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::: 高津教会 説 教 :::


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Name   T・Y
Subject   2/7説教「パウロ(15)神のご計画がなる」使徒の働き16:1〜10

☆お願い
とても寒い一週間でありました。風邪を引いておられる方もおられるでしょうし、なんとなく、インフルエンザの期間の企画ですが、先週T兄が肺炎ということで抗生剤を飲んで治療しておられました。昨日伺いましたら、中央病院ではもう一歩だということでありましたが、(3月の一泊)修養会にはどうしてもT兄に来てもらわないとと思いますので、ぜひ兄弟のためのお祈りもよろしくお願いいたします。皆さんも気をつけていただきたいと思います。

☆説教
前回は、第二次伝道旅行に出発しようとするバルナバとパウロから学びました。第一次伝道旅行でマルコの弱さ、あるいは無責任さなのか、よくわかりませんが、途中から脱落したマルコを連れて行くのは好ましくないということで、第一次伝道旅行では生死を共にしたバルナバとパウロは、意見が対立して別々の道を行くようになります。私がお話しましたのは、これは恐らくどちらかが悪いという問題ではないと思います。マルコを連れて行かないというパウロに愛が足りなかったという問題でもないのではないか。つまり私たちの意見の対立は、往々にして性格の違いであり、物の見方や考え方が原因なのかもしれません。だとしたら、自分の見方や好みで相手を裁いてはなりませんし、相手とすれ違ってはなりません。パウロはシラスをつれて、バルナバはマルコを連れて、二組とも教会から祝福を受けて、二組とも教会から理解をされて、祈られて、別々の道を行くという、とても尊いことだと思います。

こうして第二次伝道旅行が始まり、その始めにあたって、今日は詳しくは入りませんが、16章の1節をみてください。「それからパウロはデルべに、次いでルステラに行った。そこにテモテという弟子がいた。信者であるユダヤ婦人の子で、ギリシヤ人を父としていたが、」2節「ルステラとイコニオムとの兄弟たちの間で評判の良い人であった」。このテモテを連れて行きます。ここで初めてテモテという名前の弟子が出て来ます。これから先私たちは、テモテのこともパウロの生涯を語る上で、どうしても触れなければなりませんが、今日はむしろ6節からのみことばを見ていただきたいと思います。タイトルは、「神のご計画の不思議さ」です。

1 )神は私たちの人生にご計画を持っておられ、導いておられる。
まず第一に、神さまはパウロとシラスにご計画をお持ちだったと言うことです。彼らは、今回の伝道旅行で、とうとう小アジアからギリシャへと渡って行きます。神さまのご計画でありました。福音がアジア圏からヨーロッパ圏へと広がって行きます。そのために、神さまはパウロとシラスのアジアへの行く道を阻まれ、最後、エーゲ海に面する港町で、エーゲ海の向こう側、「マケドニアに渡って来て、私たちを助けてください。」(9節)という幻を見せられて、彼らを導きます。彼らは神に導かれてエーゲ海を渡って行くのです。神さまというお方は私たちを導かれるお方なのです。

使徒の働きに記されていませんが、別行動となったバルナバとマルコにも同じように計画を備えておられたことでしょう。そして私にも、私たちにも、神さまはそれぞれにご計画をお持ちです。神の国の壮大な展開の中で、こんな私にも、たとえて言うなら、パウロのように直接の伝道の働きについていないこんな私にも、果たすべき役割を主は備えておられるのです。そのために、主は導いてくださるのです。

1 0 歳の男の子が、ある日お母さんに尋ねました。「ねえ、母ちゃん、ぼくは、一体全体どこから来たの? 」お母さんは、「そういうことはそろそろ学校でも教えるのか。」と、ため息をついて、それから出産に関する教育を丁寧に説明しました。「おまえも大人になったらわかることなんだけどね、・・・」。 男の子はじっと黙って聞いていました。そして1 0 分後、男の子は完全に飽きてしまって、もう一度尋ねます。「母ちゃん、よくわからないけどさあ、兄ちゃんは、ぼくは大阪生まれだって言っているんだよね。ほんと、どこから来たのよ、ぼくは? 大阪が僕を生んだのか?」(笑)この話は実は深淵な問いかけなのです。お母さんの生理的な説明をもってしても、「母ちゃん、いったい僕はどこから来たの?という疑問は消えないです。まして、「おまえは大阪生まれだ。」と言うのも、「じゃ一体どこから来たの?」ということの答えにもなっていません。

聖書は、私たちひとりひとりは皆、お母さんのおなかの中にいる時より神に知られ、詩篇139篇、私が母の胎にいる時から、あなたは私を形作られ、私を知っておられ、私を愛され、それがゆえに神から離れている私たちでさえ、もう一度神のもとに帰ることができるように、私の、私の罪のために、御子イエスが十字架にかかられ、救いの道を備えてくださったと教えています。

ベテスダの池のそばに寝ていた病める男にイエスさまは声をかけます。だ〜れも声をかけないあの男にイエスさまは声をかける。(ヨハネ5章)
社会の嫌われ者ザーカイに、「今晩、あなたのところに泊まることにしてある。」と永遠の昔からそう決めてあるというものの言い方で言われます。(ルカ19章)
誰とも顔を合わせたくない、人生の暗い過去を持った不幸なサマリヤの女が、昼間井戸に水を汲みに来る。そうすると、イエスさまの方から彼女に語りかけられて、わたしはあなたに永遠のいのちの水を与えたいとおっしゃいます。(ヨハネ4章)

神さまが愛しておられるのは、イエスさまが声をかけられたのは、世界ではない人類ではない、それは私なのです。こんなに小さく惨めで哀れでも、世界にかけがえのない私のために、キリストは十字架にかけられたのです。だとしたら、この方が私の人生を成り行きに任せるわけがないのです。この大前提をとらえていただきたい。

私たちは教会に来て神さまの愛を教えられる。本当に自分のような者が神さまに愛されているのか?そして、それを受け入れて洗礼を受けます。ところが洗礼を受けても病気にはなり、洗礼を受けても社会に翻弄され、洗礼を受けてもこんな人生の結末を迎えているうちにですね、神さまは自分の人生に何の計画も持っていないのではないかと思ってしまうのです。いや計画を持っていたとしても、なぜ自分の人生がこんな結末を迎えているんだということに、私たちは思わず嘆いてしまいます。しかしそれはもともとの信仰とは違うことです。

私たちは神さまが世界を愛しておられることに気がついたから洗礼を受けたのではない。神さまがこの世界の罪に頭を悩ましておられるのを知って、洗礼を受けたのではない。神さまはあなたを愛し、あなたの罪深さを知っておられるということに気がついたから、そんな私が自分のたましいの救いのために神のもとに帰った。

だとしたら、この人生はこの世界の荒波に翻弄されますが、主は私の人生をかけがえのないものとして導き、こんな一生でもそれを通して栄光を現してくださる、というのは信仰者の確信していなければならないところです。もちろん、その確信を揺るがすような出来事はいくらでもあります。そこで今日は、そういう視点から残りの個所を見て頂きたいと思います。

第一のポイントは「神さまは私の人生にご計画を持っておられ、導いてくださる」。二番目に見て頂きたいのは、「聖霊に禁じられた。」という個所です。

2 ) 聖霊によって禁じられた
6節と7節を交読。「それから彼らは、アジヤでみことばを語ることを聖霊によって禁じられたので、フルギヤ・ガラテヤの地方を通った。」「こうしてムシヤに面した所に来た時、ビテニヤのほうに行こうとしたが、イエスの御霊がそれをお許しにならなかった」。

注目していただきたいのは、6節の『聖霊によって禁じられた』という言葉と、7節の『イエスの御霊がそれをお赦しにならなかった』という言葉です。私はじっくり考えて、勉強してこういう意味だろうというのがベストな解釈だろうと思うことを話しますので(笑)、しっかり聞いてください。

パウロとシラスは、テモテという新しい協力者と出会い、宣教の働きへと出て行きます。5 節「こうして諸教会は、その信仰を強められ、日ごとに人数を増して行った。」にあるように、この地方の教会は、その信仰をますます強められ、成長していきます。その勢いを受けて、パウロとシラスとテモテの3人は、アジアへみことばを語るために出て行きます。ところが6 節、「彼らはアジアでみことばを語ることを聖霊によって禁じられる」のです。

おそらく、アジアといえば、この小アジア最大の都市、エペソであったのは間違いないと思われます。ところがこのエペソへの道が閉ざされます。そのため三人は、「フルギヤ・ガラテヤ地方を通って行った」とあります。これは、エペソに向かうには真っすぐ西へ行くところを、北に向きを変えたということです。そして7 節には、ムシヤ地方の近くまで行き、ビテニヤ州に入ろうとしたが、「イエスの霊がそれをお許しにならなかった」とあります。またここで、3人が祈って考えた伝道の計画が聖霊によって禁じられた。どういうことか?

今月、冨澤宣教師がケニアから宣教地を変えて今度はザンビアの病院で奉仕されるようになります。私がもし国外宣教の働きのチーフで、富沢宣教師の働きの監督責任が私にあるとして、ザンビアに行ったんだけれども、ザンビアの病院での奉仕がうまくいかなかった。ザンビアの国家試験にうまく通らなかった。そして、2年後にザンビアの奉仕を閉じて今度はタンザニアに行くと言ったら、私はやっぱり一喝しますよ、「どうしてそんなに計画が甘いのだ。ザンビアに行くのなら、どうやってザンビアに腰を落ち着けるかよ〜く考えてからザンビアに行け。」と。神さまのみこころが、ここから次にあそこへとそんなにすぐにみこころが変わるのかと多分説教をすると思うのです。それと同じことが、パウロとテモテとシラスに起こっていると思ったらいい。

彼らは勢いのある教会から出てエペソに行こうと思っていた。ところがそれが閉ざされて、ビテニアの方に行こうとしたら、そこでもまた閉ざされた、そういう報告がアンテオケの教会まで至ったならば、アンテオケの人は、なんだ行き当たりばったりか、本当に彼らは祈っているのか、そういう疑問が投げられても不思議ではないです。ここをじっくりと考えてみたいと思います。聖霊によって禁じられたとか、イエスの霊がお許しにならなかったというのは、天から聖霊や主イエスの声が聞こえた、ということではないです。

まず第一に、何らかの事情によって計画を変更せざるを得なくなった、ということだろうと思います。その事情は、よくわかりません。ただ、このとき計画を変更してガラテヤ地方を通って行ったので、あのガラテヤの教会があるのです。それは使徒の働きを見る限りそうです。ここしかない。パウロは後にガラテヤ人への手紙を書きますが、あの手紙が存在しているのは、この時、この場面で計画を変更してガラテヤ地方を通って行ったからなのです。

そして、さらに想像を豊かにしていくと、ガラテヤ4 章13〜14節 にこう記されています。13と14節を交読。「ご承知のとおり、私が最初にあなたがたに福音を伝えたのは、私の肉体が弱かったためでした。」「そして私の肉体には、あなたがたにとって試練となるものがあったのに、あなたがたは軽蔑したり、きらったりしないで、かえって神の御使いのように、またキリスト・イエスご自身であるかのように、私を迎えてくれました」。実に興味深いものの言い方、病気が原因であったということは、どういうことか?それは、ガラテヤ伝道は、パウロが体調を崩していた、病気となっていたことがきっかけになったということです。

だとしたら、健康を崩したという事情のために、パウロはエペソまで行く計画を変更せざるを得なくなったとなります。こういうことってありますよね。勢い勇んで大学に行こうと思った。でも自分は病気になって大学に行けなくなった。自分は一生懸命大学に進学しようと思った。でも自分の父親がリストラにあったので、弟や妹のことを考えると、大学に行かずに就職をしたとか。あるまっすぐな計画を頭に描きながら、さまざまな事情によってそれが閉ざされてしまう。

パウロの場合、もしガラテヤだとしたならば、病気のゆえに最初アジアに行くことができなかった。そのことを後に振り返って考えてみると、聖霊が禁じたのだ、イエスの御霊がお許しにならなかったのだ、とルカ (使徒の働きの記者)は告白しているのではないかと私は考えます。

もちろん、イエスさまが、いやいや聖霊が現れて、「そっちに行ってはいけない、行ってはいけない。」と言ったというのも解釈としてはあり得ると思いますが、ちょっとそれは難しい。なぜなら、パウロの伝道旅行というのは、並々ならぬ命と犠牲をかけて、そして明確にターゲットとなる教会を探しながら進んでいくのです。ただ単純に放浪者のように彼は伝道しているのではない。どこへ行っても、この町の性格、そしてこの町の人々、会堂、そしてここがどういう拠点になるかを考えながら、彼はいつも伝道している。「ガラテヤの伝道のきっかけになったのは、私の病気が理由」と言ったときに、少なからずそれは彼にとっては、何らかの挫折感、あるいは納得できない事情そういうものを感じて、その扉が閉ざされているのを感じたはずです。神さまが、その後の計画の故に、私たちの人生のある扉を閉じて行かれるというのは、とても興味のあることです。

有名なスポルジョンというイギリスの名説教者がいますが、こんな話が残っています。こんな有名な人にはいくらでも怪しい話が残っていて、真偽のほどは解らない話が多いのですが・・・(笑)。1 0 代で彼は大学に進学を決意して、学長のもとをたずねます。学長の家を訪問して、執事が玄関で彼に応答し、そして一つの部屋に通され、そこで待っているように伝えます。ところが、待てど暮らせど学長はとうとう現れませんでした。1 時間待ったスポルジョンは、自分はここには導かれていないに違いないと確信して家を出ます。後々彼にわかります。実は、学長は、自分の書斎で仕事をしながら、彼が入ってくるのをいつかいつかと1時間半も待っていたと言うのです。

何とも言えないすれ違いじゃないですか!スポルジョンは本当に大学に行こうと思って、学長の家まで訪ねて行った。しかし一時間経っても学長は姿を現さない。自分なんか、この大学に居場所が見つかるはずがないと断念する、挫折して家に帰るのです。しかしその事によって、神さまはスポルジョンに描いていた夢を実現し、聖霊がある扉を閉ざすというのは、そういう意味が多分にある。

もう一度、パウロに戻って考えてみましょう。もし彼が、エペソに行かずにガラテヤに行ったという理由が、病気だとしたら、ある意味で彼は病気に負け、病気にやられてしまったという挫折を必ず抱いているはずです。マルコは脱落した。でも自分は脱落はしないが、こりゃあエペソは無理だと。せっかく福音を宣べ伝えるために召され派遣されて、今までの伝道旅行のまさに頂点にある自分が、何故このような病気になってしまうのか悩み、彼はガラテヤの教会に身を寄せるわけです。でもそこでもガラテヤの教会は建って行きます。「神さまはせっかく私に伝道の使命を与えて下さったのに、どうしてそれを妨げるようなことをなさるのか?」と、彼は嘆いたに違いないのです。そして私たちも往々にして嘆くのです。嘆くときに出てくる言葉は、「神さまのみこころが分からない」。もうちょっと砕けて言えば、「神さまは何考えているのか分からない」です。

私は、よく教会の案内にスヌーピーを使います。版権大丈夫なの?(笑)と聞かれますが、あれは版権フリーのでいいんですけれども、私はスヌーピーが大好きです。よく子供が小さかった頃、子供と一緒にスヌーピーの映画を見ましたが、私は神学生と一緒に、『スヌーピーの漫画の神学』という本を英文講読で読んだことがあります。チャールズ・シュルツはクリスチャンで、かなり信仰的な、いや神学的な内容を漫画に入れる(チャーリー・ブラウンにいつも託す)ので有名なのです。実際、それを全部集大成して、彼の漫画から信仰を学ぶ『チャールズ・シュルツの神学』という漫画なのですけれども、そういう本が二冊出版されているくらいに、チャーリー・ブラウンとその仲間たちは面白いですね。

チャーリー・ブラウンが、夏休みにビーチに行きます。何時間もかけて、砂浜に砂でお城を造ります。できあがった城を見て、その見事なできばえを我ながらほこりに思います。ところが、大波がやってきて、あっという間にさらっていきます。城があったところに、呆然と立ち尽くすチャーリー・ブラウン。その彼が腕組みをしてこう言います。「ここにも神さまの教訓があるに違いない。でも、それが何だか、さっぱりわからない」。

これがまさに、私たちの姿でもあるのです。こんなことがなければ、それはもっと早く、もっとインパクトを持って実現するのに、こんないかりをぶら下げて船を漕ぎだしているようなこの人生、いったい何の意味があるのか、そもそも神さま、一体どうして私はこのような人を好きになったのですか、私はどうしてこんな教会に導かれたのでしょうかなどと、ありとあらゆる神さまのそのみこころに対する疑問がある。きっとそこにみこころがあるに違いない、でも私にはさっぱりわからない。これが私たちの姿です。不思議なように扉は閉じられ、計画は倒れ、挫折感を味わいます。何が悪かったのか、自分が悪いのか、回りが悪いのか、神さまが悪かったのか、そういう巡り合わせなのか… … そのときはわかりません。

しかし、後にパウロも私たちも悟るのです。神さまにはご計画があったことを。こうして聖霊が禁じられた、イエスの御霊が私たちの計画をお許しにならなかったのだな、と言えるようになる。そう言えるようになるまで、導いてくださる神さまに一心に信頼を寄せて、ただひたすら明日に向かうのです。それがパウロの、私たちの、信仰者としての姿です。

3)思いがけない扉
挫折してトロアスに着いたある夜、パウロは幻を見ました。9節「ある夜、パウロは幻を見た。ひとりのマケドニア人が彼の前に立って、『マケドニアに渡って来て、私たちを助けてください。』と懇願するのであった」。10節「パウロがこの幻を見たとき、私たちはただちにマケドニアへ出かけることにした」。この“私たち”と書いてあるのは、もしかしたらこの使徒の働きの記者のルカもこれに入っていたとも言われています。(マケドニアというのは、エーゲ海を渡って、ギリシャの北に位置する地域です)。


幻を見たパウロです。みんなに、(言ったことでしょう。)「実は昨日夢を見た。それは海の向こうのマケドニア人が助けてくださいって懇願している」。それで、シラスもテモテも、あるいはルカも、きょと〜んとした顔をして、疑うのですね。「へえ、それでマケドニア人ってどんな顔していたの?」とか、「そんな夢なら僕もしょっちゅう見る。」とかね、「夢の一つで私たちの大事な宣教を決めるわけにはいかないんだ。海の向こうのマケドニアっていうのは、僕たちの全然知らない世界だ。その世界がどういう言葉を話しているのか、どういう文化なのか、どういうユダヤ人の会堂があるのか、どういう方法で伝道するのか、ユダヤ人の会堂だけでなくして、あっちはギリシャ神殿で一杯なんじゃないの?」と、みんな考えたに違いない。私は単純に幻一つで決まったとは思わない。この3人が、4人が、祈りに祈って、考えに考え、そして決まった時に彼らはすぐに大胆な行動に移って行くのだ。どうして大胆な行動に移って行けたのか?

この夢を見て、パウロの一行は直ちにマケドニアへ出かけます。1 0 節の最後「神が私たちを招いて、彼らに福音を宣べさせるのだ、と確信したからである」。ここに来てとうとうそれを確信するに至ったのです。第一次と第二次の旅行の違いは大きく違い、何がそんなに違うのかと言うと、ギリシャ圏に(ヨーロッパに)行くか行かないかで大きく違うのです。この時初めてパウロは、これまでの歩みにおいて、自分が思い計画したことがうまくいかず、変更に変更を重ねなければならなかったことの意味を、その理由を悟ったのです。神さまが、自分たちの思いや計画とは別のことをさせようとしておられた。そこへと導くために、自分の歩みを妨げるようなことをなさったのだ。そのことを知ったパウロは、これまで、自分の思い通りにならなかったことは、聖霊が禁じておられたのだ、主イエスの霊がお許しにならなかったのだ、ということがわかったのです。その事を分かったパウロたち一行はますます大胆にエーゲ海を渡って行くのです。

考えさせられます。不本意な道を行くとき、信仰が試されます。それは時に自分の病が原因であったり、自分の甘さが原因であったり、でもそれらを全部含めて神さまは私たちの人生を導いておられるというのは、私たちが信じなければいけないこと。それを信じているのをクリスチャンというのです。人生の様々な不具合を超えて、神さまのご計画がなる。だから私たちもパウロもやけを起こしたりせずに、信仰を持ってこの道を歩み続ける時に、神さまのみこころが何であったかを、必ず知るようになる、必ず分かるようになる。私たちはそう信じている者です。

☆終わりのお祈り
(パウロがこの幻を見たとき、)私たちはただちにマケドニヤへ出かけることにした。神が私たちを招いて、彼らに福音を宣べさせるのだ、と確信したからである。(使徒の働き16章10節)

恵み深い天の父なる神さま、彼らがこの確信に至るまでどれ程の紆余曲折があったことか、しかしその紆余曲折にもすべてに意味があり、結実がなされ、そしてやがて閉ざされたという挫折感でさえ、自分たちの過ちのゆえに閉ざされたのでなくして、聖霊によって許されず、聖霊によって閉ざされたのだと思うくらい、強烈な程神の導きを痛感できたのは、「自分の人生に起こることすべてを支配しておられるのは、神さまあなたです。」という信仰が、パウロにもテモテにもシラスにもあったからでしょう。どうかこの信仰を私たちに与えてください。

であるがゆえに、私たちは仕事や家庭の都合で引っ越したとしても、さまざまな都合で違う教会に招かれたとしても、あるいはさまざまな出来事のゆえに自分の計画を断念を強いられたとしても、依然として、神の導きの御手は私を決して放さないということをしっかりと心に留めることができますように、私たちの信仰を強めてください。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。


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DATE: 2011.03.26 - 23:13
LAST UPDATE: 2011.04.02 - 23:17

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