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::: 高津教会 説 教 :::


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Name   T・Y
Subject   8/8礼拝説教「信仰者の良心(迫害の中で)」使徒の働き4:13〜24
8/8礼拝説教「信仰者の良心(迫害の中で)」使徒の働き4:13〜24

☆説教
高津教会ではず〜っとパウロの生涯から学びをしていますが、それを中断致しまして、今週と来週は、日本の教会の牧師であるならば、戦争の悲惨さをこの身に考え、世界の平和のことをともに考えなければならないと思いまして、今朝はこの個所に心を留めたいと思います。

礼拝の祈りの中で、時折、私たちは平安に礼拝を守ることができますが、今も迫害の中で、戦争の中で平和に礼拝を守ることができないであろう教会のために、私たちは祈っています。それはわずか65年前まで、私たち日本の教会は迫害のただ中にいたからです。私はその時代のことはほとんどわかりません。そして今日ここに座っておられるほとんどの方々も、文章や証しで聞くだけですが、1942年の6月26日の早朝、ホーリネス系の牧師96名が逮捕されます。朝5時6時の出来事でありました。これが第1次一斉検挙というものです。

翌年にも第2次一斉検挙がありまして、ホーリネス系の牧師は合計124名が逮捕され、そして、合計124の教会が解散させられて 行きました。裁判にかけられ、実刑判決を多くの者が受けました。刑に服した者は、例えばホーリネス教団の車田秋次先生(高橋武兄がよく知っておられます)、米田豊先生、あるいは私たちの教団の創設者であります、蔦田二雄先生も含まれていました。

なぜホーリネス教団が一斉にねらわれたのか?それは他の教団が、伝道的に割と沈滞していました。その沈滞の中を、ホーリネスのリバイバルが中田重冶のもとに起こされ、そしてこの群れだけは日本の教会が沈滞している中で、次から次へと新しい教会を建てて行きます。そして、キリストの再臨を説いていた、それが最大の理由です。キリストこそが王であり統治者であり、地上の王たちは、やがてすべてがキリストの支配のもとに膝をかがめる時がやって来る、ということを講壇で説くわけですから。これが脅威でした。
            
このメッセージは、天皇制国家にあって容認できないものでした。当時、すでに宗教法人統制法ができまして、たとえば仏教は5つの宗派に統合されていきます。神道以外のものは全部統制にかかって行きます。教会は、二つのグループに統制されました。カトリックで一つ、プロテスタント28の団体は、日本基督教団一つとなります。

【戦争の後、日本基督教団からそれぞれの教派が出て行きます。インマヌエルもそうでしたけれども。しかし、そうではなくして、残った教団が今日本基督教団という名称をいまだに保っている訳です】。
  
憲兵が教会の礼拝に座ります。そして牧師の説教をチェックします。そして翌日牧師が逮捕されて行きます。教会に天皇の写真が置かれ、礼拝の前に天皇の写真を拝礼することを強要されます。教会は日本社会、その軍国主義的日本社会にあって、何とか自分たちの居場所を見つけようと必死でありました。

ですから、当時の日本基督教団の幹部は、逮捕されたホーリネス系の牧師を切り捨てて行きます。逮捕された牧師のメッセージはそもそも熱狂的であって、キリスト教会全体として考えてみれば、少々異端的であったと。日本基督教団そのものが国体に賛成していましたから、逮捕された牧師たちの説教は国体にそぐわない、と切り捨てます。これらの牧師はまともな神学教育を受けていないと批判しています。

私は何度も講壇で話して来ましたけれども、当時の日本基督教団の一番のトップでありました富田先生は、韓国に行って韓国の教会に説得をしますね。天皇を拝みなさいと。これが日本の教会が犯した最大の罪だと言われています。

韓国の教会は歴史的には日本よりも短い。ペリーは先に日本に来、しばらくして韓国はその門戸を西洋に開きますので、プロテスタント(教会)の歴史は私たちより短い。しかし教会の力は私たちは恐らく韓国の1000分の1であると言ってもいいかもしれない。その差はいったいどこにあるのかと言えば、いまだに日本の教会の歴史を勉強している兄弟たちは、私たちは天皇制に屈し、のみならず、自分たちが乗り出していったこの世界、満州、あるいは韓国、さまざまなところにできた教会にあって、天皇制を偶像崇拝を強要した(と言います)。
 
戦後、日本の教会は今に至るまで、国家・社会の主張や雰囲気にいかに迎合しないか、戦後日本の教会は反省して、神のみことばの真理に立って、信仰を貫く勇気が与えられるように、このことを考えて日本の教会は生きて行ったと言ってもいい。いかに社会の風潮に合わせないか、私は時にはそれぐらいのことはいいんじゃないのと思うこともたくさんありますが、日本の教会というのは、戦後ある意味、社会の風潮と距離を置き過ぎた。

なぜそういう行動が起こったかというと、理由は2つあって、1つは、戦後日本の風潮を全く理解しない海外の宣教師が、海外流のものの考え方で、見るものなすもの全部を偶像視したということがあります。文化的なものとして許容できるものまでも排除してしまったという傾向があります。しかしもうひとつはですね、戦中の日本の教会が妙に日本的なものに抱き合わされて行ったということの反省から、なるべく距離を置くようになりました。

さて、こうした前提を考えていただいて、使徒の働きの4章の出来事を見ていただきたいと思います。先に状況を簡単にお話して、これを第1のポイントとします。13節を一緒に読んでみましょう。

13節「彼らはペテロとヨハネとの大胆さを見、またふたりが無学な、普通の人であるのを知って驚いたが、ふたりがイエスとともにいたのだ、ということがわかって来た」。

1)ペテロとヨハネは大胆でした。

ペンテコステの後、大胆な伝道の故に、二人はユダヤ人指導者たちに捕えられ、尋問が始まるというのが、4章の頭に書いてあります。ペンテコステの出来事からまだそれほど時は経っていませんでした。ということは、ここで捕えられる。5節をちょっとご覧ください。

5節「翌日、民の指導者、長老、学者たちは、エルサレムに集まった」。
6節「大祭司アンナス、カヤパ、ヨハネ、アレキサンデル、そのほか大祭司の一族もみな出席した」。
7節「彼らは使徒たちを真中に立たせて、『あなたがたは何の権威によって、また、だれの名によってこんなことをしたのか。』と尋問しだした」。

これが使徒の働きに出てくる一番最初の「迫害」です。まだ「迫害」とは呼べない。恐らく妨害でいいんだろうと思います。でも彼らの働きを妨害しているのは、実は議員、長老、大祭司、律法学者という、サンヘドリン、新改訳聖書では全議会と訳していますが、これはユダヤ人の最高決定機関の議会です。まさに約2カ月前、この議会がイエスを有罪とし、ローマの総督ピラトに引き渡し、十字架に掛けた。恐らく2か月前としたならば、全議会を構成する70人のメンバーは全然変わっていない。その70人がペテロとヨハネを尋問した時に、どれ程の権威的なプレッシャーを彼らが感じたことか知るのは簡単なことです。本来ならば、教会は元気を失い、頭を抱えて静かに様子を見る、という事態なのです。またこれか、エルサレムでは無理だなと。

ところが、ペテロは全く動じることがありませんでした。8節から10節までを交替に読んで行きます。

8節「そのとき、ペテロは聖霊に満たされて、彼らに言った。『民の指導者たち、ならびに長老の方々」。 
9節「私たちがきょう取り調べられているのが、病人に行った良いわざについてであり、その人が何によっていやされたか、ということのためであるなら、」
10節「皆さんも、またイスラエルのすべての人々も、よく知ってください。この人が直って、あなたがたの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけ、神が死者の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの御名によるのです」。

8節以下の彼の言葉は、まことに大胆です。

12節「この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間には与えられていないからです」。

とってもストレートな真理を大胆に語っています。まだ、処刑されるに至りませんでした。なぜなら、彼らは暴動を起こしたわけではないから。しかし、17節見てください。

17節「しかし、これ以上民の間に広がらないために、今後だれにもこの名によって語ってはならないと、彼らをきびしく戒めよう」。

つまり、いっさいイエス・キリストの名によって語ってはならないと命じたと、強い勧告を、けん責を出します。全体は淡々と、そして実に快活に語られているように見えます。彼らの勇気と大胆さが実に明快に語られています。でももし私たちがペテロやヨハネだったら、その心境はどうだっただろうかということは、想像するのにそんなに難しくない。そこにいるのは、あのイエス・キリストを十字架で処刑した人びとですよ。その処刑のむごたらしさも、また処刑に至る裁判の強引さも、彼らの言葉が脅しでないことも、すべて二人は知っていたはずです。

このストレス・この圧力の中で、そして私たち誰もがどのような事態にあっても、考えなければならない有名な言葉をこの二人は残していますが、2番目にその有名なことばを見ていただきたいと思います。それが19節です。ご一緒に読みましょう。

19節「ペテロとヨハネは彼らに答えて言った。『神に聞き従うより、あなたがたに聞き従うほうが、神の前に正しいかどうか、判断してください」。

2)あなたがたにではなく、神に従う(19節)

全議会を前に、「判断してください」(と言ったのです)。人に従うべきか、神に従うべきか、どちらが神の前に正しいか、考えてみてください、判断してみてください、と言うのは、冷静な質問ではないでしょう。印象として受けるのは、二人はこう言うことによって自らの信仰の良心を奮い立たせている。折れそうになる、へこみそうになる自分の勇気を人に従うべきか、神に従うべきか、よく考えてみようと自分に言い聞かせながら、自分の信仰の良心を奮い立たせているのです。

このことばは、後にもう一度出てきます。5章の29節にも同じように書かれていますので、ご一緒に読んでみましょう。

5:29「ペテロをはじめ使徒たちは答えて言った。『人に従うより、神に従うべきです」。
          
使徒の働きは、ペンテコステから始まる、教会の伝道の働きを描いています。最初は、ペテロとヨハネ、あるいはステパノ、やがて物語は、バルナバが登場し、そしてパウロの生涯へと展開していきます。この宣教の道、伝道の道は決して平坦ではありませんでした。

どこにあっても迫害や弾圧が待ち構えていた。いつでもパウロには戦々恐々とした状況がありました。まるで、日本の戦時下のキリスト教会のようです。パウロが集会をしていると、憲兵ならぬ、ユダヤ人が教会の集まりに忍び込んで、彼らの話に耳を傾けます。最初のクリスチャンがユダヤ人であったため、いつでもクリスチャンは全議会の審問に立たされ、やがてローマ帝国の支配下にあって、総督の裁判に立たされます。

迫害や弾圧が、これから始まるそうした可能性を存分に含んだ、含んでいるということは、これから始まる伝道、教会建設の中に、迫害や弾圧が必ず入って来るという前提を前にして、一番初めにペテロとヨハネが語った言葉は、教会の標語になりました。それが「人に従うよりも、神に従うべきだ」。

私たち日本のクリスチャンは、いまだに日本という社会で、自分の居場所を見つけている。 アメリカに行ったら、クリスチャンが自分の居場所を見つけるなんてことはあり得ないです。今のオバマさんが歴代56代目?大統領ですが、全員クリスチャンですから。クリスチャンでなければ大統領になれない。アメリカ市民にはなれても、大統領にはなれないのです。そういう国にあって、教会が自分の居場所を見つけるなんてことは、あり得ないです。むしろ、ほかの宗教を持っていたら、何とかして自分の居場所を見つけるのに必死です。

でも日本は全く逆で、私たちは洗礼を受けたその時点から、日本社会の中にあって、自分の信仰を保ちながら、いったい自分の居場所をどう見つけるか必死でもがいている。そのもがき方は牧師である私よりも、社会に生きる皆さんの方がはるかにしんどい。親戚との付き合いもあれば、あるいは社会との付き合いもある中で、ペテロとヨハネが一番最初に、自分たちの生きて行く伝道のモットーとして、「人に従うよりも神に従うべきだ」ということばをきちっと魂に刻みこんでいた。私たち日本のクリスチャンはどこかで頭に刻んでいるのです。

第二次世界大戦の折に、リトアニアから6千人のユダヤ人を救いだした杉原千畝(すぎはらちうね)という書記官のことは、最近まであまり知られていませんでした。数年前のTVの特集で、一気に知名度は上がりました。アウシュビッツのありましたポーランドの上に位置していたのがリトアニアです。ドイツがポーランドに侵攻し、やがてその手がリトアニアに伸びてくることは明らかでした。そこから逃げるために、多くのユダヤ人が日本大使館に殺到します。

杉原書記官は、ビザの発行を外務省に求めますが、当時日独伊三国同盟がありましたので、外務省は発給できない。
彼は独断で、日本を経由させて第三国へ亡命するビザを発給します。ほとんどの人がアメリカへ亡命しています。なんと、6000人のユダヤ人の命を救います。

杉原書記官は、戦後日本に帰国して、その時点で日本の外務省を解雇されました。この世の目から見ればとっても不遇な人生を歩みました。以前テレビでも特集されていました。戦争が終わって、ひっそりと暮らしてた杉原夫妻を見つけ出したのは、ビザによっていのちを助けられたユダヤ人たちです。1968年、イスラエル大使館に呼ばれて行った杉原は、ニシュリという参事官から、1枚のぼろぼろになった紙切れを見せられました。

それは28年前、リトアニアで彼が書き続けたビザの1枚でした。そして、ニシュリはそのビザによって、生き延びることができた一人だったのです。イスラエル大使館で再会した杉原を前に、ニシュリは杉原の手を固く握って感謝をし、涙を流したと言います。彼は日本のシンドラーと呼ばれるようになります。
 
2002年、アメリカのロサンゼルスに、アメリカに亡命することができたユダヤ人たちの手によって、彼の銅像が建てられました。その除幕式に招かれた、杉原書記官の次男は、インタビューでこう言いました。「父はよくこう言っていた。政府に背くことはできても神に背くことはできない、と。」             ↓

彼は、ロシア正教会の洗礼を受けたクリスチャンでした。日本のシンドラーと呼ばれた、彼の行動の背後にあったもの、それは、人に従うよりは神に従う、政府に背くことはできても神に背くことはできない、という神を信じる者の良心でした。彼は大使館の書記官として、戦争を問題視していたことでしょう。でも大使館の書記官であるなら、日本の方針が最優先です。
      
戦争の中にあって、自らの無力さを痛感したに違いありません。しかし、どんなに自分が無力であっても、自分の信仰は無力ではない。彼はその書記官の立場を逆手に取って六千人の命を救います。政府に背くことはできても、神に背くことはできない、と。

3)信仰者の良心を支えるもの、強くするもの、それはいったい何か?

23−24節を見てください。交読する。
23節「釈放されたふたりは 仲間のところへ行き、祭司長たちや長老たちが彼らに言ったことを残らず報告した」。
24節「これを聞いた人々はみな、心を一つにして、神に向かい、声を上げて言った。『主よ。あなたは天と地と海とその中のすべてのものを造られた方です」。

ペテロとヨハネの二人は仲間の所へ帰って行きました。そして書いてあるように、状況を残らず報告した。私は恐らく、残らず報告したならば、一瞬にしてその場は凍りついたに違いありません。中にはペテロとヨハネのやり方には、少々慎重さが欠けているのではないか、もう少し慎重に行動しないと、私たちの主イエス・キリストが十字架にかかられたように、私たちも一発で潰されると、そういう話し合いがあったと思う。
          
でも、その話合いの後で24節、皆は心を一つにして祈りました。@皆が祈ります、A心を一つにして祈ります、B声を上げて祈ります。3つ連続している表現が独特です。これがこの祈りの強さを物語っています。そして祈ったことばの最初がこれです。「主よ。あなたは天と地と海とその中にあるすべてのものを造られた方です」。
              
つまり、「人に従うよりは、神に従うべきだ」、政府に背いても、神に背くことはできない---その信仰者の良心を支え強くしているのは、神に従うべき、神に背くことはできない、というその「神」がいかなるお方であるのかを、皆で心を一つにして、声を上げて、告白することです。ですから私たちは使徒信条を必ず、皆で、心を一つにして、声を上げて、告白しているのです。

だれが、この世界を、私の人生を支配しているのか?だれが、私のさまざまな事態を掌握しておられるのか?地上の王や指導者たちなのか?この世界の権力を握り、教会を迫害する者たちなのか?

いや、すべてを、主イエス・キリストの父なる神が握っておられる。私のいのちも、事の成り行きも、私のいのちを狙うものも、私をおとしめる者も、神がすべて握っておられる。私たちの信じている神こそが、天と地と海と、その中にあるすべてのものを造り、支配しておられる。このことを、心を一つにして声を上げて、礼拝で告白する私たちは、無力ではない。私たちは(ひとりひとりはの意味でしょうか?***T・Y)無力です。しかし、私たちの神へのこの信仰は決して無力ではない。
  

☆終わりのお祈り
恵み深い天の父なる神さま、私は全能の父なる神を信じ、その方は全能のみならず、この世界を創造され、この世界を支配しておられ、いかなるものをも作り変えることのできる方であり、このお方の許可なくして雀1羽さえも地に落ちることはないと、イエスさま、あなたは教えてくださいました。ですから、どんなに厳しい、どんなに困難な状況にあっても、なおもあなたを見上げ、心を一つにしてあなたに祈ります。
私たちは人に従うよりは神に従う、政府に背くことはできても、神に背くことはできないと口にした時に、どうかその「神」と告白しているお方がいかに大いなるお方か、見ることができるようにしてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。

日本人クリスチャンは洗礼を受けたその時点から、日本社会の中にあって、自分の信仰を保ちながら、いったい自分の居場所をどう見つけるか必死でもがいている。――本当にその通りの我々ですが、いつも魂にペテロとヨハネが言った「人に従うより神に従う」という教会の標語を保ち続けて、へこみそうになる自分の勇気を励まして、難しい局面も生き抜いて行きたいと思いました。

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DATE: 2011.03.27 - 00:08
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