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::: 高津教会 説 教 :::


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Name   fujimoto
Subject   涙と祈り――ハガルの祈りA (祈りのシリーズ7)
祈りと涙(ハガルA)
              創世記21:1−21

「そうして彼女は声をあげて泣いた。「神は少年の声を聞かれ……」(創世記二一・一六〜一七)

               ●声をあげて泣く

 聖書の中で、「声をあげて泣いた」と描かれている場面はいくつもあります。どの場面も情感がいっぱいに描かれています。アブラハムが長年連れ添ったサラを天に送ったとき、大声を上げて、泣きました。エジプトに売られたヨセフの元に、兄弟たちが穀物を買いに来ます。そのとき、ヨセフは、その兄弟たちに気がつきましたが、兄たちにはそれがヨセフであるのがわかりません。穀物を買うために、様々な障害に阻まれ、それはみな、自分たちがかつて弟ヨセフをエジプトに売り飛ばしたことに対する神の裁きだ、と兄たちが話し合っているのを、同じ部屋にいたヨセフが聞きます。そのときヨセフは、自分をおさえることができなくて、部屋を出て、声を上げて泣いています。
 ダビデも親友のヨナタンと別れるときに泣きました。ヨナタンの父サウルがダビデを恨んでいることが明白になり、ダビデのいのちが危険であると判明したとき、ダビデはヨナタンの元を去っていきます。その朝、二人は抱き合って泣きました。「二人は口づけして、抱き合って泣き、ダビデはいっそう激しく泣いた」とTサムエル二〇・四一に記されています。やがて、戦いでヨナタンが死んだとき、ダビデは声をあげて泣きました。
 涙を流さない人生はありません。私たちは、弱いから泣いているのではありません。生きているから、いのちがあるから、涙が出るのです。

                              ●涙の意味

 人は、よく言葉に詰まり、言葉が出てこなくなると涙がこみ上げてきます。涙は、言葉と口では決して表現できない独特な深みを持っています。涙腺は口では表現できない感情を表現できるのです。
 イエスさまの足下にひれ伏して泣いている女性がルカの福音書七章に出てきます。「罪深い女」であったと記されています。イエスがパリサイ人シモンの家で食事をしていたときのことです。彼女は、イエスの後ろに立ちました。自分とは別世界に生きておられるようなこの方の、輝きを見ることはできなかったのでしょう。
 彼女は、何かを語りにやってきたのです。何かを求めてやってきたのです。しかし、声が出ません。言葉の代わりに、涙があふれてきました。主は、何も言わず、驚きもせず、ただこの女性の涙を受けておられました。女は、主の足に流した涙を髪の毛で拭いました。涙と共に内側の後悔も、悲しみも、惨めさも、恐れも、ゆっくりと溶けてイエス様の足の上に流れて言ったのです。泣きながら、平安がこみ上げてきました。赦された喜びがあふれて、さらに涙となって流れていきました。まったく解決もない、暗闇の涙とは違います。泣いても泣いても、何処にもたどり着けず、最後は、疲れて寝てしまうような涙ではありません。それは家に帰ってきた喜びです。長い間さまよい、とうとう家に帰ってきた喜びの涙です。
 しかし、ここでハガルが流している涙はそうではありません。絶望の涙です。彼女は、アブラハムの妻サラに仕える女奴隷でした。二人の間に子どもができないので、とうとうハガルとの間で子どもを設けてくださいと願ったのは、サラでした。そうしてイシュマエルが生まれます。しかし、イシュマエル誕生を前にして、この複雑な関係は、家庭の中で問題を起こしました。サラによるいじめが始まり、耐えきれなくなったハガルは、行く当てもなく荒野に逃亡します。そのとき主はハガルに現れ、身重の彼女にとって最善の場所、すなわちアブラハムとサラの所へ帰るように諭されました。それから彼女は、身を低くして仕えてきたのです。
 しかし、やがてイシュマエルが生まれ、そしてアブラハムとサラとの間に、ヤコブが生まれたとき、再び行き詰まってしまいました。それが、この二一章です。サラは、ハガルとイシュマエルを追い出すように言います。
 「翌朝早く、アブラハムは、パンと水の革袋を取って、ハガルに与え、それを彼女の肩に載せ、その子とともに彼女を送り出した」(一四節)。
 イシュマエルは、このとき一四才の少年でした。母は息子を不敏に思い、息子も母を不敏に思い、あてどもなく、ベエルシェバの荒野をさまよいます。とうとうパンも水もつきてしまったとき、倒れて枯れた木の所に、イシュマエルは座りました。
 ハガルは、そこから二〇メートルぐらい離れて座りました。自分の子どもの最後を見たくないと思ったからです。そして声をあげて泣きました。息子の小さな頃の無邪気な笑顔、そして苦労をさせた申し訳なさ、情けなさが胸にいっぱいで、ハガルはうずくまって声をあげて泣きました。
  この涙は何を語っていたのでしょうか。人生の理不尽さ、無力さ、情けなさです。それは、どこにも持って行きようがない、だれにも届けることができない、理解してもらえない、悲しい涙でした。
 しかし、この涙を、ご覧になる神(エル・ロイ)は、見ておられました。多くの涙を流したダビデの詩篇に、こうあります。
 「あなたは、私のさすらいを記しておられます。どうか私の涙を、あなたの革袋にたくわえてください」(五六・八)。
 主は蓄えていてくださいました。この不敏なハガルが何度となく流した涙の一粒一粒を。

                                 ●涙を尊ばれる主

 しかし、主イエスの憐れみを知っている私たちは、声をあげて泣くハガルの傍らに主御自身が付き添うように立っておられたことを想像します。なぜなら、私たちは涙するイエスを知っているからです。福音書の中で、神の御子、全能なる、聖なるお方が泣いておられるのを少なくとも三回見いだすことができます。
 主は、友ラザロの死において涙を流されました。死んでしまったラザロを復活させるつもりだった主ですが、死んで葬られた悲しみの場面にあって、涙がうちからこみ上げてきたのです。
 主は、オリーブ山の方からエルサレムを見ながら涙を流されました。それは拒絶の悲しみです。雌鳥がそのひなを幾度となく、翼の下に集めようとしたことか。それは、傷ついた母親の思いを表す涙でした。わかってもらえない、通じない、拒絶された、誤解された、断絶から来る涙でした。
 また主は、ゲッセマネの園で(ヘブル人への手紙五・七)涙しておられます。それは受難の宿命に立ち向かった涙でした。「父よ、あなたにできないことはありません。どうか、この杯を私から取り去ってください」と涙とともに訴えましたが、十字架は飲まざるを得ない杯でした。
 涙は、人として来られたイエスさまの象徴です。イエスさまの涙には、人生の悲しみ、悔しさ、痛みが込められています。泣くことを知っておられた主は、涙するハガルの傍らに、そして私たちの傍らに立っておられます。このお方には、言葉で表現できない祈りは、涙で訴えることができます。そして主はおっしゃいました。
 「いま泣いているものは幸いです。あなたがたは、いまに笑うようになります」(ルカ六・二一)。
 不思議なお方です。涙を真珠のように貴び、悲しみ、苦悩をこの上なく祝福してくださるイエスです。どんな言葉より、どんな行動より、涙を尊んでくださるイエスさまです。
 私がある地方の聖会にまいりましたときに、夕方散歩していると年輩の婦人に会いました。その方は、ご主人を亡くしたときのことを話してくださいました。五〇代の半ばで、フランスで日本の企業の工場を造る仕事を任され、一年目終えて、胃ガンを発病。胃ガンの最先端は日本だということで、帰国して治療に当たりました。ご主人は、病床洗礼を受けて、天に召されました。ご主人は闘病の最後の方でふと奥様にもらされたそうです。「シーザーに会いたい」。それは、ずっと飼っていらした愛犬(レトリバー)でした。フランスに行くために、友人宅にあずけてあったそうです。お医者さんの配慮で、一階の救急看護室にベッドをおろしてもらって、そこで愛犬と久しぶりに対面しました。シーザーは、ベッドのところに手を上げて、飼い主の顔を親しくなめて、涙を浮かべていたというのです。その光景は奥様の脳裏に刻み込まれました。
 闘病の思いでもたくさんあったとは思いますが、愛犬が飼い主の変わり果てた姿を見ながら涙を浮かべる場面を思いで深く話されたご婦人を見ながら、私はあらためて涙の重みというものを感じました。私たちはあらゆる場面で、涙の意味を汲みとろうとするのです。それだけ涙は尊いのです。イエスさまもそのように私たちの涙をごらんになります。

                  ●涙と祈りの間に

 少年イシュマエルは、泣いている母を見ました。彼は、一生懸命、母の代わりに祈りました。泣いている母は、いまは祈られているのです。母は強いと言いますが、その母もいまは弱いのです。そして神は少年の声を聞かれました。泣いている母、涙を見ている息子の間に、神さまが入ってこられました。祈っている息子、祈られている母の間に、主イエスが立たれたのです。

 高津教会の戸塚姉の友人で、同じ玉川聖学院の国語の教師、そしてオルガン奏者だった今村真子さんという方がいらっしゃいます。悪性リンパ腫が脳に転移して、四〇才でその生涯を閉じられました。その最後の戦いをご主人は恵みの証しとして書き残しておられます。
 それは、放射線治療のかいなく、腫瘍が頭全体にものすごい勢いで広がり、昏睡状態が続いていたときのことです。ご主人は祈りました。

 「主よ。あなたは、何もかもご存じのはずです。真子がこれまであなたを信じて大きな罪を犯さず、だれが見ても誠実に生きてきたことを。才能にあふれ、まだ四〇才になったばかりの女盛りで、この地上でやり残していることがたくさんあることを。私が真子や子どもたちを愛することと、少し偉そうに振る舞って裁判の仕事をすること以外刺して取り柄のない平凡な男であることを。私が真子といっしょでなければ生きていけない弱い弱い者であること、私たち家族が、あなたにより頼んで生きようとして来たこと、十二歳、九歳、五歳の三人の男の子たちがまだまだ母親を必要としていること、すべてご存じです……」
 その祈りの後で、ご主人はこう記しています。
 「心の奥底から祈りました。いっしょに涙がこみ上げてきて止まりませんでした。祈りと涙が一緒になって、祈りの涙となりました。彼女の体を抱き、ほほをすり寄せ、祈り、そして良くなって必ず一緒にうちに帰ろうと共に涙しました」
 祈りと涙が一緒になって、祈りの涙となる。きっと声をあげて泣くハガルと祈るイシュマエルが、主の前に一つとなったのも、このような感じではなかったかと思います。
 奥さまの様態が悪くなると、ご主人の祈りは変わります。
――良い祈りです。良く聞いてください。
 「私たちは罪を犯しました。あなたに従うかのように振る舞いながらも、実のところはあなたに背いて生きてきました。どうか罪深い私たちをあわれんで下さい。そして、どうか私たちから真子を取り去らないで下さい。あなたが必要とされるなら、真子の肉体と魂をあなたにお委ねいたしますから、その後でどうかあわれみによって、私たちに戻して下さい」(『心の扉を開くとき』クリスチャン新聞、四四〜四六頁)

 なんと次に朝、真子さんは目を覚まします。涙の祈りによって息を吹き返します。それをご主人は「復活」と呼んでいます。そして、もう八ヶ月、奇跡的に生かされ、多くの人の祈りに支えられ、天に召されます。
 「いつまでも残るものは、信仰と希望と愛です」という絆で家族がむすばれて、天に帰っていきます。

 泣く者がいて、涙をともにする者がいて、祈る者がいて、祈られる者がいて、その間に神が、イエスさまが、立っていてくださるのです。するとそこに、信仰と希望と愛が満ちていきます。これが家族なのです。またそれが教会の家族なのです。

掲示物をメールで送信。 プリントプレビュー
DATE: 2003.02.16 - 23:35
LAST UPDATE: 2003.02.16 - 23:44

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