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::: 高津教会 説 教 :::


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Name   fujimoto
Subject   受け継がれる祈り(ベエルシェバ)
受け継がれる祈り(ベエルシェバ)   
        創世記26:17−33

                              ●受け継がれる祝福


 聖書の中で、旧約聖書の神を呼ぶとき、特有の表現が出てきます。それは、「アブラハム、イサク、ヤコブの神」という呼び名です。旧約聖書にも新約聖書にも出てきます。主イエスも用いておられます。「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」と。
 神は、人と関わって呼ばれることをよしとしてくださいました。「わたしはアブラハムの神だ」とおっしゃる神は、「わたしはフジモトの神だ」ともおっしゃいます。私の神であっていてくださる、全地万物を創造された神が、私の神であってくださるということでしょう。
 しかし、それ以上に、アブラハム、イサク、ヤコブの神と、続いて表現される場合、それは神との関わりが代々続いていくことを表しています。神の祝福は一代限りではありません。それは引き継がれ、受け継がれていくものなのです。今日はそのことを、イサクに注目してじっくりと考えてみたいと思います。今日の聖書の箇所は複雑ですから、前後しますがしっかりと読んでいきましょう。

               ●寄留の地で

 物語は、イサクが飢饉から逃れるためにゲラル地方に住んだと、始まります。ここはペリシテ人の地域、すなわち戦闘的な民族に囲まれた世界です。そこで神は、「あなたはこの地に、滞在しなさい。わたしはあなたとともにいて、あなたを祝福しよう」(三節)と言われました。そしてなんと、「イサクはその日に種を蒔き、その年に百倍の収穫を見た。主が彼を祝福してくださったのである」(一二節)と記されています。
 しかし、ここで大きな問題が生じました。羊の群、牛の群、多くのしもべを得て、どんどん裕福になりことは、寄留者としてペリシテ人の地に住んでいたイサクを不利にします。成功することは、寄留の地で繁栄することは、大変なねたみをかいました。イサクの一族は、迫害されるようになります。

 「それでペリシテ人は、イサクの父アブラハムの時代に、父のしもべたちが掘ったすべての井戸に土を満たしてこれをふさいだ」――この地域の王であったペリシテ人の王アビメレクは、「われわれのところから出て行ってくれ」(一五節)。

 このときイサクは、あえて抵抗せず、そこをさってゲラルの谷間に住みます。そこで彼は、父アブラハムの時代に掘られた井戸を見つけ、いったんはふさがれていたものを再び掘り返して水を得、さらには湧き水の出る新たな井戸を見つけました。ところが二〇節にあるように、ゲラルの羊飼いたちが、その井戸を奪いに来ます。そこでこの井戸に付けられた名前は、「エセク」)(争う)でした。
 イサクは、この井戸を渡して、もう一つ新しい井戸を掘ります。ところがまた同じようないざこざに巻き込まれ、それを放棄します。この井戸は「シテナ」(敵意)と名付けられました。
 利権争い、なわばり争いです。一生懸命に掘った井戸が奪いに来る者たちは、私たちの周囲にもいるものだということを教えてくれます。イサクは、争いを好みませんでした。彼は再びそこから移動して、他の井戸を掘ります(二二節)。今度は争いもなく、その井戸は、「レホボテ」と命名されます。それは「広々とした自由」という意味で、ようやく争いから解放されたことを意味していました。
 私たちの仕事がレホボテでありますように。私たちの近所づきあいがレホボテでありますように――だれもが祈ることです。しかし実際、そこにあるのは争いであり、敵意であり、それらに追い回されて生きていきます。イサクは、苦しかったでしょうね。夜も寝られずに、敵を警戒し、敵と向かい合っては自分の権利を主張し、説得しなだめ、何を言おうか、何をしようか、寝ずに考えたでしょう。毎日のようにつけ回されて、見張られ、奪われて、苦しかったことでしょう。争いを嫌う私たちにもそれはいたいほどよく分かります。
 とうとう彼は、平和と自由、レホボテを得たのです。感謝の意味を込めて、彼はベエルシェバに行きます。するとその晩、主は彼に現れて祝福してくださいました。

 「わたしはあなたの父アブラハムの神である。恐れてはならない。わたしがあなたとともにいる。わたしはあなたを祝福し、あなたの子孫を増し加えよう。わたしのしもべアブラハムのゆえに」(二四節)。

                ●父のゆえに

 さて、ここからです。今日私たちが注目したいのは。この節の最後です――「わたしのしもべアブラハムのゆえに」。
 イサクが祝福を得ているのは、父アブラハムの故なのです。私はクリスチャン二世です。父と母がクリスチャンで、私は小さいときから信仰の家庭に育ちました。父と母が神学校を卒業して、京都の天授ヶ岡というところの教会に遣わされて、そこで姉も私も生まれました。私の誕生と成長の背景に、いつも父と母の信仰と祈りがありました。これがクリスチャンの家庭の恵みです。私がいまあるのは、私が受けている恵みは、やはりイサクと同じく、「それは、あなたの父と母の故に受けているのだ」と主はおっしゃるでしょう。このようにしてだから、アブラハム、イサク、ヤコブの神と、神の祝福は代を重ねて受け継がれていきます。
 しかしそれは、自動的に、機械的に引き継がれていくものではありません。そのことを、詳しく物語の中身を見ながら考えていきましょう。
 二三節に「彼はそこからベエル・シェバに上った」とあ りますが、なぜベエル・シェバだったのでしょうか? ベエル・シェバとはどんな場所だったのでしょうか? 
 実は、彼の父アブラハムも、ゲラルの谷間に住んでいたことがあります。そのときも、イサクと同じように井戸をめぐって争いがありました。二一・二五に「アブラハムは、アビメレクのしもべどもが奪い取った井戸のことでアビメレクに抗議した」と記されています。アビメレクというのは、ゲラルの王さまです。かつて、同じように井戸という生活権・財産権をめぐってアブラハムとゲラルの人々との間に争いがありました。そのときもアブラハムは、寄留者という不利な立場に立たされ、苦慮しつつも、ぎりぎりのところで神が彼の家族を守られました。そして、その井戸の所有権を明確にするために、アブラハムとアビメレク王は契約を結びます。

 「アブラハムは羊の群れから、七頭の雌の子羊をより分けた。するとアビメレクは、『今あなたがより分けたこの七頭の雌の子羊は、いったいどういうわけですか。』とアブラハムに尋ねた。アブラハムは、『私がこの井戸を掘ったという証拠となるために、七頭の雌の子羊を私の手から受け取ってください。』と答えた。それゆえ、その場所はベエル・シェバと呼ばれた(二一・二八〜三一)。

 ベエルとは、井戸という意味です。シェバとは、七つ、すなわち契約の七頭の子羊を指しています。ベエル・シェバは、社会的にはアブラハムとアビメレクの間に結ばれた和平協定を表していたのです。
 しかし、アブラハム個人には、もっと深い意味がありました。「アブラハムはベエル・シェバに一本の柳の木を植え、その所で永遠の神、主の御名によって祈った」(三三節)
 信仰の記念植樹です。旧約聖書の中では、神がなしてくださった御業に対して記念塚を建てるということは頻繁になされています。しかし木を植えるというのは珍しいです。井戸のそばですから、非常に意味があるでしょう。
 以前、教会員のお宅を久しぶりに訪問したら、家の前に大きな白樺の木がありました。
 「珍しいですね。こんなところにこんな大きな木が。前にありました?」
 「いや、息子が生まれたときに植えた木が……」
 あらためて、牧会訪問をしばらくしていなかったのだと自戒させられるとともに、信仰の記念植樹のすばらしさを思いました。木の生長とともに、息子さんの成長を振り返るでしょう。同時に、恵みの成長を振り返ることでしょう。
 木を植え、アブラハムは「その所で永遠の神、主の御名 によって祈った」とあります。「その所」――この信仰記念の場所で祈ったのです。
  ここへ、この場所へ、イサクは上っていきます。彼は何を期待して、どんな信仰で、上っていったのでしょうか。私たちならどうでしょうか?
 私の両親は、京都を離れて、福岡の教会を開拓しました。私が大学生の頃、その福岡の教会が献堂二〇周年を迎え、父がその集会の講師に招かれました。そのとき、父は私を連れて行きました。私にはほとんど何の記憶もありませんでした。以前、犬を飼っていたこと。教会の前のどぶ川に落ちたこと。その川が治水された後、大きくなって教会の前にありました。
 私もそのとき、父がかつて祈って労した場所へ自分が上っていくのだという意識をわずかですが感じました。それは観光や物珍しさではありませんでした。それよりもはるかに深い意味合いで、息子イサクは父アブラハムがかつて祈ったところに上っていくのです
 なんと、彼の期待、彼の信仰をはるかに上回って、神が現れてくださいました。父アブラハムの故に、息子イサクもまたその祝福を受け継ぎます。しかし、その受け継ぎ方は機械的ではありません。

              ●機械的には受け継げない――イサクの祈り

 親の信仰の祝福を子どもは機械的には受け継げません。そのことを、聖書は象徴的に描いています。
 第一に、イサクはその所に自分で上っていって、祭壇を築き、祈りました(二五節)。親の祈りではなく、自分の祈りで祝福を受けるのです。のみならず、祝福を自分のものにするために、自分もまたそこに「天幕を張り……井戸を掘る」のです。それは、約束された神の祝福を時間と生活をかけて自分のものにしようとする努力でした。
 第二に、その井戸というのは、再び掘られたものでした(一八節)。それは、何ものかが父アブラハムの死後、何者かの手によってふさがれていました。井戸というのは、放っておくと、どんなに地下に豊かな水脈があってもふさがれてしまうのです。それは、私たちの信仰と同じです。神は豊かな水脈として、そこにおられます。しかしその祝福の水をくみ上げることをしていないと、いつの間にかそれはふさがれてしまうのです。
 では、ふさがれたら、水脈は枯れてしまうのでしょか? いいえ、それは地下で豊かに流れています。そして、再び掘り始めたら、新鮮な水が上がってくるだけでなく、一九節にあるように、このゲラルの谷に新しい湧き水も見つけることができました。この地域一帯に水脈は広がっていたのです。祝福を受け継ぐというのは、再び神の祝福の水脈を、いつの間にかふさがれてしまった井戸を再び、掘り返すことです。
 第三に、イサクは、次々にゲラルの谷に広がる水脈から新しい井戸を掘り出していきます。父が受けた祝福を自分の祈りと信仰によって掘り起こし、それだけでなく、自分の手で開拓していきます。いくつも新しい井戸を掘り当てます。そして新しい名前をこの地に付けます。
 それが、三三節にあるように、「シブァ」(契約)でした。イサクは、以前のベエルシェバを自分なりに「ベエル・シブァ」と呼んで、新しい意味づけをします。それは新しい井戸を掘り当てたその日、井戸をめぐってこれ以上争いが起こることがないように、父アブラハムの時と同じように、イサクはアビメレクと和平協定を結びました。ですから、「シェバァ」(契約)と呼び変えています。それはイサクとアビメレクの和平協定を指しています。
 しかし、実は、シブァとは、人と人との約束事ではないのです。神との契約、その契約の真実さ、すばらしさのことでした。それはイサク自身が、井戸の紛争に巻き込まれ、人生の厳しさを体験し、父が祈りの祈念碑として植えた柳の木の所に行き、自ら祈り、自分の信仰と労で恵みの水脈を掘り当てて結んだ、神との契約を指しているのです。

 私たちの教会に多くのイサクがいることは感謝です。すでに自分の信仰に目覚めているイサク。これから目覚めるイサク。しかし彼らは必ず目覚めます。親であるアブラハムの祈りのゆえに目覚めます。そして、その手で信仰と祝福を引き継いでいくのです。

掲示物をメールで送信。 プリントプレビュー
DATE: 2003.02.25 - 11:18
LAST UPDATE: 2003.02.27 - 00:10

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