名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
::: 高津教会 説 教 :::


394 1333 統計カウンターの表示   管理者で接続
Name   T・Y
Subject   2/21説教「主は私の心を開いてくださる」使徒の働き16:11〜15
☆始めのお祈り
エッサイの根は、国々の民の旗として立ち、国々は彼を求め、彼のいこう所は栄光に輝く。(この日の交読個所イザヤ11:1-10より10節)

恵み深い天の父なる神さま、2月の第3の聖日もあなたご自身がこの礼拝の場に私たちひとりひとりを招いてくださり、あなたに礼拝を捧げるこの恵みを心から感謝致します。キリストこそが、国々の民の旗として立ち、国々が彼を求め、今日も世界中の教会であなたが礼拝されていることと思いますが、この聖書の約束のことばの通り、彼のいこう所は栄光に輝く。イエスさま、あなたが誕生された時に、馬小屋の飼い葉おけに憩われ、そこを栄光の場とされ、同じように乏しき汚れた私の心にお迎えした時に、あなたはそこをご自身の栄光の輝く所となし、また今日、この教会を栄光で満たしてくださる恵みを心から感謝致します。

私たちの心の内にさまざまな課題がひしめいています。私たちはさまざまな声を聴きます。しかしこの礼拝の場で私たちはあなたの声に耳を傾け、あなたの御前に鎮まる。知れ、私こそ神であることを。(詩篇46:10)あなたが私たちの心の内に平安を満たしてくださるこの恵みを感謝します。礼拝の恵みは赦しと愛の恵みであり、そして何よりも、力ある平安の恵み、あなたの御前に静かに座るときに、自分の罪深さを知り、あなたの偉大さを知り、そしてあなたに愛されているこの小さき自分を見つめ直します。自分が自分を見る目、人が自分を見る目、しかし何よりも、あなたの眼差しに応える小さな信仰を私たちの内に授けてください。

病院にいらっしゃいます小林兄、清水姉、そして相馬姉の上に、あなたが今日もこの瞬間届いてくださり、その痛める病める所に手を置き、復活の恵みをもって癒しを授けてください。長〜い受験の馳せ場を走っておられる兄弟姉妹の上に、あなたが今日も届いてくださり、祝福を与え、そしてあなたがベストと思われる道へ、納得をもって進んで行くことができますように励ましてあげてください。

これからみことばに耳を傾けます。どうかあなたご自身が私たちひとりひとりに語りかけてください。イエス・キリストのみ名によってお祈り致します。アーメン。

☆説教
パウロの生涯から学んでおりますが、使徒の働きの16章に戻ってまいりました。パウロの第2次の伝道旅行は、自分の計画通りには行きませんでしたことを16章の頭から、先日学んで行ったことであります。至る所で門戸が閉ざされます。6節「それから彼らは、アジヤでみことばを語ることを聖霊によって禁じられ」、あるいは7節「こうしてムシヤに面した所に来た時、べテニヤのほうに行こうとしたが、イエスの御霊がそれをお許しにならなかった」。そして最後に、トロアスに来たところで、彼は夜、幻を見ます。9 節「マケドニヤに渡ってきて、私たちを助けてください」。

おそらく、そこで彼は確信したに違いありません。ああ、このようにして扉が閉ざされてきたのも、聖霊の働きによるものであったとパウロは分かったのではないかという話を、前々回に致しました。イエスの御霊が、私たちをアジヤに行くことをお許しにならず、こうしてエーゲ海を越えて、ギリシャにローマに行こうとしているのだとしていることを、閉ざされた門の意味を、神の摂理によるものだと納得したのだと思います。

エーゲ海を渡って、まずたどり着いたのは、1 2 節「それからピリピに行ったが、ここはマケドニヤのこの地方第一の町で、植民都市であった」。この植民都市ということばが恐らく一番鍵になるかもしれません。ローマの植民都市とあるように、実はピリピはギリシャの町であると同時に、ローマと密接な関係がありました。そしてやがてイエスさまは「あなたの一番の伝道者生涯はローマ帝国皇帝カイザルの前に立って私を証しすることだ」と、パウロに語りかけて行かれます。そしてパウロがローマで殉教して、約350年ぐらい後ですか、ローマ帝国がキリスト教国になります。そして、ヨーロッパがキリスト教世界になる、という長いキリスト教の歴史の中で、最初のくさびがこのピリピに打ち込まれた、と考えてください。

しかも、このピリピ伝道の始まりは、一人の婦人ルデヤが福音を信じたことでした。つまり壮大なヨーロッパのキリスト教の歴史の最初のくさびが、このルデヤという婦人であったということです。それは小さな始まり、しかし確かな始まりでした。3つのポイントで短くお話します。

1 ) 祈りの場で熱心に耳を傾けるルデヤ
13節をご一緒に読む。「安息日に、私たちは町の門を出て、祈り場があると思われた川岸に行き、そこに腰をおろして、集まった女たちに話した」。
パウロが伝道のために向かう場所は、通常、会堂です。ところが恐らく祈りの場として川岸がでているということは、ピリピの町には会堂を造るほど多くのユダヤ人が住んでいなかったということでしょう。そこでパウロは、祈りの場所があると思われる川岸に行きました。安息日の祈りは、きよめの儀式のために、沐浴が行われることが一般的だったからです。そこに(ユダヤ人ではないけれども)ユダヤ教に回心した熱心に神を敬う人がいるに違いないと思って出かけて行きました。そしてルデヤに出会うのです。

さらに、この一人の女について、語られます。
14 節「テアテラ市の紫布の商人で、神を敬う、ルデヤという女が聞いていたが、主は彼女の心を開いて、パウロの語る事に心を留めるようにされた」。
黙示録の7 つの教会にテアテラが出てきました。黙示録の7つの教会でテアテラの町を学びました。織物の町です。紫布とは、当時の最高級な織物です。そういう意味では、この女性はある程度裕福な人物でした。そして、彼女は「神を敬っていた」と。ルデヤは、熱心にパウロが語る神の言葉に耳を傾けました。世界への伝道の拠点となるようなピリピの町で、神さまが最初に捉えた女性が、このルデヤです。この女性は祈りの場で、みことばに耳を傾ける女性であった。今で言うなら、教会でみことばに耳を傾ける女性であった。そして、このルデヤこそがピリピの教会の土台となったということは、とても考えさせられます。

先週の婦人会で、高津教会の歴史を遡って、何人かの方々に思い出を語っていただきました。おそらく、今、この教会で一番の昔を知っておられる吉田初枝姉が話してくださいました。お母様の藤井クニ姉のことです。戦後、ご主人を亡くして、子どもの手を取って、溝口に出てきたはいいものの、行く場所がない。当時の牧師先生がご親戚にあたり、どこにも行くところがなく、教会にいらっしゃいました。最初の教会堂は畳敷きで、そこでしばらく寝泊まりをされたと伺いました。

私も小学生のころですが、子どもながらに覚えています。礼拝でも伝道会でも祈祷会でも、あらゆる集会で、一番前に座るのはこの藤井さんと永岡さん。お二人は祈りの人で、呼応するかのように、祈りに入って行かれると、一つの相乗効果のように、お祈りの長いこと長いこと…(笑い)。あらゆる集会で熱心に祈られました。子どもながらに、「神を敬う」ということがどういうことかわかりました。

考えてみますと、教会が作られていくときに、神さまはどのような人物を用いられるのでしょうか?ルデヤが、何か教育や背景があったとは書いてありません。ルデヤは後に、家族を揚げて,自分の家を伝道の場所として捧げますけれども、イエスさまは、別にルデヤの商人としての財力を用いようとされたというような記述はどこにもありません。礼拝の日に、教会堂もなく、しかし祈りの場で熱心に祈り、みことばに全身を耳にして聞き入るルデヤを、イエスさまは捉えられました。

私たち伝道者は、いつもこのルデヤを探します。今はなかなかなされませんが、インマヌエルが教会を開拓していくときには0からの開拓です。私の両親が福岡を開拓した時は私は1歳でした。0からの開拓です。天幕を張って、みかん箱を並べて毎日路傍で伝道をして、人々を集めて天幕で集会をする。一体何を頼りに?もちろん神さまを頼りにするのですが、神さまどうかこの天幕にルデヤを送ってください。ルデヤひとりで結構ですから、ルデヤを送ってくださいと(祈るのです)。

神学生たちは皆片道切符で、夏季実習に出かけます。そしてもし夏季実習で教会ができるなら、もう帰って来なくていいよと。中田重冶先生の時はそうでした。ホーリネスの大きなリバイバルが全国に伝達される中、そしてホーリネス教団、なんと日本のホーリネス教会で一年間に1万人が洗礼を受けるというようなときに、次から次に神学生が夏季実習に送り出されるけれども、片道切符しか持たせない。帰ってくるな。そして1週間公園で伝道せよ。しかしその間に神さまは必ずルデヤを与えてくださる。そのルデヤは祈りの場に行き、神を敬う人物で、その人物の背景や教育や財力は解らない。しかしその人物は福音に応える。その人物が教会の柱となる。そのルデヤを神さまはなんと多く日本の教会に与えてくださったことか!そして高津教会もその例外ではないのです。

2 ) 主が心を開いてくださるルデヤ
ルデヤは、熱心にパウロの語る主イエスの福音に耳を傾けていました。「私たちを神さまの御前に立たせるのは、私たちの正しい行いによるのではありません。正しい生活によるのではない。律法によるのではない。私もかつては、熱心に律法の中を歩み、しかし歩めば歩むほど自分の罪深さを実感し、いったいどのようにして、神の御前に立つことができるか、自分も苦悩の中にいました。そんな私に、イエスさまが現れてくださり、その十字架が私の罪のためであったことを教えてくださいました。私が今世にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった、神の御子イエス・キリストを信じる信仰によっているのです(ガラテヤ2:20)。」と祈りの場に集まってきた人にパウロは熱心に語ったに違いない。

パウロの説教も熱心であるだけでなく、説得力があったことでしょう。ルデヤも注意深く、全身を耳にして聴いていたことでしょう。しかし、彼女がそれを信じることができたのは、パウロの巧みな弁舌の故ではありません。彼女の理解力や熱心さでもありません。1 4 節「主は彼女の心を開いて、パウロの語ることを心に留めるようにされた」とあります。それは、神さまの働きでした。

考えさせられます。私は説教するときに、全文を原稿にします。そしてひたすら原稿を読んでいます。読みやすい工夫はしてありますが、基本全文が原稿なのです。この全文原稿にするというのは、アメリカから帰って来た20数年前、私が説教するために、姉が国語の先生ですから、チェックが入りますね。(笑)すっかり日本語を忘れてしまいまして、日本語がおかしい。そこで原稿を作るようになった。それで本当によかったと思う。それは妙な緊張感から解放される。立った時に最初何を言おうかとあまり考えないで済む。しかし、一つ危険が潜んでいまして、原稿が完成すると、それで説教が終わったかのような安心感を持つ危険がある。

皆さんが、キリスト教の知識があり、熱心な方であったら、あるいは前に立っている説教者が誰であるかによって、きっと聞き方も違うに違いない。いつもの牧師よりも時に違った先生が来られたり、あるいは高名な先生がいらっしゃったら、しっかりと耳を傾けて聞き入られると思います。しかし覚えていなければならないことは、誰が立とうが、どれほど完璧な原稿で説教をしようが、皆さんがどれほど熱心に聞く姿勢を持っていたとしても、心を開くのは神さまで、そして語られたみことばを心に留めることを可能にしてくださるのも神さまです。裏を返すとどういうことかよく考えていてほしいのですが、それは聞こうとしない事は、逆にいうと神さまに対して心を閉じていること。そういう風に言うことによって、説教者が無理やり会衆の心を開くことは所詮できないです。

でも神さまに対してオープンであるという姿勢を、聞いている方々が持たない限り、語るもののことばが聞く者の心に留まることはない。逆にどんなに緻密に語ったとしても、語る作業を全的に主に委ねない限り、心を開くという神さまの働きは行われることはない。そう考えますと、礼拝が年間に51回あるとして、それのどれほどのみことばが私たちの心に留まり、私たちの人生そのものを変えて行ってるか?どれほどの出来事の中で、私たちがその出来事を乗り越え、神さまに委ねているのかということはものすごく考えさせられるのです。私たちが本当に神さまに心を開いて、このルデヤのような新鮮な思いで神のみことばに触れない限り、神さまは私たちの心を開いてみことばが心に留まるようにはしてくださらない。

そう思いますと、礼拝の営みの中で最初の祈りが、もしかしたら一番大切なのかも知れない。祈り手の祈りでもない。祈り手が祈りに入ったときに、私たちもその祈りに心を合わせて共に祈るという姿勢がない限り、礼拝の中で神のことばの働きはもしかしたら実現しないかもしれない。主は私の心を開いてくださる。

パウロはかつて挫折の中で心を開かれました。彼は挫折の中で自分が行こうとしていた道がすべて、扉が閉ざされたと書かれています。自分の計画が倒れて行くというその中で、ある晩、マケドニアの人が「こちらに渡って来て私たちを助けてください。」というその声を聞いた。そして彼はああ、聖霊の働きによってアジヤでの伝道を閉ざされて、今新しい世界へ旅立とうとしているのだということに、パウロは心を開かれてエーゲ海を渡って行った。そしてエーゲ海を渡って行った所にいたひとりの姉妹が、心を開かれて、パウロの福音に耳を傾けたのです。

3 ) 主に応えるルデヤ
15節をご一緒に読む。「そして、彼女も、またその家族もバプテスマを受けたとき、彼女は、『私を主に忠実な者とお思いでしたら、どうか、私の家に来てお泊まりください。』と言って頼み、強いてそうさせた」。

一番目のポイントは、祈り場で敬虔に祈り熱心に耳を傾けるルデヤです。2番目は、主の働きによって心を開かれるルデヤです。ルデヤの熱心さでもない。パウロの弁舌のせいでもない。主の働きによってルデヤは心を開きました。3番目にルデヤは主に応え、パウロを家に招きます。

パウロの一行にはシラスも、テモテもいました。「どうか、私の家に来てお泊まりください」(15節)。「頼んで、強いてそうさせた」というくらい、情熱を傾けて、パウロの伝道をこれから先、支援していくという決意です。イエスさまの愛に向かって心開かれたルデヤ、そして家族も洗礼を受けます。イエスさまの愛に応えて、自分の家を伝道の働きのために提供します。それがピリピの教会の始まりであります。

多くの犠牲をもって伝道し、それがパウロです。それにひとりの婦人が感謝をもって応え、それがルデヤです。パウロはどんなに喜んだことでしょう。いや、喜んだのは、パウロだけではない。神さまも喜ばれた。

3 月は卒業式の季節ですが、先日、雑誌あでる話を読んでいました。70代の男性が高校時代の同窓会に出席して、久しぶりに昔の話で花が咲いたそうです。クラスメイトの何人かは連絡が取れず、何人かはすでに世を去り、でも集まってきた者たちは、昔の話で大笑い、とっても和やかな同窓会になりました。話は、当時を振り返って、誰に一番感謝しているか、恩義を感じているか、ということになりました。その文章を書いていた男性は、ひとりの女性の国語の教師を連想しました。名前はなかなか思い出せない。山下先生? そうだよな、山下先生っていたじゃない。ぼくは、あの先生に感謝する。あの先生が教えてくれた。詩の世界のすばらしさを。そして今だに自分は詩の世界を本当に大切に思っている。

同窓会が終わって、彼は思い立ちしました。そうだ、とりあえず、あの山下先生に感謝の手紙を書こう。手紙は高校に送られ、そして調査がされて、もう辞めて何十年になる先生の元へと転送され、この男性のもとに返事が返って来ました。「フジモト君。お手紙をありがとう。」 先生はお年を召されて、ペンの字は震えていました。「手紙をありがとう。私はもう9 0 才を越えました。今は小さな部屋に1 人で住んでいます。少々孤独を味わい、でも健康は保たれています。ごめんなさい。あなたのことは遠い昔で、全然覚えていません。でも、私こそ感謝します。約4 0 年高校で教えていました。でもこのように感謝のお便りを頂いたのは、今日が初めてです。あなたの手紙が届いたこの日、外はとっても寒く、私の心と人生を象徴しているかのような冬でした。でも、あなたの手紙一つで、私の一日は明るくなり、すばらしい一日となりました」。

気持ちは分かります。パウロは第2次伝道旅行に行き、そしてみことばを語ることを禁じられ、恐らく病気にかかったということを私は申し上げました。ムシヤの通り、ビテニヤの方に行こうとし、それもまた禁じられ、そしてエーゲ海を渡るという冒険をしながら、全然自分の知らないトロアスから船に乗り、サモトラケに直行して、ネアポリスに着き、ピリピに行き、だーれも頼るところがない。そのパウロがルデヤに出会い、そのルデヤが懇願して「私の家に泊ってください。」と言った時に、パウロの一日は明るくなったということがよく解ります。寒い冬の日を何日も過ごしてきたようなこのパウロの一日が明るくなった。しかし明るくなったのは、神さまにとってもそうだと思います。

神さまにとって、すばらしい一日があるとしたら、どういう日でしょうか。全能の神さまが、今日はすばらしい、今日は報われたとおっしゃる日があると思いますか?あるんです。イエスさまが教えてくださいました。それは、神の御前に失われた人が、神の愛に応えて、神の家へと戻って来る日です。そして神の愛を受けて、神に感謝して礼拝を捧げるその日、天国では喜びがわきあがる、宴会を開いて喜ぶようにみんなで喜ぶと、ルカ1 5 章に3 度も記されています。

ルデヤが祈り場に来るのを主はご覧になっていたことでしょう。ルデヤの心を開いたのは神さまです。しかし、その神さまにしてみれば、心開いたルデヤが、福音に心に留めたルデヤが、イエスさまの愛に応えて、イエスさまについていくことを決心し、自分の持てるものを神さまの前に提供したことは、神さまが今日は素晴らしい一日であった、今日はわたしの働きが報われた一日であったと、そんな喜びにあふれておられるに違いない。

大胆なパウロの伝道、私たちが語るべきは大胆なパウロの伝道だけではない。私たちが学ぶのは、働いてくださる神さま。どんなに伝道者が頑張っても、神さまが働いてくださらなければ、教会はできない。でもそれだけでもない。それに応えて自分の持てるものを差し出したルデヤ、世界中の教会がこうして誕生して行くのです。

勇気をもって福音を宣べ伝える人がいます。それに耳を傾ける人がいて、その人物の心を、神さまは開いて、福音を届けてくださり、神の愛の言葉を、その人の心に留めます。 その人が持てるものを、持てる力を、持てる賜物を、時間を、祈りを、労力を主に捧げ教会はできて行くのです。そこにあなたがいて、そこに私が今日いるのだということを、覚えておいて頂きたい。この教会の歴史を振り返ってみればそのことの連続です。熱心に伝道する兄弟姉妹、牧師が遣わされている。神さまがいつもこの教会で働いてくださり、私たちの心を開いてくださる。そして神の愛に応える皆さんがいる。そこに教会がある。そこに今日の私がいるということを感謝して、覚えたいと思います。

☆終わりのお祈り
恵み深い天の父なる神さま、あなたの働きがなければルデヤの心は開かれず、また私たちの心も開かれることはありません。また熱心に真実にみことばを語るパウロがいなければ、あなたの教会はピリピに存在しませんでしたし、またこの高津教会も存在しませんでした。
しかしそれにもまして、いやそれと同じように、あなたの愛に感謝をもって応える一人の婦人、一人の男性がいなければ、このピリピの教会もそして高津の教会もなかったことを覚え、私たちもまたそのようなひとりとさせてください。長い60数年の歴史を数えるこの教会に、あなたが招いてくださいましたことを感謝します。そしてこれからも熱心な伝道者を遣わしてください。これからも、人のたましいを開けることのできるあなたのわざを捨てることなく、そしてこれからも感謝をもってみわざに応えることを許してください。イエス・キリストのみ名によってお祈り致します。アーメン。

☆感想をひとこと
全文原稿の藤本先生の説教にかかわる者としては、今回のメッセージをとても感動して感謝して受け止めました。それは、この仕事の内容と関係すると思います。お使いになる言葉というのは、先生に神さまがくださったいわば賜物ですから、それを邪魔をして壊さないよう書き換えず、一つ一つに先生のお使いになることばの味が出るように心がけています。また先生もおっしゃっていることですが、日本語としておかしいと思えるところを(勝手にさせていただくことを了承してくださっていますが)訂正していくことも、ある意味伝道という性格上、必要な事でもあります。そういう私も同じように間違った使い方とか、聞き間違いなどもあるので、自信があるわけではなく、決して偉そうなことは言えないのですが。

でも先生の文章はとてもソフトでわかりやすいし、鋭いしユーモアもあり、涙もあって、面白いと思っているので、誰よりも早くこのメッセージを取り扱わせて頂いて本当に感謝であり、皆さんには大変な仕事とも思われているようですが、神さまの恵みと祝福を覚えて、一番恵まれているのは私だと思っているぐらい、説教を喜んでいます。

全文原稿とおっしゃいますが、話されるときにはさらに深い内容になっていて、比べるとやはり実際にその日耳で聞いてきたことの方が強く印象に残っていますから、たとえ同じことを話されたとしても、言いまわしなどは聞いた通りに録音から音を拾って活字にします。時には用意されたひとまとまりの文章がどこにも出てこないということもありますが、それを入れると聞いた方は混乱すると思いますので、もう思い切りよく捨ててしまうことになります。

でも結果どのようでも、不思議といつもよくまとまっていますよね。そのせいで、この掲示板も好評を得ており、これはひとえに先生のみことば(みこころ)の探求の熱意と、それを知る神さまの憐れみのゆえだと思っています。夫が先生のメッセージはストライクだと言っていましたから、皆さんそのように感じて礼拝から気持ちよく出て行かれるのだと思います。それに、今日のメッセージによると、私たちの聞く姿勢も神さまには評価してもらえているとしたら、本当にうれしくなりました。というわけです。長い言い訳のような文をすみません。私のような者でも使っていただいて先生には本当に感謝しています。

☆追記
藤本先生はこの一年あまり、教団その他のお仕事のほか、時間的にはとくに圭子先生の越谷のお父様の介護で往復されてお忙しい中、よく毎週土曜日の夜遅くまでかかって、ほとんど日曜日にかかって仕上げておられるようで、頭が下がりました。そのお父様も21日(日曜日)に天に召されたということです。また今週は大変お忙しい日になると思いますが、どうかその体と心とたましいとを、神さまに守られますように、そしてご家族に上よりの平安がありますようにお祈りします。

掲示物をメールで送信。 プリントプレビュー
DATE: 2011.03.26 - 23:15
LAST UPDATE: 2011.03.26 - 23:35

114.17.195.93 - Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; GTB6.6; .NET CLR 2.0.50727; .NET CLR 3.0.4506.2152; .NET CLR 3.5.30729; AskTbVD/5.9.1.14019; Sleipnir/2.9.6)

Name   E-Mail   Password

 前文 「さばかない霊性」 2010.2.14  須郷進...
 次文 2/7説教「パウロ(15)神のご計画がなる」...
文章投稿 *^^*削除修正返答を書くリスト

チェックされた全文書を見る
250Simple view *^^*4/11礼拝説教「パウロ(20)恐れない... [1] T・Y 2011.03.26 22276
249Simple view *^^*4/4イースター礼拝説教「石をわきに転がす... T・Y 2011.03.26 4432
248Simple view *^^*3/28パーム・サンデー説教「キリストの十... T・Y 2011.03.26 4678
247Simple view *^^*3/21説教「聖霊を実感する(1)大胆に求め... T・Y 2011.03.26 3744
246Simple view *^^*3/14説教「パウロ(19)アレオパゴス」使徒... [1] T・Y 2011.03.26 17626
245Simple view *^^*3/7説教「パウロ(18)こうして教会は・・... [1] T・Y 2011.03.26 4295
244Simple view *^^*2/28説教「パウロ(17)真の自由」使徒の働... T・Y 2011.03.26 4971
243Simple view *^^*「さばかない霊性」 2010.2.14  須郷進... [2] DiceK 2011.03.26 26816
242現在参照中の文章です...2/21説教「主は私の心を開いてくださる... T・Y 2011.03.26 5647
241Simple view *^^*2/7説教「パウロ(15)神のご計画がなる」... T・Y 2011.03.26 4130
240Simple view *^^*「召されたことを確かなものとする」 2010... DiceK 2011.03.26 3632
239Simple view *^^*1/24教会総会の聖日の説教「信仰という雰... T・Y 2011.03.26 6346
チェック項目を全て削除。 チェック項目を全て削除。

前頁 次頁
本頁が先頭ページです前へ戻る 11  12  13  14  15  16  17  18  19  20 次へ進む本頁が最終ページです
文章投稿 *^^* 再読込
投稿者氏名を検索項目欄に追加/除去タイトルを検索項目欄に追加/除去内容を検索項目欄に追加/除去 メイン画面に戻る。... *^^*