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::: 高津教会 説 教 :::


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Name   T・Y
Subject   12/5説教「パウロの生涯(37)信仰の船旅」使徒の働き27:1~37
12/5説教「パウロの生涯(37)信仰の船旅」使徒の働き27:1~37

☆説教
使徒の働きの27章、28章というのは、使徒の働きは28章までしかありませんので、来週と年末の最後の礼拝で、パウロの生涯(の学び)を終えることができると思っております。その間にクリスマス礼拝がありますが。恐らく、今日のようなところは、線を引きながら読まないと、非常に難しいと思います。玉木兄には、長々と27章全部を読んで頂きましたが、場面はこうです。

アグリッパ王を前にした弁明を終え、しばらくしてパウロはローマに護送されて行きます。それは彼が、自分が逮捕監禁されている理由に関して、ローマ帝国の一市民として、ローマの皇帝に上訴するという決断をしたからです。

そこから、地中海に面した小アジアの港(カイザリヤ)からローマに向っての船旅が始まるのですね。ちょっと見て頂きますと、

2節「私たちは、アジヤの沿岸の各地に寄港して行く(アドラミテオの船に乗り込んで出帆した。テサロニケのマケドニヤ人アリスタルコも同行した)」。

3節「翌日、シドンに入港した。(ユリウスはパウロを親切に取り扱い、友人たちのところへ行って、もてなしを受けることを許した)」。 

4節「(そこから出帆したが、向かい風なので、)キプロスの島陰を航行した」。

5節「そしてキリキヤとパンフリヤの沖を航行して、ルキヤのミラに入港した」。

とありますように、さまざまなところを巡りながら、パウロを乗せた船が航行して行く様子がよくわかります。ある時、7節の最後に、

7節「(幾日かの間、船の進みはおそく、ようやくのことでクニドの沖に着いたが、風のためにそれ以上進むことができず、」サルモネ沖のクレテの島陰を航行し」、

(8節)「その岸に添って進みながら、ようやく、良い港と呼ばれる所に着いた。その近くにラサヤの町があった)。

しばらくこに滞在していたようですが、そこから改めてローマに船出しようとした時、もう時期がすでに当時の船旅には危険な季節が到来していました。そこで、パウロは10節で、制止を試みます。

10節「『皆さん。この航海では、きっと積み荷や船体だけでなく、私たちの生命にも、危害と大きな損失が及ぶと、私は考えます。』と言った」。

パウロは船乗りではありません。しかし、海のことは専門でなかったとしても、これまでの伝道旅行を通して、誰よりも多くの船旅を経験していたに違いない。Uコリント11章(25節後半)では、実際に自分は「難船したことが三度あり、一昼夜、海上を漂ったこともあります」と述べています。彼はそういう意味で、地中海の海の船旅のベテランでありました。

しかし、11節、パウロを護送していた「百人隊長は、パウロのことばよりも、航海士や船長のほうを信用して」、彼らの判断を優先して出発します。そして、嵐がやって来ます。

14節「ところが、まもなくユーラクロンという暴風が陸から吹きおろして来て」、

まぁ、(強烈な)低気圧が大海に上陸(***通過?)した。

私は木曜日の午後、長崎に行きました。長崎で私を待っていた先生は、飛行機が長崎空港に降りないのではないかと思うぐらい、長崎は嵐でした。何とか揺れを凌いで飛行機は着陸しました。
仕事を終えて、金曜日の午後に東京に帰ろうと空港に行きますと、今度はその低気圧が東京にかぶっていて、羽田からの飛行機が飛んで来ない。それで延々と空港で羽田から飛んでくる飛行機を待たされました。
金曜日は東海道新幹線も止まりましたでしょう?そして、あの日の午後、長崎の五島列島から長崎港に向けて航行中の高速船が、波をかぶって、客室に居た乗客一人が亡くなっていますね。

現代でも高速船に波がかぶって乗客が死ぬのだ。自然の猛威の前で、飛行機も鉄道も船も翻弄される。だとしたら、当時の船旅が、どれほどの大きな危険を伴っていたのかは、想像するに簡単だと思います。

それはある意味、私たちの人生の船旅と考えることもできるでしょう。私たちの信仰の歩みは、パウロの船旅と同じように、逆風に悩まされたり、嵐に翻弄されたり、流されるままになったり、浅瀬に乗り上げて座礁したりと、そういう一年を旅して来たのですね。ですから、私たちの船旅に重ねながら、今日の聖書の箇所を見て行きたいと思いますが、短く3つのポイントで(お話します)。

1)船旅の途中で失われるものがある。

15節「船はそれに巻き込まれ、風に逆らって進むことができないので、しかたなく、吹き流されるままにした」。

17節「小舟を舟に引き上げ、備え綱で船体を巻いた。また、スルテスの浅瀬に乗り上げるのを恐れて、船具をはずして流れるに任せた」。

それどころか18節では、「私たちは暴風に激しく翻弄されていたので、(翌日、)積み荷を捨て始め」ますね。19節では「(三日目には、自分の手で)船具までも投げ捨て」て行きます。

そもそもの判断ミスがありました。敢えて、この時期に航海に出たことの代償だということが言えますが、私たちの信仰の船旅と同じです。私たちはどこかで判断が甘い。どこかで自分の力不足が露呈する。そして、そうでなくても、不測の事態に巻き込まれる。その時、私たちは必ず何かを失う。

皆さん今年いったい何を失われましたか?財産の一部を失った方もいるでしょうし、あるいは自分の安住の地を失って、引っ越して行く方もおられるでしょうけれども。

彼らは最終的に積み荷を捨て、船荷を捨て、座礁する時に、船も捨てます。私たちの人生の中で、判断が甘いのか、能力不足なのか、不測の事態なのか、あるいは圧倒的に私たちの前に立ちはだかる問題課題の大きさなのか、私たちは人生の船旅にあって、確認をしておかねばならないことがある。

それは、どこかで、人生どんな場面でも、あきらめなければならないことがある。これがやりたい、これを自分は夢として来た、しかしその夢を捨てなきゃならないこともある。家族の必要のために、自分が願っていたことができない場合もある。自分が理想としていた人生と全然違う方向に最終的に展開している場合もある。犠牲も致し方がない、そんな場面があるということです。

こんなことなら出航しなければ良かった。それはそうかもしれません。でも、もう船出してしまった時に、私たちの人生というものは、捨てるものは捨て、あきらめるものはあきらめ、時に流れに任せ、時に暴風雨に翻弄され、最後にこの船も壊れてしまう。でも、人生という船旅は続いて行くのだ。

ハリウッド映画で、宇宙から隕石が降って来るっていうのがあるじゃないですか。そして今まで住んでいた環境が全部壊されて…私はその手が結構好きなのですが…(笑)。死ぬような思いしますとね、自分の人生のさまざまな問題が少し楽かなぁと、そう思えるのですが…。あの手のハリウッド映画で必ず出てくる英語の表現がある。それはアメリカ人が大好きな表現で(笑)、それが“Life goes on.”です。人生は続いて行く。国が消えて無くなるかもしれない。家族の一部を失うかもしれない。自分の仕事は転職を強いられるかもしれない。でも、あなたの人生は”goes on”「明日に向かってもう一歩進んで行ける」です。

私たちはそういう意味で、捨ててしまった積み荷や、あるいは船具、座礁してしまった船をいつまでも嘆いているわけにはいかない、(人生の船旅は続いて行く、)そんなことを実感させられる場面ですね。

2)信仰によって希望を得るパウロ

少し時系列で追って行きたいと思いますが、
【19節「三日目には、自分の手で船具までも投げ捨てた」。】
【20節「太陽も星も見えない日が幾日も続き、激しい暴風が吹きまくるので、私たちが助かる最後の望みも今や絶たれようとしていた」。】

19節、嵐が始まって3日目で、積み荷も船具も捨てました。
20節、太陽も星も見えない日が続きますでしょう。嵐は止む気配がない。
  
恐らく出航して10日ぐらい経過した頃でしょうか、パウロは、食事も取らずに絶望している人々を前にして、励ましのことばを語る。それが22節。 

22節「しかし、今、お勧めします。元気を出しなさい。あなたがたのうち、いのちを失う者はひとりもありません。失われるのは船だけです」。

26節「私たちは必ず、どこかの島に打ち上げられます』」。

自分の持っているものは、全部失うかもしれないけれども、人生はそこからまた始まって行くことができる。そしてパウロは、こう言った確信の根拠として、神さまのみことばを語ります。それが23節。

23節「昨夜、私の主で、私の仕えている神の御使いが、私の前に立って」、
(24節)「こう言いました。『恐れてはいけません。パウロ。あなたは必ずカイザルの前に立ちます。そして、神はあなたと同船している人々をみな、あなたにお与えになったのです』」。

ということは、あなたのいのちが生きながらえるなら、同船している全員も生きながらえるぞと(言われているのです)。神さまの約束のことばの中に、「必ずローマ皇帝の前に立ちます」(注***使徒19:21,23:11参照)と、英語ではmustですね。聖書の中には、必ず立つことになる、それはそうなるように神さまはご計画しておられるという意味です。どういう形で最後その目的が実現するかはわからない。でも神さまのご計画、神さまのお決めになっていることは必ずその通りになると(、そういう意味です)。

パウロは実はかつてエルサレムで捕えられたとき、23章11節でこのことばを聞いています。それは、(パウロの)不安の中、イエスさまご自身が夜、パウロに語られました。

【23:11「その夜、主がパウロのそばに立って、『勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなければならない。』と言われた」。】

――恐れることはない。あなたはこの試練を超えて必ずローマに行くことになる。――その同じことばが、その夜にもパウロの心に響いて来た。嵐に翻弄される船の中で、神の使いが現れて、同じ約束の言葉を語るのですね。

私たちの信仰の旅路も、暴風雨に吹き流され、何日も太陽も星も見えず、浅瀬に乗り上げて座礁しそうになりますが、そんな私たちを勇気づけるのは、神さまのみことばです。それは何度も何度も味わってきた実感です。神さまは私たちに約束してくださった。

わたしはあなたを捨てない。(注***創世記28:15、申命記31:6、ヨシュア記1:5など参照)
わたしはあなたの右の手を握り、あなたを強める。(注***詩篇73:23、イザヤ41:10,13など参照)
わたしは世の終わりまであなたと共にいる。(注***マタイ28:20参照)
あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。(注***ヨハネの福音書14:1)     

という、この約束のみことば。それをパウロは見失わないのです。つまり、どんなに太陽が見えなくなっても、どんなに流されても、主が共におられることを、その約束のことばを見失わないのです。順調な時も逆境の時も、主の計画は必ずなる(注***ルカ1:45、ルカ24:44、箴言19:21、イザヤ37:26など参照)という、主のみことばをしっかりと握っていた。
  
トニー・カンポーロという、私の大好きなアメリカの社会学者がいます。大学の先生ですが、とっても元気な伝道者なのですね。フィラデルフィアかどこかで育った、イタリア系移民なのですが、カンポーロが住んでいた町のあたりは、とっても危険な貧しい一角で、そこで彼は育つのですね。

彼が小学校一年生になったとき、お母さんは、近くに住む年上の女の子にお願いして、登下校に付き添ってくれるように、セットしました。一日、10円のお小遣いが彼女に支払われたそうです。

カンポーロ少年が2年生になったとき、自分は男の子なのに、女の子に守られて登下校することに抵抗します。友だちにからかわれます。男の恥だ。それでお母さんに、「学校は自分で行くよ。気をつけるよ。一週間できたら、その10円をぼくに頂戴よ。(5日ありますから)、お母さんだって、残りの40円得するじゃない。」

とはいえ、危険な地域です。それでも少年が何度も言うものですから、お母さんはオッケーします。それから彼は、強くなったというのです。

何年もして、家族が集まったある日、彼は当時の自分を振り返って、自分があの時どれほど成長したか、どれほど強くなったか自慢したそうです。すると、お母さんは、笑いながら彼に言いました。
「確かにおまえは強くなった。でもね、本当に一人で学校に行っていたかと思うかい?おまえが4年生になるまで、お母さんは、行ってきま〜す!と言って出て行ったおまえを遠くからそっとつけて見守って、おまえが学校に入るのを確認して歩いていたんだよ。おまえが見ていないところで、お母さんはおまえを守っていたんだよ」。

2年生、3年生の男の子に、そりゃあ解らないかもしれない。そして、私たちは自分の足で道を切り開き、すべてが順調に行っている時に、私たちは神を見失う。そういうことをしていますとね、試練の時にも神を見失う。神を見続ける、神に信頼を置き続けるということは、パウロにしてみれば伝道に飛び回っている時も、伝道が成功してさまざまな教会を建てあげている時も、また嵐の中でも、牢獄の中でも、パウロは何と言っていますか?

23節「昨夜、私の主で、私の仕えている神の御使いが、私の前に立って」、(24節)こう言いました。

元気な時も、そうでない時も、順調な時も、嵐の中でも、パウロは「私の主、私の仕えている神」を見失ったことはない。たとえ、太陽の位置が、たとえ星を見失い、どこにいるか、自分の位置関係がわからなくなったとしても、神さまを見失わない。であるがゆえに、パウロは周りの人を励ますことができる。

ですから、パウロが「元気を出しなさい」(22節、25節)とか、「必ずどこかの島に打ち上げられます」(26節)と言う時に、何の根拠もない事ではない。それはパウロの生きている姿勢の中から、順調な時も、逆境の時も、この一年間の信仰の船旅の中で、私は一貫して神さまを見失うことはなかったと(言えるからです)。

3)皆を励ますパウロ

そういうパウロは皆の先頭を切って励ましますね。パウロは大体33節、目星のついたところで、

33節「ついに夜の明けかけたころ、パウロは、一同に食事をとることを勧めて、こう言った。『あなたがたは待ちに待って、きょうまで何も食べずに過ごして、十四日になります」。

34節「ですから、私はあなたがたに、食事をとることを勧めます。これであなたがたは助かることになるのです。あなたがたの頭から髪一筋も失われることはありません』」。

35節はいっしょに読もうではありませんか。

(35節)「こう言って、彼はパンを取り、一同の前で神に感謝をささげてから、それを裂いて食べ始めた」。

みんなが食べるのです。そして37節に、「船にいた私たちは、全部で二百七十六人であった。」(と記されています)。

船の中で、神さまの約束の言葉を聞き、神さまに信頼していたのはパウロ一人、だから結果、いのちを永らえたのは、パウロだけだった。そうではない。パウロ一人の信仰のゆえに、パウロ一人に注がれた神の恵みは、船に乗っていた全員を引っ張るのですね。
そして、この一人の人の確信が、一人の人の平安が、一人の人の希望が輝くと、どれほど大きな力となるか、どれほど回りを励ますか、どれほど回りを引っ張るか、そして、周囲に神さまの恵み(祝福)を及ぼすことを可能にするか。一人の人の信仰が、皆を救うのです。これがパウロの力ですね。

いつもノーベル平和賞は、妙に、所謂反体制の人が選ばれる時に、果たして国はその人を受賞式に送り出すかどうか、もめますね。
かつて、ソビエトの反体制のキリスト教文学者の有名なアレキサンデル・ソルジェニーツエン、彼はノーベル文学賞を受けます。彼はソビエトの収容所に10数年閉じ込められていた。そしてその収容所の中で、彼は文学賞受賞のニュースを聞くのですが、果たして、ソビエトは彼を授賞式に行かせるのかどうか、もし行かせたら、彼は亡命するのではないかと、いろいろもめます。

結果的に彼は帰って来るのですが、彼は授賞式の講演で、最後にソビエトのことわざを使います。
「一つの真理の言葉は、全世界よりも重い」。
彼は文筆家としては、とても尊いですね。それをもじって、彼は自分の講演をこういう風に閉じます。
「一人の真理の人は、全世界に衝撃を与える」。

いやいや、私なんかが、全世界に衝撃を与えることはない。それでも、家族の中で、職場や学校で、数少ないキリスト教信者、信仰者として立てられている私たちには、どれほど重大な責務を神さまから託されているかです。
それは、「一人の真理の人は、全世界に衝撃を与える」。私たちと共に歩んでいる人々が神さまの祝福にあずかることができるからです。
食事ができないほど、不安におびえ、悩んでいる人々に元気を出しなさい、神さまが共におられる、その励ましの言葉を持っているのは私たちなのです。
そして、私たちが言わなければだれが言うのですか?「元気を出しなさい。神があなたとともにおられる。」と。

そこで、見事なのは、一緒に読んでいただきました35節です。
パウロはまず、自分でパンを取り、みんなの前で神さまに感謝をささげ、それを裂いて食べ始めました。
14日間、何も食べていなかった人たちを励ましたのは、このパウロの行動・姿です。彼は日常のままの行動、パンを取り、みなの前で神さまに感謝をささげてから、それを裂いて食べ始めた。つまり、パウロの、神を信じて感謝のうちに日常を生きる姿に、人びとは励まされた。これは特別なことではない。
祈って食事をする、という何でもない日常の信仰の行動です。しかしそれが、どのような危機の時にもしっかりとなされるなら、それは、共に船に乗っている人びとを励ます力を持っていました。

家族の問題でいろいろあたふたしている時に、お母さんがいつもと変わらずに、食前の感謝をささげて、そして食事をしているその姿がどれほど安心感をもたらすことか。私たちもまた、パウロのようでありますように。神さまのみことばを揺るぐことなく信頼し、嵐の中でも主に感謝の祈りを捧げて、パンを食べ続ける、神を礼拝し続ける。

以前、5歳ぐらいで白血病に襲われ、そして21歳で天に召されました大塚俊之さんという人がいました。お母さんが一番最初に洗礼を受けますが、お母さんがキリスト教に導かれたきっかけは、病院で同じように小さな子供が白血病にかかっている、その病気仲間のお母さんですね。自分の子供のために、頭に手を置いてお祈りをし、そして日曜日の朝、そっと抜け出して礼拝に行く、その日常的な礼拝の姿を見ているうちに、キリスト教というものに、何とも言えない魅力を感じて教会の門を叩くのです。

私たちは何か大きな方法で伝道はできないかもしれない。ソルジェニーツェンのように、世界に衝撃を与えるような何かを書くことはできないかもしれない。
しかし、順調な時も、逆境な時も、変わらずに感謝を捧げてパンを裂き、食事をするという行為が、どれほど周囲の人々に安心を与えるかということを、少し考えながら、私たちが、毎週変わらず続けているこの礼拝こそが、私たちの日常生活の原動力だ、あらゆる問題の解決は、私たちが普通に唱える主の祈りの中にあり、普通に歌う賛美の中にあり、そして聖さんで戴くパンの中にあるのだという信仰に立つなら、私たちはパウロのように、「私の主、私の仕える神」と、どんな時も言えるようになるでしょう。

☆終わりのお祈り

恵み深い天の父なる神さま、私たちはパウロではありません。でもどんな時にもあなたに信頼し、感謝して日々の糧を戴くことぐらい、私たちにできるのではないかと考えさせられるほど、パウロの取った行動は私たちにもまねできるものでありました。

どうか、順調な時も逆境の時も、あなたの存在、あなたの約束のことばをしっかりと握ることができるように、そして逆境であればある程、ともにいてくださるあなたを実感し、そして落ち着いて捨てるものは捨て、犠牲になるものは犠牲になり、しかしこの信仰の船旅は続いて行くのだと、心に言い聞かせることができるような信仰を私たちにも与えてください。イエス・キリストの御名によってお祈り致します。アーメン。


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