労者としてよい働きをします(注***Uテモテ4:11)。後にパウロはマルコを「私の同労者」と呼ぶようになるのです(注***ピレモンへの手紙24節)。意見の違いは、福音の力によって必ず解決されるものと信じているのが教会です。

教会は、対立を乗り越えていくと言いましょうか、クリスチャンは、意見の違う相手にも理解を示す、その気持ちを察することができると言わなければ。愛に生きる信仰者とは言えないです。パウロは、「ぼくは、今のマルコとはいっしょに行かない。でも、バルナバ、君がいっしょに行くことには、全く反対はないよ。二つの道を行き、それによって伝道の幅も一緒に拡大して行こう。ぼくにはマルコを育てられないかもしれないけど、君ならマルコを育てることができる。 私は、高津教会はそういう教会であってほしいと思います。

ある兄姉が、ひとりの人物が、すべての兄姉とも等しくうまく接することができるというのは無理です。でも自分はこの兄弟となら、腹を割って話ができる、自分はこの姉妹ときっと信仰のタイプが似ている、そのようにして繋がって行く。そしてそれぞれが全く対立しない、どこかで全員が繋がって行く。その多様性をいかに認めるか、実は教会が教会たり得る唯一の道は、この多様性しかない。神さまは人間を皆同じように創られていない。信仰が同じだからと言って、皆同じような性格ではない。人それぞれ違うし、アプローチも違う。この多様性を一つに結ぶものは何かと言うと、愛と寛容です。神さまは教会をそのように創られた。であるがゆえに、教会は人間の体にたとえられるのです。

人間の体って、どうしてこうパーツが違うのに、全く違う働きをしていながら一つに繋がる事の不思議さ。目は耳の働きはしません。手は、足の動きをしません。でも、それぞれつながっているので、目が弱くなれば、どこかがカバーする。肝臓の働きが弱まれば、何とかしてそれをカバーしようと、他の臓器が動く。それらが全部繋がっていて、体は健康である。健康な教会とはどういう教会かと言えば、愛をもって、多様性というものを受け入れることのできる教会です。

精鋭的な教会は伝道の働きを伸ばして、教会として成長できるかもしれない。でもそれは必ずしも、健康な教会ではない。健康なキリストの体とは、どこまでも互いに理解を示し、どこかで体の一部としての働きを担いながら、さまざまな欠けを補い、そして決して体の臓器が互いを憎むことがないように、我々は聖霊によって、自分の内側にある、違い、偏見、偏りを溶かしていただいて、相手に理解を示す、そういう教会でありたいと思います。

☆終わりのお祈り
恵み深い天の父なる神さま、あなたはひとりひとり、この世界にたった一人しかいない尊い存在として創ってくださいました。であるがゆえに、あなたは等しく、マルコを愛し、パウロを愛し、バルナバを愛し、シラスを愛されました。時に考え方の相違によって、激しい反目を起こすこともあるかもしれません。別行動になるかもしれません。それでも心の内は平安であり、ともにキリストの働きを担う者として、アンテオケの教会から送り出されて行きました。主よ、私たちもアンテオケの教会のようでありますように。ひとりひとり皆タイプが違いますが、キリストの体の内にあってあなたが結び合わせてください。イエス・キリストの聖名によってお祈りいたします。アーメン。



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